第22話 Bonheur des autres, bonheur de soi
「リオネルー、こっち、こっち!」
晴れた午後の日。リオネルは、マレ地区のサンタントワンヌ通りで待ち合わせをしていた。
今日は待ちに待った最高の日。月の3回は、趣味に勤しんでいる。今日はその趣味に付き合ってもらう為に呼び出したのだ。
「遅いぞ、ジルベール」
いつもと違い、髪を結んだジルベールはそこらの
女性から熱い視線を注がれている。世の男は羨むと聞くが、然程興味は湧かない。第一、こんな自分に誰も恋慕を抱かないだろう。
と、いうか自分が所帯を持つのを想像できないからである。勿論、ジルベールに関しても何も浮かば
ないし、言葉はない。
「どこに行くんだ?」
どこへ行くかは伝えていなかった。楽しみにして欲しかったから。サプライズ的要素もある。これまでの感謝のつもりだ。
「王室御用達だった紅茶店」
「…は?」
いまいち理解できていない、頭が追いついていないジルベールに更に追いうちをかけるようにリオネルは言った。
「俺の趣味は紅茶集めだ」
◯◯ン•フレール。近世からの歴史を持つ老舗中の老舗だ。ヴォージュ広場に路面店があるらしく、普段から大盛況だ。世界中からの紅茶ファンが集ってくるらしい。
そこで、アールグレイなどの茶葉を買い、リヴォリ通りまで歩き、不思議な国のアリス風の世界観の
店へ入り、茶を啜った。
女性が多いと予測していたが、実は、リオネルも女子が好きなものが、好きであるので内心嬉しい。とは、いえ物欲はあまりなく、見るだけで十分なのだが。
「お前の趣味、紅茶だったんだな…」
「いや、紅茶以外にも読書とか、アンティーク集めとか、遺跡巡りとか意外と好きだ」
注文したレモンタルトは紅茶に合うように作られているため、甘さ控えめだが、酸味が程よく、くどくなく、さっぱりとした味で美味しい。これなら少しは食べられそうだ。
「何というか、案外普通というか、地味で良かったよ」
チョコチップ入りのスコーンを齧る。
「地味とはなんだ。…今日は趣味の為に街へ来たが、話があってな」
肉匙を皿の上に置き、口元を紙ナプキンで拭く。
ジルベールも呆れるほど乱暴だ。ませているくせに、時折子供っぽさを見せる。彼の両親が健在だったならば今頃、躾に困っていそうだ。
とはいえ、それが可愛く見えるんだろう。ジルベールも同じだ。
「話…?」
「ああ。とある子供から依頼されてな。家族が突如として消えたらしい」
「消えた…? 見間違いじゃないのか?」
「出来ればそう思いたいが、本当らしい」
「まぁ、俺も嘘だとは思ってねぇよ。真面目に言ってるんだったら信じてやらねぇとな」
大概の大人は、真実を伝えようとする子供の言葉は信じない。のちにその子供が死のうが死なまいが悲しみもしない。それが大人だ。
もちろん、心優しく、涙を流してくれる大人はいるが、これまで数えるほどしか出会ってはいないので予想していた通り、心優しい者なんて多くはいないらしい。
「そうか、俺も信じたい。それで、俺のこの顔では怖がらせると思うから一緒に遂行して欲しい」
リオネルは、無表情というか、堅い顔を指でさした。ジルベールもまあ、そんな顔じゃ子供に怯えられて、しまいには泣かれるだろうなと苦笑していた。
「分かった。前の任務の時には助けてもらったしな。んで、その子供の情報は?」
リオネルは、鞄から紙の束を取り出して、机の上に置いた。実のところ、リオネルは一度も見ていない。一枚目の紙の右上には金髪の幼い顔立ちの子供の写真が貼ってあった。
「えーっと、名前はリドイ•ティーラン、11歳。父親、母親、健在。兄弟はなし」
「なるほど。夫婦の身辺は?」
「親戚はいない。母親の方の両親は、彼女が幼くして亡くなったそうだ。父親の方の親は健在。仕事でも真面目に働いていて、恨みとかは買っていないらしい」
らしい、ので本当のところは分からない。誰かが隠している場合もある。他人が詮索しない限り、悪意、恨み、憎しみは誰にも悟られずに達成されてしまうのだ。
「…だが、子供ほど悪意というものを感じ取ってしまう。俺も少なからず、両親が死んだ後、善と悪を区別していった。悪意は、自然に分かるから」
「…そうかもな。その子供に聞くか?」
「聞いてみる価値はありそうだな」
「…」
「…」
静寂の空気が、廃墟の中に流れる。一応事務所は、廃墟なので。実質外なのだが、この空気は換気され、新しい空気が流れない。むしろ、新しい空気すら呑み込まれている。
「…」
「…」
「…っ、なんだよ、この空気! どっちからでも良いから話せよ、なんか居ずらいじゃねぇか!」
居た堪れなくなったジルベールが、叫ぶ。仕方ないだろ。どちらも会話が苦手で、人見知りだ。そして、口数は少ないと自身で理解している。
つまり、会話が弾まないのだ。しかし、ジルベールがこの空気に耐えられないのも多少は分かる。リオネル自身も既に、耐えられなく、辛い。頭でぐるぐると考えてしまう。何を話せば良いかとか、それはそれは頭がパンクするくらいずっと。暗い人間ほど負の思考をループさせてしまうものだ。
「あ、あの…」
恐る恐る、リドイが口を開いた。よくやった。内心、目の前の子供に親指を立てた。よく、この空気を変えてくれた。一生、恩を忘れない。
「恨みは買っていたと思います。実際、父親は浮気、母親は不倫をしていましたし、双方の相手から恨みを抱いていたり、仕事の方でも同僚から、結構妬まれていたというか、母親はそれこそ、後輩を虐めていたので」
まぁ、出るわ、出るわで、資料には書かれていなかったいろんな方向からとてつもなく恨みを買っていた。
リオネルも、ジルベールも、探すというより死なせた方がマシなのではないかとすら思ってきた。
「…探して欲しいというのは、本当ですが、それは建前で、本当は両親を殺して欲しいんです」
「…なぜ、殺して欲しいんだ?」
わけを聞かなければ殺せない。リオネルは、リドイにたずねた。彼は、息を吐いた。まるで言いたくないというように。
「二人には、虐待に近いものを受けていました。殴られるのは当たり前。食事も、週に一度出されたら幸運。二人は、お互いが不倫、浮気している相手に夢中で僕のことなんか眼中にない。たまに眼中に入ったらストレス発散で殴るだけ。僕の身体は傷だらけで、それと同時に僕の心には殺意が自然と湧いていました。機会が訪れたら殺そうと。…ですが、僥倖だったのか、二人は行方知らずとなりました。もしかしたら死んでいるのかもしれない。けれど、生きていたら、殺して欲しいんです。報酬はあなたがたが考えているよりもよっぽど少ないです。子供である僕が用意できるお金は大金ではない。それでも、殺して欲しいんです!僕は、幸せな人生を生きたい!」
実の両親に愛されず、不幸な人生を送ってきた少年の思いに応えたいとジルベールは思った。だって、自分もそうだったから。同じ境遇で、失礼かもしれないが、共感が湧いた。
「なぁ、リオネル。この依頼、受けようぜ」
「…」
「こいつには不幸にはなってもらいたくない。他にもいる同じ境遇の奴等にも。たとえ、お前が断る気でいても、俺が後を引き継ぐ」
ジルベールの言葉に、リオネルは、目を閉じ、僅かな間、そうしていたが、やがて目を開け、薄く息を吐いた。
「ジルベール、断る気はない。初めから受けるつもりだ。あの時、話したのは、一人だと本当に会話が無理だったからだ」
「そうだな。お前はもっと会話を続ける努力をしろ。殺し屋だけど一応接客だぞ」
尤もらしいというか、殺しを生業としている人間に常識を今更伝えても、と呆れるが、元から常識を知らないもの達に伝えたら笑うのだろう。
とはいえ、リオネル自身、接客なんてしたことはない。殺し屋しかこれまでの人生、やってこなかった。だから、接客は何をすればいいのかわからない。それは、似た境遇の殺し屋達も同じだ。
「殺し屋に言っても、まず俺は接客の仕事なんて知らないし、何をするんだ」
「…え、マジ? 嘘、知らなかった?」
「ああ、知らない。接客は何をするんだ。やっているのは、普通に暮らせている人間だけだ。…普通の暮らしもあの時以降してこなかったし、望んではいない」
憧れはあった。羨ましかった。何も知らずに、幸せに暮らせることが。けれどこの生き方を決めた以上、日は当たらない。知っていた。
だから、諦めた。普通を。そうでもしなければ、また望んでしまう。
…あの頃は、多分幸せだった。普通の暮らしとやらを過ごせていた。少なくとも両親は健在だったから。けれど、それも今はない。当たり前の幸せ、なんて限られた者にしか降り注がない。
結局のところ、裏の社会の人間達は、表の人間しか知らない幸せを知らないし、降り注がれたこともないのだ。
「うん、そうだな。幸せなんか知らない俺達は、呑気に笑って、平和に暮らしている奴らの踏み台、身代わりってことだ。心優しい奴らがいるのは知ってる。けど、俺は、そいつらも嫌いだよ。他人の幸せを願うのなんて嫌だから」
それきり、ジルベールは口を閉ざした。自身の思いを吐露した。だから、すっきりしたんだろう。人は、自分の幸せで精一杯ということらしい。まぁ、他人の幸せを願っている暇があったら、自分の幸せに気を向かせたい。
リオネルは、紅茶を啜った。慌ててリドイも、ティーカップを手に取って、飲む。ローズティーらしく、薔薇のいい香りが漂っていた。
「…すま、ない、話が逸れた。警察に知り合いがいる。話せば協力してくれる筈だから、捜索してもらう。その後、秘密裏に殺す。それで良いか?」
リオネルが、内容の説明をすると、リドイは、首を縦に振った。何の迷いも、躊躇もない。親を殺す。彼なりの決意の表れだった。
「契約書にサインを」
万年筆を持たせ、白く、上等な紙にサインをさせる。リドイの文字は、かくかくしておらず、逆に丸に近い可愛らしい書体だった。
「うっわ、可愛いというか、綺麗というか。俺なんか、べらぼうに下手だぜ? リオネルはどうだ?」
ジルベールは、リオネルの肩に顎を乗せ、リドイの文字を覗いていた。なんとも、スキンシップの多いものである。
「俺も下手だ」
「お前のいう下手っていうのは信用できねぇから見せてみろ」
渋々、白紙に自身の名を書く。綺麗で洒落た書体だとジルベールは感心した。元から真面目な為、字にも移ったのだろう。
「上手いじゃんか」
「本当だ、綺麗」
「…」
二人がリオネルの字に夢中になっている間に当の本人は目を逸らし、そっぽを向いていた。その耳はほんのりと赤く染まっていた。
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