第9話

 ライフルを構えた男は、半身を白く染め上げていた。消火剤の噴霧をもろに被ったらしく、それに対する憎しみが双眸をギラつかせている。


「どん詰まりだな、気取り屋君。どうだい、今どんな気持ちよ? あ?」


「スクリーマーも大変そうだな、って思ってる。そんなことを言う間にさっさと撃てばいい。いちいち見せ場を欲しがるのは動画のテンポが悪くなるぞ」


 アドバイスを送ると、


「……野郎」


 ますます怒気を漲らせる。僕は片手でリボルバーを保持しながら、もう片方の手で手榴弾を見せつけた。


「それ以上近づけば爆発させる。この狭い部屋だ。全員やられるぞ」


「やってみな」


 白い頬を擦りつつ男は唸る。目で合図を送ると、サブマシンガンの男が前方の床に何かを突き刺した。それは何らかのメカニズムを機動させるとテトラポットのようなシルエットを形成し、直立する。


 僕は目を細めた。背後で、少女が小さな呻きをこぼす。


「グレネードジャマーか」


「言わずもがなだな。てめえのソレは張子の虎ってわけだ」


 飛来物を無力化するガジェットである。これでもう、僕の切り札は例え千回投げても相手に届かないだろう。


「どうした? ほら、投げてみろよ」


 白々しくも男は手招きしてみせる。当然、僕は身動ぎすらできなかった。その様子を圧倒されているとでも勘違いしたか、彼は饒舌に続ける。


「あとよ、お前どうもヌーブらしいから教えといてやる。そいつはグレネードじぇねえ、フラッシュバンだよ、バァカ」


「え?」


 僕は眉根を寄せた。どうも思い違いをしていたらしい。旧世代のゲームとは違い、《フォーカス》ではユーザーインターフェースが極限まで排されているから、自分が取得した物資の名称や使い方は自分で学ぶしかない。初心者ゆえの失敗だった。


「恥ずかし! カッコつけたのに残念でした」


 そう嘲笑う男たちを僕はしばし眺めたあと、


「たしかに脅し道具にならなくなったのは残念だな。君たちの装備を手に入れられなくなった」


「え、ちょっと待って。強がりダサすぎん?」


「なんとでも言えばいいさ」


 彼らは再び愚を犯していた。おそらくその下劣なプレイスタイルゆえ慢心が癖になっているのだ。一度出し抜かれたというのに、その経験に基づいて言動を改められないのだろう。


 だから、僕が手からフラッシュバンを取り落としたときも、三人はとっさに反応できなかった。


「伏せろ!」


 僕は叫ぶのと同時にリボルバーを頭上へ向けた。二度の銃声が撃ち抜いたのは、ボートを吊り上げている鎖だ。四つの支点から伸びる錆びついた鎖は二本を残して破断し、僕と男たちの間にボートの腹を落下させる。地鳴りのような音が響いた。


 ――ここだ。


 僕は全神経を集中させていた。残りの弾は一発。この一発で三人を撃破しなければならない。


 天井の支点と繋がったまま斜めに傾いだボートの影から、僕はライフル男の胸元へ照準した――しかし、遅きに失したらしい。


 僕の目に映ったのは、腰のホルスターから小さな拳銃を抜き放つ敵の姿だった。あるいは、向こうも策を巡らし、長大なライフルよりも取り回しの良い拳銃で決着をつけるつもりだったのかもしれない。ヒップシューティングは命中率の低い撃ち方だが、間合いは十メートル以下だ。少しでも腕に覚えがあるのなら、仕留めきれない距離ではない。


 すでに引き金は引かれかけていた――その様がゆっくりと見えることに僕は気づいた。同時に、気づけることに驚いた。


 どの瞬間から世界は遅滞していたのだろうか。


 あらゆる事象がゆっくりと流れていく。


 輪郭を強調するように景色が鮮明に認識できた。舞い上がる砂埃の粒子、ギュッと口角を上げていく男の顔、もみあげに光る汗の匂い、銃把を握り込んでいく革グローブの皺、部屋に充満する火薬の味、靴裏が床を擦る矮小な音――


 拡張された知覚能力が五感を通じてあまねく周囲の全てを僕に伝えてくれる。


 ゆえに、僕の足の間からマカロフが突き出ても、そんなのは驚くに値しない些末事のように思えた。


 男の拳銃が火を噴く寸前、僕の股先から火線が迸る。弾丸は敵の肩を弾いた。


「――ぶぁっ!?」


 たたらを踏む男の声。その奇声が届くよりも早く、僕は引き金を引いていた。


 明滅するマズルフラッシュに押されて、指先よりも小さな弾頭が螺旋の軌跡を曳く。その一条は男の胸に吸い込まれた。


 真っ直ぐ着弾したのは防弾チョッキ――そこで弾む正真正銘のフラググレネードだ。


 ただし、フラグ本体ではない。爆破の可不可を司る、その安全ピンを僕は撃ち抜いたのである。


 肩に続いて胸を狙われた男は、しかし致命傷に至っていないことは知悉していただろう。顔面には嘲りとも蔑みとも取れる笑みが浮かんでいた。


 その歪みが、凍りつく。


 カチンと音を立てて床に落ちたピンを目にしたためだ。


 同時に、あの時間の流れを超越したような――周囲の物事全てを掌握したような――異質な感覚が消え失せる。それで構わなかった。その頃にはもう僕は斜めに立ったボートの底へ、へばりついていたのだから。

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