第27話 Que voler



 ジルベールとグレンが戻ってきた後に、四人はレティシアおすすめの店で料理を食べた。


 …さすがイギリス料理。凄いとだけ言っておこう。食事の後、レティシアは用事があるようで、一人、別方向へ歩いて行った。残された三人はというと。


「うっし、あいつも行ったことだし、ゲーセンで対決しようぜ」


「格ゲーだな」


「負けたやつは?」


「全員分の昼飯を奢る」


「やるか」


「ああ。ジルベールになら負ける気はしない」


「んだと?! よーし、てめぇらだけには絶対勝つ!」


 男はこういうものである。意気込むジルベールと、二人の笑い声が和やかな空気にさせた。





 レティシアがやってきたのは、とある酒呑み場であった。店内は暗い雰囲気で、レティシアは周りを見渡した。


 ここは、裏社会の人間たち、所謂自分と同類の人間が訪れる飲み屋だ。政府の人間が来る場所ではない。幼児だったら怯えて逃げ出すだろう。


 つまり、政府の人間は赤子同然だ。多くの見知った面々が揃っていたので気にせず、レティシアは、カウンター席に座った。


 レティシアは黒い帽子とサングラスをかけ、顔を隠すことに徹底した。政府の人間がどこで弱みを握るか分からない。もしかしたらだが、盗撮している可能性もあるのだ。


 そんなことをしたってこの店の店主や客達にはバレてはいるが、気にせず店主に注文した。目当ての人間を騙せればそれで良いのだ。


「マティーニをひとつ」


 店主は笑った。


「あなたには美しくとも、鋭く、強い棘があると」


「ええ、だから油断しないことよって、隣に座った客に言ってくれない? たとえ同じ女同士でもね」


 女なんてそんなもんである。弱いと思ってもらっては困る。女だって、強いのだ。男にも敵うくらい強い。長い歴史の中、差別や、迫害、軽蔑され続け、女性たちは徐々に仲間を増やし、立ち上がった。男たちに一矢報いようと。舐め続けてきた男は、このご時世、女に敗北してきた。油断大敵である。


 ようやく作り終えられたマティーニを飲みながら

待つと、横に誰かが座った。ちらりと視線を横に移すと、ブロンドの女がいた。化粧も服も派手だ。女はレティシアに声をかけてきた。


「あなたが噂の女暗殺者ね」


 艶めかしい声だ。レティシアは、顔を顰めた。化粧をするのが駄目というわけではない。


 しかし、香水が臭い。本当に鼻が駄目になりそうだ。


「…あんたが私を呼んだ、依頼主さん?」


 出来れば違って欲しい。今ほど依頼主が嫌になることはない。しかし、レティシアの望みとは裏腹に現実は甘くなかった。


「私は、政府関係者のシエナ・ムーア。宜しく頼むわね、ペチュニアさん?」


 切れ長の、青い目は細められていた。値踏み、されているんだろう。自分がどう動くのか。果たして本当に殺せるのか、と。


 非常に居心地が悪く、今すぐにでもその目に潰してやりたいところだが、レティシアは諦めた。なら、とことん任務を遂行するほかないと。


「じゃあ、自己紹介なんてもん必要ないわね。…で、なんで私が怪盗ごときを殺さなくちゃならないわけ?」


 レティシアは暗殺者であるが、理由もなしに殺したりはしないし、善人で、ただの一般人だとしたら生かすのがレティシアのモットーである。


 怪盗も確かに窃盗罪を繰り返し、犯しているが、それが義賊だったならば殺すほどのことはしない。レティシアが聞いた話だと、彼等も結局は義賊だ。殺す価値もない。


「オフィーリアの瞳は知ってるわね」


「ええ。有名な彫刻家の作品でしょ。たしか、博物館に保管されてるんだっけ?」


 オフィーリアの瞳は、当時は無名だった、今は名が知られているセオ・アラバスターが創作した女性像だ。石で彫られた美しい彫刻。シェイクスピアの「オフィーリア」をモデルとしたそうだ。


 作品名の通り、瞳にはエメラルドが嵌め込まれ、オフィーリアの悲しみがふつふつと伝わってくる。


「そうね、セオ・アラバスター作ね。お孫さんが生まれた記念に彼が作ったそうなのよ。高価なエメラルドを彫刻の目に嵌めてまでね。彼の作品を気に入ってしまった政府のお偉いさんたちは、彼を説得した。どうか、展示してくれないかと。断ったらしい

けど、展示してくれたら一生涯分の金をやると言われて展示してくれたそうよ」


 なんとも、感動話に聞こえるが、レティシアから

したらそれはただの脅しである。金に目がくらんだのではない。


 国が何年も何年も脅し、粘り、諦めなく、遂には家族までそちら側に行ってしまったからである。お前の作品を国に預けなければお前の家族の命はないと。


 そして、いかにも自分達のものであるかのように

主張し、被害者ぶっている。人間なんてそんなもんだ。


 しかし、レティシアには許せない。なぜ、怪盗を殺すのか。彼女的には是非ともその怪盗に彫刻を盗んでご家族の元へ返してあげたいくらいである。


「…私はやらないわ。その依頼は気が乗らない。金は手に入るけど、汚れたお偉いさんたちの金なんてこっちから願い下げね」


 ご馳走様でしたと、金をカウンターに置いてその場を去ろうとした。だが、シエナは諦めていなかった。


「待って」


「何、国の力を使って脅す?」


 脅しなんて効かない。殺すと言われればこちらが殺すまでだ。そして、ああは言ったが同業者には殺すなんてことしないのだ。逆に、味方だ。


 シエナは気付いていないかもしれないが、この場の全員、彼女に殺意を向けている。いつでも殺せるように武器に手を伸ばしている。


 レティシアがシエナに気付かれないよう、目で制すると、みな、武器から手を離した。


「…でも、負ける可能性は高い。軍を使わなければ、ね。私だって、怪盗を殺すなんて真似したくないわよ。血で汚れたくないし。でもね、上に従わなければ生きられない。だから、他人を利用し、殺してでも私は生きるわ」


 …なんて汚い女だ。レティシアは吐きそうになった。彼女の顔に。しかし、それは多分自分も同じだ。だから、やめた。


「あんたとは気は合わないわね。私も生きていたいわ。でも、あんたみたいに他人を利用して、殺して生きる真似なんてしない。罪悪感に駆られて一生涯後悔して生き続けたくはない。なら、私は政府の敵とやらを守るわ。生憎、この国を愛してはいないので」


 国を愛す心なんてとっくにない。愛す時間があれば仕事をする。どの国も治安は悪いが、フランスの方がマシだ。ストライキと、スリがなければ、だが。


「この依頼は無しということで。私は怪盗を守るから。というわけでさっさと立ち去りなさい」


 ゆっくり酒を飲みたい気分なのだ。ここに彼女がいるだけで酒が不味くなる。レティシアの心中を悟ったのか、シエナは不思議と冷静で席から立ち上がり、店を出ていった。


「ペチュニア、よくやったな!」


「嬢ちゃん凄いぜ!」


 シエナが出て行った後、男たちは、瞬時にレティシアを褒め称えた。恐らく彼等も頭に来ていたのだろう。


「そこまでのことはしてないわ。…彼女、あんたたちの殺気に気付かなかったわね。まるで自分が殺されないと確信してるみたいに。知らず知らずのうちに恨み買ってるんじゃない?」


「その可能性は高いな。まぁ、殆どの政治に関わってる奴らは恨まれてるだろ」


「それもそうね。…マシュー」


 マシューと呼ばれた黒髪の日系アメリカ人である男は、呑気に返事した。


「はーい」


「あんた、情報収集得意でしょ。怪盗集団アルカナのことを調べて。出来れば拠点もね」


「えー、高くつくよ?」


「幾らでも払うからさっさとやれ」


 マシューは、頬を膨らませながらパソコンを開き、調べ始めた。得意分野のくせに中々やらないのが彼の悪い癖だ。


「マシューも、レティシアには勝てないみたいだな」


 男は苦笑した。


「あんたも、あの女のこと、深く調べて。ドミニク」


 顔に傷跡がある強面の男は、髪を縛り、上着を羽織った。レティシアの頼み事は断れないようだ。彼もレティシアには甘かった。


「お嬢、今度奢ってくれよな」


「ええ。好きなだけ食べなさいよ」


 軽口を叩きながら、ドミニクはその場から立ち去る。


「僕の時と大違いなんだけど」


 マシューが拗ねたような声を出す。こう見えても

まだ16歳だ。幼さが残っている。


「そうね、誠意が感じられないからね。あんたなんでそんな捻くれた性格になったの? 昔は愛嬌とかあったでしょ」


 図星すぎる言葉にマシューは頬を膨らませて、それきり黙った。


「あいつ、なんで黙ってんの?」


 こそこそと、レティシアは隣に移動してきたエズラに耳打ちする。すると、エズラは苦笑した。


「あいつにもあいつなりにあるんだ」


「あいつなりに? 何よそれ。私には分からないわね」


 レティシアはすっかり温くなってしまったマティーニを飲み干す。少しだけ苛立ったレティシアの心の温度のようだった。


「おかわり」


 カウンターにグラスを置き、頬杖をつく。仕事をしたくない様子らしい。しばらく黙ったまま店主の動きを見ていたレティシアの頬に冷たいものが当たった。


 横を見ると、エズラが口角を上げながら酒の入ったグラスを掲げていた。


「乾杯しないか?」


 エズラの提案に乗ったのか、レティシアはグラスを掲げる。


「ええ、Santé《サンテ》」


「サンテ?」


 エズラは意味が分からないという顔をする。レティシアはやらかしてしまったという顔をする。これは、グレンに教えてもらった言葉だった。気に入っていたのでつい、口から出てしまった。


 フランスに染まってきている気がする。絶対そうだ。イギリスよりフランスの方が服が良いのだ完全に。しかし、スリやストライキが多いのは傷だ。


「お前、フランス人に近付いてきてるな。二人も同期がいるからか」


「ええ。あいつらのどーでもいい、面倒臭い事件に巻き込まれてくうちにね」


 思い出すだけでも面倒臭い。レティシアは無意識に顔を顰めた。


「だが、楽しいだろ? ガキの頃に戻れたようで」


「…ええ。子供が遊ぶよりもっと危険な遊びだけれど」


 夜遊びに近い。しかし、自分達にはそういう遊びしか残っていない。孤独になった子供には普通の遊び方も分からない。だって誰も教えてくれないから、自分で模索していくしかないのだ。


 そうやって、自分もリオネル達も、この場にいる者達もここまでのし上がってこられた。


「まあ、いつか死んで生まれ変わりがあるかも分からねぇが、そん時は普通の子供に生まれてこい。お前もお前の同期も。んで、幸せに生きろ。こっちの世界を知らなくても良いように」


 エズラの言葉にレティシアは自嘲気味に笑った。それは諦めの色も滲んでいた。


「あんた、本気で言ってる? 生まれ変わって、そこで幸せになれる保証ある? ないんだったら私はこっちを選ぶわよ。愛されない仮初の幸せなんて必要ないし、こっちでの仕事で美味しいもん色々知っちゃったからね」


「はっ、悪に染まったガキがまた再来か。それも悪くねぇな」


 エズラは声を出して笑った。酒の場で笑うのは恐らく初めてかもしれなかった。少なくともレティシアはこの場で初めて笑う場面を見た。


 だから、なのだろう。レティシアも彼の笑い声に

釣られて笑い出した。おかしくもないのに、笑いたかった。今まで一人でこの世界で生きてきて、誰にも認められないと思い込んでいた。


 けれど、ようやく。やっと、今、誰かに。彼に、彼等に認められた気がしたのだった。






 後日、リオネル達を連れて、レティシアは怪盗集団アルカナの拠点である高層ビルへ向かった。集まった情報では、普段はビルの一室で会社を経営しているそうだ。


「ご用件は?」


「アルカナに話があるわ」


 レティシアは、真剣な目をする。僅か数秒だった。しかし、リオネルにはそれがとても長く、お互いを牽制し、腹の底を読もうとしているように見えた。


 レティシアの熱意が伝わったのか、男は無言で彼女たちを案内し始めた。



 リオネル達が案内され、ついた部屋はガラス張りであった。特殊な加工がしてあり、ガラスの上から半ばにかけてすりガラスになっており、中の人間はよく見えなくなっている。


 ライフルのスコープから除いても見えることはない。対象が動いても、姿がぼやける為、的にしづらい。暗殺対策にもこのガラス窓は最適なのだ。案内人の男は扉を叩き、告げた。


「社長、客人が」


「通してやってくれ」


 社長と呼ばれた男の言葉に従い、案内人の男はその場から去った。入れという言葉もかけられていないが、勝手に入っても良いらしい。とはいえ、ここも敵地と変わりない。慎重に入っていく。




 中の人物は、染めたような黒い髪にグレーのメッシュを入れた男だった。この人物が社長かと、レティシアは安堵しながらも警戒を怠らない。油断大敵。


 自分だけが賢いわけじゃない。相手も社長と呼ばれるだけあって強く、カリスマ性もある。ここで戦っても多勢に無勢。自分達が負けるだけだ。


「自己紹介がまだだったね。初めまして、レジー•アルフォンスだ。この会社の社長でもあり、アルカナのリーダーでもある」


 相手が自己紹介をしたのだ。自分もしなければ。

渋々といった形でレティシアも自己紹介をした。


「私は、レティシア•ペチュニア。一応、暗殺者稼業をしてるわ。こっちの黒髪がリオネル•シモン、こっちの金髪でおちゃらけてるのがジルベール•デュラン、こっちの真面目そうなやつがグレン•ウォルシュよ。こいつらはまとめて殺し屋をやってるわ」


 説明し終えたレティシアは内心面倒くさいと思ったが、顔には出さなかった。面倒くさいと思うのが癖のようだ。


「殺し屋と、暗殺者か。君達は僕達を殺しにきたんだね」


「大体検討はついてると」


 レジーは、殺されると知っていながらも落ち着いた様子だった。死を悟った人間は苦にも思わないのか。


「ああ。そろそろ政府が動く頃だと思ったし。ああ、そんなに怯えてないし、怖くないよ。僕、死ぬのなら早く行ってしまいたいけど、まだやらなくてはならないことがあるしね」


「やらなくてはならないこと。博物館のオフィーリアの瞳を盗む、そうでしょうね。あなたたちは怪盗だし、窃盗罪も科しているし」


「それを言うなら君だって殺人罪、その他諸々の罪を何度も犯しているだろう」


 二人は牽制し合いながら腹の底を探り合っていく。


「ペチュニア、お前、早く言えばいいだろう。ちんたらしてないで」


 リオネルに促されてレティシアは舌を打って苛立った表情をした。


「ええ、分かったわよ。言えばいいんでしょ。私は、あんたの味方でも国の味方ではないわ。だから、中立だけど、もう一人にもあんたを殺せっていう依頼が来ているからその依頼を果たさなきゃいけないのよ」


「その依頼主は?」


 セオが訪ねる。レティシアは殺す人物に企業秘密を話さないというポリシーはないのか、平然と告げた。


「セオ・アラバスターの孫よ」


 レジーは、驚くこともなく、笑った。


「あら、驚かないのね」


「まぁ、恨まれるのは仕事柄、慣れているんでね」


 レティシアは息を吐いた。なんだこの男。喚いて逃げてくれれば良いのに、逃げもしない。こんな相手幾らでもいたが、レティシア的にも非常に殺し辛い。


 レティシアは深く息を吐き、喉から声を出した。非常に言いたくない様子だったが。


「…今は殺さないであげる」


「どういうことだ」


 レジーは、無意識に低い声を出した。暗殺者として甘いのではないか。だが、そんなこと、レティシアだって分かっている。分かっているから言っているのだ。わかれ、クソ野郎。レティシアは心の中で

レジーに悪態をついた。


「あんたをここでは殺さないであげるって言ってんの。殺すのは、博物館でね」


 彼等が盗みにくるのは、明後日だ。レジーには逃げる時間もない。


「博物館を血に染めるって?」


「ええ。別に血に染めて何が悪いの? 私、そこまで国のものに情は湧いてないから」


 平然とレティシアはいった。国には何の情も湧かないらしい。彼女の過去がそうさせたのか。理由は定かではないが、ただ、リオネルには彼女が多大なる殺意を抱えていることだけは感じ取れた。


「なるほど、それは面白そうだ。じゃあ、僕らがオフィーリアの瞳を盗むのを手伝ってくれると?」


「そうね、考えてもいいわ。だって、楽しいじゃない? 国相手に喧嘩するなんて」


 レティシアはにやりと笑った。本気で楽しそうだ。ジルベールは、初対面ではないが、そんな彼女の顔を見るのは初めてで鳥肌がたった。


「それもそうだ」


 二人は笑い合った。レジーの顔に警戒の色は既にない。打ち解け合っているようだ。加害者と被害者となるであろう関係。


 しかし、彼らは暗い空気など一つも出さず、愉快そうだった。





 レジーの協力を仰げ、殺害予告のようなものを出したレティシアは絶賛、酒場にいた、リオネルたちも伴って。


「レティシア、そんなに飲んでると二日酔いが酷くなるわよ」


 店主のエリセイ、もとい、エーリャはレティシア

から器を取り上げた。代わりに水入りの器を置いたようだった。彼女を知らないリオネル等はレティシア相手に軽口を叩き、親しくしていることに不思議と思っているようだった。


 視線が煩いのか、仕方ないとばかりにレティシアは答えた。


「この人はエーリャ。この店の店主よ。んで、エーリャさんはクォーターよ。イギリスの血と、ロシアの血と、イタリアの血とかが流れてるわね。ああ、あとエメさんと同じね。まあ、一つ違うところはあるけれど」


「エメさんと同じ…?」


 エーリャはウインクをリオネルたちに投げた今、一瞬ハートが見えた気がする。絶対見えた。ジルベールは投げられたウインクをかわした。


「ええ。わたしは元、女よ」


 リオネルも他の者たちも驚くこともせず、軽蔑することもなかった。個性を否定してどうする。それは彼女たちの、一番の個性、輝く証拠。エメで慣れているのもあるが、彼女らは悪い人たちではない。寧ろ、優しく、慈悲の心で溢れている。だから、当然のように受け入れた。


「あら、驚かないのね」


「驚きもしないし、あんた自身を否定しないわよ。殺し屋だけど、こいつらは優しいから」


 レティシアは無意識に目を細めた。愛おしそうに。レティシアは変わってきている。他でもない。彼らのお陰で。エーリャは頬が緩んだ。


「それなら良かったわ。今の時代、許容されては来ているけれど、まだまだ厳しいから」


 エーリャは酒棚から数本、酒を取りながら目を細める。イタリアの田舎から上京してきて数十年。この国に馴染んできたとはいえ、エーリャの容姿やこの口調などは受け入れられない。


「そうだったんですか。いつか、更に多くの人に受け入れられると良いですね」


「ふふ、ええ。そうね、ありがとう」


 ジルベールの気遣いにエーリャは嬉しそうに笑った。レティシアは口角が上がるのを隠すようにコップを口に近づけた。






 酒に弱いのか、はたまた疲れているのか。レティシアとレジー以外みな、寝てしまった。だから、レティシアはレジー以外誰も聞いていないから聞いた。


 エーリャの場合、口は堅いから守ってくれる。堅くなければこのバーをやっていない。


「…ねぇ、姓を隠しているつもりだろうけどとっくに分かってるの。あんたがセオ•アラバスターの孫だと」


 セオ•アラバスターの名を出した途端、レジーの顔色が変わった。やはりか。勘づいてはいたが、確信はあまり持てなかった。


 何の根拠も証拠もない。あの政府の犬であった女に孫の顔写真なんか見せてもらってもいなかったし、それ以前に不確定すぎた。


 レティシアであれど、警察のように証拠もなしに相手を叩けるとは思っていない。だから、今、レジーの顔色が変わった時、安堵したのだ。間違っていなかったと。


「…どうしてそれを」


「写真も何も無かったけど、長らく暗殺者として生きてきて培われた勘ってのがあったのよ。あと、あんたに最初、会った時から違和感が否めなかった。根拠も何もないけれど」


「…そうか」


 レジーは悪あがきするでもなく、あっさりと認めた。まぁ、変に否定するよりはマシだ。レジーは、ガラスコップを傾け、口に酒を含んだ。


「俺は、正体を隠さなければならなかった。あの姓のままだと、国が変に干渉してくる。俺に媚びてきたり、脅してきたりする、祖父のように。それが嫌だった。だから、写真も全部燃やして、国に見つからないように徹底した。そうすれば、俺の中の祖父との思い出は穢されないと思った。結局は穢されそうになったが。…両親が死に、まだ教育期間に満していないというのに、金を払えなくて退学させられた。俺は誰にも助けられないのかと、家で泣いた。

それからは低落日々さ。家も失った。あるのは、両親と祖父の遺骨だけ。時に道端に捨てられていたゴミを漁って食べ物を探したし、人に乞いた。どうしようもなかったんだ。一度どん底に落ちて、立ち直れなかった時期があったんだ。その時、救ってくれた奴がいるんだ。それが怪盗仲間。犯罪だろうがなんだろうが、俺の唯一の生き甲斐だった」


 それがたとえ誰かにとって悪だとしても、また誰かにとっては救いであり、正義なのだ。レティシアは何も言わなかった。言えなかった。自分だってやっているこれが大きな罪だとしてもやめるわけにはいかなかった。生き甲斐だ。


 自分を唯一支えてくれる大切なものなのだ。誰だって生き甲斐はあるものだ。なのに、それを否定されるのは誰にとっても辛い。生き方を否定されるようなものだ。


 どれだけ否定されてきたのだろう。自分も、この男も。ただ、生き方が違うだけで。違う罪を犯して

きただけで。結局は同じ。同じ汚れ切った人間なのだ。


「…あんたの生き方を否定するつもりはない。あいつらには黙っておくわ。あんたも、他人に深入りして欲しくはないでしょ」


「君も深入りして欲しくない過去が?」


 レジーの問いにレティシアは瞬きを一つし、目を伏せた。


「別にそこまでは。…産みの親ね、私の産みの母親は、男に性的暴行を受けて、挙句の果てに私を産んだ。それでも、子供である私を育てようとしてくれた。けれど、肉体的にも、精神的にも限界だったらしく、耐えられなくなったのか、私を捨てた。それだけの話よ」


「そこまでの話って…結構、重いよ」


「別に私と同じ境遇の人間なんて世の中にごまんといるわ」


 レジーは、彼女が恵まれた環境で育ってきたのかと考えていたから吃驚したし、同時に唖然とした。

他人から聞いたらかなり暗い話だ。平然と話す彼女に呆れる。少しは自分を顧みれば良いというのに。


「でも、君の産みの母親は…」


「酷いって? 酷いのはどっちだと思ってるの。まさか女の方? ハッ、私は別に、不思議と憎しみも、恨みも湧かなかった。彼女は最初から最後まで被害者だったの。誰が彼女を責められると? 暴行を受けて、頼れる人間なんて、助けてくれる人間なんて誰もいなかったのに? 被害を受けた人間っていうものは、簡単に人に話せないのよ。勇気が出せない、怖い、もし、彼等にも被害が及んだらどうしようって考えてるわけ。強くても女は臆病でもある。男はやるだけやって後のことも考えず捨て、別の女の元へ行き、繰り返す。なのに、それを周りは無責任に、捨てた親ばかり、女ばかり責める。私はこの世の中が不条理で、汚くて、狭くて、生き辛いと思うわ」


 男は慈悲深く、女に紳士的で、強いと思い込んで

いた。けれど、それは一種の洗脳、妄想、幻想、願望だったのかもしれない。みな、男は優しくともそんな性質を持っているのだろうか。


 分からないが、それでも決して全員が全員そうではないだろう。レジーは思いたかった。


「…ごめん」


 彼女の母親を無意識に、軽蔑したこと、悪だと認識したことをレジーは謝罪した。悪だと思い込む。自分もまたレティシアのいう人間達と同じだったのだ。


「謝らないで。すぐ謝られるとこっちが気分悪いわ。…でも、知ってて。あんたと同じ男が多くの女を傷付けているってことに」


「ああ」


 レティシアは、今どこで何をしているかは不明だが、それでも汚いけれど美しいこの世界に自身を誕生させてくれた産みの親である女性の幸せを願った。







 博物館は、英国が誇る観光地でもあり、宝庫だ。

英国人も密かに誇りを持っている。自身の生まれた国にこんな大層な施設があるということに。


 しかし、レティシアも、レジーも、恐らくこの国のはぐれものだって誇りには思わないだろう。第一、彼女らは国を愛していない。愛していたら誇りなんてちっぽけなもの、持ち続けてこんな生き方はしていない。


 閉館後2時間前に各々はみな、正体がバレぬよう、変装し、集まった。それでも動きやすい格好にはなっている。


「彼はライリー•ブライアント、こっちがヒューゴ•ヘンダーソン。彼等は僕の怪盗仲間だ」


 ヒューゴと呼ばれた眼鏡をかけた男はリオネル等に会釈した。礼儀正しい男だった。


「よろしく」


 ライリーも、人好きがするような笑みを浮かべて

いた。リオネル等も一応一通り自己紹介はした。


「じゃあ、ひとまず作戦通りに行動しよう」


 レジーに続き、みな、博物館の中へと入った。時間が来るまで、飽きるまでリオネルも作品を閲覧していた。鑑賞する趣味はないが、気になった作品があり、そこで足を止めた。リオネルの隣にレジーが立ったことに気付いた。


「君は、復讐というものを止めるべきだと思っているかい?」


 リオネルにしか聞こえないほどの声。喧騒に呑み込まれそうなほどの小さな声。しかし、しっかりとリオネルの耳には届く。


「…」


「僕は、祖父の宝を取り戻す。国に脅され、騙された父の仇を討つために。だから、僕は怪盗を始めたんだ」


 レジーはリオネルに、誰かに向けず、独り言として言葉をこぼした。祖父を大事に思っているからこそ、できるのだろう。リオネルには到底、できないし、やるつもりもない。いや、怖いから。勇気があればやる。今は勇気があるのかすらわからない。


 しかし、そばに彼等がいる。それだけでリオネルは復讐を遂げられる。たとえ、復讐を成し遂げても、成し遂げられなくてもう一度繰り返してしまったとしても、リオネルはきっと忘れないだろう。


 何回目かも忘れてしまったが、この時間を、この時にまた足を踏み出せたことを。今のリオネルにはそう確信できる心があった。


「…俺も幼い頃に、両親を殺されました。今はまだ犯人を探している最中です。憎しみは消えることはない。憎くて憎くて、殺したいほど、恨んでいる。だから、あんたの気持ちが分かるから、俺は復讐が悪いとは考えない。どれだけ清い人間に家族が悲しむなんて言われても俺はやめない。他人が、死者の想いを決め付けるものじゃない。だったら、被害者は、俺達はこの悲しみをどう消化すればいい? 

のうのうと生きている犯人を、許すことなんてできない。警察が何もしてくれないのなら俺は俺自身の手で殺す。そう決めてこの仕事に人生を捧げたんです」


 リオネルの長い話にレジーは口を挟むでもなく、

黙って耳を傾けていた。レジーだって彼の立場に

いたらそうするに決まっている。だから、レジーは言葉をこぼした。


「僕は死んでも、復讐を諦めないよ。君達がたとえ、止めたとしても僕は必ずオフィーリアの瞳を奪う」


 彼の瞳は覚悟を決めた色に染まっていた。この覚悟を誰も止めることも消すことも出来ないだろう。誰にもその歩は止められない。リオネルすら止められない。止めたくはない。


「…なら、俺も手を貸します」


「…なに?」


「あんたは目の前に仇を見つけている。羨ましくて、仕方ない。俺はまだ仇の影すら掴めてない。けど、あんたの復讐が遂げられたのなら俺にとっても嬉しいことだと思う」


「…おかしな子だな、君は。いや、僕もそうだったかもしれないな。昔は」


 レジーは昔を思い出すかのように遠い目を向けた。彼の瞳には、懐かしさと寂しさの色が滲んでいた。


「ありがとう、リオネル」


 初めてレジーはリオネルの名を呼んだ。


「こちらこそ、肯定してくれてありがとうございます。レジーさん」





 数時間後、閉館となった博物館に残った彼等は監視カメラや、警備員の目を掻い潜りながら、彫刻の元へと着実に向かっていた。


 レジーは思い出していた。レティシアに言われた言葉を。


『アラバスター。あんた、仲間と一緒に国を欺ける?』


『は?』


 これはレティシアなりの挑戦なのだ。国のせいではないと言えない。何かしらの助けはできたのに助けてはくれなかった国への挑戦。報復。


 レティシアは既に国なんて、家族なんて捨てた。しかし、家族が死しても愛するレジーに感銘に似たようなものを受けたのだろう。レティシアはレジーに手を貸した。たとえ、最後に殺すと決まっていても。


 レティシアはああ見えて情には多少弱い。レティシアに彼を殺すことは難しいとリオネルは脳裏で密かに悟っていた。


 だが、これは彼女の仕事である。自分達が間に入っていいものではない。自分達はただ手助けをするだけなのだ。


 挑戦か。なら、自分も諦めずに国へ立ち向かおう。今までの弱い自分とはおさらばだ。ありがとうなんて恥ずかしい言葉を出せるほど素直ではないけれど、いつか彼女が困っていたら手を貸そう。彼女がしてくれたように。




 暫く走っていると、走ることが苦手なヒューゴがバテ、体力が限界だったのか、立ち止まってしまった。しかし、そこはカメラが察知する場所。すぐに赤いライトが廊下中を照らし、警報が鳴り響いた。


「あ…」


「ヒューゴ!」


 ヒューゴは一瞬思案した。このままついていくべきか、ここに留まるべきか。答えは決まっていた。


「足手まといの僕を置いていく方が効率は上がる。早く行け!」


 自ら囮になると言っていた。ヒューゴ一人なら何とか言い訳が通じる。ヒューゴにはそこまでして何かを成すほど明確な理由も目的もない。


 ヒューゴは幸福な家庭に生まれたが今は片親しかいない。それでも普通の幸せなのだ。彼等のような世間が哀れむ人種とは違い、背負っているものは軽い。


 なら、軽い自分がここに残った方がみな、納得するだろう。


「っ、俺は誰一人犠牲にしないって決めてるんだ、

一人きりで残らせない」


 レジーはヒューゴを背負い、走る。レティシアも

後を追う。


「ちょ、レジー、」


「うるせぇ、黙ってろ」


「口悪くなってない?!」


 ちょっとした口喧嘩をしながらも二人と共にみな、走る。


「追え!!」


 博物館の通路をレジー等が駆け抜ける。後ろから

警官たちも追いかける。どこまでも追いかけてきて撒けない。しかし、彼等に好機が巡った。通路が別れていたのだ。


「二手に分かれるぞ!」


 グレンの言葉にレティシアとリオネルは目で合図を交わし、一斉に別々の道を駆け走った。


 レティシアはレジーとヒューゴ。


 リオネルはグレンとライリーと。


 ジルベールは自ら立候補し、警官達の動きを止める為、その場へ残った。共に別々の道へと足を変え、走る。


 レティシアは廊下の目の先にあった重く固い扉を

前に地面を蹴り、扉を強引に開いた。思ったより頑丈ではないらしい。


「お前、もうちょっと優しい開け方は出来ないのかよ!?」


「良いじゃない、スイッチも何も無かったんだから!」


 少々、手荒いのも彼女の良いところだと思おう。扉の先にあったのは、彫刻がずらりと並ぶ部屋だった。


夜である為、余計に怖く感じる。すると、突然部屋の明かりがついた。


「止まりなさい」


 威圧感のある声が響いた。レティシアは検討がついていた。


「あら、来てたのね、バカ女」


 レティシアは鼻で笑う。バカ女と呼ばれたシエナは鋭い目をレティシアに寄越した。


「黙りなさい、犯罪者」


「間違ってないけど、あんた達、お国のお偉いさん達も犯罪者だと思うけど。自分達の行いを正当化しようとしてる、クズが」


 何の感情も乗せないで発するレティシアにヒューゴは体を震えさせた。怖い。恐怖が体中を駆け巡る。


「黙りなさいって言っているでしょ! あんたは女の恥よ! あんたの言動が私達を辱めていると知りなさい!」


 シエナが叫んだと同時に周りに警官がぞろぞろと現れる。


「…何度言っても無駄なようね」


 シエナは目を閉じ、息を吸った。


「全員、撃て!」


 シエナの号令で警官は銃を構え、一斉に弾丸を放った。しかし、グレンとレティシアも二丁の銃を取り出し、同時に床を蹴り、走り、弾丸を避けながら警官達を撃っていく。


「アラバスター、早く獲れ!」


 レティシアが叫ぶ。レジーは背を向け、彫刻に向かって走り出す。シエナはレティシアの威圧に負けていたがふと我に返り、手に握っていた銃を構え、照準を彫刻に合わせる。


 こんなものが無ければ惨めにならなかったのに。

恨みが込められた。


 シエナの放った数個の弾丸が彫刻を貫いた。

元々脆かったのか、彫刻が穴からヒビが生え、一気に崩れ落ちた。その瞬間、レジーは誰にも言い表せぬような絶望に陥った。


「っ、レジー!」


 ヒューゴが叫び、駆け出し、レジーを押し、場所を入れ替わった。シエナの撃ったもう一発の弾がヒューゴの腹を抉った。ヒューゴの血がレジーの目の前を舞う。


 レジーはとうとう、その場から動けなくなった。


「っ、ヒューゴ!」


「ジルベール、ヒューゴの止血を!」


 レティシアは、冷や汗を掻きながらシエナの頭を

撃った。シエナは血を噴きながら倒れた。


 血の海が広がっていく。なんて醜く、惨たらしい

女だったのだろう。あんな言葉を吐いて、平気で人を殺した。大切なものを奪っていった。


 あんなのただの自分が人を殺してもいいと認識させる為の言い訳だ。そうやって同情を買い、裏で楽しみを見出し、殺し続けてきたのだろう。


 レティシアはああなりたくない。たとえ、ペチュニア家が望んでいたとしても、ならない。


 言っていいのかは分からない。けれど、レティシアはいつかリオネルが復讐を終えることが出来たら

その時は共に暗殺者を退任しよう。あの彼等が認めるかどうかはまだ分からないが、足を洗えたその時は母のように気高く、強く生きよう。


 いつか母に胸を張れるように。その日が来たらこの国とはさよならだ。


 ヒューゴは青白い、血の気が引いた顔をしながら

レジーを見た。レジーは泣きそうな、いやもう涙を零している顔をしていた。



 泣かないで。泣かれて良い人間じゃない。ほんの少しませた子供だったせいで父親に愛想をつかれ、それが原因で両親は離婚した。今も父親は自分に会おうとしない。母親は父親との離婚をきっかけに人が変わったように仕事に明け暮れた。いつも食べるのは冷めたご飯。温かくもない。母親も共に暮らしてはいれど父親と同じだった。ヒューゴの頬にも冷たい涙が流れた。ああ、温もりが欲しいな。最後の涙くらい、温かいものが良かったな。ないものねだりをしながらヒューゴは旅立った。


 壊れた思い出の彫刻が周りで散らばる中、レジーは悲痛の叫びを上げていた。





 結果的に生き残ったレジー・アラバスターだけだった。ヒューゴはあの後、息を引き返すこともなく、死んだ。ライリーはリオネルとグレンが彼を庇いながら戦っている間、拳銃を手に取り、一人倒そうとするも先に撃たれ、惜しくも死んでしまった。


 事件は幸運なのか報道はされなかった。国によって闇に葬りさられたのだ。だが、真相は、セオ・アラバスターの孫が、国に盗まれたまま、返されずにいた祖父の宝を取り戻しにきただけだったのだ。


 しかし、取り戻したは良いが、代償は大きかった。レジーは仲間を失った。失っただけではない、死ねなかったのだ。あんな演技をしてまで自分の殺害を依頼した。


 両親も死に、祖父も死に。レジーは耐えられなかったのだ、孤独に。だから、あの時、死のうと思ったのだ、もう楽になろうと。これ以上苦しみたくはないと考えて。


 けれど、レティシアは無理やり生かした。元は本人から殺しの依頼を受けたが、殺しの依頼を突っぱねた身。今更目の前で死なれるなんて寝覚めが悪い。


 レジーに病院で責められた時、ため息を吐いあ後、レティシアは包帯を頭に巻きながら言い放った。


「あんたなんか救ってないわよ。ただ、あんたの祖父が悲しむと思っただけ。あんたの為に命を懸けてまで作って守った作品の前で死なれたらあの爺さんも流石に叱るでしょ。そうしたら私にも被害が被る。単に避けたかった、それだけよ」


「素直じゃないなぁ」


 ジルベールは肩をすくめた。


「うっさい、フォーニエ」


「ちょ、なんで知ってんだよ!?」


「あの馬鹿に教えてもらった」


「リオネル!」


 追いかけっこを始め出した二人を横目にレティシアは続ける。


「…私、あんた達怪盗のこと、結構好きだったのよ?」


「結構って…」


 レティシアは苦笑いをし、続けた。


「前に言ったでしょ。産みの母親の話。幼い頃、母親の大切にしていた指輪を盗まれた。当時の私にとっては拠り所だったのかわんわん泣いてたわ。戻らないことは分かっているから。けれど、不思議なことに泣き疲れて寝た数日後に戻って来たのよ。カードと共にね」


 カードは子供でもわかるくらい上等なもので、だが、そこに書いてあった文字は似合わないくらい汚くて、思わず笑ってしまった。


 その日から貰ったカードは大切に持っている。幼いレティシアにとってはかけがえのない思い出だ。指輪をレティシアの元へ返し、カードを与えてくれた者の名はもう知っている。


「大怪盗よ。世界で有名な"アーテル"」


 義賊として世界に名を馳せており、その正体を誰も知らない。しかし、助けられたものは誰も彼を忘れない。仮面に隠されていれど、美しい姿に惚れてしまい、彼の味方になる。レティシアもそこまでは行かぬものの、アーテルに恩を感じている。


「アーテルか」


「何、あんたも助けられたとか?」


「いや、ただ憧れただけだよ」


 自由に飛び回る姿に。自分もそうなりたいと思った。その夢が違う形で叶うとは思ってもなかったけれど。


「そう。彫刻は取り戻せなかった。だけど、あんたはもう自由になった。なら、今度こそ未練もなくこの国から飛び立ちなさい」


 あいつらの骨も持ってね、と、レティシアは冗談なのか本気なのか曖昧な言葉を投げる。


「…うん、それも良いかもしれないね」


 病室の窓から見える鳥達がレジーの自由を祝福していた。










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