case.3-1

 俺の妹は今日も可愛い。


 寝起きでぼんやりしながら目をこする姿。鏡を見ながら髪を整える姿。仕事が忙しい両親に代わり俺自ら作った朝食を口へと運ぶ姿。ああ、なんでこの子はこんなに可愛いんだろう。あんまり見つめていると鬱陶しそうな視線を向けてくるがそれもまた可愛い。いつまでも見つめていたい。しかし、残念ながらいつまでも見つめてはいられない。教師である俺は生徒である妹よりも早く学校へ行かなくてはならない。


 俺は妹が絡むとポンコツになる自覚はあるが、普段はいたってまともな人間だ。学校では妹を贔屓するなんてことは決してなく、自分の生徒は全員等しく可愛がっているつもりだし、授業もわかりやすいと好評である。生徒と同じ目線に立ち、誰に対しても気安く接することを心がけ、生徒たちから慕われているという自信もある。だけど一部の生徒からはなぜかシスコン教師と呼ばれている。おかしい。学校では妹とは最低限しか関わらないようにしているはずなのに。なのになぜシスコンだとバレてるんだ。不思議に思って一人の生徒に理由を尋ねてみたら「妹好きが滲み出ている」と言われた。どうやらシスコンとは滲み出るものらしい。


 昼休み。理科準備室で次の授業の準備をする。そう、俺は高校の理科教師というわけだ。ビーカーにガスバーナー、実験に必要な道具を確認しながら手順を改めて確認。昼休みなんだからゆっくり休みたいところだけど、教師はやることがたくさんだ。しかしそこでふと異変が起こる。並べていた試験管が小刻みに震えだしたと思ったら、突然校舎が大きく揺れたのだ。地震だ。ガラスが割れるような音がする。いくつか実験道具が落ちたな。誰かが怪我をしたらいけないし、片付けないと。


 でもそれより、なんか、何かが焦げるような匂いがするような。実験では確かに火を使う予定だが、俺はまだ火をつけたりしてないぞ。じゃあ何が燃えてるんだ。そういえば、同じ階に家庭科室があるな。まさか家庭科室から火が出たとか。急いでドアの外を見ると白い煙が見えた。やっぱり燃えている。しかもどんどん燃え広がっている。これはやばいぞ。完全に校舎が燃えるぞ。


 状況を把握した俺は、咄嗟に図書室へと走り出した。図書委員である妹はきっとそこにいるはずだから。学校では妹を決して贔屓しないとか言った気がするが今はそんな場合ではない。大丈夫。生徒たちはちゃんと外へ向かって逃げている。大丈夫。俺がわざわざ誘導しなくても大丈夫。だから妹の安否確認に走る俺を許してくれ。そんなことを考えていたら図書室に着いたので勢いよくドアに手をかける。しかし開かない。地震で歪んだのか、力を入れてもびくともしない。ドアをがんがん叩いて妹の名前を叫ぶ。中から妹の声が聞こえる。やっぱり中にいるんだ。どうやら妹は俺以外の男の名前を呼んでいるようだが多分気のせいだ。


 少し下がってドアに体当たりをしてみる。そのままドアが外れることを期待したが、そううまくはいかない。煙がどんどん増えてくる。くらくらしてきた。でもここで俺が倒れたら妹はどうなる。窓から外へ逃げてくれたらいいけど、ドアが開かないのに果たして窓は開くんだろうか。ああ、だめだ。意識が朦朧とする。火はまだここまできてないけど、火災で一番やばいのは一酸化炭素中毒らしいもんな。やがて体がふらりと傾き、意識が途切れるその瞬間、ぶれた視線の先に一人の女子生徒が倒れているのが見えた気がした。





 気づくと俺は知らない世界にいた。見たことのない景色。不思議な力を使う人たち。もしかしてここは天国だろうか。


 しかしどうも様子がおかしい。俺、もしかして赤ちゃんになっていないだろうか。なんだこれ。俺は死んで生まれ変わったのか。ま、まさか、異世界転生ってやつか!? なんか前に妹がそんなアニメを見ていたぞ。というか俺の妹はどうなった。助かったのか? それともまさか……正直、あの状況では悪い想像しか浮かばない。廊下の方で見覚えのある生徒も倒れていた気がするし。


 あ、やばい。泣きたくなってきた。だめだ、赤ちゃんだからか、俺今めっちゃ泣きわめいてる。しばらくすると両親らしき人たちが慌ててやってきた。すまん。ミルクでもオムツでもない。でも喋れない。すまん、両親らしき人。





 俺の名前はユリウス・テイラー。とある伯爵家の長男として生まれた。伯爵家ってなんだ。貴族か。貴族だな。


 この家で初めて生まれた子供である俺はそれは可愛がられたが、さすが貴族というかなんというか、しつけはかなりしっかりしていて早くから家庭教師をつけられた。しっかり勉強して立派な大人になりなさいとのことだ。なるほどこれが貴族か。しかし、見た目は子供でも中身は教師の俺である。勉強は余裕だった。


 それから音楽の教育もやたら熱心でヴィオラを与えられたが、学生時代にバンドをやってたことがある俺は弦楽器には慣れ親しんでいた。これまた楽勝だった。そしたらこの子は天才だと騒ぎになった。しまった。妹のいない世界はまるで色がないようで、何も考えずに流されるままに生活していたのがよくなかった。どうしようか。


 まあ、どうでもいいか。可愛い可愛い妹もいないし。やりたいことがあるわけでもないし。


 両親は俺を可愛がってくれているが、俺はきっと可愛い子供ではないだろう。やたら勉強ができて礼儀正しい振る舞いもできるが、子供らしく笑わない。愛想がよくない。俺から妹を取るとこうなるのか。初めて知った。大人びていると言えば聞こえはいいが、とにかく可愛くない。これでは友達もできないんじゃないか。


 でも、それでも両親は穏やかに俺のことを見守ってくれている。何だこの人たち。めっちゃいい人たちだな。俺はすごく恵まれているな。ありがとう、本当に感謝している。でもやっぱり妹がいないことが堪えている。ああ、なんであの子はここにいないんだろう。




 そんな生活を続けて6歳になった頃。父親が突然弾んだ声で「親戚に会いにいこう」とか言い出した。なんでも、妹に子供が生まれたらしい。俺の従兄妹が誕生したというわけだ。俺の妹はいないのに、父親には妹がいるのか。なんでだよ。正直気乗りがしない。


 しかし、父親の様子を見ているうちに俺は気づいてしまった。この父親のテンション。俺が俺の妹と接するときとまるで一緒ではないか。まさかこの人もそうなのか。自分の妹が可愛くて仕方がないのか。それに気づくと、何だか急に他人とは思えなくなってきた。いや、まあ間違いなく親子なんだが。ここにきて物凄く親しみを覚えたというか。そしていつの間にか、俺は生まれたばかりの従兄妹に会うのが楽しみになっていた。全く、俺も現金だな。




 翌日、さっそく俺たちは従兄妹に会いに出かけた。家に着いたらまずは父親の妹、つまり叔母にあたる女性とその旦那さんに挨拶をする。笑顔が素敵な、とても優しそうな人たちだ。雰囲気が俺の両親ともよく似ている。テイラー家ってそういう、優しさに満ちた一族なんだろうか。その中に俺がいるのが何だか申し訳なくなってくるな。


 それから赤ちゃんがいる部屋へと案内されたので、俺は気を取り直してベビーベッドを覗き込む。小さな手。小さな足。本当になにもかも小さいなぁ。しかしその子と目があった瞬間、俺は時間が止まったような錯覚を覚え、息をするのも忘れてその子に魅入ってしまった。




「っ……」




 そこにいたのは天使だった。違った。そこにいたのは妹だった。比喩ではない。俺にとって誰より可愛く、ずっと会いたくて仕方がなかった俺の妹が、そこにいたのだ。見た目は全く違うはずなのに、なぜだか瞬時にそう確信した。身動きひとつせず従兄妹をじっと見つめる俺に大人たちが声をかけてくるが、内容は全然頭に入ってこない。


 そうか。やっぱりあの日、俺も、俺の妹も、死んだのだ。そうしてこの世界で生まれ変わった。正直ずっと夢を見ているような、どこか現実感のないような心地だったが、ようやく実感した。俺は今、この世界で生きているのだと。俺の可愛い妹も、確かにこの世界に生まれたのだと。


 父親に頭を撫でられてふと我に返る。皆微笑ましく俺のことを見ていた。どうやら俺の顔は随分と緩んでいたらしい。妹と思わぬ再会を果たして、自然と素の表情が出てしまったようだ。そうか。シスコンが滲み出るってこういうことか。普段からあまり笑わない俺の様子をずっと見てきた両親は、従兄妹を見た俺が子供らしい表情をしたことに喜んでいるのかもしれない。でも、今の俺の感情は、両親が想像しているものとは絶対に違うと思う。


 すこし迷った俺は、また可愛い妹を見つめ、そして改めてこの妹の母親へと視線を向けた。




「あの、叔母さん。俺、この子のことを実の妹のように可愛がります。そして、誰からも、どんなことからも、絶対に守ってみせますから安心してください!」




 そう宣言すると叔母さんは一瞬あっけにとられ、吹き出すように笑い出した。「やっぱり兄さんの子供ね」と面白そうに言う。その兄さん、つまり俺の父親は、俺のそんな言葉を聞いてやっぱり嬉しそうに笑っていた。

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