case.1-1

 その日は夏にしては過ごしやすい気温だった。


 うだるような暑さはなく、むしろ涼しいくらいで、昼休みには友達と思いっきりサッカーを楽しんでいた。やっぱり外で体を動かすのは気持ちがいいな。突然地震が起こったのには驚いたが、グラウンドにいたおかげで何かの下敷きになるような心配もない。どうせ大した被害も出ないだろうとそのままサッカーを再開しようとした。


 しかし、校舎から炎が上がっているのが見えてさすがに動きを止める。まじか。火事だ。校舎から離れろと誰かが叫び、友人たちが走り出す。俺もそんな彼らを追いかけようとしたが、ふと大事なことに気づいて校舎を振り返った。もしかしてあいつ、まだ校内にいるんじゃ……。


 気づいたときには校内に飛び込んでいた。すでに煙が蔓延している。俺は馬鹿か。こんなの死にに行くようなもんじゃないか。でも、あいつが。あいつがまだ校内に。多分、図書室にいるんだ。それがわかっているのに俺だけのうのうと逃げるわけにはいかない。だけど駄目だな。だんだん意識がぼんやりしてきた。これじゃあ図書室にはたどり着けない。俺、ここで死ぬのか。完全に無駄死にじゃないか。あいつはちゃんと逃げられたのかな。どうか、あいつだけは無事でいてほしい。そう願いながら、俺の意識はふっつりと途絶えた。





 次に目が覚めたとき、俺は赤ん坊になっていた。



 は? 赤ん坊? ふざけてんのか?



 でも確かに赤ん坊だ。意識ははっきりしているが、言葉が喋れないし思うように動けない。これってまさか、転生したってことなのか。前世の記憶を持ったまま生まれ変わったってことなのか。漫画やゲームでそういうのを見たことがあるが、同じようなことが本当に起こってしまったというのか。


 しかもどうやら、俺の父親は国王とかいうやつらしい。国王ってことはつまりあれだ。国王だ。そしてその国王の息子である俺は王子様というわけだ。王子様ってことはつまりあれだ。王子様だ。駄目だ、混乱している。しっかりしろ、俺。





 わけのわからないまま一国の王子として過ごすこと早数年。この魔法溢れるファンタジーな世界で何とかぼろを出さないように過ごしていた。俺の名前はアラン・ルイスハーデン。断じて男子高校生ではない。俺は身分の高い人間。金髪碧眼、まさに絵に描いたような王子様。王族として生きていくなんてそんなの無理だろと最初は思っていたが、生まれた時からそのように育てられれば案外何とかなるもんだ。


 中身はともかく、表向きには思慮深く、笑みを絶やさず、常に民のことを思っている素晴らしい王子として振舞うことに成功している。はずだ。頼むそうであってくれ。





 内心ビクビクしながらもどうにか王子様としての生活をこなす。そうしてやがて8歳になり、転機が訪れた。なんと俺の婚約者が決まったらしい。相手は公爵家のご令嬢で、同い年の女の子だそうだ。まあそうだよな。身分が高い人間が親に結婚相手を決められるなんてあるあるだよな。俺には前世(?)で心に決めた人がいたので正直気乗りしないが、ここで嫌な顔をするわけにもいかない。ふむふむ、相手の名前はカトリーヌ・ガルシアね。仕方がないから王子として礼儀正しく、彼女の屋敷に挨拶にでも行くとしようか。



 ん? カトリーヌ? なんか聞いたことがあるような。



 彼女の屋敷に着くと、使用人に庭へと通された。テーブルと椅子、紅茶にお茶菓子が用意されていてなんともおしゃれだ。しかし今俺が釘付けになっているのはそよ風に揺れる明るい茶髪。こちらに気づいて微笑んだ女の子。こいつ。こいつは。あいつじゃないか。そう。カトリーヌ・ガルシアだ。いや、そうだけどそうじゃない。俺が言いたいのはそういうことじゃなくて。俺はこいつを知っている。こいつは俺が生前プレイした乙女ゲーム「FAIRY NOTE」に出てくるキャラクターだ。


 ああ、一応言っておくが、別に乙女ゲームが趣味だったわけではない。高校生だったときに好きだった女の子が大好きなゲームだって言っていたから、俺も思わず購入したのだ。好きな子が好きなものを俺も知りたいと思って。おいそこ気持ち悪いとか言うな。仕方ないだろ。何でもいいから話すきっかけが欲しかったんだよ。それにプレイしてみるとけっこう面白かったぞ。


 おっと話が逸れたな。まあつまり俺が言いたいのはこういうことだ。


 今まで気づかなかったが、もしかしてここって、あの子が好きな乙女ゲームの世界じゃないか!?




◇ ◇ ◇




『初めまして、カトリーヌ嬢。アラン・ルイスハーデンと申します』

『っ……素敵……』

『?』

『初めましてアラン様。あなたのお嫁さんになれるなんてとっても嬉しいわ! 紅茶をどうぞ。お菓子も好きなだけ食べて。あ、そうだ。今あっちで咲いてる薔薇がとても見事なの。よかったら見にいきませんか。ほら、こっちよ!』

『は、はあ』




◇ ◇ ◇




 ゲームでのアランとカトリーヌの出会いを思い出す。まるで「これはアランにとって地獄の始まりであった」というナレーションでも付きそうな内容だった。


 蝶よ花よと育てられたカトリーヌはなかなかに我儘な性格で、一目でアランを気に入った彼女はこれから散々アランを振り回すことになる。そして、アランの心は年々擦り減って弱り果ててしまうのだ。なんてこった。アランって俺じゃないか。つまりこれは俺にとっての地獄の始まりなのか。魔法学院でこのゲームのヒロインと出会うまで俺に癒しはないということか。いやでも俺の心はすでにあの子のものなんだが。そんな俺がヒロインに出会ったところでそれは癒しになるのか。


 まあ考えても仕方がない。このまま黙ってカトリーヌを見つめているわけにもいかないし、とりあえずこの出会いのシーンを始めてみよう。あ、やばい。緊張してきた。




「初めまして、カトリーヌ嬢。アラン・ルイスハーデンと申します」

「初めまして、アラン様。改めまして、カトリーヌ・ガルシアと申します。お会いできて光栄ですわ」

「……?」

「?」

「ああ、えっと。ここのお庭はとても美しいですね」

「ええ、そうなんです。使用人がいつも丁寧に世話をしてくれて、お花がとても綺麗なの」

「いつまでも見ていたくなりますね」

「ええ。本当に。あ、よかったらお座りになってください。紅茶は好きかしら」




 椅子に座ると使用人がカップに紅茶を注いでくれる。うん。美味しい。そしておかしい。なんだこれは。思ってたのと違うぞ。このカトリーヌ、普通に良いお嬢様じゃないか。我儘どころか控えめだし、お淑やかだし、礼儀正しいし。まさかあれか。最初に油断させておいて、ここから徐々に本性を現していくのか。でもゲームでは初めから我儘全開だったぞ。どうなってるんだ。


 カトリーヌとは婚約者として定期的に会うことになるが、いつ行っても、何度会っても、彼女はお淑やかだ。完璧すぎて逆に疑わしい。こいつは本当にあの悪役令嬢なのか。このままじゃ俺たちは順当に結婚することになるんじゃないだろうか。いや、カトリーヌに問題がないならそれはそれでいいはずだ。面倒ごとに巻き込まれるより、平和な方がいいに決まっている。


 だが、なんだろう。この常につきまとってくるような不安感は。このままじゃいけない気がする。俺にとって何かやばい事が起こっている気がする。でも具体的に何が悪いわけでもないからどうしようもない。全く、カトリーヌがゲーム通りに最低最悪の悪役令嬢だったら話は簡単だったのに。俺はこれからどうすればいいんだよ。

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