case.10-3

 翌日の放課後。いつものようにリリーを誘い、ノアと3人でアンサンブルをする。本当はすぐにでも魔法省に向かった方がいいのかもしれないが、その前にあの子にも魔物のことを話しておいた方がいい気がしたからな。なんたってあの子は、この世界で一番この世界のことを知り尽くしている人間だ。バッドエンドを回避するための行動だって、俺たちより的確にできるに違いない。


 だから俺はアンサンブルを終えた頃、彼女の前にうやうやしく膝を付き、そっと片手を差し出してこう告げた。




「リリー。俺は君が欲しい」

「……?」

「!?!?」




 おっと。どうやら言葉選びを間違えたようだな。あの子は怪訝そうな顔をしているし、雨宮ときたら物凄い形相で俺の肩を揺さぶりだした。ごめん。謝るからやめてくれ。ごめん。痛い。でも別にふざけて言ったわけじゃないんだ。大量の魔物を倒すには、知識があって演奏技術もずば抜けているあの子が絶対に必要。つまり、あの子が欲しい。ほら。つまりはそういうことだろう。あ、何かくらくらしてきた。


 そんな俺たちの戯れを、あの子はしばらく不思議そうに眺めていたわけが、やがてハッとした様子で近くに置いてあった鞄を引き寄せる。そうして中から取り出した紙の束を、差し出したままゆらゆら揺れている俺の手にぽんっと乗せた。一体何だ。反射的に掴んだそれを見てみれば、それはどうやら楽譜……いや、スコアだな。7つのパートがずらりと並び、音符たちが自由気ままに踊っている。そして、この音符たちが象っている、この曲は……。


 まじまじと紙束を眺める俺に何か感じ取ったのか、雨宮も肩を揺さぶる手を止めて覗き込んできた。そのまましばらくスコアを読んでいたようだが、ふと息を呑む。どうやらこいつも気づいたようだな。そう、この曲は。俺たちでよく三重奏をしている、このゲームのオープニング曲。それを新たに七重奏にアレンジしたものだった。




「リリー。これって」

「……実際に"そのシーン"で流れる曲にするか、少し迷いました。でも、やっぱりこの曲のほうが皆の耳に馴染んでていいかなと思いまして」

「リリー……結城……」

「本来の編成と比べるとトロンボーンがいる分厚みがありますし、人数も一人多い。このメンバーでならきっと、これまでの人生で一番楽しい演奏ができますよ」




 言い方は遠回しではあるが、つまりはこのゲームのヒロインとその親友、攻略対象たち、そして俺の7人でこの曲を演奏し、魔物を一掃してやろうってことだ。七重奏によって"FAIRY NOTE"という大魔法が発動するなんて、それはもうこれまで味わったことがないほどに楽しいに違いない。


 やっぱりあの子はすでに備えていた。隠しルートに進む可能性を考えて、俺たちがいつでも共通の曲を演奏できるようにと譜面を考えてくれていた。隠しキャラであるはずの俺がここにいる以上、あの子にだってこのルートの結末はわからない。しかしそれでも、俺たちならばきっと現状を乗り切れると信じてこのスコアを託してくれたのだ。ならばその期待には答えねばならないだろう。


 それは、このゲームが大好きで、ずっとこのゲームの役に徹し続けていたあの子がこの世界で初めて見せた、結城奏としての穏やかな顔だった。









「それじゃあラルフ。また少しの間学院を空けるけど、後のことはよろしく」

「はあああ」

「そんな、あからさまに大きなため息つかなくても」

「ため息をつきたくもなりますよ。せっかく戻ってきてくれたと思ったのに」




 夕方から夜へと移り変わろうとする宵の口。また魔法省へ行かなければならないことを伝えると、ラルフはむすっとして俺を睨みつけた。俺がいないと寂しいなんて、全くかわいい奴め。え、そんなこと言ってない? いーや、俺には聞こえた。絶対聞こえた。




「そう拗ねないでくれ。いいものやるから」

「拗ねてません……いいもの?」

「ほら」

「なんですこれ。スコア?」




 音符の羅列に興味を惹かれたのか、ラルフは不機嫌なオーラを潜めると俺が渡した紙束へと視線を落とした。心なしか目を輝かせているようにも見える辺り、やはりこいつも音楽バカだ。あの子が懐くのもよくわかる。




「この曲って、前に会長が教えてくれたあれですよね。パートは7つになってますけど」

「ああ。リリーお手製のスコアだ」

「え?」

「リリーがぜひ7人で演奏したいって言ってたから、しっかり練習しとけよ?」

「リリーが。そうですか、リリーが」




 ラルフは平静を装って再び紙束に視線を落とすが、その口元は緩んでいる。最近はずっと俺がリリーを演奏に誘っていたものだから、やはり寂しがらせてしまったか。しかしまあ、嬉しそうなところ申し訳ないが、7人で演奏するときがくるということはつまり、魔物が森から溢れ出すときがくるということだ。きっとラルフが思っているような心地よい演奏空間にはならないだろう。ごめんな、ラルフ。君だけ蚊帳の外で。でも俺は信じているよ。君ならきっと、どんな状況でだって、俺たちとの演奏を楽しんでくれるということを。




「そういえば、会長に会う前からリリーはこの曲を知っていたようですけど、これってそんなに有名なんですか。俺は会長から教わるまで聞いたこともなかったんですが」

「えっ、あー。まあ、有名といえば有名だな。でも有名ではない」

「は?」

「ま、まあいいじゃないか。いい曲だろ?」

「それは、まあ」

「じゃ、そういうことで」

「あ、ちょっと」




 これはこのゲームのオープニング曲だから、知っている人の間では有名だ。だなんてNPC相手に言えるわけもない。ラルフは納得いかないような顔をしているが、真面目なこいつを説き伏せるなんて骨が折れそうなので、このままあやふやにしてさっさと去った方がよさそうだ。









 俺とラルフ、それから雨宮は、すでにこの曲をマスターしていると言っても過言ではない。三重奏と比べれば譜面は変わっているが、たいした問題ではないだろう。心配なのは初めて演奏する高橋たちなわけだが……スコアを渡したときの三人の喜びようときたら。あの子が考えてくれた譜面だからか、それとも俺たちに何度も聞かされてなんだかんだで気になっていたのか。両方かな。とにかく、モチベーションが高そうで何よりだ。


 全員で合わせて演奏してみる時間がなさそうなのは怖くもあるが、まあこのメンバーなら大丈夫か。ゲームでもきっと事前に練習なんてしたわけではないだろうし、ご都合主義と言われればそれまでだが、ようは気持ちの問題だ。皆の心が重なることによって大魔法が発動。いいじゃないか、ご都合主義。それで命が助かるのなら安いものだ。




 というわけで後ろ髪を引かれつつも俺はまた魔法省へと戻ってきたわけだが。




「やあ、待っていたよ。では行こうか」

「え?」




 なぜか偉い人にわざわざお出迎えされた。そしてそのまま森の近くに構えてある拠点へと連れていかれた。どういうことだ。まだ夜なんだが。魔法省が俺のために用意してくれた部屋に直行して寝る気満々だったんだが。嫌な予感しかしないな。


 面倒事はできる限り避けたいところだが逆らうわけにもいかないし、戻ってきた目的を考えれば貰える情報は貰っておいた方がいいので、仕方なく物見台に登って森を見渡す。明かりはあるが、広い森をカバーできるわけもないので暗闇しか見えない。しかし、その暗闇こそが答えだった。闇の中でうごめく闇。ドロドロというか、もやもやというか、とにかく輪郭のはっきりしない、闇色の個体。




 その夜俺が見たもの。それは、この広大な森を覆い尽くすほど増えに増えまくった、大量の魔物たちの姿だった。

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