case.7-1

 高校2年生の春。


 吹奏楽部でアルトサックスを担当している俺は、入部希望の1年生たちをどこか緊張した面持ちで見つめていた。




 サックスパートは主に、ソプラノサックス、アルトサックス、テナーサックス、バリトンサックスで構成されており、今言った順に高音から低音へと音域が下がっていく。中でも最も人数が多いのはアルトサックスで、皆がサックスと聞いて思い浮かべるのもおそらくこれだろう。


 パートの人数の関係もあり、ソプラノ、テナー、バリトンはそれぞれ1人ずつしか配置していない。しかし、特定の楽器を担当するのが1人であると、先輩の引退というどうしても避けられない問題が発生する。そして昨年はテナーサックスの担当が3年生となり、その人の引退後、テナーの席は空白となってしまったのだった。


 まあ絶対に必須の楽器というわけではないし、しばらくは大きな行事があるわけでもないので、とりあえずは必要なときだけパートで交代で吹いていた。しかし夏にはコンクールがあるし、新入部員も入ってくるとなればいよいよ専属を決めなければならない。俺たちアルトサックス組は別に、絶対にテナーを吹きたくないというわけではないが、特に積極的に吹きたいわけでもなかった。だから正直、運良くテナー希望の経験者が現れてはくれないかと期待せずにはいられなかった。




 新入部員の中には未経験者もいるので、まずは音楽室で楽器の体験会を行う。パートごとに別れて、1年生にそれぞれ楽器を触らせるのだ。ありがたいことにサックスは知名度も人気も高いので、興味を持ってくれる人間がそれなりに集まった。


 しかし残念ながら、テナーの希望者はいないようである。これは誰かが腹をくくってアルトからテナーに転向するしかないか……そんなことを考えていたとき、ふと聞こえてきた音色に思わず顔を上げた。様々な音が入り乱れ、意識的に聞かないと何が何だかわからなくなるような音の渦の中で、なぜかその音だけがまっすぐに俺の心へと入り込んできた。


 視線の先にいたのは、優雅にユーフォニアムを奏でる小柄な女の子。その音色は歌うように柔らかく広がり、まるで俺のことを優しく包み込んでくるようで、気付けば彼女から目が離せなくなっていた。そして無意識に俺は思った。




(テナーとユーフォなら音域が近いし楽譜も似てるから、一緒に練習できるな)




 それは俺がアルトからテナーサックスに乗り換えることを決めた瞬間だった。




 ユーフォニアムはマイナーな楽器であることもあり、経験者でないとなかなか集まりにくいので、彼女の入部はそれはもうバリチューパートに喜ばれた。ちなみにバリチューとはバリトンとチューバのことである。ユーフォニアムどこいったと思った人はぜひインターネットで調べてみてほしい。


 とにかく、そんな彼女を追いかけるようにテナーサックスとなった俺は、同じ中低音楽器としてよく一緒に練習するようになった。俺はあの子に一目惚れならぬ、あの子の奏でる音色に一耳惚れをしたのだ。その音をいつまでも聴いていたいと思うし、俺の音色と混ざり合って一つの旋律になるのはとても心地よいと思う。もともと俺は吹奏楽が大好きであるが、いつの間にかあの子と一緒に演奏することこそがなによりの楽しみになっていた。









 夏のコンクールを終えて3年生が引退した頃。俺は先輩から次の部長に指名され、新体制へと動きだした。1、2年生だけで行う最初のステージは文化祭。誰でも知っているようなポップな曲を集め、俺たちはせっせと練習に励んだ。


 中でも目玉となるのは、とある有名な曲ばかりを収録したシンフォニックメドレーで、たくさんのソロが出てくるから演奏するこちらとしても面白い。そしておあつらえ向きに、中低音楽器には特に長くて目立つソロがあったため、そこは迷わずあの子に吹いてもらうことにした。それは俺個人の希望であったが、他から異議が出ることはなく、むしろ俺が言わなければ別の誰かが推薦したであろうことは想像に難くない。俺はあの子の音色が好きだが、この部の皆もあの子の音色が大好きなのだ。




 そうやって文化祭、外部での演奏会、卒業式と着実にイベントをこなし、再び春はやってきた。最近では新たにユーフォニアムとなった1年生があの子にべったりなので少し寂しいが、その子も経験者であり、素晴らしい演奏技術を持っているので、今年もユーフォは安泰である。


 そして1年も経てばあの子の音色だけでなく、あの子自身のことも少しはわかるようになってきた。行事やイベントの曲を練習する合間にあの子は時々知らない曲を吹いているのだが、それはどうやらアニメやゲームの曲であるらしい。吹奏楽以外で好きなものが何かといえば、真っ先に浮かぶのはそういうものばかりだそうだ。




 ある日、あの子が奏でるメロディーがあまりにも綺麗だったのに惹かれて、それが何の曲であるのか気になって本人に尋ねてみた。




「それ、何の曲?」

「私が最近はまっているゲームのオープニング曲です」

「へー。どんなゲーム?」

「えっと」




 彼女は少し言いよどんだ。きっと俺が知らないようなゲームなのだろう。確かに俺はそっち方面にはそんなに詳しくないので、その反応は仕方がない。でも、あの子が好きなものなら興味はある。だから期待に満ちた様子でにこにこと答えを待っていれば、やがて言葉を選ぶようにして話し出してくれた。




「ジャンルで言うと恋愛系、ですかね。物語を読み進めていくと途中で選択肢が現れて、何を選ぶかによって物語が分岐していくっていう、ビジュアルノベルです」

「マルチエンディングの恋愛小説みたいな?」

「それに音楽や絵やボイスがついたもの、ですね」

「なるほど。さっき吹いてた曲、すごく綺麗なメロディーだったけど、恋愛ものだからそういう雰囲気だったんだな」

「まああの曲からは想像もつかないようなしんどい場面も多いですけど」

「しんどい?」




 旋律は美しいし、恋愛というから明るい話なのかと思ったが、実際は身分の差やいじめといった重たいテーマを扱っているらしい。一言で恋愛系ジャンルといっても、奥が深いようだ。




「でもそれを含めて好きってことは、よっぽどそのゲーム面白いんだな」

「はい。ヒロインは可愛いし、お相手のキャラクターはかっこいいし、先の展開が気になってどんどん読み進めてしまいます」

「そっか。なあ、その曲気に入ったから俺も吹きたい」

「はあ。突然ですね」

「君はいつもいろんな曲を吹いてるから、本当は前から気になってたんだよ。で、今回のは特にいい曲だと思ったから一緒に吹いてみたいと思った」

「じゃあもうすぐサントラ出るんで、CD買ったら貸しますよ」

「お、やった。そしたら楽譜書いてくれ」

「また簡単に言いますね」

「だって、どうせ二人で吹くならハモりたいだろ」

「あ、部長。何抜け駆けしてるんですか。僕も先輩と一緒に吹きたいです」




 そのとき、ユーフォニアム期待の1年生が俺たちの会話に加わってきた。彼もまたあの子の音色に惚れた一人であり、俺と同じようにあの子と一緒に演奏することを至上の喜びとしているようだ。おかげであの子と二人で練習する時間は減ってしまったが、三人で演奏するのもまた楽しいのでそれはそれでよしである。




「なら三重奏で楽譜書いてくれ。それで今度の部内アンコンに出よう」

「え、一気にハードル上がった」

「いいですね。部長と先輩となら、いいアンサンブルができそうです」




 アンコンとはアンサンブルコンテストのことであるが、コンテストとはいってもコンクール練習の合間の息抜きとして行う、部内の軽いイベントだ。だから気負わず、気軽にやればいいと肩をたたけば、あの子は仕方がなさそうに、しかしどこか嬉しそうに微笑んだのだった。

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