転生したのはあの子が好きな乙女ゲームの世界でした

@watari_kano

case.0

 それはなんの変哲もない、よく晴れた夏の日のことだった。



 朝起きて、高校へ行って、普通に授業を受けて、お昼ご飯を食べて……。少しだけいつもと違ったことといえば、昼休み中に地震が起こったことくらいだろう。まあ、私たち日本人は無駄に訓練されているので、多少の揺れでは動じない。ただ、そこから火災に発展したのは想定外だった。理科室だか家庭科室だかで火の手が上がったようで、校内はあっという間に煙に包まれてしまったのだ。それでも多分、ほとんどの生徒は外へ逃げたのだと思う。学校なんてそこら中に窓があるし、頑張ればすぐに脱出できるはずだ。押さない走らないしゃべらない。ハンカチを口に当てて身を低くする。避難訓練で散々やらされたなあ。



 でも。でもね。やるべきことがわかっていても、いざ周囲を炎に包囲されたら頭が真っ白になってしまうと思う。煙を吸っちゃいけないなんて当然知ってるけれど、咄嗟に思いっきり吸ってしまっても仕方がないと思うの。ええそうですとも。吸い込みましたとも。これが噂の一酸化炭素中毒というやつですね。息が苦しい。頭が痛い。眩暈がする。ああ、私、ここで死ぬのか。



 やがて目の前が真っ暗になり、意識が遠ざかる。いろんな思い出が蘇っては瞬く間に消えていく。自分がどこにいるのか、何をしていたのか、全ての感覚が消えて、そして……次に目が覚めた時、私は赤ちゃんになっていた。






「……?」



 は? 赤ちゃん? どういうこと?



 寝っ転がった体を起こすことはできず、両手を伸ばしてみれば小さなお手々が目に入る。さらに視線を上げてみれば、笑顔でこちらをのぞき込んでいる女性とばっちり目が合う。この人は母親だと本能的に理解した。隣にいるのは父親だな。つまりこれはあれか。異世界転生というやつか。火事で死んだと思ったら異世界に飛ばされたのか。いや、ここが異世界かどうかはまだわかんないけど。でもざっと部屋を見渡しただけでも内装が立派な部屋なのはわかるし、両親の感じからすると確実に日本じゃない感はある。



 そうか。私は生まれ変わったのか。これから新たな人生が始まるのか。もちろん戸惑いはあるし、まだ高校生だったのに何で私が死ななきゃならなかったんだという訝りもあるけれど、今更何を言ったってどうにもならない。高校生の記憶を持ったまま子供からやり直せるなんてラッキー、くらいの気持ちでポジティブにいってやろうじゃないか。うまくやれば、天才児ともてはやされることも夢じゃないぞ。






 まあ、あまり頭が良すぎる子供というのも怪しまれるかもしれないからほどほどにするとして。新たな人生が始まってから数年が経って、この世界のことが少しわかってきたので一旦状況を整理してみよう。まず、私の名前はカトリーヌ・ガルシア。公爵家の令嬢で、いずれは王室に嫁ぐことになっている(と父親が言っていた)。



 この世界観を一言で言うならファンタジーだろうか。誰もが魔法を使えるし、街を出れば魔物がいる。魔王と勇者が存在すると言われても全く不思議はない。それから15歳になると、魔法学院に4年間通うことが義務付けられるらしい。当たり前に魔法が使える世界だからこそ、未熟な子供が正しく魔法を扱えるように学ばなければならないのだろう。日本人の感覚だと7歳から学校に行かないといけないような気がしてくるが、魔力が未成熟なうちに魔法を使おうとしてもあまり意味はないようだ。生まれ持った魔力量というのはもちろんあるが、それがはっきりと表に出てくるのは早くても10歳を過ぎてからなんだとか。つまりそれまでは貴族の娘として、常識や教養を身につけたりするわけである。



 マナー、ダンス、音楽、芸術。うん、わけがわからん。記憶があってラッキーと思ったけど、これはむしろ記憶が邪魔しているのでは。普通の女子高生にとってこういう勉強は未知の領域だよ。でもやるしかない。私は貴族のお嬢様なんだから。父親の言うことが本当なら、王子様と結婚できるかもしれないんだから。憧れの玉の輿だ。そんなの、乗らない手はないだろう。






 もうすぐ6歳になろうかという頃。2つ年上の兄ができた。突然だな。突然過ぎてびっくりだわ。なんでもその男の子は私とは遠い親戚で、ご両親が事故で亡くなったため引き取ることになったんだとか。びっくりではあるけどまあそんな境遇を聞くと可哀想な気がするし、なにより彼は結構かっこよかったので仲良くなりたいと思った。艷やかな黒髪に理知的な眼差し。なんというか、将来有望そう。いや、断じてショタコンではない。兄と仲良くするのは当然のことだよね。うん。とりあえずいっぱい話しかけよう。いきなり知らない場所につれてこられて不安だろうし、この家の子供である私が歓迎の気持ちを表してあげないと。



 でも、なんでだろう。話しかければ応えてくれるし、彼も私と仲良くしようとしてくれてるのは伝わってくるのに、思うように距離が縮まらない。どころかどんどん離れていくような。なんで。やっぱり、自分だけこの家の人間じゃないからって引け目を感じているんだろうか。まあ、私も貴族としての勉強が少しずつ忙しくなってきてるし、兄との時間をつくるのにも限界がありそうではある。これも仕方がないことなのかな。






 慣れない礼儀作法に悪戦苦闘しつつも、なんとか令嬢らしく振舞えるようになってきた頃。ついに王子様と顔を合わせる日がやってきた。どうやら本当に婚約にこぎつけたらしい。まだ8歳だぞ。すごいなお父様。私はもう内心うきうきである。兄への興味もいつの間にやらどっかへいってしまった。ごめんねお兄様。仲良くなれない兄よりも目の前の王子様だ。



 しかし、実際に王子様と対面し、彼が礼儀正しく挨拶するのを見た瞬間、唐突に気づいてしまった。この王子様の名前、アラン・ルイスハーデン。聞き覚えがある。私の名前、カトリーヌ・ガルシア。聞き覚えがある。アランとカトリーヌの顔合わせのシーン。見覚えがある。そうだ、この世界。この世界はもしかして。私が生前プレイしていた乙女ゲーム「FAIRY NOTE」ではないか。魔法学院に入学したヒロインがいろんな人たちと出会い、困難を乗り越え、イケメンたちと恋愛をして幸せをつかむゲーム。乙女ゲームに特に興味があったわけではないのだが、高校生のときに好きだった男子がプレイしていると聞いて思わず私も購入したのだ。



 「え、男子が乙女ゲーム?」って思ったでしょ。私も思った。彼はそういうのが好きそうには見えなかったので疑問には思っていた。でもなぜかこのゲームだけはしっかりやりこんだらしい。だから私もプレイした。結構面白かった。しかし残念ながらカトリーヌ・ガルシアはヒロインではない。むしろこいつは悪役だ。悪役令嬢というやつだ。このシーンでアランに一目惚れしたカトリーヌは、婚約者であることを笠に着て我儘に振舞い、彼を心底辟易とさせてしまう。アランは立派な王子様なので表には出さない。しかし長年積もりに積もった負の感情はやがて心を蝕んでいき、そんな彼の心に光を差すのが魔法学院でのヒロインとの出会い、というまさに王道ラブロマンス。アランとどんどん仲良くなっていくヒロインに嫉妬したカトリーヌは、ヒロインを貶めようとやがて悪事に手を染めて……。






 え、やばくない? 私、最後は悪事を暴かれて断罪されるやつじゃない? 最悪、死ぬんじゃない?






 うん、とりあえず落ち着こう。幸い私はゲーム知識を持っている。この知識を駆使すればカトリーヌが幸せになるルートを作り出すこともできるはず。アランとの関係をこじらせず、円満に結婚することだってできるはず。何を隠そう、私の推しはアランなのだ。私が高校で好きだった彼。クラスの中心人物で、いるだけで周囲が明るくなるような存在だった彼。高橋紘と雰囲気が似ている。好きになってしまうのも仕方がない。結局あの恋は成就させることができずに死んでしまったけど、この世界でアランとの恋愛ができればこの気持ちを昇華することができる気がする。ありがとう、高橋。ゲームやっといてよかった。あなたへの思いは無駄にしない。



 まずは第一印象をいいものにしよう。カトリーヌはここでぐいぐいいって、その後もずっとぐいぐいいき続けるからダメなのだ。ここは貴族の令嬢らしく、おしとやかに、上品に微笑んで挨拶するのが正解なはず。うん、完璧。どこからどう見ても素敵なレディだ。そんな私の様子を見たアランはなぜか怪訝そうな顔をしたけれど、それも一瞬のことでその後は和やかに会話することができたので、多分気のせいだったのだと思う。



 私はこのまま素敵なレディでい続けよう。私に嫌気がささなければ、ヒロインと出会ってもきっと大した関係には発展しないはず。そして私がアランと結婚し、誰もが羨むおしどり夫婦になるのだ。






 アランの10歳の誕生日。盛大なパーティーが開かれ、国中の貴族たちが招かれた。兄弟のいないアランは次期国王となることがほぼ確定しているので、そのお披露目というわけだ。もちろん私は真っ先にアランのところへ行き、プレゼントを渡して彼の側をキープする。アランにお祝いの言葉を述べるのにわざわざ私と同い年くらいの子を連れてくる人もいるので、ちょっとした牽制だ。これを機に、アランには私という婚約者がいるということを世間に知らしめてやろう。ゲームでのカトリーヌは偉そうにふんぞり返っていたので、私はその逆をいく。おしとやかに、一歩引いた所から見守るように微笑んでいれば、王子の身内感を存分に醸し出せるはずだ。



 ただ、少しだけ気になったことがある。挨拶に来た人たちの中に、見覚えのある子供が二人いたのだ。攻略対象の一人であり、後に魔法学院の後輩となるノア・リベラ。そして、ヒロインの唯一無二の親友となるリリー・テイラー。そういえば、この二人が初めて出会うのが今回のパーティーだった気がする。社交の場に疲れて一人でぼんやりしているリリーに、ノアが声をかけるのだ。ゲームのシーンを生で見れるチャンスだと思うとちょっと心が揺れるが、これはあくまで二人の出会いであって、この時点でアランと親睦を深めることはない。つまり、私には全く関係ないということだ。ならば今は二人のことは忘れて、とにかくアランの側で微笑み続けよう。こういうことの積み重ねが、きっと未来の幸せに繋がるはず。






 15歳。ついに魔法学院に入学するときがやってきた。入学してしまえば、アランがヒロインと出会うことは避けられない。本格的にゲームのシナリオが始まるのは2年生からなのでまだ猶予があるが、出会い自体は1年生のときに起こるはずだ。確か、何かのきっかけで二人は有名な音楽家の演奏を聴きに行くことになり、その時にヒロインの控えめで優しい人柄に触れたアランは彼女に心惹かれるのだ。



 我儘で偉そうで傍若無人な婚約者に何年も振り回され続ければ、素直で可愛いヒロインに癒しを求めてしまうのも無理はない。だが、今の私は決してひどい悪役令嬢ではない。ゲームでのカトリーヌを反面教師に、非の打ち所がない完璧な令嬢を演じ続けている。アランに対して礼儀正しく振舞うことはもちろん、寄ってくる取り巻きたちに優しく接することも忘れない。その取り巻き立ちにヒロインへの嫌がらせを命じるなんてことも当然しない。どこからどう見ても完璧な婚約者だ。これならアランがヒロインに出会ったところで、友人以上の関係になることはないだろう。だって私という婚約者には非の打ち所がないのだから。困らせたり振り回したり迷惑をかけたりなんてことは全くしてこなかったのだから。



 そう。私はうまくやっている。そのはずだ。それなのに。なんで。どうして。どうしてアランとヒロインはあんなに仲良くなっているの。アランがヒロインに惹かれる大きな理由は、面倒な婚約者に辟易としていたからでしょ。なら今のアランが、婚約者がいながら他の女に現を抜かすなんてことをするはずがないでしょ。なのに。なんで。なんでゲームよりもむしろ速いペースで二人の距離が近づいているの。アランルートに入るとしても、それは2年生になってからでしょ。この時点ではまだゲームの本編すら始まっていないんだよ。なのになんで。どうして。






 どうして私がヒロインを嫌い、貶めようとしていることになっているの。






 確かに私はヒロインに嫉妬してしまった。それは認めよう。だって私を差し置いて学院ではいつもアランと一緒にいるんだもの。少しくらい仕方ないでしょ。でも、だからといってヒロインに直接何かしたりしていない。破滅するとわかっているのだから、そんなことするわけがない。間接的にだってしていない。誰かに命じてヒロインに嫌がらせだなんて、当然していない。なのになぜかヒロインは虐められている。そしてその首謀者は私ということになっている。



 どういうことなの。ゲームとは違う流れではあるけれど、婚約者に嫌気がさしたアランが敵意を持って、ついには私を断罪するという結末に確実に帰結しようとしている。ヒロインと協力し、心を通わせ、私の罪を白日の下にさらしている。それはゲームでカトリーヌが犯した罪。だけど私には覚えのない罪。周囲の人間たちから非難の目を向けられ、教師に身体を拘束され、そして、アランは私を冷たい目で見おろして……。






「悪いな。お前が邪魔なんだ。消えてくれ……倉田」


「!?」






 私にだけ聞こえる声音で、私の苗字を囁いた。どうしてアランがその名前で私を呼ぶの。この世界でその名を知る人なんていないはずでしょ。それなのに、確かに、彼は私の本当の名字を呼んだ。



 これってまさか。まさか、あなたは。






 とんでもない事実に気づいてしまったその瞬間。私は目の前が真っ暗になった。

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