エピローグ

 結婚して十一年が経ち、光輝が三十九歳、愛可理が四十七歳となった。結局子供はできず、二人だけの生活が続いた。順調に昇進して課長代理になった彼の年収は、一千万円を超えている。

 けれど二人共、経済的に苦労した経験があったからだろう。贅沢をし過ぎず、貯蓄はしっかりと計画的に行った。彼は生命保険等も限度額一杯まで入り、自分に万が一の事が起こっても愛可理が苦労することが無いようにしてくれた。

 とはいっても記念日には、高級バッグや時計などを買って貰ったこともある。たまにではあるが外食などで、ちょっとした贅沢をしたり、適度に旅行を楽しんだりもしていたのだ。

 だがこの年に、厄介な事が起こった。それまでにも二〇一一年には、東日本大震災を経験している。当時部署が異動となって勤務先が遠くなった彼は、帰宅難民となった。

 愛可理は昼間に一人でいた所、これまで味わった事の無い揺れに恐怖した。それから彼となかなか連絡が付かず、帰ってくるまで不安なまま過ごしたのだ。

 それでも五階立てのマンションは無事だったし、部屋の中の物も倒れたりはしなかった。その為特に大きな被害を受けずに済んだ。驚いたのは、固定していた液晶テレビが、踊るように飛び跳ねたことだろう。

 だが今回の災難は日本の一部での騒ぎで済まず、全世界に広がった。それは新型コロナの流行だ。その為外出自粛となり、彼はリモートワークによる在宅勤務が多くなった。

 愛可理の生活自体は、彼がいる分食事の準備の手間が若干増えたけれど、それも大したことではない。一人でも食事は作っていたし、それどころか二人分を用意する方が経済的だった。

 しかも品数も増え、健康的なメニューを出すことが出来る。それに自分だけなら、手抜きで済ますことも多い。だが彼がいる分、作り甲斐があるから、とても楽しかった。

 買い物も普段から基本的には週二~三回で済ませていた為、それほど前と変わらない。多少他人との距離を気にするようになった程度だ。

 それ以外は習い事をしていた訳でもないので、特に外へ出る習慣も無かった。出かける時は、もっぱら彼が休みである土日のどちらかに、二人でいることが多かったからだろう。子供もいない為、学校の休校による影響も受けなかった。

 あえていえば趣味が読書だったこともあり、図書館が閉鎖された時には多少困った位だ。その分電子書籍等を購入して補った為、影響もさほどではない。

 幸い会社の給与が急激に減る心配も無かった。逆に二人での外食やショッピングが出来なくなった分、書籍購入分を除けば経済的支出は少なくなった程だ。その分家の中でいる時間は長くなったが、それはそれで支障など無かった。

 それでも彼は週に二、三度、課長代理としての決裁印を押す為、電車に乗って会社へ出社する日々が続いた。三月下旬の三連休明けから増えだし、四月十二日には、一日で七四三人の感染者数を出していた頃だ。 

 しかしこの日をピークに少しずつ減少し、死亡者数も四月二十二日に九一名出したけれど、その後は落ち着き始めていた。

 だがこの頃の油断が、次なる波を引き起こしたのだ。ゴールデンウィークに差し掛かった頃から、再び感染者が増えた。光輝の体調に異変が生じたのも、そうした時期だった。

 連休の狭間に、どうしても出社しなければいけないと彼が言った時、嫌な胸騒ぎを覚えた記憶がある。それでも仕事を休むわけにはいかない。

 その為いつものように送り出したが、その後休みに入った途端、夜に高熱を出したのだ。しばらくして治まったが、体がだるいというので、念の為にと相談窓口に連絡したのである。

 けれどまだこの頃、海外渡航歴が無い人や濃厚接触者でなく、持病などが無い場合は、四日以上の高熱が続かないと自宅で様子を見るとのスタンスだった。

 これが後に、目安に過ぎないものが基準となり、誤解があったなどという問題発言が出て見直されたのだ。それを聞かされた時には、これ以上のない怒りが湧いた。

 何故なら彼は指示通り、自宅休養をしている間に容体が悪化し、緊急搬送されたからだ。高熱が出てから三日目の事だったが、PCR検査で陽性が出た。さらに肺炎だけでなく、血栓ができたことによる心筋梗塞の症状を引き起こしたのだ。

 新型コロナに感染した場合、身内であっても会うことはできない。それどころか濃厚接触者としてPCR検査を受けた後に、愛可理自身も自宅待機させられていた。

 結果は幸い陰性だった。しかしその間に、彼が亡くなったとの連絡を受けたのだ。症状が出てから僅か十日後だった。余りの衝撃で、頭の中が真っ白になったことだけは覚えている。

 その後感染予防という名目の下、遺体を目にすることなく彼は火葬された。その為骨となってから、愛可理達が住んでいた部屋に運ばれたのだ。

 最後の別れもできず、茫然自失としていた。だがその頃には基準が誤解だったとか、医療体制がひっ迫していた等の情報が耳に入り始めていた。その為、体中の血が逆流する程の耐え難い感情が高ぶった。

 それでも哀しみと言うものは、ある程度時間が経てば癒されるものだ。泣き続けていたからと言って、彼が生き返ることは無い。いない状況の中で、愛可理は生きていくしかなかった。

 子供もおらず、経済的に今後一人で生活していく上で心配がなかった事も大きかっただろう。これまで残した金融財産に加え、彼の死により決して少なくない保険金や死亡退職金等を受け取った愛可理は、贅沢しなければ一生暮らせるだけの資産家になっていた。

 年齢は五十近くになったとはいえ、人生はまだこれからだ。一人で自由気ままに過ごすこともできるが、新たな相手を探すのも悪くない。

 世の中では芸能人を含め、熟年結婚する人も増えてきた時代だ。割と年齢より若く見られがちな愛可理は、決して捨てたものじゃないと思い直した。それどころか、お金にも余裕がある。割と通用するかもしれない。

 しかしそんな妄想までし始め、興奮し熱した頭を一気に冷やしたのは、彼が病室に持ち込んでいたスマホの中身を見た時だった。消毒などの関係上、手元に届くまで時間がかかったのと、遺品に触れる気持ちになかなか慣れなかった為、長らく放置されていたものだ。

 パスワードがかかっていたが、ようやく気持ちの整理が付き始め、片づけ始めた荷物の中に彼の手帳を見つけた。そこに暗証番号が記されているのを、愛可理はたまたま発見したのである。

 そこで悪いとは思ったが、長い間そのままにしていたスマホを久しぶりに充電し、恐る恐る覗いた時に問題のものを発見したのだ。

 その中に入っていた動画の最初は、病室内での容態の変化を伝える彼の姿が映し出されていた。だが途中から、命の危険を自ら悟ったのだろう。愛可理に対しての感謝の気持ちを語ると共に、彼が行った犯罪についての懺悔ざんげが述べられていたのだ。

 そこでは、鼻に酸素を送るチューブを入れ苦しそうに話す彼が現れ、告白をし始めていた。

“一幸が死んだのは、公園で絡んできた男達に殴られたからじゃない。殺したのは私だ。何故なら彼が邪魔だったからだ。あいつはあの頃、愛可理を本気で好きになり始めていた。

 私が幼い頃から、二軒隣に住んでいた愛可理に好意を持っていたように、彼もまた近所に住むりん姉の事が好きだった。しかも一幸の“幸”の読みを使って、“こうちゃん”と呼ばれていたのも、小さい頃から光輝の“光”で“こうちゃん”と言われていた私と同じだったと聞いた時には、驚いたものだ。他にも親から暴力を受けていた等、色々な共通点があったからこそ二人は、意気投合した。

 けれど四人で会う機会が増えるにしたがって、一幸の気持ちは愛可理に傾き始めてしまった。りん姉が自分のこと等目もくれず、他の男に夢中だと気付いたからかもしれない。

 またそれが不倫だと知ってからは、余計に愛想を尽かしたのだろう。愛可理に対する気持ちが、まずます強くなっていたようだ。愛可理も何となくは気付いていただろう? その事が私は許せなかった。

 あいつが折り紙で作った人形を、愛可理にプレゼントしたことも知っている。あれは私が教えたんだ。彼はりん姉にも渡していたけれど、そっちは練習用で作ったものだった。

 そうした経緯を知っていたから、りん姉がガンに侵され入院している時に折り紙で作った人形を私は持って行ったんだ。不倫相手とも別れ一人になった彼女が、天国で一幸と会えるようにと願ってね。

 生前に果たせなかった彼の夢を、あの世で叶えてあげようと思ったからなんだ。愛可理に未練を残したまま死んだのなら、これで勘弁してくれという、私なりの願望と償いの気持ちもあった。

 自分にも、落ち度があったと思っている。というのもりん姉は愛可理の親友だった。だから彼女も大事にしなければならない、と考えていたからだろう。ただそれは昔から言い聞かされた、女性には優しくという愛可理からの教えを守っていただけに過ぎない。

 しかし一幸は、私の態度をそうは受け取らなかった。自分が愛可理を好きになったからか、私もりん姉の事を憎からず思っていると勘違いしていたようだ。当時愛可理には、長い間付き合っていた彼がいただろう。その事も影響していたんだと思う。

 私が愛可理の事を心配し、思い続けることは当たり前の事だった。だから敢えて余り、口にしなかったこともいけなかった。それより一幸の事も考え、りん姉を案じる話題が二人の間で多くなったことで、彼の誤解を加速させたようだ。

 愛可理から不倫の事を耳にした彼は、自分にだけは教えてくれたと喜んでいた。だから内緒にして欲しいと言われていたにも関わらず、私にも伝えたのだろう。

 ただでさえ大学受験を控え、余計な事を考えたくない時期だったから、私は腸(はらわた)が煮えくり返った。けれど表面上は、平静を装っていたんだ。

 けれど無事合格したら絶対にこいつを殴ってやると、心に誓ったのはこの時だ。今思えば、あれから彼に対する殺意が募っていたのだろう。

 その思いが爆発したのは、あの日の夜だった。私の大学合格祝いを四人でしていた時も、彼はやたら愛可理にべたべたしていただろう。それが我慢ならなかったんだ。

 今思い返せば、それまでの厳しい受験勉強から解放された喜びが大きかった分、憎しみも増大していたのかもしれない。

 だからあの日の帰り道、男達から暴行を受けた事は私にとって千歳一隅せんさいいちぐうのチャンスだと思った。頭を殴られた場合、ある程度時間が経過してから症状の悪化が進み、時には死に至るケースもあると知っていたからだ。

 幸か不幸か、彼はかなり頭部に損傷を受けていた。部屋に帰った後も、頭が痛いと言っていたぐらいだ。私は一応医者に行くかと聞いたが、彼は酒を飲んでいるからまずいと拒否をした。

 その時閃いたんだ。それならせめて薬を飲んだ方が良いと、私は頭痛薬を勧めた。彼はそれを素直に受け入れ、口にした。アルコールが入っている時、そうした薬を服用すると良く無いとの知識を私は持っていた。だが彼は知らなかったようだ。

 そこで彼が深く眠りについたことを確認した私は、部屋の電気が消えた状況で頭から布団を被せた。その上に馬乗りになった体勢で、彼の頭を強く殴ったのだ。

 直ぐに目を覚ました彼だったが、真っ暗で状況が理解できなかったのだろう。また薬が効いていたのか、殴られた衝撃によるものなのかは不明だったが、しばらくして静かになった。

 その後ゆっくりと布団をはがし、彼がまだ生きているかどうかを確認した。するとかすかに息はしていたが、瀕死の状態だったと思われた。

 そこから私は、そのまま起きてこないよう、彼をずっと見張っていたんだ。あの時は怖かったよ。いつ目を覚まして反撃してくるかと怯えていたから、眠気は全く感じなかったことを覚えている。

 やがて朝になり外が明るくなった頃、呼吸が止まったんだ。彼はピクリとも動かなくなった。恐ろしい事だが、そこで私はホッとしたよ。彼が死んだと判ったのに、そう思う自分がいることに、私も驚いた“

 愛可理はここで、動画を一時停止した。これは一体何? 悪い冗談かと見続けていたけれど、途中で彼が真剣だと気付いた。つまり一幸の死は、公園で絡まれた男達の暴力による過失致死ではなかったらしい。そう見せかけた、光輝による殺人だと彼は告白しているのだ。

 頭の中でようやく整理が付き始め、代わりに体の震えが止まらなくなっていた。それでもまだ続きがあるらしい。その為恐々としつつも、再生ボタンを押した。

 息を絶え絶えの状態で発せられた彼の声が、再び流れた。

“それからしばらくして、私は救急車を呼んだ。涙を流しながら、救急隊員に昨夜男達の襲われたと語ったことが、功を奏したらしい。

 緊急搬送された病院では、殴られたことによる脳挫傷だと診断が出た。さらに死亡した時間と頭に衝撃を受けた時間差から、駆け付けた警察は、殺したのが襲った男達だと結論付けたのだ。

 私は自分が仕掛けた、人生最大の大きな賭けに勝ったとその時は思ったよ。愛可理やりん姉も、全く気づかなかったようだね。一幸の死因は、殴られた打撲が原因と言われたのに、彼は公園で立ち上がった際、頭を蹴られたから痛いけどねと話していたんだ。

 私は二人の内どちらかでも、その事を思い出し警察に伝えてはいないかと冷や冷やしていたが、杞憂に終わった。おかげで無事に大学へ入学し、卒業もできたんだからね。

 だけどその前に、愛可理があの長谷川と不倫していると知った時は、とてもショックだったよ。最初は時間が経つにつれて、一幸を殺してしまった罪の重さを感じるようになり、引き籠っていた。

 二人は一幸の死を単に引きずっていると勘違いしていたようだけど、愛可理達に励まされたおかげで、私はようやく立ち直ることが出来たのは本当だ。

 けれど大学へ通い出してからは、思ったより学生生活が時間的に融通の利くものだと判った。だからそれを利用し、りん姉の浮気相手がどういう男か確認しようと、尾行することにしたんだ。

 卒業後に愛可理がいる会社へ入ろうと目論んでいたから、後々何かの役に立つだろう、というのが一番の目的だった。もちろんりん姉の事で愛可理が悩んでいたから、助けになるかもしれないとも考えたよ。

 相手が長谷川だと認識し、言い逃れが出来ない不倫現場の写真を何枚も撮った。だけどりん姉と一緒でない時にも、何かおかしなことをしていないか、弱みを探る為に動いていたんだ。

 そこで愛可理とも、同時に浮気している現場を私は目撃してしまった。あの時は、それこそ目の前に出て行って一幸と同じように殴り殺してやりたいと思ったさ。

 でもなんとかその怒りは抑えたよ。その代わりに二人がいるところも、何枚か証拠写真を撮っておいた。いつかこいつに復讐してやると思いながらね。

 愛可理が雅史という男と長い間付き合っていると知った時は、既に私が上京する前だったから、まだ諦めもついた。自分も中学生で幼かったからね。

 でも二人が付き合っている間は、いずれ結婚してしまわないかと不安で仕方なかったよ。それでも私は自分が大人になり、相手から奪い取れる立場になるまでの辛抱だと、言い聞かせていたんだ。そうすればどんな手を使ってでも別れさせ、私と再婚すればいいと思っていた。

 だけど雅史と別れた事を一幸からこっそり聞き、安心していたんだ。けれどその後に、まさかりん姉の不倫相手と付き合うなんて想像もしなかったよ。さすがにそれは絶対許せなかった。

 だから会社にあいつ宛に愛可理と写った写真を送りつけ、別れさせるように仕向けたんだ“

 愛可理は再び一時停止を押した。光輝があの秘密を知っていた事に驚愕した。長谷川との関係は、ほんの気の迷いから起こった出来事だ。

 始まりは課長から次長へと昇進し、部署が変わった彼と偶然外で出会った事だった。雅史との別れで、思った以上に精神的ダメージを受けていたからだろう。

 彼はりんと愛可理が親しいと知っているにも拘らず、ちょっかいをかけて来た。それにワザと乗っかった振りをするだけで、済ますつもりだった。そうすればその事をネタに、二人を別れさせることが出来るかもしれないと、安易に考えていたのだ。

 けれどミイラ取りがミイラになってしまい、ずるずると奇妙な関係を続けてしまった。今思い出しても、あの時は本当に馬鹿な事をしたと反省している。それでもそうした一見あり得ない事が起こってしまうのが、男女の関係というものなのだろう。

 だから早く別れなければと思っていた所、ある時から彼の態度がおかしくなった。それを機に二人の間がぎくしゃくとし出し、関係は解消された。

 あの時は、ようやく目を覚ます事が出来たと喜んでいたけれど、その裏で光輝が動いていたなんて、全く知る由も無かった。それでも彼はそんな事をおくびにも出さず、一幸の死の真相も含め二十年もの間、隠し続けて来たのだ。

 続きが気になり、愛可理はまた再生ボタンを押した。彼の姿が動きだし、声が聞こえ始めた。

“でもその後愛可理は別の男と付き合い、結婚までしてしまった時は衝撃を受けたよ。だけどいつかはこんな日が来るだろうと、覚悟もしていたからね。だから絶対奪い返すと、心に誓っていたんだ。

 それが思った以上に早く男の本性が出たおかげで、二人は離婚してくれた。もちろんここまで聞けば、判るよね。そう私はあの男も尾行し、いくつかの弱みを握ったんだ。

 それと併せて愛可理と長谷川とが映っている写真も同封し、彼の目に入るよう仕向けたのさ。だから彼は愛可理を責める事も出来ず、すんなりと離婚を受け入れたのだろう。あの時は思い通りになってくれて、とても嬉しかったよ。

 その後りん姉が亡くなったのは、本当に残念だった。愛可理が辛い時期を一緒に支えてくれた、大切な仲間だったからね。でもあの後私が体調を崩してうつ病を患ったのは、彼女の死によって一幸の死をまた思い出したことが影響していたと思う。

 あいつは愛可理の事を好きになっていたけれど、それまでは私がそうだったように、りん姉の事を幼い頃からずっと愛していたんだ。その気持ちが嘘でなかったことを、彼と過ごした約三年間で十分理解していた。

 だけど私は彼を死に追いやった。そいつが長年愛し続けたりん姉が癌になって死んだのは、私が犯した罪のせいではないかと思い悩むようになったんだ。

 だけどあの時もまた、愛可理が寄り添ってくれたおかげで、復職することができた。また彼女の死が、私の背中を押してくれたんだ。

 愛可理はあの頃、また別の男と付き合い出しただろう。短期間だったから良かったけれど、これ以上他の男と関係が深くなる前に、自分から告白しようと決めた。

 だから彼女の三回忌が過ぎ、愛可理の心にも気力が戻ってきた所を狙って、付き合いを申し込んだんだ。

 もちろんその頃には、続けてきた努力により振り向いて貰える男になれた自信もあったからね。思い切って、素直な気持ちを打ち明けられたのだと思う。

 だけど愛可理が受け入れてくれるかどうか、とても不安で怖かった事を覚えているよ。一幸が死ぬのを見守っていた時よりも、胸が締め付けられる思いをしていたんだ。

 恋人になる事を承諾してくれたと判ったあの時の興奮は、一生忘れない。その後結婚を了承してくれた時も同様だ。二十年以上思い続け、努力し積み重ねてきたことは、決して無駄で無かったと心が震えたよ。

 それからさらに十年以上が経ち、愛可理と暮した日々は、私にとってとてもかけがいのない宝物だった。不遇な子供時代を何とか乗り越えられた末の、神様からのご褒美だと思っていた。

 でも今回、とうとうその効力も切れたようだ。いや一幸を殺した罰や愛可理の結婚生活等を壊した罪を受ける時が、今やって来たのかもしれない。

 そう、他にもあった。長谷川が大阪へ異動になった後、しばらくして彼の不倫が会社にばれたよね。そのせいで彼は離婚して、会社も辞めた後自殺した。

 あれは私がりん姉と一緒にいる時取った写真を、匿名で送ったからなんだ。愛可理はまだ会社にいたから、二人の写真は使えなかっい。だけど彼女は亡くなっていたからね。それが余計に大きな波紋を呼んだのだと思う。

 私がうつ病に罹った要因の一つには、彼を死に追いやったという自責の念があったのかもしれない。そう考えると私は、これまで色々許されない事をしてきたものだと、今更ながらに後悔している。

 だけど結果的に邪魔者が消え、長期に渡り夢見ていた愛可理と結ばれたんだ。そう思えば、私は幸せだったよ。愛可理が望んでいた、お姫様抱っこも出来た。しかも十年以上夫婦でいられたのだから、悔いはない。

 ただ心苦しく思う点は、愛可理に殺人犯の妻という汚名が残ってしまう事だ。しかし殺人の時効が撤廃されたとはいえ、この動画が表に出たとしても、とっくに事故で処理された案件を再捜査し、被疑者死亡で起訴出来る程の証拠はないはずだから、安心して欲しい。

 だけど念の為に愛可理がこの動画を見たのなら、他人の目に触れる前にスマホを破壊するなりした方が良いだろう。データ消去程度だと、安心できないからね。 

 万が一、これが愛可理以外の人が視聴しているならば、あなたは見なかったことにして下さい。本来目を通すことが出来るのは、私の妻だけなのですから。

 もし他人のスマホを盗み見て、それを証拠として公にしても無駄です。私が殺した証拠など、残っているはずもない。もちろんこれまで使った写真なども全て処分しています。よって警察も、そう簡単には動かないでしょう。

 これを使って愛可理が脅されるような真似をしたとしても、彼女は迷わず警察に通報するだろう。彼女は私がそんな事をするはずなど無いと信じているからだ。

 それにこれまでの私の告白は、コロナに侵されまともな状態でない中で述べた、単なる戯言だ。警察が立証できるようなものではない。

 最後にもう一度言う。私がこの世に生まれてから、ずっと愛し続けて来たのは、愛可理だけだ。過去に付き合った女性は、全て彼女を心から幸せだと思わせる男になる為の、修行の一環に過ぎなかった。それだけは信じて欲しい。

 本当はもっと長く、愛可理の傍にいたかった。でもこれが私の寿命だとすれば、諦めるしかない。一幸やりん姉のように、人はいずれ死ぬのだから。

 これまで本当にありがとう。何度も言うけれど、愛可理が幸せであれば、それだけで良い。だから私がいなくなった後は、幸福にしてくれる人を見つけてください。それが私の最後の願いです“                 

 動画はここで終わっていた。庭を歩くアリの長い列をじっと眺め、母親や周囲の子達に、愛可理と結婚すると公言していたあの幼いこうちゃんの姿が目に浮かんだ。

 彼はあの頃から本気で、愛可理の事を想い続けてくれていたらしい。確かにあの頃、お姫様抱っこされるのが夢だと言っていたことがある。それを彼は聞いていたのだろう。

 その願いを叶える為に、彼は努力し続け立派な男になったのだ。殺人まで犯し脅迫めいたことをしたのも、全て愛可理の為を想ってのことだった。

 一幸の死は、愛可理にも責任がある。りんを慕って上京して来た彼だったが、相手にして貰えなかったからだろう。本気で愛可理に好意を持ってくれていたことは、ちゃんと気付いていた。

 だから雅史と別れた後、彼を呼び出しキスまで許したのだ。動画では触れていなかったが、彼はその事を知っていたに違いない。だからこそ、一幸を排除しようとしたのだろう。

 殺してしまったのは、公園での事件が起こったからだ。そうでなければ、頭の良い彼なら長谷川達を遠ざけたように、別の手を使っていたとしか思えない。

 次長の自殺だって、愛可理が彼と不倫等という愚かなことさえしなければ起こらなかったはずだ。そう考えれば、自分も同罪と言える。

 彼が犯した罪は、決して許されるものではないだろう。けれどここまで愛可理を本気で愛し、大事に想ってくれた彼を恨む気にはなれなかった。

 それに結局、三高の男に育った彼を選んだのは自分だ。一幸の情熱に気づきながら、学歴を持たない彼を相手にしなかったのがその証拠ともいえる。また長谷川を含め、これまで付き合った相手は皆、三高の条件を満たした男達ばかりだった。

 光輝に幼い頃から言い続けて来たことも、全て愛可理の願望であり、純粋な彼はそれを鵜呑みにして育っただけなのだ。

 彼に告白されプロポーズをされた時も、心から喜んだ事に嘘はない。その後の結婚生活だって、全くと言って良いほど不満はなく、とても幸せだった。

 この世の中で、これほど他人から愛された事がある人などそうはいないだろう。しかも愛可理のように責められる事はあっても、決して褒められない男への依存度が高い人生しか送って来なかった女であるにもかかわらず、だ。

 そう思えた為、愛可理はスマホの電源を切った。そこでビニールシートを敷いた上で厚手の手袋を嵌め、家にあったドライバーの柄の部分で粉々に砕いた。それを燃えないゴミに混ぜて捨てたのだ。

 間違いなく清掃業者が運んでいく様子を窓から確認した愛可理は、これからの事を考えた。決して忘れられない喜びと哀しみ、後悔と苦悩を抱え、どうやって生きていけばいいのか。心の中でいつまでも光輝の名を呼び、問い続けながらこれまでの人生に思いを巡らしたのだった。(了)

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