第2話 球根になったドーリー
「ドーリーだっていつかぼくのことを捨てるんだろ。ぼく知ってるんだ。ぼくのママは、ぼくのことを捨てたんだ。マルシェでおばさんたちが言ってたんだ。ぼくはひとりぼっちになる運命なんだ」
「なるほどねえ」
と、いつものように木でできたテーブルに肘をついて、ドーリーはぼくをまじまじと見た。それから、うーんと唸って、眉間にできた皺を伸ばすように指でその眉間をこすりながら、なにか考えごとを始めた。ぶつぶつぶつぶつ、ひとりごとみたいな、なにかの呪文みたいな、まるで聞き取れなかったけど、ドーリーは何かを呟きだした。そしてそれが終わると「まったく、仕方がないなあ」と、ゆっくり長いため息を吐いた。
「いいかいスマイル」
「なんだよう」
「アタシちょっと球根になってくるわ」
「へっ」
ぼくが尋ね返そうとしたときには、もう遅かった。ぼくが間抜けな声を出したのと同じタイミングで、ドーリーの体がぼふんっと消えた。さっきまでドーリーが座っていた木の椅子には、いつもドーリーが羽織っている黒いマントだけが残っていて、そのマントの上に、なにかの球根が、乗っていた。
「う…… うわああああどうしよう!!」
信じられない!! ドーリーが球根になっちゃった!!
ぼくは驚いて、焦って、どうしようと思って、取り敢えずその、どう見てもちょっと大きな球根を乱暴に引っ掴んで、マルシェへ走った。
「おじさん! おじさん大変だ!」
果物売り場のおじさんに慌てて駆け寄ると、おじさんはなんだなんだと振り返った。
「どうしたスマイル」
「ドーリーが球根になっちゃった!!」
「はあ?」
ぼくのごちゃごちゃになった説明を聞きながら、ぼくの両手のなかの大きな球根を見て、おじさんも驚いた。どうしようどうしようとぼくが騒いでいたら、取り敢えず球根なんだから、植えて育ててみたらどうだ、とおじさんは言った。
ぼくは困った。だってこれは、確かに球根だけど、でもドーリーなんだ。ドーリーを土に埋めたりして大丈夫なんだろうか。
「ドーリーっていっても、球根なんだろ、そしたら放っておいてもどうにもならねえよ。植えて育ててみたら、ドーリーに戻るかもしれないじゃないか」
とおじさんが言うから、ぼくは渋々家に戻った。球根になったドーリーを両手で抱えて。
それからぼくは、ドキドキしながらドーリーの球根を庭に埋めてみた。こんなことして怒られないかな。いつもは人参を植えているところに少し場所を作って、そこにドーリーをそおっと埋めた。明日になったら急に土の中から出てきて、また首根っこ引っ掴まれるんじゃ……そんなことを思いながら、そっと優しく土をかけた。
ドーリーお腹空かないかな、と心配になったから、ぼくは考えたすえに一応、そこの土に肥料を蒔いて、水もやってみた。ドーリーはいつも朝食と夕食しか食べないから、もし明日出てこなかったら、それからの水やりも一日二回にすることにした。踏んだらそれも怒られそうだから、踏まないように、目印にドーリーの名前を書いた札も一緒に埋め込んだ。
ところが、次の日の朝になっても、ドーリーは球根のままだった。それどころか、拍子抜けするほどに待てど暮らせど芽も出ない。当然ドーリーも戻ってこない。ぼくは困り果てた。
やっぱり埋めたらまずかったかな。でもおじさんの言うとおり、埋める以外にできないんだよな、球根って。花でも咲くんだろうか。
そういえば、ぼくはドーリーが球根になってしまっても、生活には特に困らなかった。ぼくは自分でベーコンを焼くこともパンを切ることもできたし、洗濯だって掃除だって自分でできた。買い物も、不思議なことに毎日同じだけのお金が財布に入っている。決して多くはないけれども、その日食べるのには困らないだけのお金が、朝になると必ず財布に入っていた。ぼくは、そのなかから毎日コイン一枚を取り出して、貯金をすることにした。マルシェでもらった大きなジャムの空き瓶をきれいに洗って、デスクに置いた。そのなかに毎日一枚集めれば、ドーリーが球根になってから何日経ったのかがわかるからだ。
それから、ぼくは空いた時間に本を読み始めた。ドーリーの、壁いっぱいの大きな書棚にたくさん並べてある魔法の本。全然興味がなくて、一度も触ったことがなかった。だけど今はドーリーにお使いを頼まれることも、イタチやネズミを捕まえるように頼まれることもないから、時間が余っていた。面白いのか面白くないのかはわからないけど、でも読んだ。難しい言葉もたくさん出てきた。でも読んだ。わけもわからず、何冊も何冊も、ずーっと読んだ。
ぼくはやっぱり、思ったとおりにひとりぼっちになった。
半年くらい経って、朝にドーリーの芽が出ているのに気づいた。
「や、やった! ドーリー!」
ぼくは早くドーリーに育ってもらいたくて、毎日毎日溢れるくらいに水やりをした。ドーリーの芽は、少しずつ少しずつ、ほんの少しずつ成長していった。びっくりするくらい成長が遅かった。それでもぼくは毎日毎日水やりを欠かさなかった。
そのうちに芽はすっかり成長し、花じゃなくて、キャベツみたいな、レタスみたいな、白菜みたいな、なにかの葉物野菜の姿になってきた。ただ、キャベツやレタスみたいに丸くなくて、白菜みたいに縦長じゃなくて、ドーリーは横長に育った。周りの葉っぱが開けば開くほど、それはまるで揺りかごみたいに見えた。
ぼくはそれでも毎日水やりをした。葉物野菜に見えても、これはやっぱりドーリーだから、ちょっと食べる気にもならなかった。このまま育ったらどうなるんだろう。そう思いながら、ぼくはそれから何年も何年も、ドーリーに水をやり続けた。
ドーリーが球根になってしまってから、十年経った。
デスクに置いた大きなジャムの空き瓶は数え切れないほどになって、家じゅうのあちこちに並べて、ぼくは、二十二歳になった。
ぼくは相変わらず毎日ドーリーに水やりをしていて、そして、いろんなことを経験して、いろんなことに気づいていた。
ぼくのママは、ぼくを捨てたんじゃなかった。ぼくのママは、ぼくが迷子になったあの日、必死でぼくのことを探していた。そうして急いで走っているときに、車とぶつかった。ドーリーがそれを見ていた。そう、果物売り場のおじさんから聞いた。ぼくが悲しい気持ちになるから、ドーリーはずっと黙っていたんだって、おじさんは言った。
それから、ぼくはどうやらひとりぼっちじゃなかった。
ドーリーが毎日ぼくをマルシェに行かせたのは、ぼくがたくさんの人と関われるようにするためだったと気づいた。誰でもいつでも、子どもの頃から知っているぼくを助けてくれるように。
ぼくの世話をまったくしてくれなかったのも、ひとりでなんでもできるように、ぼくがひとりで困らないためだった。
全部ぼくのためだった。
そうしてぼくは、もうひとつ知っている。
この葉物野菜のなかに、ドーリーがいること。
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