case.7-3

 15歳。俺は魔法学院に入学するため、家を出て寮生活をすることになった。魔法のない世界で育った俺に、本当に魔法が使えるのかは疑問だったが、どうやら俺には膨大な魔力量があるらしい。試しに水のイメージを浮かべて杖に魔力を流してみると、そこら中にシャボン玉が現れて面白かった。まあ、水を思い浮かべてシャボン玉が出てくるというのが正解なのかはわからないが。どんな魔法が発動するかはどれだけ正確にイメージできるかに左右されるらしいので、もしかしたら俺の想像力不足かもしれない。


 こういうの、アニメとかが好きだったあの子なら得意そうだなとふと思ったが、考えるとあの子との演奏が無性に恋しくなってしまうので慌てて頭から振り払った。




 魔法を使うのはなかなか面白いのでもっと上手くなりたいという気持ちは生まれたが、やっぱり楽器を吹く方が好きな俺は、時間さえあれば中庭でサックスを吹いていた。自由に練習室を借りることもできるが、天気がいい日は外の方が開放感があって気持ちがいい。


 しかしある時、奇妙なことが起こった。いつも通りにサックスを吹いていると、なぜか突然そこら中にシャボン玉が現れだしたのだ。杖を持って魔力を流し込んだわけでもないのに、一体どうして魔法を使ったみたいになっているのか。わからないことは誰かに相談するしかないが、そこで俺は少し迷った。相談といっても、誰に相談すればいいというのか。


 この学院にきて魔法は面白いと思ったが、実は俺はこの学院の人間があまり好きではなかった。皆が貴族であり、プライドを持って生きているのが伝わってきてそれが肌に合わない。そして、音楽を魔法のための手段と捉えて、道具として扱っているのが気に入らない。そんな空気に馴染めない。けれどこのままではわけがわからないまま周囲が泡だらけになってしまう。仕方がないのでいったん演奏を諦め、せめて教師の中にでも話しやすそうな人がいないか探してみることにした。


 授業ごとに入れ代わり立ち代わりいろんな教師がやってくる。教育者として全員が当然優秀であり、楽器の腕も超一流だ。しかしやはりというか、音楽魔法を特に重要視しているというのは、生徒も教師も変わらないようだ。とても残念である。


 ただ、そんな中で一人だけ、何となく気になる人がいた。去年学院を卒業して教師になったばかりという、ユリウス・テイラー先生だ。ユリウス先生のヴィオラの音を聴いていると、何となく心が落ち着くような気がする。そしてなぜか、ユリウス先生には初めて会ったような気がしなかった。




「あの、ユリウス先生。ご相談があるのですがよろしいでしょうか」

「ん、俺に相談? なんだろう」

「ちょっと見ていてください」




 とりあえずユリウス先生とは仲良くなれそうだと思い、サックスを吹くとシャボン玉が出てくる現象を実際に見せ、事の経緯を話した。するとユリウス先生はとても驚いたような顔をする。




「これは……音楽魔法だね」

「え、これが噂の"フェアリーノート"なんですか。なぜかシャボン玉ばっかり出てくるんですが」

「うーん。意識して音楽魔法を使っているわけではないっていことは……。初めて魔法を使ったとき、シャボン玉が出てきたって言っていたね。その時の印象が強すぎて、無意識にイメージしてしまっているのかもしれない」




 魔法の勉強を始め、魔力をコントロールするという感覚を掴んだことで、無意識に楽器に魔力を流すようになってしまい、たまたま強く印象に残っているシャボン玉が出てきてしまったのではないか、というのがユリウス先生の見解のようだ。




「びっくりしたな。その年齢でそんなことができるなんてすごいことだよ」

「ありがとうございます。で、"フェアリーノート"を止めるにはどうすればいいのでしょうか。これではサックスが吹けないんですが」

「あはは。皆"ふぇありーのーと"を習得するために必死になって楽器の練習をしているというのに、まさかその逆のことで悩む人間がいるなんてね」




 先生には笑われてしまったが、嫌な感じはしなかった。嫌味でもなんでもなく、本当に心の底からおかしそうに笑っている。そしてやっぱり、この先生のことはもっとずっと前から知っているような気がした。


 ユリウス先生は俺にとても親身になってくれ、"フェアリーノート"をコントロールするための特訓に付き合ってくれた。魔法を使うのに必要なのがイメージなら、使わないために必要なのもまたイメージだ。魔法のための音楽と、純粋に楽しむための音楽。これらを意識して切り替える練習をひたすら行った。そして俺はいつの間にか生徒会の役員になっていた。何を言っているかわからないと思うが俺にもよくわからない。


 どうやらユリウス先生は学院始まって以来の天才と言われているらしいのだが、そんな先生に目をかけてもらっている俺が"フェアリーノート"なんて使えるようになったものだから、俺まで一目置かれるようになってしまったらしい。何というか、この世界の人たちは音楽魔法に執着し過ぎではないだろうか。









 2年生。"フェアリーノート"を完璧に使いこなせるようになった俺は、花壇がある中庭の定位置でサックスの演奏を楽しんでいた。音楽魔法を使わないために音楽魔法をマスターしなければならないなんて、きっとこんなわけのわからない状況に陥ったのは俺くらいのものだろう。ユリウス先生が理解のある人で本当によかった。シャボン玉を出しながら演奏するというのも、正直なところ面白いといえば面白いのだが、やっぱり落ち着かないからな。どうせ演奏するなら、自分の音だけに集中できる方がいい。


 そんなことを考えていると、ふと誰かがこちらを見ていることに気がついた。学院の新入生だろうか。トランペットが入っていると思われるケースを抱えて、じっとこちらを見つめている。どうやら俺のサックスの音を聴いているようだ。しかしこれはどっちだ。普通に音楽が好きなのか? それとも"フェアリーノート"待ちか?


 わからないが、とりあえず一曲吹き終わってもその少年が立ち去る様子はなかったので、思い切って声をかけてみることにした。




「一緒に吹くか?」

「!」




 少年は一瞬びくっとしたが、すぐにはっとしたように慌てて頷くと、ケースからトランペットを取り出して俺の方に寄ってきた。そしてこの世界で有名そうな曲を適当に吹いてみると、彼は難なくそれに合わせてくる。どうやらかなりの腕前のようだ。そうして、しばらく一緒に吹いているうちに俺は思った。あ、こいつはこちら側の人間だ、と。


 純粋に楽しく楽器を吹いている様子の1年生。彼の名前はラルフ・ブラウンというらしい。この世界ではなかなかお目にかかれないような考えを持っているっぽい彼に、俺はすぐに好感を抱いた。正直なところ、吹奏楽部ではいつもあの子や後輩と一緒に吹いていたので、一緒に吹きたいと思える相手に出会えない現状には少し不満があった。唯一ユリウス先生は感じのいい人であったが、教師の時間をそうそう独占するわけにもいかない。


 しかし、俺はついに気が合いそうな同世代に出会うことができたのだ。彼と一緒ならきっと楽しく演奏できる。これはもう仲良くなるしかないな。

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