いらえ
浅骨顕
応え
昔、よくじいちゃんに言われました。
八幡様の森には入ったらいかん、あそこは禁足域じゃけ、入ったらバチが当たるで、って。
八幡様ってわかります?神社の種類っていうか、かみさまの違いっていうか、なんかあるじゃないですか。天満宮とか、八幡宮とか。それですね。
うちの地域には一個だけ神社があったんですよ。まあ境内とかそんな広くないし、ほんとあるだけみたいな。今年に入って宮司さんも入院してしまったらしくて、地域のみんなで当番で清掃してましたね。私も行ったことあります。
で、八幡様の森、なんですけど。
あそこの神社、言っちゃなんですけど、境内自体はそんなに広くないんですよ。国道脇だし。でもそれとは別に境内と同じぐらい、なんなら境内よりでかい森があるんですよね。
よくわかんないけど巨樹群?の天然記念物とか認定されてて、けっこう木の一本一本がデカいんです。で、それが密に生えてる。森のエリア自体は周りをぐるっと走ったら1分かかんないくらいだと思うんですけど、森の片方から向こう側は見えないです。木が密すぎて、昼でもけっこう暗くて。叫んでも、反対側には声も届かないんですよね。
で、一応周りには細いしめ縄でぐるっと囲まれてて、簡易的な鳥居の看板みたいなのも立ってます。入らないようにってことなんでしょうね。
ここだけは、ほんとに人が入っちゃいけないんです。年に一回、木の剪定する人が宮司さんと一緒に行くってのは聞いたことあるけど、ほんとその時ぐらい。それも剪定と落ち葉の掃除済ませたらさっさと出てくるし。
そう、落ち葉。たしか針葉樹なんですよ。枯れて色の抜けた、細い針みたいな葉っぱがわらわら落ちてて、地面が見えないくらい覆ってるんです。なので詳しくはわからないんですけど。
なんか、井戸あるらしくて、あそこ。森のちょうど真ん中らへんに、低い囲いのある井戸が。よく時代劇とかでみるみたいな屋根とかつるべ落としとかもなく、ほんとに穴だけの井戸。昔は新年の若水とか、御神酒作りのお水をそこから引いてたらしいんですけど、今は枯れちゃったらしいです。で、ただでさえ目立たないのに、その低い囲いの上に今は蓋がされてるらしくて、それに葉っぱも積もっていってるんでしょうね。遠目では井戸なんてわかんないです。私も見たんですけど、本当にあるのかな、みたいな。
いや、確かめようがないですけどね。禁足域だし。
これは、じいちゃんが若い頃の話なんですけど。
まだうちの集落に人がいっぱいいた時代の話です。じいちゃんの親戚に、すごくやんちゃな子がいたらしくて。じいちゃんの甥っ子にあたったらしいんですけど、元気で人懐こくて、でもちょっと元気すぎるきらいがあったそうです。
いるじゃないですか。はしゃぐと、異様に声が大きくなる子どもって。大人が注意して一旦静かになっても、ぼそぼそ喋り出したらまただんだん声が大きくなるような、そういう感じ。今でもそういう子、よくいますよね。たぶん止められないんでしょうね。とにかく声が大きくて、ふだんの行動も雑な子だったらしくて。まあまだ子供だしってことで、大人はその場を嗜めるくらいで、特に何も思ってなかったそうです。
でもその子がある日、夕方になっても帰って来なくなりました。一緒に遊んでた子たちに聞いたら、神社で遊んで、そこで解散してからは見てないと。慌てて村総出で探してたら、神社の森の近くにきた1人が「ゆうちゃんの声がする」って言ったそうです。あ、ゆうちゃんって、そのじいちゃんの親戚の子ですね。
で、周りも耳を澄ませたら、たしかに聞こえてくる。
大きな声で、かあさああん、おじちゃああんって泣いてる声が、もうわんわん聞こえる。なにか深いところから声が跳ね返って、反響するようなその声が、禁足域の方から聞こえてきたそうです。全員真っ青ですよね。
慌てて宮司さん呼んで、森の中に入ってみたら、やっぱり井戸に落ちてるみたいで、井戸に近づくたび、ゆうちゃんの声が大きくなっていくんです。
皆で落ち葉で足場が悪いのを走って、一番最初に井戸に着いたじいちゃんが、ゆう、ゆう、大丈夫かあ、って言いながら覗き込みました。
そしたら、いたんです。ゆうちゃん。いたにはいたんですけど。
薄暗い井戸の中でもはっきり見えたらしいんですけど、ゆうちゃんの首、きれいに曲がってたんです。身体が地面を向いているのに、頭はじろっと上を向いてて。枯葉の積もった井戸の底に尋常じゃない血が広がってて、じいちゃんすぐに、あ、これは駄目だってわかったらしいです。助からないって。
それで、明らかにおかしい方向にねじ切れたその首を、誰かが持ってたんです。おじいちゃんが言うには、それは「真っ黒で、人ぐらいの大きさをした、ねばねばしたなにか」でした。目も、口も、何もない、泥みたいな、べとべとしたおおきいもの。井戸の底からでもわかる腐臭がすごかったって言ってました。あれは、生き物が生きたまま腐った匂いだって。死んだばかりのゆうちゃんじゃない。あの黒いなにかから臭っていたそうです。じいちゃん、戦争を生きぬいた人だからそういうのに詳しくて。やっぱ前にも体験したんでしょうね、こういうこと。
それは人間みたいに膝を着いて、そのうえに奇妙に伸びきったゆうちゃんの首を置いていました。ちょうど膝枕するみたいに。
そしてそれが、黒くてべたべたしたそれが、ゆうちゃんの顎を掴んで動かすんだそうです。腹話術の人形を動かすみたいにして、口を開いて、閉じてってして。そうすると、その口の動きに合わせて、黒い何かの背中の辺りから、ゆうちゃんの声がするんです。
ゆうちゃんの口は上に向いているのに、声は黒い何かの背中から滲み出ているから、井戸の壁に反響して大きく聞こえるんです。
かあさああぁん、おじちゃああん、って。
その井戸、すぐに閉めたらしいです。
コンクリで蓋閉めて、上から石乗せて、注連縄巻いて。ゆうちゃんですか?そのままですよ。
あれはゆうちゃんを抱えていたから、ゆうちゃんを引っ張ろうとしたら出てきちゃうでしょう。どうしようもなかったと思いますよ。
ええ、まだ中にいると思います。だって、今でも時々聞こえるらしいんですよ。
蓋に塞がれてくぐもった音で、かあさああぁん、おじちゃああん、って。小さい男の子の声で。
呼ぼうとしてるんでしょうねぇ。多分、誰でもいいんだと思います。初めて聞いた声がゆうちゃんの声しかなかったから、ずっとその子の真似してるんでしょうね。誰かが来てくれるまで、ずっと。
ところで、来月なんですけど。
禁足域の木、剪定があるんですよね。人手が足りなくて。ダメですか?
時給、出るんですけど。
いらえ 浅骨顕 @Asahone_akira
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