第19話 Puissiez-vous être en sécurité sur votre chemin.

 リオネルとジルベールはドイツ市内の病院へ 辿り着き、一緒に受付前で倒れた。何とも情けなかったと思う。


 けれど、許せ。疲労で限界だったのだ。病室で目を覚ましたリオネルはジルベールと共に笑った。腹を抱えて。お互いの怪我の具合があまりにもおかしくて。


 あんな任務の後で笑えるとは思ってもいなくて多分、悲しみなんて乗り越えたから。


 そうして、病院で入院していた二人の元へ依頼主であるルイスが足を運んだ。リオネルは彼に顔を向けたが、ジルベールは窓の外へ顔を逸らしていた。顔を合わせたくないし、気まずいのだろう。


 ルイスはジルベールを一瞥してから二人に頭を下げた。


「ありがとう、君達の尽力で我々は一つ敵を減らせた」


「そうですか。ルイスさん」


 リオネルがルイスへ話しかけた。何かあるのか。


「なんだ? 」


「話があります」


 どうやら、ジルベールがいない場所で、二人きりで話したいそうだ。ルイスを連れ、今は誰もいない屋上へ来た。風は冷たく、街の景色が遠くまで見えた。


「こんなところまで連れて来てどうしたんだ」


 ルイスは、少し咳き込んだ後、ポケットから高そうな黒い煙草を取り出す。ライターで火をつけ、吸って口から煙を吐いた。独特の臭いが、彼の周りに充満する。


「俺も一本、良いですか」


「以前にも未成年だからと言ったが…何度言っても

 聞かないだろうな」


「……俺にとっての息抜きの一つですから」


「息抜き、か。まだそんなジジ臭いこと、言うな。

 お前は若いんだから」


 突然説教じみたことをいうルイスに、リオネルは

 火のついた煙草を持ちながら悪態をつく。


「いや、あんたもまだ若いだろ。俺、精神年齢は多分40超えてますからね? 」


「40超えてたら、子供じみた言葉は言わないさ。……まだ子供だ。無理して早く大人にならなくて良い。大人になったら、息抜きすら難しくなる」


「それは俺が一番知っています、夢で見たんです。俺は顔色一つ変えずに子供や女すら殺して、その手は血で染まっていた。休みすら蹴飛ばして無我夢中で仕事をしてた。復讐に囚われてたから。それで、ミスして殺された。馬鹿でしょ? 冷静に、頭冷やせば良かったのに」


 夢の話ではない。死に戻る前の。あの未来の話だ。ミスした任務の日、顔色は酷かった。隈も濃かった。けれど、気にも留めなかった。仕事を放棄してはならないと心のどこかで自分自身がストップをかけなかった。


 そうして、回らない頭で、仕事をして、ターゲットのボディガードに見つかって、殺された。自業自得か。きちんと休めば良かった。


 ルイスは、口を閉ざし、聞いていた。責めることすらしなかった。それが、少し息苦しかった。


「……あんたがあいつを拾った養父だってことは初めから勘付いてた」


「……そうか」


「それで、良い養父じゃないってことも。……話を聞いた、あんたのせいで二度も死にかけたって」


 ルイスは、目線を落として静かに言葉を吐いた。謝ったって何も解決するわけではない。上辺の言葉。


 けれど、苦しくて、苦しくて、言った方が少しは楽になると思った。込み上げてくる咳を抑え、頭を下げた。


「……すまない」


「それ、誰に謝罪しているんですか」


 誰に対して、か。ジルベールに対してか、リオネルに対してか、自分自身か。どれかであるし、どれでも無いのかもしれない。


 ルイスは、頭を上げ、景色を見ながら過去を思い出していた。





 あの日、ルイスの率いるギャングは抗争を始めて

 いた。相手も稀にみない強大なチームだったからそれなりに被害が伴った。赤の他人を巻き込み続けていた。


 ルイスは当時、チームのことで精一杯だったからジルベールのことすら頭に無かった。だから、引き起こったのだと思う。あの悲惨な出来事は。


 ジルベールに家を絶対に出るなと忠告し、ルイスは家を出た。黒塗りの車に乗って。今思えば、家も抗争が起こった地帯だったのだからもう少し遠くへ避難させれば良かったのだろう。


 だが、当時のルイスは気をそちらに向かなかった。怖がっていた子供を抱き締めてやることもせずに。気付いたとしても、目の前の抗争に精一杯で出来なかっただろう。


 結果として、抗争に巻き込まれたジルベールは、一方的にやられたのか、全身傷だらけで、頭からは血が流れていた。


 見つけた時には、家の近くの裏路地で壁に凭れ掛かりながら、か細い息を絶え絶えとしていた。


「リュカ……リュカ! 」


 駆け寄り、その小さな体を抱き締めた。押し潰してしまわぬように優しく、されど強く。


 ジルベールは、薄く目を開き、謝罪を溢し、俺を幸せにしてくれる? と、上手くもない笑みを向けた。それが見ているこちらからすれば痛々しくて、必死で頷いた。


「する、絶対に」


 拾って、半年経って漸く心を開いてくれて。綺麗で、優しい顔で笑いながら名前を呼んでくれた。


 "お父さん"


 "ねぇ、お父さん、"


 "お父さん!"


 "俺、お父さんに拾ってもらえてこんな良い生活を

 送って幸せだな。ありがとう!"


 はらりと、涙が溢れた。今まで泣きやしなかった

 のに、あの子の為に。今更、大切さに気付いた。

 お父さんと呼ばれるのがどれほど喜ばしいか、知った。


 ルイスは両手で顔を覆って嗚咽を漏らした。指の隙間から涙の滴が伝い、落ちる。それに構わず、リオネルは淡々という。


「あいつは村で苦しんだ。そして、あんたのところでも苦しんだ。だから、もう解放してやってもいいんじゃないのか? あんたの身勝手な言い訳から」


 親だからという理由で、か。簡単に縛り付けられる。子供は人形ではないというのに、人形のように、少年期を生きさせてしまった。それはルイスの罪の一つだ。


「本当に愛しているというのならやり直せばいい。

だけど、違うというのならあんたは元々親の資格

なんて無いし、あいつのそばにいる資格もない。……俺は、あいつに救われた」


 レイバンと戦った日、彼とグレンに。誰かに頼るということを教えてもらった。また好きという感情を与えてもらった。笑うことを思い出させてくれた。


「親友として、あいつの力になりたいから言った」


「……親友、か。そんなものが出来ていたんだな」


「知らなかったのなら、これから知ればいい。あんたに親の資格は無いけど、それくらいなら出来るんじゃないですか? 」


 ルイスは、涙を拭った。目から手を退けた顔は、なぜか、前よりも痩せこけていた。が、気にする程のものでもない。


 ルイスは、立ち上がろうとした。その時、ふらつき、倒れそうになったが、寸前のところでリオネルが受け止めた。


「大丈夫ですか? 」


「……ああ、最近、寝不足でね。疲れて、るんだよ」


「……」


 嘘だと見抜ける弱点があった。けれど、何も言わなかった。言える筈ない。彼が決断したのだ。その決意を揺らがすような真似はしたくない。



「……リオネル」


「はい」


「少しの間、聞いてくれるか。私の昔話を」








「それで? ギャングの長、つまりあの馬鹿の親父に喧嘩ふっかけたと」


「……はい」


 リオネルは、縮こまりながらも頷いた。あの日からおよそ一週間が経ち、リオネルは漸くフランスに戻ることができた。そして、随分前から約束していたレティシアと友人との逢瀬というものに身を投じていた。


 話を聞いたレティシアは、お冠のようだった。その証拠に、摂取しても死にはしない毒を大量に紅茶の中にいれて飲んでいる。味は変わらないと思うが、進んで飲みたくはない。


「……その毒、美味いのか? 」


「ええ、飲んでみる? 」


「いや、遠慮しておく」


 出来れば飲みたくない。不味そうだし、体が痙攣しそうだ。


「そう、残念」


 言葉通りの表情を浮かべている。なにが残念だ。毒を摂取し、慣れている彼女しか出来ないのに。


「レティシア」


「ん? 」


「俺は、多分親が生きていれば幸せだと錯覚していた。けど、違ったようだ。現にジルベールは、親が生きていたとしても差別されていた。そして、殺した。話を聞いて、親がいても俺は幸せになると限らないと知った。ジルベールが分からせてくれた」


「……そう。でも、本当に心優しい、温かい親がいたらあいつは何か違ったのかもしれないし、違う道を行ってたのかもね」


 レティシアが、たらればの話をし始めた。まぁ、もしも彼が両親を殺さず、普通の人生を送っていたら、出会わなかったかもしれない。


「違う道、たとえば? 」


「んー、通訳か、翻訳者かな。何ヶ国語か話せるからね。仕事しながら旅してそ」


 想像だが、普通に脳裏に浮かんでリオネルは、笑みを溢した。


「ふっ、確かにあいつならやりそうだな。馬鹿なのに。旅の途中で、大量の手紙、送って来そうな気がする」


 レティシアは、口を手をやり、笑った。仕草も美しい。すると、ふと思うことがあったのかリオネルに言った。


「ねぇ、そのルイスって人、咳き込んでたのよね? 」


「ああ、そうだが」


 レティシアにたずねられて、然程気に留めなかった点を挙げられた。


「その人、病気か何か? いつも咳していた?」


 そう問われ、思い出す。初めて顔を合わせた時も、咳をしていた。風邪かと気にしていなかったが。


 リオネルの顔を見て、レティシアはやはりと確信をもった。


「リオネル。多分彼は……」








 ジルベールは、嚔を一つこぼした。悪感がした気がするが、気のせいだろうか。


「大丈夫か、リュ……いや、ジルベール」


 既に捨てた名を言いかけたが、今の名を呼んだ。

 前は彼の心も考えずに、呼んでいた。今は分か 

 る。過去を捨てたいという切実な思いが。


「……あんたにそんな憂慮されなくても、平気だっつーの。てか、あんたこそ、平気なのかよ」


 ルイスから顔を背け、唇を前に突き出して、とがらせた。いい歳なのにまるで、子供のよう。そして、最後は素直に心配してくれていた。


「咳のことか。……ああ、恐らく数日後には治る」


 明確な日にち。最近、ルイスはよく咳き込んでいた。何か予感がするが、それを胸にしまった。大丈夫というからには、そうなのだろう。彼の言葉を信じた。


「親が子を憂念しなくてどうする」


「……今まで親らしいことなんて一つもしてこなかったくせに、今になってんな親みたいなこというなんて都合が良すぎだろ」


 大人は、狡い。だから、嫌いだ。大人になりたく

なくても、時が経てば成長して、なってしまう。だったら、こんな大人にならないように努力すれば良いだけの話。


「ジルベール」


「……なに」


 不貞腐れながらも、その声に反応した。


「ありがとう」


 礼を言われたジルベールは、ハッと、息を呑み、何かを言いかけたが、辞め、違う言葉を出した。


「……俺、あんたを許したわけじゃない」


「わかっている」


 許してもらおうなんてそんな都合のいいことは考えてない。謝ってすっきりするのは自分だけでそれは単なるエゴだ。


「だけど……」


「ん? 」


「あんたが俺を拾って、育ててくれたことは感謝してる」


「……ジルベール」


「だからさ、ありがとう。ルイスさん」


 そんな顔で、言わない欲しい。だって、それじゃ、手放せないじゃないか。ルイスはジルベールに

 駆け寄って、勢いのまま抱き締めた。


「……は?な、何やってんだよ、離せよ! おい! 」


 抱き締められたジルベールは捥がくが、腕の力は

 強いのか、簡単に解けない。ジルベールが耳元で大声で叫ぶが気にしない。嗚呼、ずっとこの体温に

 触れたかった。


 昔から心の底から凍えるほど寒くて、冷たくて。けれど、どうすることも出来なくて。


 あの日、彼を拾った日も、それからも自分の冷たさ、残酷さが、知られるのが怖くて、けれどその温かさに触れたくて。必死で押し殺して、親らしいことを何もせずに、冷酷に、接していた。


 それが、いけなかった。どんどん心の距離は離れて、触れたくても触れることは叶わなかった。もっと早くから怯えずに、怖がらずに勇気を出して、触れれば良かった。そうすれば随分と早くからこの温かさに溺れられたのだから。


「ちょ、おい……って……あ、んた。泣いてんのか」


 ジルベールに言われて初めて、自身が泣いていると知った。涙なんて今まで流してすらいなかったのにこんなに容易く泣けるとは。本当に、単純だ。


 どうしてこの子に触れなかったのだろう。直ぐそばにいたのに、こんなにも温かくて、優しくて、包んでくれるのに。


「……っ、すまなかった、ジルベール。すまなかった……すまなかった……っ」


 すまないと幾度も謝罪の言葉を溢すルイスに、戸惑いながらジルベールは、ゆっくりと恐る恐るルイスの背中に手を回した。


「……あんた、初めから俺を大切に思ってくれてたんだな。ただ、表立って愛情を表現するのに勇気が出なかっただけで。あんたも俺も、臆病者だった」


「ジル、ベール……」


「なぁ、さっきも言った通り、俺はあんたを許すつもりはない。けどさ、お互い勇気ってもんが出たんだからもう一度やり直そう、親子として」


「……」


「今度は、誕生日祝ってよ。俺もあんたの誕生日に

 祝う。俺の好きな食べ物、オムライスなんだ、作ってよ。その代わり、野菜は少なめにな。俺、フランスが好きだから景色が綺麗なとこに住もうよ。出来れば広いとこな。買い物にも、旅行にも沢山行こう、きっと楽しいから。それと、な…友達出来たんだ、沢山。いつか紹介したい」


「……ああ」


 鼻声で、涙を流しながらルイスは頷いた。これまで出来なかった分を取り戻すように、沢山与え、与えてもらいたい。それが親子なのだから。


「ありがとう、ジルベール」


 最愛の息子に、最上級の礼を伝えた。そして、すまないと、リオネルに心の中で謝罪した。彼を解放してやれない。リオネルのお陰で大切なものを失わずに、こぼさずに済んだ。もう一度取り戻すことが出来た。

















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