第8話

 それからは、脱兎のごとくである。


「こっちだ!」


 身を低く屈め、僕らは白いモヤの中を突っ走った。向かうは次の部屋への扉だ。気配を辿って当てずっぽうの弾丸が乱舞したが、僕と少女の影を掠めもしない。


 肩でぶつかるようにこじ開けると、二人してしゃにむに飛び込んだ。床上にかんぬきが転がっているのを見つけ、僕は焦燥感に押されるまま、それで扉を封鎖する。


 しかし。


「……っ!」


 しまった、と僕は歯噛みした。しくじったことを知るのにはそう時間はかからなかった。部屋の出入り口は二つ。たった今、かんぬきをかけた扉とその反対側にある鎖と鉄板で閉ざされた引き戸である。鎖には無数の南京錠がぶら下がり、一筋縄でいかないことは明白だった。


 一難去ってまた一難。


「……っ」


 僕が舌打ちしたのを見て取って、少女は足元の鉄パイプを拾い上げた。先端を鎖と鉄板の間に差し込み、テコの原理で引き千切ろうとするが、先に根を上げたのは鉄パイプの方だ。錆びた部分からへし折れたそれを少女は苛立たしげに投げ捨てる。


「必要はなかった」


「え?」


「私を助けても意味はない。なのに……」


「いまさらってやつ。それより、どうするか考えよう」


「逃げてんじゃねークソザコォ!」


 僕の返事はだみ声と重なった。かんぬき越しに扉が激しく叩かれる。


「てめーらだけなんだよ、残りはな! すぐにそっち行って痛めつけてやる!」


 脅し文句の終らぬうちに重々しい銃撃音が突き抜けてきた。扉の蝶番がごっそり砕け散り、僕は思わず後ずさる。ぐるりと周囲を見回しても、バリケード代わりになるような重量物は部屋中どこにもありはしなかった。コンテナはさっぱり持ち出され、粗末な木机にいくつかの電動工具と四、五枚ほどブルーシートが放置されている。低い天井を見上げれば、製造途中らしきボートが吊り下げられていた。


 今までがうらぶれた倉庫だとするなら、さしずめ古臭いガレージといったところだろう。これまでの部屋より一回りも二回りも狭い。


 むろん、この窮地を打開できるようなあっと驚く武器は欠片もなかった。


 ――今一度、扉から木っ端が噴き出す。


「真ん中の棒を狙え!」


「かんぬきだって、それが引っかかってんだよ!」


 言い争う声が空いた穴から明瞭に聞こえてきた。もう時間がない。リボルバーを握る手のひらに汗が滲んでくる。照明と消火器のために二発を失い、銃弾は残り三発。他に武装は――


「あなたの、それは?」


 少女が腰元で揺れる手榴弾を注視している。


 そこで、不意に思い浮かんだ策は、とどのつまりさきほどの騙し討ちと同レベルのものであった。


 とはいえ、二の足を踏んでいる猶予はない。決断は一瞬だった。


 僕は広げたブルーシートを少女の頭に被せる。


 何をしようというのか、といった無言の問いを押しやり、


「僕が合図したら、その場に伏せるんだ。できるだけ低く。それまでは奴らに悟られないよう振舞ってくれ。やってくれるか?」


「信じられる?」


「さあ――でも、シューティングに大事なのはタイミングとエイミングだってことを思い出した」


「どうするつもり?」


「爆発させる。それしか考えつかなかったよ」


 腰の手榴弾を叩いてみせる。


「…………」


「や、そんな露骨に不安な顔されちゃ、まいっちまうな」


 僕は微苦笑をこぼす。


 まあ、とはいえごもっともな反応だろう。数の不利、武装の不利、地の利の不利、あらゆる不利が僕らの前に壁となって立ちはだかっていた。極めつけに、作戦とも呼べない、捨て鉢となったかのような僕の言葉。この有様でじゃあ一安心、などと胸を撫で下ろすヤツがいたらイかれてるとしか言えない。


 ――これから僕がしようとしてることも同じくらいイかれているが。


 ボンッというくぐもった重低音が鼓膜を震わした。スラグ弾だ。散弾のように小さな金属粒を吐き出すのではなく、一発の威力に重点を置いた大口径の弾頭である。対人用というよりかは封鎖された扉や強固な障害物などの破砕に使う――つまり、今はうってつけの機会というわけだ。硬いはずのかんぬきは無惨にも砕かれ、木片がスナック菓子のように飛び散った。


「動くなよ?」


 間髪入れず、開け放たれた扉から三人は乗り込んでくる。滑らかなフットワークはもとより、上下左右へのクリアリングも欠かさない。しかもそれらの動作がほぼ一瞬で完了するあたり、シューティングゲームの定石は熟知しているのだろう。

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