case.4-1

 あの子はどちらかというと地味で目立たないタイプの人間だった。


 友達がいないわけではないけれど特定のグループには所属せず、人当たりが悪いわけではないけれどあまり人の輪に入っていかない。休み時間には一人で静かに読書をしていたり、ふと気づくといなくなっていたり。正直、いてもいなくても変わらないような、そんな存在。少なくとも、私たちクラスメイトはずっとそんな風に思っていた。


 そんな認識が一変したのは高校一年生の秋。文化祭での出来事。体育館のステージで行われた文化部の発表。吹奏楽部の演奏。さすが文化祭だけあって、奏でられる音楽は誰もが知っているようなポップスばかりで、生徒たちは大いに盛り上がった。中でも特に凄かったのが、ねずみのキャラクターで有名な某作品のシンフォニックメドレーだ。壮大に鳴り響く音楽に圧倒され、次々と現れるいろんな楽器のソロが私たちを楽しませた。そして、そのソロで最も注目を浴びたのがあの子だった。


 ステージから一歩前に出たところにマイクが設置してあり、ソロの人はそこに出てきて演奏するのだが、あの子がマイク前に立ち、吸い込んだ息を楽器へと吹き込んだその瞬間、空気は凜と澄み渡った。それが何の楽器であるかすらわからない人の方が多かったと思う。銀色で、管が綺麗なカーブを描いていて、サイズはわりと大きめで。小柄なあの子では抱え込むのが大変そうにすら見える。それでも私たちはあの子の堂々とした立ち姿に、柔らかく響き渡る音色に、ひたすら魅了された。それはたった数十秒の出来事。その数十秒で、世界は変わった


 後から聞いた話によると、あの子は吹奏楽部内で、入部当初からとてつもない存在感を放っていたらしい。いてもいなくても変わらないような存在だと思っていたのは私たちクラスメイトだけだったというわけだ。クラスに他の吹奏楽部員が全くいなかったのが災いした。あの子が吹奏楽部に所属していることすら私たちは知らなかった。あの子が中学生の時に三年間みっちりと練習したユーフォニアムは高校生も顔負けのレベルで、先輩たちからそれはもう歓迎されて即戦力として受け入れられたそうである。


 そう。ユーフォニアムというらしいのだ、あの楽器は。トランペットとか、サックスとかなら音楽をやらない私でも知っているけれど、ユーフォニアムなんて初めて聞いた。きっと多くの人がそうだった。それでも、あの子が奏でたあの音色は本当に素敵で、全ての人の心の奥へと染みこんでいった。




 文化祭は三年生が引退してから初めてのステージで、えらくあの子を気に入っている新部長が最も目立つソロにあの子を抜擢したらしい。一年生でソロなんていうと、上級生が「あいつ生意気じゃね?」って嫌がらせをしてくるような、そんなドロドロした展開もありそうな気がするけど、あの子の実力はそんな考えすら起こさせないほど圧倒的で、むしろソロはあの子がするのが当然という空気ですらあったようだ。本当に私たちは無知すぎた。そんな凄い存在であるあの子のことを、どうして地味な人間だなんて思っていたのか。


 あの子はいてもいなくても変わらないような存在から、近づくのも恐れ多い高嶺の花へと昇華した。といっても、積極的に関わらないという点は変わらないので、表面上に大きな変化はない。クラスの気持ちは変わったが、そんなものが伝わるはずもなく、あの子からすれば文化祭前も文化祭後も何も変わってはいなかった。それがなんだかもどかしかった。我ながら現金だとは思うが、文化祭のステージであの子の凄さを目の当たりにした今、せっかく同じクラスなのにこれまであの子と関わってこなかったのがとてつもなくもったいないことのように思えてきたのだ。


 私は少しずつあの子に話しかけるようになった。突然フレンドリーになっても不審なだけなので、あくまで自然に、少しずつ、会話を増やしていった。あまり自分から人の輪に入っていかない子なので、人と話すのがそんなに好きじゃないのかもという心配はあったけど、話しかけてみれば意外と笑顔で応じてくれた。単に自分からというのが苦手なだけだったようである。一人の時間も好きだし、誰かに構ってもらうのも嫌いじゃない。そんな感じだ。でも、いろいろと話しているうちにあの子の趣味はアニメやゲームといったサブカルチャーであることが判明したので、そうするとやっぱり一人の時間の方が好きなのかもしれない。


 私は普段アニメとかはあまり見ないけど、あの子がオタク趣味だとわかっても引くようなことはなかった。むしろ、好きな作品についてとても楽しそうに話すあの子が可愛くてどんどん惹かれていった。吹奏楽で圧倒されたことを抜きにして、ただ純粋に仲良くなりたいと思うようになった。そうして月日が流れ、二年生となったとき。クラス替えの張り紙で自分とあの子の名前が同じクラスに書かれているのを見つけた私は、思わずガッツポーズを決めたのだった。









 職員寮に案内されたのには緊張したが、先生の部屋へと入りドアが閉まると私たちはようやく安堵のため息をついた。正直詰んだと思った。あんな話を聞かれるなんてどう考えてもやばいし。でもまさかユリウスの中身が先生だったなんて。


 高橋は安全とわかるや否やさっそくソファに座ってのんびりしだした。こいつ案外ずぶといな。先生はわざわざお茶をいれてくれ、さらにはお茶菓子まで出してくれる。この人は妹が好きすぎるところはちょっとあれだが、普段は生徒思いの優しい先生なのだ。というかこの世界に緑茶なんてあったのか。私、紅茶とかそういう洋風のやつしか見たことないんだけど。


 そして遠慮を知らない高橋はすぐにお菓子に手を付け、そのままくつろいだ様子で本題を切り出す。雰囲気も何もあったものではない。




「なあ、先生は倉田……カトリーヌについてどう思う?」

「あー。生前、倉田については大きな問題にはなってないようだったから特に介入はしなかったが、カトリーヌは普通の貴族令嬢にしか見えないな。王子の婚約者として問題があるようには見えない」

「やっぱそうだよな。あいつやっぱり、何事もなくアランと結婚することを狙ってるよな」




 お菓子を頬張りながら高橋はうなだれる。落ち込んでるところ申し訳ないが、お菓子のせいでそれほど悲壮感は感じられない。まさかそれが先生の狙いか。




「高橋的にはカトリーヌと結婚するんじゃ駄目なのか? ゲームの性格ならともかく、今のカトリーヌなら可愛いじゃないか」

「中身に気づいてしまった時点でもう無理だ。というかそれ、俺をあの子に近づけたくなくて言ってるだけだろ」

「ばれたか」

「篠原にも似たようなこと言われた」

「ははっ。なるほどな。篠原はこれからどうしたいとかあるのか?」




 高橋に倣ってお菓子を頬張っていた私は一瞬どきっとするが、いったん落ち着いてお茶を飲む。これからどうしたいか。難しい質問だ。あの子とこれからも平和に過ごしたいとは思っているが、そのために具体的に何をすればいいのかわかっているわけではない。




「アランとカトリーヌがくっつけば万事解決と思ったのは事実ですけど」

「頼む見捨てないでくれ」

「まあこいつだけ生け贄に捧げるというのも可哀想ですし、ゲーム通りにカトリーヌを排除するのが一番理想かなと思っています。さっきもアランとアリアが仲良くしてるところを見せつけてやればどうだろうって話をしてました。ただ、ゲームのような悪役令嬢じゃないカトリーヌをどう排除するのかって言われると……」

「方法がわからない、か」




 話を聞いた先生は、何か考え込むような表情になる。生徒を一人排除したいって話を教師にするのもどうかと思うが、他に頼れる人もいない。ここはどうか先生に協力してほしい。

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