case.11-1

 部長さんが魔法省へと出発した翌日。さっそくラルフがリリーを誘い、一緒にトランペットを吹いていた。先を越された感が半端ない。もちろん私がヴァイオリンを持っていけば二人は喜んで迎えてくれるだろうが、しれっと雨宮くんも混ざっているせいで演奏レベルがえぐいことになっている。あそこに入る勇気は私にはないわ。仕方がないので、例のオープニング曲の練習は高橋と先生と一緒にすることにした。




「いや仕方がないってお前」

「しょうがないじゃん。高橋だってあそこに入る勇気ないでしょ」

「まあな」




 演奏上級者たちと一緒に練習した方がぐんと上達しそうな気もするけど、こっちにだって幼少期から楽器を弾いてきた王族と天才教師がいるのだ。レベルとしてはそんなに負けていないはず。多分。


 そうやって一週間ほどは何事もなく過ごした。学院で授業を受け、生徒会の仕事をし、楽器を弾く。平和な日常だ。こんな日がずっと続いていけばいい。魔物のことは魔法省がなんとかしてくれて、私たちはその存在すら知らずに過ごす。そうできればどんなによかったか。しかし残念ながら、結局ここはどうしたってゲームの世界であり、私たちは主要キャラなのだ。シナリオを盛り上げるための山場があって、それを私たちキャラクターが乗り越えていくような場面がなければ、ゲームとして面白くもなんともない。


 つまり何が言いたいのかというと。皆で力を合わせて大団円を目指すような隠しルートのストーリーが発生しないなんてこと、あるわけがないということだ。









 部長さんが魔法省に出発してから8日後のこと。いつも通り普通に授業を受けていると、突然校内がざわざわしだした。なにやら教師たちが慌ただしい。クラスの扉が荒々しく開けられたかと思えば、授業中の教師すら連れていかれる。クラスメイトたちは突然のことに呆気にとられ、ぽかんとしていた。麗しの貴族様方のそんな間の抜けた様子に、普段ならばおかしさがこみ上げていたことだろう。しかしこのタイミング、さすがにピンときてしまう。これまで魔法省が何とか抑えてきた魔物たちの謎の増殖が、いよいよ手に負えないほどに本格化してしまったに違いない。


 授業はしばし自習となったが、結局そのまま休校となり、寮への帰宅を促された。どうやら状況はかなり悪そうだ。私は一旦あの子と共に寮へと戻ったが、隙を見てこっそり先生の部屋へと向かう。するとそこでは、すでに高橋と雨宮くんが待ち構えていた。




「遅かったな、篠原。雨宮と二人きりというのは、精神的になかなかつらかったんだが」

「別に僕は何も言ってないでしょう」

「態度が俺を嫌いと言っている。せめてもう少し隠してほしい……」

「今さら隠しても意味ないんじゃないですか」




 確かに、雨宮くんが急に大人の対応で高橋に愛想よくしだしたら、一体何を企んでいるんだと訝しんでしまうだろう。余計に精神に負荷がかかるわ。




「二人きりってことは、先生はやっぱり戻ってない?」

「ああ。きっと職員会議でもしてるんだろうな。魔物対策会議的な」

「魔物なんて単語、大人たちの口からは全く出てこなかったけど、タイミング的にはやっぱりそういうことだよね」

「そういうことじゃなかったら逆に怖いよな。何が起こるかわからなすぎて。はあ。とりあえずお茶飲も」




 勝手知ったるなんとやら。高橋は重たいため息をつきながらも、先生が育てたというお茶の葉をてきぱきと3つのコップに投入してお湯を注ぎだした。お湯を沸かした状態のポットがあるなんてさすがは先生だ。


 お茶を飲んで一息つくと、やがて雨宮くんの音楽講座が始まった。あの子お手製のスコアを見ながら、表現がどうだアーティキュレーションがどうだブレスがどうだといったことを熱く語る。私と高橋はその熱量についていけないのでほぼ聞き役に徹しているけれど、知っている曲、特に自分が演奏する曲の講釈というのは以外と面白い。あの子と部長さんの音楽に関する議論が白熱する理由も、今ならわかるような気がした。









 そんな時間を過ごして夜も更けてきた頃、ようやく先生が帰ってきた。かなりぐったりした様子で、力尽きるかのようにドサッとソファーに座り込む。さすがにかわいそうに思ったのか、高橋は先生にそっと温かいお茶を差し出した。




「ありがとう。その優しさが身にしみる……」

「相当参ってるな。魔物たち、やばそうなのか?」

「魔法省からついに通達があったらしい。森から魔物が溢れつつあって、人間が住むエリアが浸食されるのも時間の問題なんだと」

「うわぁ。いよいよ全員死亡のバッドエンドフラグが立ったか。つーか、先輩から何も音沙汰なくね?」

「それな。職員会議で話題の中心だったぞ」

「?」

「あいつが魔物退治させられてるってこと、ほとんどの教師が知らなかったんだよ。それで子どもになんてことさせてるんだって怒り爆発。今もまだ職員会議で盛り上がってると思う」

「先生、こっそり抜けてきたんですか。というか、そもそもなぜ教師の皆さんが知らなかったんですか。僕たちが魔物のことを知ったのは反則みたいなものですけど、教師が知らないっておかしいですよね」

「魔法省としては、こんなに大事にするつもりはなかったんだろうな。生徒一人なら口止めも簡単だし、内々で解決したかったんだろ。まあ、結局無理だったわけだが」




 魔物に生活を脅かされるなんて事が今まで全然起こったことがないから、まさかこんな事態に発展してしまうとは誰も思わなかったのだろう。ちなみに当然ではあるけれど、ゲームでは学院の生徒が魔法省に招集されるなんてイベントはない。原作にないストーリーを生み出すなんて、部長さんはもしかするとこの世界で最も最強の人間なのだろうか。


 とまあ、そうやってしばらくは先生の話を聞いていたわけだが、部長さんのことといい、職員会議はあまり生産性のない内容だったようだ。責任の押し付け合いだったり、保身に走ったりということが起こるのは、どこの世界でも変わらないようである。


 「子どもになんてことをさせてるんだ」って言葉は一見すると生徒思いのようでもあるが、結局はそれを知った上で隠していた上層部に対するただの文句だ。そしてその上層部は、全ては魔法省が悪いと怒りの矛先をすり替える。魔法省からすれば、国を守るためにできる限りのことをやっているのに文句を言われる筋合いはないと不満が募る。地獄のような悪循環が完成してしまった。


 これもう一番かわいそうなの部長さんだよ。だって、私たちに全く連絡がこないってことは、そんな暇もないくらい忙しくしてるってことでしょ。少しでも被害を抑えるためにずっと魔物と戦ってるってことでしょ。責任の所在を問うより先に、大人たちはもっと部長さんに感謝した方がいい。









 それから職員会議の話題が一段落した頃。先生がふと疑問を漏らした。




「なあ、篠原。ゲームでは魔物たちが学院まで押し寄せるんだっけ」

「あ、はい。主要キャラは全員学院にいるわけですからね」

「なら俺たちはこのまま待ってればいいのか。それとも、片桐を助けにいった方がいいのか……ん? なんだ、今の音」




 先生は恐らく、今後の方針を考えようとしていたのだと思う。ゲーム通りに魔物がやってくるのを悠長に待っていてもいいのか。今このときも戦っているはずの部長さんの加勢に行った方がいいのか。しかし、そんな思考はどこからか響いてきた爆発音のようなものに遮られた。それはまるで、もの凄く遠い場所で打ち上がっている花火の音がここまで届いてきたかのような、ほんのささいな音。しかし、断続的に響き続けるその音は、私たちの不安を大いに煽った。




「なんか、音がする方角に変な光も見える気がする。そこら辺を爆破でもしてるのか……?」

「いや。これってもしかして、魔物との戦いの前線がこっちまで下がってきてるんじゃ……」




 高橋がぽつりと漏らした言葉に、私はぼんやりと浮かんできた予感を呟く。増殖した魔物たちは人間が住む街へとどんどん近づいていくわけだけど、魔法省だって当然、その間も戦い続けているのだ。この不安を煽る音も、怪しい光も、誰かが魔物たちと戦闘している証しなのだと考えるのが一番自然な気がした。




「なるほど。待ってればここまで魔物が来るっていうのは確からしいな。さて、俺たちは待つべきか、攻めるべきか……」




 腕を組んで真剣な顔で思考を巡らす先生を、私たちは緊張の面持ちで見つめる。この中で一番知識があるのは私だけれど、さすがにここは重要な分岐点であるので、先生に判断を仰ぎたい。だって先生だからね。間違いなく頭いいからね。


 そうして長くも短くも感じられた沈黙の後。考えをきっちりとまとめたらしい先生は、重々しい声でこう告げた。




「よし。行くか」

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