球根になった魔女
夏緒
第1話 はじめましてドーリー
ぼくが魔女のドーリーに、まるで捨て猫を拾うみたいにして持ち帰られてから、もう七年が経つ。
まだ五才だったぼくは、土砂降りの雨のなかをひとりで道端に突っ立っていた。ママとはぐれてしまって、迷子になっていたんだ。ぼくはママと、迷子になったときの約束をしていた。
「いいかい、スマイル。迷子になったらその場所を動かないこと。ママがあなたを探して見つけるまで、絶対に泣かない。約束だよ」
そう言われていたから、それをちゃんと守った。約束を守ってその場に突っ立っていたら、そのうちに雨が降ってきた。ぽつぽつと降りだしたその雨は段々とざあざあした土砂降りになってきて、それでもぼくはそのまま待ってたけど、でもママは来なかった。
その代わりに魔女が来た。
初めて見た魔女は、なんだか不思議だった。大きくて真っ黒なマントを肩から羽織っていて、長い黒髪で、仏頂面の、お姉さんだった。魔女は手ぶらで傘もさしてなくて、なんたって魔女の周りだけ、雨がまったく降っていなかったんだ。
魔女がぼくに近づいてくると、ぼくの周りの雨もやんだ。ぼくがわけもわからず呆けて魔女の顔を見ていると、魔女もぼくのことをじろじろと見てきた。そうして、急にぼくの首根っこをむんずと掴んで、まるで汚いゴミでも運ぶみたいに自分の体から離してぼくを持ち歩き出した。
それが魔女、ドーリーとの出逢いだった。
どこに連れて行かれるのかと思えば、そこはドーリーの家だった。ドーリーの家は、町外れの、オレンジ色の三角屋根が乗った、小さな一軒家だった。
ぼくはドーリーの家のなかにぽいと放り投げられた。何が起きているのかさっぱりわからなくて、知らない人が怖くて固まっていると、ドーリーはゆっくりとした動きで暖炉に薪をくべて火をおこした。それから、相変わらず黙ったまま、ぼくの着ていた服を脱がしにかかったんだ。ぼくもさすがに怖すぎて、なんとか暴れて逃げようとしたけど、また首根っこを鷲掴みにされたから逃げられなかった。
ドーリーはすっぽんぽんになったぼくを大きな乾いたタオルでくるんで、暖炉の前の床に座らせた。そうして、ぼくの目の前でスープを作り始めた。
その作ってもらった玉ねぎのスープをカップですすりながら、ぼくはずっと心のなかでママを呼んでいた。でも、ママはいつまで経っても来てくれなくて、そのうちぼくは眠りについた。
翌朝になってぼくが目を覚ますと、そこはやっぱり暖かい暖炉の前の床で、ぼくはやっぱりすっぽんぽんのまま大きなタオルにくるまれていて、やっぱり暖炉には火がついていて、やっぱり魔女のドーリーがいた。
ドーリーは木でできたテーブルに肘をついて、木でできた椅子に座って、ぼくのことを見下ろしていた。
そこで初めてドーリーが喋ったんだ。ドーリーの声は思ってたよりも低かった。
「さあて。どうしてくれようか」
それを聞いてぼくは震え上がった。
食べられてしまう! 大きな鍋に放り投げられて、ぐつぐつ煮られてしまうんだ! そう思った。
でもドーリーはそんなことはしなかった。
ドーリーはぼくに、新しい服を着せた。少し大きな服だったけど、確かに新しいものだった。そうしてぼくに部屋をひとつあてがってから、
「スマイル、あんたは今日からアタシの子どもだよ」
と、へったくそな笑顔でにっこりしてみせた。
ドーリーの家は不思議だった。
玄関を入ってすぐのところに暖炉とキッチンがあって、その奥にトイレとお風呂があって、あっちのドアを開けるとドーリーの部屋、その奥がぼくの部屋。そのもうひとつ奥にもドアがあって、そこは本だらけのすごく大きな部屋だった。
外から見たら首を傾げるくらい大きな部屋で、壁の全部が書棚だった。部屋の真ん中に置かれた大きなテーブルにもたくさんの本が積み上げられていて、雪崩れて床にも散らかっていた。その全部が、魔法のことが書いてある難しい本だった。
ドーリーは魔女だから、不思議なことができた。気づいたら目の前に食事が置いてあったり、気づいたら部屋が整頓されていたり、気づいたら庭の草むしりが終わっていたりした。
でも、それは最初だけだった。ドーリーはぼくにナイフとフライパンの使い方をいい加減に教えると、それから食事を作るのはぼくの役割りになった。ナイフで何度も指を切ったし、火を使って何度も火傷したけど、手当てをするのもぼく自身だったし、自分の服は自分で洗濯させられたし、草むしりだってさせられた。
ドーリーはぼくのやり方が気に入らないところだけを魔法で簡単に変えてしまう、不思議なことを起こすひどいやつだった。うっかりフレンチトーストを焦がしたら、自分のぶんだけ全然違うサンドイッチに変えてしまったりした。ぼくのことを自分の子どもだと言ったくせに、ぼくの世話なんてなにもしてはくれなかった。
まだ読み書きも知らなかったぼくに、ドーリーはメモ書きされた紙を一枚渡しただけで、知らない町にお使いに出した。買い物かごを持ったぼくの足は勝手に知らないはずのマルシェに向かい、困っていたら果物売り場のおじさんがぼくに文字を教えてくれた。
ドーリーはわがままで、いつもぼくを召使いみたいにこき使った。
「スマイルー、ちょっとお使いに行ってきておくれ」
「いやだよ、自分で行きなよ」
「スマイルー、部屋の掃除をしといてちょうだい」
「ドーリーが散らかしたんじゃないか、ドーリーが自分でしたらいいだろ」
「ねーえースマイル、ちょっとイタチ捕まえてきて」
「絶対むり」
なんど嫌がっても、なんど断っても、ぼくの足は勝手に動いた。毎日のようにお使いに出されるもんだから、ぼくはこの七年ですっかりマルシェの人たちと仲良しになってしまった。
「よおスマイル。今日はなんのお使いだい。またおれがメモを読んでやろうか」
「もう自分で読める! 今日は白身魚を六十匹」
「今日もすげえなあ、なんの魔法に使うやらなあ」
ドーリーは、ぼくに魔法を教えてくれたりはしなかった。ぼくを魔法使いにする気はないみたい。ぼくは、ドーリーのことが好きじゃなかった。ドーリーは年を取らない。七年経っても、相変わらずお姉さんの姿だった。
「スマイル、おまえはドーリーに育ててもらっているんだろ。もっと感謝をするべきだ。そんな態度じゃいけないぞ」
「だっておじさん、ドーリーはぼくのママじゃない。人攫いだよ、ぼくは誘拐されたんだ」
「スマイル、あんたドーリーにもう少し素直になったらどうなんだい。もう十二才だろ、仕事はしないのかい」
「だっておばさん、仕事ならしているよ。ぼくは毎日こうやってドーリーにこき使われているんだ。あんまりだよ」
ぼくは七年かけてドーリーの文句を言いまくった。
だって、ドーリーがなんと言おうと、ドーリーはぼくのママじゃない。きっとドーリーのせいでママが迎えに来てくれない。ドーリーは魔女だから、いつまでもお姉さんの姿でいるけど、ぼくはドーリーが本当は何歳なのかも知らない。ドーリーだって、きっといつかぼくの前から勝手に消えてしまうんじゃないか。
ぼくがマルシェでぶちまけていた文句は、めぐりめぐって全部ドーリーの耳に届いていた。
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