第3話

「おい、ちょっと待てよ! 聞いちゃいねえぞ!」


 怒声を放ったのは、特筆すべき特徴もない男性プレイヤーだった。困惑とも憤激ともつかぬ複雑な表情で、


「そんなのプライバシーの侵害だ! ふざけんじゃねえ! なんの権限があってそんなこと!」


「プレイヤーの意見は聞かないのか!」


「横暴だ! そんな説明なかったぞ!」


 続々と怒鳴り声が上がった。


 彼らの不平不満は、生活の基盤が崩れるのを予感してのものだろう。今日、まともな仕事にありつける奴なんて、有名人の二世三世ぐらいしかいまい。ディス・スクリーンでの収益が取り上げられるというのは、一般人にとって文字通り死活問題なのだ。


 もっとも、彼らの訴えが届くことはないだろう。主催者が何を考えているかは分からないが、きっとどんなことでもやりかねない。耳の奥にこだまする老獪なしゃがれ声は、そんな意思と危うさを強く直感させた。


「俺たちの主張を受け入れろ! 撤回しろ! 俺たちプレイヤーがいるからお前ら運営は食っていけるんだろうが!」


「……ビィーズェ」


 ぼそりと声は呟いた。瞬間、空気が張り詰め、厚顔にも騒ぎ立てて憚らなかったプレイヤーの喉を凍りつかせる。さして強い口調ではなかったが、そこに含まれた鬼気は本物だった。憤懣やるかたない参列者たちの口を黙らせるほどに。


 短い沈黙を挟んだ後、声は何事もなく、


「勘違いしてもらっては困る。このペナルティで最も厳しいのはもう一つの方だということに気がつかないのかね?」


 そう問いかけられ、密やかな相談がおずおずと交わされた。


「再ログイン権の喪失とは《フォーカス》そのもののプレイ権を失うということ。今大会で敗退したものは今後、二度と《フォーカス》の世界、夢の世界へ没入できなくなる。再ログイン権の喪失とは、それを意味している」


「そんな――」


 二の句が告げられなくなったように僕らは顔を見合わせるしかなかった。さすがに、僕も当惑の胸中である。


「少なからぬ者はディス・スクリーンへアップロードしたコンテンツの収益で暮らし、もしくは世間の耳目を集めているのだろう。しかし、それだけでは軽い。この世界を支配し得る者の器量を計るのに、それでは足りんのだ。私は、夢の世界で死んでも構わないと、自身の人生を差し出しても構わないと思う者こそ、勝者に相応しいと考えている」


「要するに、負けた奴は《フォーカス》から締め出されて戻ってこれなくなるってことか」


 紫髪の女プレイヤーが念を押すと、


「その通りだ」


「勝手だ!」


 遠くの方で、また別のプレイヤーがたまらず反発した。オーディエンスは冷淡に、


「では死ね。勝手だと納得いかない者は、現実に蘇るといい。諸君らと私は二度と会うことはないだろうが、それでも私は構わない。リスク無しで大金を得ようなどと下卑たことを考える輩など視界にも入れたくはない」


「……!」


 鋭い舌鋒に撃ち抜かれた彼は、渋々と閉口したようだった。


「ペナルティはその二つだけか? 途中で増えたり、あんたの都合が悪い事態が起こって、訂正されたりはしないだろうな」


「もちろんだとも」


「なら、自分はこれ以上何も言うことはない。とっととゲームを始めてくれ」


「おい、待てよ! 俺にはここしかねえ! 普通のゲームなんて今更できるか! 俺は降りるぞ! ここに来れなくなるなんてそんなの無理だ、考えられねえ……。し、侵害! 権利の侵害だ! 訴えるぞ!」


 叫んだプレイヤーが狂乱しかけていることは、やや支離滅裂な物言いから明白だった。手近の参加者へ無思慮に突っかかるや、


「ここから出せ! 出してくれよ!」


 などと声を荒げて前後不覚の態へ陥っていく。


 最悪なことに、彼の乱痴気は少なからぬ者にまで恐慌を伝播させてしまった。


 ちょうど、僕の斜め前にいた男が、血走った目で別の男へ怒鳴りつけていた。


「触るんじゃねえよ! なんだ、コラてめえ!」


「落ち着けって言ってんだ、バカ!」


「てめえが落ち着けっ!」


 一方が一方を小突くと、あとはもう言うまでもなく殴り合いだった。こういう時、一番の被害に合うのは偶然近くにいただけの者と相場が決まっている――今回の場合、その役回りはあの黒い瞳の少女である。


「……っ」


 巻き込まれる形で他の面子ともども突き飛ばされた彼女を、僕は両腕で受け止めた。


 たまたま僕がそこにいただけなのだが、なぜか、こちらを見上げる双眸は少々鋭い。


 僕はとっさに、


「あ、ごめん」


 細い肩を支える手を払って謝ってしまう――なにを謝ってんだか、僕は。

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