第18話 Je ne veux pas voir ton visage triste
村の住人の鉈が頭上に振り下ろされようとした時。ジルベールの目の前に雪が舞った。
凍える冬の季節。雪が積もった地面でジルベールは、首を強い力で締められ、かつての自身の母親、父親に殺されそうになった。いや、二人だけでは無い。この村全員の総意だろう。
だが、ジルベールは死ぬ気も無かった。まだ生きていたい。やりたいことは沢山あるのだ。両親なんて然程愛してもいない。愛を欲しいと思ったことは何度もあるがそれも今はもう要らない。欲しいと願っても与えてくれやしないと分かっているから。
ただ、罪を犯してでも生きたくて、生きたくて。逆にジルベールは両親を殺した。母がポケットに入れていた瓶を奪い取り、蓋を開け、中に入っていた硫酸を母の顔にかけて、痛みに苦しんでいるうちに、鉈で。父も同じ。気付けば、周りの雪は赤く、染まっていた。
そして、今、同じように自分も殺される。嫌だった。あれだけ自分を苦しめた村の者達には殺されたくない。死ぬのなら大切な、愛する者に殺されたい。
たとえばリオネルとか。彼にだったら殺されても構わない。それだけで幸せだから。けれど、今は死なない。リオネルが勝利を待って共に戦っているのだから。
「……ここでくたばるもんか」
リオネルとの約束がある。彼が、自分を待っている限り。どれだけ四肢を失ったとしても。彼の元へ帰る。約束だ。
悲しむ顔は、見たくはないから。首を絞めてくる
男の腹を蹴って、手を離させ、銃をホルスターから抜き、銃の表面で鉈を受け止めた。
「死ね! お前はとっくの昔に死ぬ筈だった人間なんだよ! 」
罵倒の声が周りから届く。好きなだけ言っていい。後悔するのは彼等なんだから。
「そーですねー」
感情の篭っていない声で適当に返す。たしかに、
リュカという人間はとっくの昔に死んだ。死んでもいい人間なんていないと昔、誰かが言った。けれど、そんなのただの妄言だ。
綺麗事だ。死んでもいい人間なんていくらでもいる。自分だって、この村の者達だってみんなそう。倫理を外してはならないと知っているが。
既にこちらは倫理から外れ、外道となっている。
関係ない。ホルスターからもう一丁、銃を取り出し、合計2丁で村の住人達を一気に撃っていく。
躊躇は無い。武器を持って、殴り寄ろうとする住人達の頭を撃ち抜く。赤い雫が顔や髪に染みつく。
我に返ると、みな、地面に転がり、赤い絨毯が足元に敷いてあった。
ジルベールは、死体に一瞥すらせず、いくら経っても一向に来なかったリオネルの元へと向かった。
息が上がる。もうそろそろの筈だ。必死に足を動かせば目の前に黒い髪の男が見えた。
「リオネル」
「ジルベール、来てくれたんだな」
リオネルは、相も変わらずちっとも疲れていなさそうだった。雪景色がその黒髪と、瞳を一層美しく、そして儚く映させていた。どうやら、小屋の中の者達は逃がさせたそうだ。
「当たり前、お前の約束は破れねぇからな」
そう笑い、言いながら疲れ切ったジルベールは、
リオネルの手を引き、地面に寝転がった。
「うわぁ! 」
珍しく大きな声を出して、ジルベールの力に負け、倒れた。リオネルの手を掴んだところ、以前より細くなっていたから、エメにも頼んでもう少し
食べさせてやろう。
いつ骨が折れるかこっちがドキドキしてしまう。馬乗りという形でジルベールの上に乗ってしまったリオネルはすぐに退こうとした。
けれど、ジルベールはリオネルを離そうとはせず、寧ろ更に強く抱き締める。凍える程寒い。だから、俗にいう身体を近付ければ温まるという説を信じて身体に熱を戻そうとしている。少なくともリオネルにはそんな推測しか出来なかった。
リオネルを抱き締めながらジルベールは空を見た。冷たい。もう冬だ。その証拠に、空から雪が
ハラハラと降っている。視界がぼやけて来たのは
疲れて眠いからなのだろうか。
この村への悲しみなんて、両親から殺されかけたことに対する悲しみなんて、罪悪感なんて無いのに。なぜ、泣いているのだろう。なんだか、笑えてきた。寒いからか鼻水が出てきたので啜った。
「ジルベール、お前……」
鼻を啜る音が近くからした。リオネルは、ジルベールの顔を見た。そして、僅かながらに目を見張った。なぜなら、ジルベールが無言で、嗚咽一つさえ漏らさず、泣いていたから。生憎、リオネルは憂いの言葉をかけられない。
その代わりに、目で伝えた。ジルベールは、静かに空を見上げながら呟いた。
「なぁ、俺。ヒーローになれなくてもカッコ良かったよな? 」
ヒーローというものになれないと分かっているが、ヒーローなんて大層なものじゃなくても、カッコ良かったら、それで良い。どうせ、正義の味方とやらには一生なれない。悪事を行なっている時点で。
「……ああ、なれたよ。お前は」
正義の味方じゃなくても、カッコ良い者に。ただ、そうやって無駄な言葉は言わず、リオネルは肯定してくれた。それが、なによりも嬉しかった。
「……俺、さ。生きても良いよな」
「……」
「……分かんねぇ、んだよ」
そうして、ジルベールは、震える声を出した。生まれた時から否定され続け、両親を殺し、殺し屋になった今も、生きていいのか分からなくなる。喉から嗚咽が漏れる。ああ、最近、おかしいな。こんなにすぐに泣いてしまうんだ。
「ジルベール……」
「あの、雪の日、に……っ、死んだ方が、良かっ……」
「馬鹿なこと言うな。お前が死んだら今、俺は。今の俺はいなかったよ。一人にしないでくれただろ。それに、好きって馬鹿みたいに会う度に伝えてくれた。それで結構助かったし、今は自分自身を肯定出来ている、お前のお陰だ。だから、否定するな。俺はお前に生きていて貰って、感謝している」
「……っ、リオ、ネルぅ〜!! 」
どばーっと、涙を溢れさせ、流した。リオネルに初めて褒められて、感情が昂ったらしい。リオネルは引き気味な表情をする。恐らくそんな顔を披露するのは、ジルベールの前だけかもしれない。
「馬鹿、不細工な顔で泣くな」
ジルベールの身体から離れる。……ほんの少し、心の距離も離れたと思う。何も言わず抱き締めたりしたから憤っている。
「うー……! 」
「こら、鼻水も垂らすな! 」
子供のように顔を膨らませ、雪玉をリオネルの顔面にぶつけた。リオネルは、顔から雪を落とす。
鼻が赤く染まっている。仕返しと言わんばかりに
リオネルも、ジルベールの顔に雪玉を投げた。子供の戯れか。だが、彼等はまだ子供で大人に甘える年頃だ。この時しか出来ないので楽しんでいるのだ。
彼等は、幼少期に子供らしいことを何も出来なかった。少しくらいは戯れてもいい筈だ。
「ちょ、何やってんだよ! 」
「お前こそな」
自分の顔の雪と、リオネルの赤い鼻などを見てぷっと、吹き出して声を出して笑い出した。リオネルは唖然としていたが、つられて笑ってしまった。
初めてやっと笑えた。表情筋が痛かったが、涙でそれは消された。泣きたくても、笑いが先に出た。涙が何度出ようが、ただ笑った。
嗚咽も、笑い声に代わった。だが、笑い続けている最中、ジルベールの脳裏にルイスの姿が一瞬映り、胸がちくりと痛んだが知らぬふりをした。
泣き終わった後、嚔をし、まだ鼻を赤くしたリオネルにジルベールは、マフラーを貸した。
「帰ろうか」
「ああ」
どこもかしこも痛みが走るが、歩けない程では無かった。駅に向かっている最中、リオネルは寒さに顔を顰めながらジルベールに言った。
「詫びに、コート買え」
「え、コートないん? 」
ジルベールは、驚きで目を張った。けれど、心のどこかでは納得していた。リオネルらしいといえばらしいが。
「無い」
無いというか、忘れたと言うか。
「そっか、んじゃ後で買ってやるから」
「ん」
「なぁ、リオネル」
電車の中に入ったジルベールは、窓から景色を眺める。夕日の光が彼の顔を照らす。景色を見ている彼の目は暗かった。
「……俺さ、多分どっかであの人を求めてる」
あの人とは父親を示しているのだろう。頬杖をつき、ジルベールは目を閉じた。まるで何か嫌な記憶、感情を封じ込めるかの如く。
「さっきも、笑った時にあの人とも何の縛りもなく笑えたらなとか、親子なんて関係じゃなかったら普通に笑い合えたのかなとか、考えちまった」
叶わないと分かっているのに、心のどこかで願ってしまうのはまだ未練があるからか。ジルベールは、ただ曇りのある表情をする。
「俺には、勇気が無かった。弱かったから、なーんにも無かった」
一変して、笑い飛ばしたような顔をする。肝心な時に真面目にならない。弱さを隠している。ふざけていた方が、心にも残らない。辛いことなんて簡単に吹き飛ぶ。
「人は誰でも弱い。俺もお前も、違う強さを手に入れただけで本当の強さは持っていないし、弱いままだ。だから、気負うな」
「リオネル、結構強いのな。心がさ」
「馬鹿言うな、俺は弱い……弱さを隠してるだけだ」
「……なぁ、リオネル。俺さ、あの人と一度真剣に話してみる。拒んでばかりで、向き合えてなかったから」
リオネルは、ジルベールの言葉に僅かな間、瞠目していたが、次の瞬間、小さくだが笑った。
「ああ、頑張れ」
「うん、背中押せよな。んで、上手くいかなかったら慰めて」
「お前の話でバーの客は盛り上がって酒が進むだろうな」
爆笑する客と、それに乗るエメの姿が容易に想像できる。多分、つまみになりそうだ。
「もしかして、酒のつまみ?! やだよ、んなの! 」
ぎゃーぎゃー叫んでいる様だがそれ等を無視する。実は、結構前から睡魔に襲われていたので、猛烈に寝たい。
椅子に上半身を横たわらせ、目を閉じ、眠った。その隣に座ったジルベールは、微笑む。
「おやすみ、リオネル」
そう、おやすみと当たり前にいえる日々に漸く巡り出会えた。全部、リオネルに出会えたからか。
愛しい者の頭を自身の肩に乗せながら、携帯を
操作し始めた。二人を、眩しく温かい光が照らし、包んだ。
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