第20話 Ceux qui restent


 その数日後、ルイスは息を引き取った。退院したその日、医師と看護師に伝えられ、廊下の隅にある霊安室へ案内された。


 そこには、眠ったまま、動かないルイスの姿があった。安らかな顔だった。


「本日、24時、ご臨終になりました」


 寝台の横にジルベールは行き、既に冷たくなった

ルイスの手を握った。この数日間、会わないうちに、これ程までに痩せ細っていたのかと驚愕した。


 部下にも、家族である自分にすら告げずに寂しく

死んでいった。ジルベールは、顔を歪ませた。


「っ、何で死ぬんだよ、またやり直そうって決めたばっかだろ! なのに、なんで…っ、また一人にするのかよ…親父っ…」


 シーツに顔を押し付け、嗚咽を漏らし始めた。リオネルも、背を向け、歯を食いしばった。その目尻には、光るものがあった。


 僅かながらに勘づいていた。あの時、彼がふらつき、倒れそうになった瞬間、気付いていたのに。治療を促すことも出来なかった。


 …どちらが、ルイスにとっては幸せだったのだろうか。人の幸せは、他人には決められない。計り知れない。だから、どちらが良いかなんて、見当がつかない。


 リオネルは、酷く凍えるほど静かな霊安室で、悲しみの音を聞きながら涙を一つ零した。






 末期癌だったと、医師は話していた。数年前から発病していた。治す術もあったがそれをルイスは断じて許可しなかった。医師達は、患者の意に従う。だから、何も行わなかった。


 その身体が病に侵されていくのを見るしか為す術は無かった。ただ、訳を聞いた。すると、ルイスは言ったそうだ。


 愛する子供がいる。だが、その子供にとっては自分が死ぬのが一等幸せだと。他人の幸せを理解しているようで、していなかった者の、家族への愛だった。





 リオネルは、ルイスの率いる組織に連絡をしたが、彼は、とっくの昔に組織を解散しており、部下達には納得の出来ない訳を伝えた。彼等は抗議もできず、強制的に捨てられた。


 部下達が病院へ駆け付け、霊安室でルイスの遺体を見た時、恐らく彼等は察していたのだろうが、一応彼が組織を解散した真意を話すと、彼等は堰が切れたように、泣き始めた。


 リオネルの瞳から涙が再びこみ上げてきた。彼は、立派な大人でも良い父親では無かった。けれど…手の届く距離にいた、救える筈の命だった。


 自分なら。なんて、傲慢だと知っている。けれど、少しでも説得出来ていれば結果は違った。どうすることもできなかった無力感を感じ続ける。泣き顔を見られないように、座り込んで、嗚咽を漏らした。




 一度涙が止まったので、立ち上がった。


「ジルベール…」


 放心状態で、椅子に腰掛けていたジルベールは乾いた笑い声を出す。独り言か、誰に言ったのかは定かでは無いが、言葉をぼそりと吐き出す。


「はは…遅かった。もう少し早く勇気を出してれば、なんて。たらればを言うつもりは…無かった筈なんだけどな。あの人のことで、もう二度と傷付きたくは無いって決めてたのに…っ、」


 片手で目を覆う。指の隙間から水が指を伝い、流れ、ポタポタと床に落ちる。リオネルは、そこで、気付いた。安易に考えていた。


「…そう、だよな。乗り越えられるわけ、ないよな。お前も、俺、も…っ」


 遺族は乗り越えられるわけない。一生、悲しみに

溺れ、それを背負い生きていく。乗り越えられる

者など、記憶を忘れ、新たな人生などという夢を歩んだものだけだ。


「リオネル…」


 ジルベールは思い出した。彼が以前、自身の過去を打ち明けた日のことを。


「お前が、悲しんでるのに、俺が…泣いたら…っ、なんで! なんで、お母さんも、お父さんも、死ななきゃならなかったんだよ! 何も悪いこと、してないのにっ、」


 彼も、乗り越えられなかったのだ。悲しみを押し殺していただけで。事務的に任務も、復讐を行おうと、して。



 崩れ落ちたかのように、床に座りこんだリオネルは悲しみに押し潰されていた。


「お母さん…お父さんっ、俺もうやだよ…タイムリープなんてしたくなかったよ…あの時、死んだままの方が、こんなに苦しまなかった、のに…」


「っリオネル!」


 もう、涙は枯れていた。今は、この独りぼっちの

子供を抱きしめることしか頭になかった。強く、強く抱きしめて、ただ胸の中に隠す。


 ジルベールには、それくらいしか彼に出来ることはなかった。ジルベールに抱きしめられたリオネルは、瞳に膜を張れど堪えていたが、ジルベールに泣いて良いと言われた。この胸の中で隠すと言った。


 だから、いつの間にか作っていた壁を壊し、堰が切れたように泣いた。心の底から、これまでに封じていた感情を全て出して、大声で。これでは隠す意味も無かったのだが、もうどうでも良くなっていた。これ等の感情をぶつける相手がいるだけでも

幸せなんだから。








 泣き止んだ後、失態を見せてしまったリオネルは

顔を赤くしていた。多分、それが本来の彼なんだろうけど、可愛く見えてしかたなかった。


 とはいえ、泣いて良いと言ったのは自分で彼は悪くなかった。それに、自分も泣き顔を晒してしまった。というわけで、お互い様だ。


 椅子に座り、ホットティーを飲みながら、ジルベールは打ち明けた。


「病院の方から遺書を渡された」


「…そうか」


「でも、今は読まない。読める心の状態じゃないって自分が一番理解してる。だから、いつか。乗り越えても、乗り越えなくても心に余裕が出来た時に読むことにした。その時はさ、一緒に読んでくれるか?」


 ジルベールはリオネルの手を握った。その手は

僅かに震えていた。


 ポケットに遺書を入れたジルベールは、にっと、歯を見せて笑う。断れないと分かっていて、やっているとリオネルは察した。けれど、たまには良いだろうと、それに乗ってやることにした。




 ルイスは自身の過去をジルベールに伝えるつもりは無いと言っていたのを思い出す。彼を許すつもりは毛頭無いが、彼の過去は悲惨で、とても聞いていられるものではなかった。


 それを今、悲しみに打ちひしがれているジルベールに伝えるほど、リオネルは馬鹿では無かった。だから、彼が落ち着いた頃、ちゃんと話そう。






 葬式の後、二人でフランスへ戻る為、電車へ乗った。彼は、結局ドイツでルイスの墓を建てることを決めた。時折、墓参りに赴くそうだ。


 日が落ち始めた空に見守られながら二人はパリ市街を歩いた。足取りは重かった。漸く、エメの店へ辿り着くと中へ足を踏み入れた。


「おかえり。任務だったらしいけど、大丈夫だった?」


 エメが温かく迎えてくれたが、それに応える心がなくて、無言でカウンター席へ座った。リオネルとジルベールの様子に何となく察したのか、それ以上エメは言うことはなかった。


「…まずは、体を温めて」


 淹れたてのカフェラテを持ってきてくれた。飲むと、体の芯から温まって、やっと、落ち着いてきた。エメの顔をやっと見れた気がした。


 すると、珍しくネリネ、ミヤコワスレ、シオンが

花瓶にさしてあった。花言葉を知っているからこそ、泣きそうになった。


 エメにとっては深い意味はないと知っているが、それがジルベールにルイスが送った言葉だと感じられた。


「…なんで、お前が泣くんだよ」


 ジルベールは言葉に呆れを乗せ、笑う。


「仕方ないだろ!」


 珍しく語尾を強め、エメから差し出されたハンカチで鼻をかむ。ズズッと音が出る。


「いや、それティッシュじゃない、ハンカチだぜ? 汚ね…」


「気にしないで。この子、いつも大人ぶってるくせに時々こういうところあるから」


 鼻をかみ、涙を拭いているリオネルの耳には届かない。リオネルは、目元を冷やす為にトイレへと向かった。


「…あいつの場合、早く大人になんなきゃいけなかった奴だ。もう少し、子供でいさせてやりたい。俺と父親の過去のしがらみを解いてくれたのは他でもない、こいつなんだ。だから、今度は俺があいつを幸せにしてやりたい。やれることは全てやって、ずっとは無理だろうけど、リオネルの笑顔が見たい。それ以上に綺麗なものも、汚いものも、あいつに持ってる。…俺は、あいつが大好きだから」


 まるで恋をする人間のような顔だ。いや、しているんだろう。きっと。エメには分かった。ジルベールの独白に、エメは驚きながらも納得した。


 リオネルは、大人ぶって、誰にも頼らずに一人でいて誰も寄せ付けない。それでいて寂しがり屋だ。本人には自覚はないようだけれど。


 彼自身は知らないかもしれないが、うちへやって

来た当時、任務で巻き込み、死なせてしまった人間のことを思い、悲しみ、ずっと泣いていた。泣き虫なのに、必死で感情を封じ込めて。


 そうやって、抑えていればいつかきっと心が壊れてしまう。両親が死んだ時、涙を流すのさえ憚って、無理やり前へ進んだのだ。頑張り屋の彼を救いたかった。どれだけの時間を犠牲にしてでも。されど、エメが救おうが、救わまいがどのみち結果は分かっていた。


 しかし、エメが知らぬ間に彼はとっくに救われて

いたらしい。恐らくリオネルの中で三番目くらいに大好きと言われた男に。


 (二番は譲らない)


 悔しかった。悔しかったけれど、自分では救えないと知っていたから安堵した。彼が、彼等がリオネルを救ってくれたことに。彼を、過去という暗く、深い沼から引っ張り出してくれた。


 いや、たとえ引っ張り出せてなくとも、未来へ向かう為のきっかけを示してくれた。それで良いのだ。リオネルの為にしてくれたから。


「そう。ジルベール、だったかしら。あんたも、リオネルと同じでしょ。大人にならなきゃ生きていけなかった子供。…ありがとうね、あの子を大好きでいてくれて。これからもその気持ちを忘れないで。ついでにもっと行動に示してくれない? あの子の自己肯定感増すから」


 無邪気に笑ったエメにジルベールは呆気に取られていたが、許しをもらったことに安堵し、彼もエメに向かって笑った。


「はいっ!」


「何の話、してたんだ?」


 トイレから戻ってきたリオネルは、たった数分で

親しくなった二人に疑問を持つ。いや、語弊があるが仲が悪かったわけではない。普通だったのだが、この数分でだいぶ距離が近くなった気がする。

お互いパーソナルスペースが狭いからだろう。


 だが、仲が良くなる話も、何もないと思うのだが。リオネルが知らないだけで二人は共通の趣味が

あるんだろうか。わけが分からないという顔をするリオネルに二人は顔を見合わせて、人差し指を唇に当て、子供みたいに笑った。


「内緒!」




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