第28話
屈んでいた姿勢から立ち上がる芳夫に合わせて、光弘も立って身を伸ばした。不自然な体勢で、不可思議なものを見ていたからか、全身が強ばっていた。
芳夫が話を続けるかと思ったが何も言わず人形を格子越しに見ているので、
「こっぱい、ですか?」
改めて、それを尋ねた。
「はい」
「それは、なんでしょう……?」
「ああ──」
芳夫をふくめ、周囲にいる玉井工務店の面々が、こいつはその点からして理解していないのか、という顔になった。
「ここを出ながらお話ししましょうか。健一、灯り消して」
はい、と健一が返し、灯明の火に金属の小さなフライパンのようなものをかぶせて消していった。格子の内側に再び満ちる暗闇が、地の底に座り続ける人形と、人間の手首を詰め込んでいたという不気味な箱を飲み込んでいった。
健一が四つん這いで出てきて戸を閉め、大きな金属の錠をかけた。
「じゃ、戻りましょう」
芳夫に言われ、光弘は相手の隣に並び、来た通路を──今度は左へ左へ曲がりながら進んでいった。そうしながら、芳夫の話を引き続き聞かされることとなった。
「家勢がある者が、神を降ろすのも、人を献げてその霊をとどめさせるのも、この国では全てお家を守り、その家勢を盛んにするためでした。特に昔のお武家の人々は、現代人が個人の人格を尊ぶのとは違い、家格を自分のアイデンティティにしてたんです。自分は家の一部だと思う。自由か不自由かはさておいて、それが常識だったんですね」
それこそ現代人である光弘にはいまいちぴんとこないが、「はい」と素直にうなずいた。
「祭祀場で祀られる神や霊は、お家のためのもので、個人の願いを叶える街角の地蔵のようなのとは違います。対して、骨灰というのは、個人の怨みが無数に蓄積されたものといえます。一つ一つは塵のようなものでも、積もり積もることで、神や霊を冒し、祭祀場を祟りの場に変えてしまうことすらあるのです」
「はい」
「私どもも、祭祀場が骨灰に冒されないよう、百カ所以上の現場を管理しています。日々のお浄めを怠らず行い、ときには祓ったり鎮めたりするんです」
「代々そうされているんですか?」
「今の玉井は、私で四代目です。前の戦争のとき、東京大空襲で焼け出されたあと、土地をアメリカにとられてしまった宮司がいましてね。その宮司が、玉井です。行き場を失い、弟が婿入りした荒木家に世話になってたんですが、この荒木が、大工の家でした。で、弟のつてで地鎮祭など任されるうち、祭祀場の管理などもするようになったそうです。きっと、お浄めや、お祓い、さらにはお鎮めの才能があって、ほうぼうから呼ばれたんでしょう」
「玉井さんと荒木さん、ご兄弟の血筋だったんですか」
徹頭徹尾、一族経営だ。しかも四代目というのに感心させられた。
シマオカ本社のお偉方の口癖の一つに、「一族経営の会社の場合、三代目には注意しろ」というのがある。たいてい三代目が、会社を食い潰すか傾けるかしてしまうらしい。逆に四代目は、ある一族が世代交代という難局を乗り越えたことを意味するのだという。
「ええ。まあ、そうなります」
芳夫はなぜか妙にその点をぼかし、話を続けた。
「そんなわけで、玉井は代々この東京で、お浄めだけでなく、祟られたときのお祓いや、祟りがおさまらなくなったときのお鎮めを勤めとしてきたんです。他と違って、東京の祟りは特殊でしてね。大半が、骨灰によるものなんです。人が焼け死んだあとに残ったものが、土という土に染み込んでいるんですよ」
「焼け死んだ……」
それでようやく、こっぱいの字に見当がついた。
「はい。江戸は火事で知られた都市でもあります。二百五十年で、大火災が百回以上も起きてるんですから。二、三年に一度は火に襲われたことになります。近代になっても、関東大震災があり、東京大空襲があり……。東京の土にはどこも、骨まで焼かれた者の
「土に……そんなことは考えたこともありませんでした」
「関東の土は酸性で、骨を溶かしてしまいますから。遺体が跡形もなくなるんです。ヨーロッパだと沢山の骨が残るので、ある意味、供養しやすいんでしょう」
「そうなんですか……」
としか言いようがなかった。今しがた口にした通り、これまで考えたことがなかったし、考えると気味が悪くなってしまう。この人たちは、公園で子どもを遊ばせながら、ここの土にもきっと大昔の人の骨が混じっている、などと考えるのだろうか。
芳夫は、左へ折れて通路を進み、
「はい。先代は、ずいぶん大変な仕事をしてきたと聞いています。東京でビルの高層化と、地下の開発が進んだせいで、大量の骨灰が出てきたりしてね。松永さんが担当しておられる渋谷の東棟などは、その最たるものの一つといえます」
唐突に、東棟の話題を出された。彼らを訪ねた理由が忘れられていなくて何よりだと思いながら、光弘はここぞとばかりに早口で尋ねた。
「その件で、ぜひお伺いしたいことがあります。私が調査した際に、地下の祭祀場と思われる場所に人がいまして──」
「はい。うちが雇った、御饌使です。そうだな、奏太?」
芳夫が肩越しに声をかけた。
「ええ。ハラさんです。
光弘は、あっさり氏名が割れるとは思っておらず、
「どういう字ですか?」
慌てて訊くと、芳夫が応えて言った。
「原っぱの原に、義理の義、数字の一です。若い頃から、先代の現場で、作業員として働いていたんで、付き合いがあったんです」
光弘は携帯電話を取り出してメモした。
「それで……東棟には、何かの儀式のために?」
「はい。さっき見た形代ですがね、あれを据えるとき、先代に雇われた御饌使が、七日七晩、そばに居続けたんですよ。真っ暗な中、形代の横で寝起きしてね。そうして形代と祭祀場を定着させるんですが、東棟の場合、祭祀場が深いのと複雑なのとで、ひとまず骨灰が祟らないか様子を見るための御饌使になってもらってたんです」
「鎖でつながれていたのも……儀式のためですか?」
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