第23話 Je suis ici pour lui donner un mot de travail acharné

「では、宜しくお願いします」


 丁寧な挨拶と共にリドイは、事務所を後にした。

リドイは、両親への思いを吐き出したことで心が楽になっていた。未だ、生きているのかも死んでいるのかも不明だ。けれど、僅かな期待が彼の胸を躍らせていた。


 リドイが帰った後、リオネルはソファーの上に寝転がった。


「仕事…やめたい」


「リオネル?! いや、まだこの任務も終わってねぇだろ、それ、成し遂げてからにしろ! その後は自由だからさ」


 ジルベールも同じく、休みたいのだが、いかせん、仕事をしなければ生きてはいけない。金だって

手に入らない。働くしかない。


「警察の知り合いには後で言うから今は、眠る。疲れた」


 確かに、ここ最近は、リオネルも忙しかった。ドイツであんなことがあり、数日よく寝つけなかった。


「ん、おやすみ」


 ジルベールも、欠伸をして、眠った。廃墟の中に温かい空気が流れていた。






 リオネルは、エイダン等の元へ向かう前に、護衛の対象であるジルの元を訪れた。いつ見ても屋敷は豪華で大きく、やはり金持ちは嫌いだと再確認させられる場所である。


 欠伸を噛み殺し、屋敷の中へ足を踏み入れた。こう見ると不法侵入だと疑われるかもしれないが当の家主からはいつでも入ってきて良いと、気色が悪いほどの笑みを浮かばせ、言われたので甘んじて受け入れている。階段を上り、家主の部屋の扉を叩く。


「入って良いよ」


 中から返事が聞こえたが、どうやら手を離せなさ

そうなので、言われた通り、勝手に入ることにした。以前に訪れたよりも紙が増えていた。あの時は気にならなかったが、仕事が溜まっているらしい。


「すまない、任務で暫く護衛を出来なくて」


「君は君の仕事を優先すればいい、それを僕は君に言ったはずだ」


「だが…」


 仕事を放棄するのは、リオネルの矜持に関わる。

一人の人間の前に、殺し屋である前に、目の前の人間の護衛を任されたのだ。何としてでも務め果たしたかった。


「…あのね、素直に休んでも良いの。矜持なんて

関係ない。それに僕は君に健やかに生きていて欲しいからね」


「…」


「だから、休んでいいよ」


 慈悲を齎す声。けれども、上から言いつけるような、そんな言葉だった。実際に人の上に立つ者だから、自然と声に乗ってしまうのだ。


「…ああ」


 依頼人からの命令だ。逆らうことは、自分には出来ない。それに、なんとなくその言葉が欲しかったのだ。


「その前に聞きたいことがある。お前はなぜ、この屋敷に一人でいる。お前には何も異様なものなど無い。なのに、いつ来てもいないのはどうしてだ。お前には家族がいるんじゃないのか?」


 リオネルの問いに、ジルは返事に間をあけて応えた。


「いないよ、この世には。ごめんね、言っていなくて。ある日、突然いなくなった。いや、死んだと言った方がわかりやすいね。屋敷の者も全員死んだ。生き残ったのは、僕だけだったけど」


 ジルは、決してあの日記の持ち主が自分だとも告げることはなかった。言ってもいい。けれど、あの中には自分の過去の嫌な記憶が詰め込まれている。好きで、自身の過去を晒したいと思う者はいないだろう。


「…死のうと思った」


 あんなのでも、育ててくれた親だから。罪悪感に押し潰されて、死のうとした。勿論、彼等の為ではない。自分の心の為だった。


「…約束したんだ、ある人達と。絶対に生きて、生きて、守るって」


 誰を守るとは、ジルは、言外にも含ませず、リオネルにすら察することは出来やしなかった。


 けれど、一つだけ理解できるのは、彼に生きろと

放った者達はこの世には既にいないということだけ。彼が乗り越えたのか、乗り越えられていないのかは不明だが、随分昔の記憶を思い出すように顔に懐古の念を滲ませていた。


「だから、僕はこの屋敷に一人で老いていくとしても、生きるよ」


 たとえ、どんなにこの場所が地獄であったとしても、罪を背負って生きていかなくてはならない。両親が死に、歓喜した、死にゆくところを傍観した己への罰だ。


「そうか」


 ジルの思いが伝わったのだろう。それ以上リオネルが何か言うことはなかった。


 そうして、数十分お互いに口を閉ざしたままだった。ジルは仕事を続行していたし、リオネルはソファーに腰掛けて慣れないスマホを操作していた。いかせん、難しいのだ。昔のガラケーの方が、操作しやすかったと感じる。いや、それも少し難しかったか。


 今、リオネルが見ているのは、メールアプリ。

その中にエイダン達、捜査一課とのグループメールがあって、明後日の捜査会議という名の飲み会を開くらしい。


 リオネルも誘われたので是非と、メールを返す。既読がつくのが早い。暇なのか。


 ジルは、リオネルを一瞥し、顔を微笑ませた。リオネル本人は、無意識のようだが、いつの間にか顔が緩んでいた。






「ねぇ、モールス信号習ってみない?」


 仕事が一通り片付いたらしいジルから突然提案された。リオネルは、首を傾げた。


「モールス信号? なぜ」


 リオネルが問うと、ジルは、片目を閉じて笑った。それはもう、面白い考えを思いついた子供の顔だった。


「秘密の会話って面白いじゃない?」


 面白いといわれても、まだやってはいないのだから、分からない。秘密の会話といっても、ジルとは秘密という秘密がない気がするが。


「じゃあ、僕から君へ言うね」


「--・ ・-・・・ --・- -・--・」


「なんて、いったんだ?」


「君の名前」


 そんなに笑っていうことではないと思うが。嬉しいのだろうか、よく分からないけれど。


「じゃあ、はい、これ」


 ジルから渡されたのは、数冊の本だった。表紙には、モールス信号という字が大きく書かれていた。教える本らしい。


「覚えられたら、いつか僕にやってくれる? 楽しみにしてるから」


 ジルの言葉にリオネルはこくんと、頷いた。いつか。なんて、未来を約束できる仕事はしていない。いつ、へまをして死ぬかすらも分からない。


 しかし、約束をしてみたいと思った。復讐を終えた先に待っている未来で、彼とも笑い合えたら。そんな、遠いような、近いような未来を想像して、まだまだ頑張ろうと自分自身に鼓舞した。


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