第8話 アナスタシアのシミュレーション
8-1 アナスタシアの過去の事実
芳江が帰った後、アナスタシアは煙草に火をつけ、天井を眺めつつ、黒龍丸の甲板で芳江に会った時と同じように、紫煙を吐いた。
黒龍丸の船内で、アナスタシアは芳江に
「自分は白系ロシア人で、革命の混乱の中、父と兄を亡くした」
という意味のことを言っていた。これは無論、嘘であり、ハイラル要塞の外郭要塞を攪乱するためのエージェントを得るための工作活動用の謀略であった。
アナスタシアは天井を眺めつつ、芳江という工作協力者を確保し得たことで、まずは、KGB将校として、最初の任務はまずは遂行し得た、と言っても良かった。アナスタシアが、ある種の不幸を抱えた女性である芳江を騙してまで、エージェントに仕立てたのは、無論、祖国・ソ連邦のためである。
アナスタシアは、白系ロシア人ではない。しかし、現時点で既に、父と兄を亡くしていたのは事実であった。
アナスタシアは1926年生まれ、今年、つまり、1955年にて30歳近くになりつつある。中尉に任官させた芳江とは、ほぼ、同い年である。かつて、アナスタシアは、父、母、兄と彼女の4人でレニングラードにて暮らしていた。ソ連邦成立は1922年12月30日のことなので、アナスタシアが、この世に生を受けた時には、ソ連邦は既に成立しており、アナスタシアにとっては、生まれた時から成立していた当然の祖国だった。
父は帝政時代には、貧しい小作人だった。黒龍丸の船内で、アナスタシアは芳江に、
「父は、革命の混乱の中で、地主として、かつての小作農等を撃ち殺す罪を犯して
しまった」
と言っていた。しかし、現実には、その逆の立場だったのである。
1917年11月7日(露暦10月25日)のロシア十月革命の勃発と、当時の首都・ぺトログラードでのソビエト政権の成立は、若い、そして、まだ、大人になりかかったばかりの若干20歳位だったアナスタシアの父には、明るい希望のような物があったらしい。
アナスタシアの父は、-それまでの人生を帝政末期を生きていた人間であり-学校に行けてなかったし、それ故に、当然のごとく、文字も読めなかった。
そんな状況の中にて勃発した十月革命であった。十月革命がなかったら、父は、一生、貧しい小作人のままであったろう。そんな父が自分の人生を切り拓く道は、ソビエト政権を成立させたボルシェビキに参加し、革命軍である労農赤軍に参加することであった。父は、内戦中、反革命派である白軍との内戦で各地を転戦し、時には敵の銃弾がほほをかすめることもあったと、アナスタシアは聞かされていた。
もし、銃弾が父の頭部を直撃でもしていたら、当然のごとく、アナスタシアはこの世に生を受けていなかった。
父をはじめ、多くの人々が死の恐怖と隣り合わせで戦った内戦の結果、成立したソビエト社会主義共和国連邦であった。
その後、父は、レニングラードと改称されたペトログラードに戻って来て、後に至る生活を始めたのである。そして。工場労働者であった母・ナターシャと結婚し、兄と、アナスタシアが生まれたのである。
1926年生まれのアナスタシアにとって、幼い頃には、ある意味、戦争は-スペイン内戦、蘇芬(ソ連-フィンランド)戦争等はあったものの-、過去のものとも思われるものであった。レニングラードで暮らしていたカトウコフ一家にとって、それなりに良い暮らし、というか、ごく普通の家庭生活とでも呼び得るものがあった。
しかし、1941年のナチ・ドイツによる対ソ侵略があり、レニングラードは包囲された。アナスタシアにとっては、「過去」が現在の現実となって、自身に降りかかったのであった。3歳年上の兄は、独ソ戦が始まると、赤軍兵士の一員として、スターリングラード攻防戦に配属された。そのスターリングラードにてナチとの激戦がなされていた1942年、アナスタシアは母・ナターシャと共に、レニングラードを脱出し、奥地の疎開地にあった戦車製造工場にて、勤労動員として、T34型等の戦車の製造に携わっていた。この頃、兄はスターリングラードにて戦死した。
アナスタシアが、疎開地にて戦車製造に従事していた頃は、芳江が零戦製造工場にて働いていたのとと、ほぼ同じころであろう。いずれも戦争に青春を捧げたという点では共通していた。
アナスタシアは、ナチとの戦争にて、兄のみならず、父もなくしていた。ナチ軍のレニングラード爆撃によって、父は建物の下敷きになって死亡したのである。そんな中、母・ナターシャはアナスタシアを連れて、疎開したのである。
芳江も事実上、父を亡くしていた。しかし、爆撃の中、逃げ惑うと言った経験はなかったはずである。
アナスタシアは改めて思った。
「外郭要塞陥落の作戦は、短期間で決着をつけたい。短時間で決着がつけば、芳江
が助かる可能性も高まる。しかし、長引くとなると・・・・・」
アナスタシアは、過去を回想しつつ、KGB将校として、芳江のことのみならず、今回の作戦について、考える方向へと、心中で方向が変わって来たようであった。
8-2 心中にて
アナスタシアの兄を戦死させ、父を空襲死させることによって、アナスタシアから家族を奪ったナチではあった。しかし、1943年には、ソ連は反攻に転じ、東欧からナチを駆逐し、東欧圏はナチから解放された。1945年には赤軍はベルリンに突入し、西欧方面からも一旦、太平洋方面から手を引いた米、英軍が西部戦線に投入されたことによって、東西からの挟撃を受けたナチは同年5月、壊滅した。
帝政時代には地主に苦しめられた父は、ソ連では大祖国戦争と称せられたナチとの激戦にて、ナチに殺された。兄も同様である。しかし、アナスタシアと母は生き残った。
母・ナターシャも帝政時代には、父同様、貧しい農家の出身であった。父と同じく学校にも行けず、勿論、参政権もなかった。十月革命によって、ソ連が成立していなければ、母・ナターシャはレニングラードの工場で働くこともなく、父との出会いもなく、やはり、アナスタシアが生を受けることもなかったであろう。
それでも、あるいは、運命という何かの目に見えぬ歯車もよって、生を受けることもあったかもしれない。しかし、当然のごとく、女性参政権もなく、学校にも行けず、文盲であったであろう。
幼い頃から、本を読むの好きで、色々と思いを巡らすのが得意なアナスタシアであった。アナスタシアは、
「もしも、十月革命が失敗し、ソ連邦が成立していなかったら?」
ということを心中にてシミュレーションしていくうちに、
「歴史のもし」
が、もたらし得たかもしれないもう一つの自分の人生について、恐怖に包まれていった。KGB将校として、ソ連邦という国家について、自分のこれまでと重ね合わせつつ、考えているうちに、ある種の怒りと恐怖に包まれていったのである。
自分自身のことを考えているからこそ、自身の立ち位置であるソ連邦のことにも思いが及ぶのである。この点については、自分の人生を思って、祖国・日本を棄てた芳江と同じかもしれない。
先程から、煙草を片手に、自分の作り出した心中でのシミュレーションに耽溺し、結果として、怒りと恐怖に包まれていたアナスタシアではあったものの、怒りの感情任せに、煙草を灰皿に強く押し付けた。煙草を更にもう1本、取り出し、火をつけると、自分自身に冷静になるように、言い聞かせ、謀略将校たる立場に自身を引き戻した。
アナスタシアは、再び煙草をふかしつつ、天井を眺め思った。
「昨今の国際関係の現実は・・・・・」
アナスタシアが、謀略将校の養成学校に入学したのは、大祖国戦争の後、祖国・ソ連邦がある程度の落ち着きを取り戻してからのことであった。その後、1954年に成立したKGBに将校として配属されたのであった。
アナスタシアは、養成学校では、様々なことを学んだ。その中で、印象に残っているものとして、リヒャルト=ゾルゲの話があった。
1930年代、日本の満州侵略(1931年)による東方での大日本帝国の台頭と、ドイツでのナチ政権の成立(1933年)によって、ソ連邦は東西挟撃の脅威にさらされていた。しかし、その危機を救った1つの功績が、日本にてスパイ活動を行った同志ゾルゲによる
「日本関東軍、北上セズ」
の情報であった。
もし、この情報がなければ、ソ連は極東軍を引き抜いて、モスクワ、レニングラード、そして、兄が戦死したスターリングラード戦に転戦させることができなかったであろう。そうなれば、ソ連邦はナチに敗北したかもしれず、やはり、アナスタシアの人生もどうなっていたか分からない。
そのように考えていると、やはり恐怖を感じ、またまた、個人的な感情が湧き上がるアナスタシアであった。
ソ連邦への東西挟撃の脅威のうち、「西」のそれはとりあえず消滅した。しかし、1942年、日本海軍がミッドウェー海戦で勝利したことによって、ソ連邦への東からの脅威である「満州国」は、1955年の今日に至っても除去できずにいた。
アナスタシアが謀略将校になったのも、「東」からのソ連邦への脅威を除去することによって、自身の生活を「祖国・ソ連邦の防衛」という形で防衛したかったからであった。
KGB将校のアナスタシアは、芳江を調略してソ連側に引き込み、中尉として赤軍に任官させた。ハイラル要塞の外郭要塞の攻略することによって、満州里に親ソ政権を樹立することは、「東」からの脅威を取り除く、重要な一歩と言えた。
8-3 現実
しかし、現実の問題として、ソ連邦は日ソ中立条約を更新し、大日本帝国とは中立・不可侵の状態にあった。日本が太平洋方面にて、勝利を収めたことによって、ソ連邦としては日本からに、つまり「東」からの脅威を抑え込むために、1955年の今日まで、日ソ中立条約を継続せざるを得なかったのである。
日ソ中立条約がある限り、対日作戦の発動は難しい。そこで、現実の路線として、「満州国」を何らかの形で切り崩していく必要があった。
同志スターリンは、対日勝利を見ないまま、逝去(1953年)した。しかし、その後、同志フルシチョフが首相兼ソ連共産党書記長として後継した後も、「東」からの脅威といった事情に変化はなかった。
しかし、同時に「東からの脅威」を構成し、東アジア、東南アジア方面に「大東亜共栄圏」を押し広げた大日本帝国は、その勢力圏の維持のためにこそ、勢力圏を維持している、という自転車操業に陥っている、という情報も伝わって来ていた。
1930年代の大恐慌以来、西欧の帝国主義列強に対応して、自らも帝国主義国家として、経済ブロック「大東亜共栄圏」を構築した日本であったものの、英、米等の反撃の予兆、西からのソ連邦の脅威に対抗するため、膨大な軍事費の圧力から解放されることはなかったのである。
アナスタシアの下に届いていた情報によると、日本では、ただでさえ膨大になっている軍事費については、流石に抑え込むために、各兵器、装備の単価を低下させるために投資額を抑え込まんと、労働者の給与を抑える必要が有るものの、内地での労働者の反発を避ける必要があり、内地労働者の給与を何とか維持するため、労働者の給与の資源でもある東南アジア諸国からの資源の日本への移送では、現地労働者に対する強制労働に依存している等の現実があり、太平洋方面での米、英軍の反撃が始まると、強制労働に反発している反日ゲリラが蜂起する可能性も示唆されていた。
状況は満州方面でも類似していた。故に、今回の作戦は、そうした反日勢力を利用しての「東からの脅威」への反撃という性格のものであった。
早晩、ある種の「自転車操業」と化した大日本帝国は、まずは「大東亜共栄圏の内部崩壊」という形で、自壊していくのかもしれない。そうなれば、太平洋を含めて、東アジアから、ひいては日本そのものが、ソ連邦のような社会主義圏-米・英のような資本主義圏の草刈り場になって行くであろう。
ナチが既に壊滅した今、ソ連邦-米・英は欧州では対立的状況に入りつつあった。アジア・太平洋方面でも、やがては同じ状況になるであろう。それに備えて、資源豊かな満州はまず、ソ連邦の手で抑え込み、腐敗のひどさが言われる中国国民党政権に代わって、農村等に浸透しつつある毛沢東等の中国共産党にこれらの地域を引き渡し、ソ連邦に有利な国際関係を構築する必要があった。
以上のように考えつつも、アナスタシアは中尉に任官したばかりの芳江のことが、やはり気がかりだった。
「民間人から、いきなり中尉に任官した芳江が、上手く橋田を殺害できるかどう
か」
武器使用の訓練もなされていない芳江にとって、敵軍将校の殺害という任務は重すぎるかもしれない。訓練されたエージェントを潜り込ませるのも1つの手段だった。しかし、「『皇国男子』を強調するスケベな男尊女卑男」-アナスタシアはそのように聞いていた-に接近するには、まずは標的・橋田至誠を油断させる必要があった。
謀略将校らしく、心中にてシミュレーションをしていたアナスタシアではあったものの、2本目の煙草を灰皿に押し付けると、椅子から立ち上がった。背後の壁に掲げてあるレーニンとスターリンの肖像画を振り返りつつ、
「さてと、私も芳江の上官的立場として、駐蒙第12〇師団4×連隊に戻り、対満
進攻準備に加わらないと」
心中、そのように言うと、別室にて軍服から、平服に着替えた。そして、その日のうちに、ソ連の某貿易事務所でありつつも、ソ連の対満工作拠点でもあるその建物を出、民間人女性を装って、蒙古人民共和国に向かった。
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