case.11-2

「リリー。リリー、行くよ! ほら、トランペット持って!」

「え、アリア? え?」




 それから数分後。私は急いで女子寮へと戻ってヴァイオリンを回収し、リリーの部屋に突撃した。あの子は突然のヒロインの訪問に混乱したようだが、思ったよりすんなりと、私の言う通りにトランペットを持って出かける準備をしてくれたので、ある程度の予想はついていたのかもしれない。


 先生の考えはシンプルだった。ゲーム通りの展開ならば待っていればいい。なぜかってそれは、主要キャラが全員学院に揃っているから。でも、ゲームとは違う展開で部長さんが戦っているというのなら、その現場に駆けつけた方がいい。なぜかってそれは、そうしなければ自分たちは揃わないから。





 高橋と雨宮はラルフを迎えにいき、私はリリーを迎えにいって、そのまま厩舎に集合することになった。学院で世話をしている馬を勝手に連れ出していいのかは疑問だけど、いまなら生徒たちは寮にいるし、教師たちは職員会議が白熱している。何をしたところで咎める人間はいないだろう。


 真面目なラルフをちゃんと連れてこられるのかが不安ではあったが、なんやかんや後輩に甘いラルフは二人の誘いを断れなかったようだ。こういうところが可愛いと言われる所以か。しかし、さすがにこの状況には不信感を抱いたようで、ラルフは眉根を寄せてこの謎の集まりを見渡した。




「一体何なんだ。まさか、今からアンサンブルでもするつもりか?」

「まあまあ」

「俺だって演奏は好きだが、さすがにこんな、訳もわからず休校になったような日に出歩くのはどうかと思うが」

「まあまあまあ」

「しかもユリウス先生は職員会議中では」

「まあまあまあまあ」

「え、ちょっと」




 先生はラルフの言葉に適当に答えながらリリーを優しく馬に乗せてやり、その後ろに無理矢理ラルフを乗せた。可愛いリリーの安全がかかっているとなれば、いくら不信感を抱いていようとも真面目に馬に乗らざるを得ない。あえてリリーを前にしてラルフが支えてあげないといけない形を取った辺り、なかなかの策士である。本当は自分があの子と一緒に乗りたかったろうに。


 それから先生の後ろに雨宮くん、高橋の後ろに私という組み合わせでそれぞれ馬に乗る。高橋に密着しなければならないのは微妙な気分だが、落馬なんて怖すぎるのでしっかりとしがみつかせてもらおう。楽器ケースのストラップを肩に掛けて馬に乗らなければならないのは、なかなかに不安定で心配ではあるけれど、そんなに大きな楽器というわけでもないのでなんとかなりそうだ。というか、ラルフも先生も高橋も当たり前のように馬に乗っているけど、乗馬も貴族の嗜みなんだろうか。雨宮くんだけはちょっと不安そうにしてるけど。私たちの中では一番大きな楽器ということもあるし、いろんな意味で危なそうだ。でも残念ながらどうしようもない。頑張れ、雨宮くん。





 状況がさっぱり飲み込めてないであろうラルフのことはかわいそうだと思うけど、説明できることなんて一つもないので、なし崩し的に馬を走らせる。向かうは例の音が聞こえてくる方向、ちらちらと光が見えるあの方向だ。ラルフはなんともいえない顔をしつつも、どうやらきちんとついてきてくれる気はあるようだ。最悪の場合、一緒に来てくれない可能性もあったわけで、そうならなかったという事実にすごくホッとする。これも生徒会に入り、地道に仲良くなった成果だろうか。それともただ単に、リリーが一緒にいるからか。


 とにかくそうやってしばらくは静まり返った街中を走っていたけど、やがて視界は開け、見渡す限り草原が続くようになった。まるでスライムでも出てきそうな光景だ。まあ、スライムが出てくるようなゲームなんてやったことないけれど。何となく、イメージ的に。そしてそんな、スライムが出てきそうな広大な草原で。私たちはついに目撃してしまった。もやもやとした黒い物体を。あれが、あれが魔物なのか。ゲーム画面では見ていたけれど、実際に見ると想像以上におどろおどろしい。なんなのあれ。なんで流動体なの。絵だとそんなに気持ち悪い感じはしなかったのに、これはダメだ。


 爆発音に混じっていろんな楽器の音が聞こえてくるから、魔法省の人とかがあちこちで"FAIRY NOTE"を使ってるんだろうけど、あんなのと戦えるなんて普通に凄い。そして、その中には部長さんもいるのだと思うと、心から尊敬せずにはいられなかった。あの人、ただの吹奏楽好きの変な人じゃなかったんだな。




「いたぞ、あそこだ!」

「!」




 私が心のなかでそんな失礼なことを考えていると突然、先生の声が鋭く響いた。どうやら部長さんを見つけたようだ。




「は? 会長? え、なんなんですか、これ」




 ごめんね、ラルフ。全く情報を与えずにここまで連れてきちゃって。ゲームなら実際に魔物を目撃する前に、魔物増殖の話を聞けてたはずなのにね。でもね、正直ラルフのことを気遣ってあげる余裕はない。だって、目の前に飛び込んできた光景に思考が追いつかない。なんか思ってたのと違う。私はてっきり、部長さんは魔物たちと激戦を繰り広げているのだと思っていた。いや、まあ間違ってはいない。確かに部長さんは魔物と戦っている。でも、違う。部長さんが本当に戦っているのは、魔物のその先にいるもの。激情をぶつけるかのようにヴァイオリンをかき鳴らし、その音色に合わせて次々と魔物を生み出している人物。


 そう。部長さんが戦っている相手は、紛れもなく普通の人間だったのだ。









「おい、誰だよあれ。あれもゲームの登場人物なのか?」

「いや、知らない。あんな人、ゲームには出てこない」




 恐らくラルフ以外の全員が思った疑問を、高橋が言葉にする。しかしあんな、癖のある明るい金髪に金の瞳を携えた男性なんて、このゲームに出てきた覚えはない。強いて言えば、ヴァイオリンにありったけの憎しみをぶつけるかのようにして演奏しているあの感じは、ラスボス隠しキャラのリオンに似ていると言えなくもないけど……はっ、そうだ。ゲームではリオンがヴァイオリンで闇魔法を発動して、魔物を増やしまくってた。あの男がやってることって、まさにリオンがやるはずだったことそのものだ。つまり、部長さんがリオンになってまっとうに生きたおかげで隠しルートに入るフラグが立たなかったから、変わりにあの男がそのフラグを立てたってこと?




「考えている時間はなさそうだ。いろんなやつらが魔物を減らすために四苦八苦しているようだが、それ以上にあいつが魔物を増やすスピードの方が早い。このままだと本当にバッドエンドになるぞ」

「でも先生。部長の周りはなぜか特に魔物が多くて、これでは近づけません」

「確かにあそこだけ凄いことになってるな。あの男が近くにいるせいか……、いや、でも待てよ。今あいつがサックスで吹いてるの、ちょうどあの曲だな」




 部長さんが奏でているのは、もうこれまでに何度も聞いたこのゲームのオープニング曲。その音色からは眩いばかりの光の粒が溢れ、途切れることなく襲いかかってくる魔物の群れを次々に消滅させていた。ただの黒いもやもやなので、魔物の表情はわからない。でも消滅の間際、光に触れた魔物たちは凄く苦しんでいるようにも見える。闇は光に弱いということか。そして、その様子をしばらく難しい表情で眺めていた先生は、やがて何を思ったか雨宮くんに馬から降りるよう促し、それから自分も地面へと着地すると楽器ケースからヴィオラを取り出した。




「近づくのは無理だが、音は届く。あいつの演奏に合わせるぞ」

「うっ……それしかないか」




 高橋は嫌そうな声を出すけれど、声とは裏腹に軽々と馬から降りる。他に方法はないとわかっているからだろう。何も理解できていないであろうラルフも、先生の真剣な様子に感じるものがあったのか、素直に馬から降りた。それからリリーを抱き上げるようにして、そっと地面に降ろしてあげる。


 おーい高橋くん。ラルフを見習ってお前も私に手を貸したらどうだね。私、一人で降りられる気がしないんだけど。しかし、魔物だらけのこの状況に意識が向いているからか、今の高橋は気を利かせる余裕がないようだ。そして、そんな高橋に代わって私を助けてくれたのは雨宮くんだった。後輩の方が行動がイケメンである。高橋は根が優しい人間ではあるけれど、こういうところは残念だ。




「ユリウス先生。今から会長に合わせてあの曲を演奏するということですか。この状況で?」

「この状況だからだよ。大丈夫だラルフ。お前ならやれる」

「なんというか、皆、何かを理解した上でここにいるようですが。俺にはさっぱりなんですが」

「あの、ラルフ先輩」

「リリー?」




 そのとき、ラルフは周囲に合わせてトランペットを取り出しながらも、ふと当然の疑問を口にした。むしろよくここまで付き合ってくれたと思うよ。本当にラルフだけは何にも知らないわけだからね。でも、先程先生が言ったように考えている時間はない。もたもたしてると、せっかくここまで来たのに魔物に襲われてバッドエンドを迎えてしまう。だから私たちは何としてもラルフを言いくるめなければならない。そして、そんな状況を察したか、あの子はラルフに声をかけ、真っ直ぐにその目を見つめた。




「先輩、一緒に演奏しましょう」

「しかし、」

「私は。今ここで。この6人と、それから生徒会長とで、演奏がしたいです。ダメ、でしょうか……?」

「うっ……」




 胸の前で手を組んだあの子が、伺うようにして首をかしげる。あ、あざとい。でも可愛い。


 ヒロインの親友が攻略対象にそんな態度を取るなんて普通ならありえないことだろうし、普通ならそんなありえないことをあの子がすることはないだろう。しかし、今はそうも言ってられない。ラルフが折れてくれるならなんでもいい。実際のところ、リリーのおねだりはラルフに効果抜群のようだった。眼鏡をくいっと押し上げながら、仕方ないなあなんて空気を醸し出している。案外ちょろいなラルフ。


 うん。どうやらこれで、準備は整ったようだ。

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