case.7-2

 部内アンコンを終え、コンクールの練習が過熱を極めだしたとある夏の日。4限目に行われた学年集会が思いもよらず長引いたため、俺たち3年生は疲れ果てていた。受験生にとって夏休みは大事な時期だからうんぬんかんぬんという話を延々と聞かされたのだ。


 一部の生徒はもう食事する気にすらならないのか、そのまま体育館でおしゃべりに興じている。まあ気持ちはわかる。俺も正直なところ、あまり空腹は感じていない。しかしこのままここにいたところで特にすることがあるわけでもないので、俺はさっさと教室へと撤退することにした。


 そしてそれは突然起こった。地面が大きく揺れたと思ったら、固定されていないような物がそこら中に散乱したのだ。地震である。建物が壊れるような規模ではなさそうだが、教室のロッカーから荷物が飛び出しているのが見えるので、被害はそれなりに出ているのかもしれない。そして現状を理解した俺はつい考えてしまった。音楽準備室にある楽器たちは大丈夫だろうか、と。幸い朝練のために借りた鍵はまだ手元にある。気付けば頭で考えるより先に、音楽室の方へと勢いよく走り出していた。


 結論から言えば、その選択は失敗だった。なんと、地震の二次災害として火災が発生していたのだ。俺は外に逃げなければならなかった。しかし、音楽室がある上へと向かってしまった。煙というのは、思った以上に上昇速度が速い。俺は何とか音楽準備室にたどり着いたものの、あっという間に煙に周囲を包囲されてしまった。


 だんだんとくらくらしてくる頭を叱咤して鍵を開ける。地震のせいで立て付けが悪くなったのか、固い扉を無理矢理こじ開ける。そこに広がっているのは思った通り、無残にも楽器たちが散乱している光景だった。ああ、なんてことだ。このままでは楽器がかわいそうだ。でも俺にはもう為す術もない。息が苦しい。力が抜ける。意識が遠ざかる。俺はあの子のユーフォニアムのケースへと手を伸ばし、しかしその手が届くことはなく、そのまま視界は暗転したのだった。









 気づくと俺は全く知らない場所にいた。知らない世界。知らない両親。知らない名前で呼ばれる知らない姿の俺。ああ夢かと思って目を閉じるが、何度目が覚めてもやっぱりそこは知らない世界だった。まず魔法が使えるってどういうことだ。そんなの俺も使いたい。


 いや、その前に楽器を吹きたい。結局俺がどうなってしまったのかはわからないが、一応生きているのは間違いないらしいからな。ならばもう楽器を吹くしかないだろう。この世界に吹奏楽が存在するかはわからないが、少なくとも楽器がないなんてことはないはずだ。なかったらこれ以上生きていけない。


 というわけで、ある程度体が成長したのを見計らって親にサックスをねだってみると、思いの外食いつかれた。なんでもこの世界には"フェアリーノート"という最高難易度の音楽魔法があるらしく、その魔法の発動を目指して楽器の腕を磨くことは、貴族の嗜みといっても過言ではないそうだ。ふむ。義務感で音楽をやるなんてなんとも味気ないが、それよりその"フェアリーノート"いう言葉には聞き覚えがある気がするな。一体何だったか。


 そして俺は貴族なのか。そんなことを言われても、階級制度なんてわからないんだが。何となく様々なマナーや教養を身につけなければならないようなイメージはあるが、今のところ厳しくしつけられたような覚えはない。もしかすると身分はそんなに高くないんだろうか。まあ細かいことを気にしても仕方がないか。サックスを吹けるならなんでもいい。


 俺は両親が購入してくれたサックスをありがたく頂戴し、とりあえず演奏を楽しむことに専念することにした。




 8歳の頃。不幸な事故で両親が亡くなった。突然できた知らない両親とはいえ、さすがにこれは堪えた。ずっと大事に育ててくれていたというのに、まさかこんないきなり死に別れることになるなんて。そしてもしかすると、俺の本当の両親にも今の俺と同じ思いをさせてしまったのかもしれないと思うと、何ともやるせない気持ちになる。


 とはいえ、このままずっと落ち込んでいるわけにもいかない。まだ小さな子供である俺は、一人では生きていくことができない。もちろんサックスさえあれば心はいつでも元気だが、衣食住はどうにもならないからな。


 そんなか弱い存在である俺に手を差し伸べてくれたのは、遠い親戚だというガルシア家の人たちだった。その家には俺より年下の女の子がいて、俺には義理の兄として仲良くしてほしいとのことだった。そうして引き合わされたのは、カトリーヌという名の可愛らしい少女。彼女は他所から来た俺に嫌な顔をすることなく、むしろ積極的に話しかけてくれて、とても友好的な態度だ。


 ご両親も優しいし、俺は少しほっとした。そう、温かい家に、確かに安心したのだが。なぜか俺はカトリーヌと仲良くすることができなかった。いや、この言い方だと語弊があるか。別に彼女が嫌いなわけではないし、彼女を遠ざけるような態度を取るつもりもない。表面上はどこからどう見ても仲のいい義兄妹としてやれているはずだ。しかし心が何かを拒絶する。何を拒絶しているのかはよくわからない。


 まあ、この家は俺の家と比べると随分身分が高いようで、俺に対しても立派な教育環境を整えてくれたので、お互いの勉強に打ち込むことで自然と距離は離れていったから結果オーライか。




 そんな生活を続けながら数年が経つと、俺はまた別の家に預けられることになった。頭がよく楽器の演奏もうまいから、もっと質の高い教育を受けられる場所に移ってはどうかと提案されたのだ。中身が高校生である俺は何となくずるをしてしまったような気持ちになったが、その家の伝手があればプロの演奏家に教えを請うことも可能なそうなので、俺はその申し出に一も二もなく頷いた。


 高校ではそれなりに成績はよかったから頭はいい方なのかもしれないが、正直勉強はどうでもいい。いやまあ、最低限やらなければならないことはきちんとやるが。とにかく勉強はそこそこでいいが、ここよりさらに上の音楽環境が用意できるなんて言われたら、そんなの飛びつくしかないだろう。俺は生まれ変わっても結局、音楽からは離れられないらしい。


 新しい家はガルシア家と同じくらい高い身分なようだが、あらゆる分野との交流が盛んなため、教育のための伝手はこちらの方が豊富に持っているそうだ。おかげで俺は高名なサックス奏者から楽器を教わることができることになった。目標が"フェアリーノート"の発動だといういのは揺るがないようで、その点に関してだけは曖昧な笑顔で受け流してしまったが、やはり上手い人から教わると自分がどんどん上達するのがわかる。俺は魔法のことは考えず、純粋に音楽のことだけを考え、演奏の腕を磨いていった。


 ちなみに勉強の方は本当にそこそこでよかったのだが、こちらに関しても大層優秀な家庭教師をつけられてしまった。まあ、好きなことだけを享受するなんてことはできないか。勉強して損をすることは何もないだろうし、せっかくなのでこちらもありがたく学ばせてもらうことにした。




 それと、これはどうでもいいことだが、この家には俺より年上の男の子がいるようだ。ガルシア家のときとは違って義兄弟にとは言われてないし、たまに会ったら挨拶するくらいの関係なのでほとんど交流はない。しかしさすが生まれたときからこんな教育に恵まれた環境にいるだけあって、相当優秀な人間であるようだ。


 そんな凄い人なら、ぜひ一緒に演奏してみたいような気がする。だけど、いつも勉強に忙しいようで、なかなか俺のためには時間を割いてくれない。残念だが彼の邪魔をするわけにもいかないし、潔く諦めるしかなさそうだ。

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