第13話

 そこでドアをノックする音がして、竹中が口をつぐんだ。

「失礼、すがわらです」

 作業着を着た大柄な男性社員が会議室に入って来て言った。首から吊した社員証には『所長 菅原研人』と大きく印字されている。胸ポケットには、大ぶりな眼鏡と、色とりどりのペンを四本も差し込んでいた。

 東棟の現場責任者であると同時に、大規模再開発事業を推進する上で、住人との交渉をふくむありとあらゆる業務を監督している人物だ。プロジェクト全体における事実上の統括責任者といっていい。

 光弘と竹中が、さっと立って頭を下げた。

「すみません、わざわざお越し頂いてしまいまして」

 竹中がそう言いつつ歩み寄ろうとすると、菅原が気さくそうな笑みを浮かべて手振りでそれを止め、テーブルの向かい側に回りながら言った。

「ちょうど本社で会議でしたから。現場で事件があったと聞いて来ました」

 菅原が椅子の一つを引き、二人と向かい合う位置に座った。竹中と光弘も座り、竹中が画像のサムネイルを一覧にして表示したタブレットを差し出した。

「作業員と思われる者が投稿したツイートの調査で、こちらのまつながが撮影したものです」

 菅原がちょっと光弘に目を向けてうなずきかけた。光弘は小さく頭を下げた。てっきり菅原は胸ポケットの眼鏡を取り出してかけるのかと思ったが、そうはせず、目をぱちぱちさせながら不慣れな感じで画像に指を当て、一覧を上下にスクロールさせた。

「これ、地鎮祭のときに作った神棚かな。へえ、どこにあったんです?」

「地下のかなり深いところです」

 菅原の言葉を、光弘は意外に思いながら自分のタブレットに図面を開き、階段があった箇所を指さした。

「ここに折り返しの階段があって──」

「ああ、祭祀場ですか。あそこは誰も入れないんですけどね。どうやって入ったんですか?」

 言外に、菅原自身も立ち入れないと告げていた。

「でもドアが開いてましたし、ツイッターに投稿された添付画像からして、誰かが出入りしていたと思われます」

「ドア? ここはふだん、鉄板で階段の入り口を覆ってるはずです。八十年以上も前に作られた場所でしてね。図面も何もかも、専門の業者が管理してるんですよ」

 竹中が身を乗り出した。

「専門の業者と仰いますと……?」

たま工務店という下請けの一つです。この神棚を作ってくれた会社でもあります。普通の工務店と違って、祭祀場の管理を主にやっている会社でしてね。他の現場でもけっこうお世話になってるはずですが、具体的にどんな仕事かは私にもわかりません」

「菅原所長も、業務の内容をご存じではない?」

「そうなんですよ。先代か……もっと前の会長の肝煎りだったかな。私らが入社もしていない頃の仕事を、今も代々引き継いでるようです」

「予算は出てるんですか?」

「ええ。会計データに載ってるはずですよ」

「明細から業務を類推することはできますか?」

「多少はね。ただ、神事というやつでして。技術的というより作法の問題と言うのかな。何かと立ち入れないんですよ。さっきも言いましたが、図面もこっちにはないですし。儀式の立ち会いも会長だけだったか……社長もだったかな。まあ、その儀式だって、竣工時や解体時に行われるくらいのものですから。建物一つにつき何十年に一回って感じでしょう。正直、これを見せられるまで存在すら忘れてました。ああ……、『地鎮祭』か『祭祀関連』で会計データに載ってると思います。いや、『祭祀場設備工事費』だったかな」

 光弘は鞄から手帳を取り出してキーワードをメモした。その手が止まるのを待ってから、菅原が腕時計を見つつ早めに本題に入ってほしいという調子でこう口にした。

「用件はこれだけじゃないでしょう?」

 はい、と竹中が言って、いったん菅原の前からタブレットを引き寄せ、問題の画像を二つ並べたものを表示させて再び差し出した。どちらも光弘が撮影したもので、一つは穴の底で鎖につながれた男、もう一つはボヤの跡だ。

 それらを見た菅原の表情がみるみる引き締まった。怒りで不機嫌になるというのではなく、異常な事態を前にして腹を据えるといった様子だ。こんなものを見せられて驚きの声を上げもせず、黙ったまま竹中と光弘に目を向けて説明を待っている。さすがは前代未聞の大規模再開発を推進してきた人物だった。体の真ん中に頑丈な鉄骨が立っているようだと光弘は感心した。

 唐突に、自分もいつかそうなりたいと願っていた頃の記憶がよみがえった。父が元気で明るかった頃の姿と、菅原の姿が一瞬重なったのだ。もちろん故人を偲ぶのに適したタイミングであるとはとても言えないので、そんなことは口にせず、光弘は竹中から促されながら、現場で経験したことを、かいつまんで話した。

 菅原はときおり相づちを打つだけで、遮って質問したりせず、最後まで黙って聞いていた。光弘が話を終えると、菅原はゆっくりと思案深げに言った。

「まず、玉井工務店に連絡し、彼らが階段を露出させたか確かめる必要がありますね。私から、会長と玉井工務店の両方に尋ねてみます」

 竹中がすかさず訊いた。

「我々も聴き取りをしたいと思いますが、問題はありますか?」

「問題ないと思いますが、答えてくれるかどうかはわかりませんね。祭祀場の工事についても公表していいかどうかということなら、最終的には会長の判断を仰ぐ案件になると思いますよ」

「わかりました。ありがとうございます」

「次に、この男性ですが、本人の意思でこうしている可能性はありませんか?」

 菅原のその言葉に、光弘と竹中がぽかんとなって顔を見合わせた。そんな二人の様子をさもありなんという顔で眺めながら、菅原が続けた。

「抵抗したあとがないように見えますのでね。まあ警察ではないんで断定はできませんが……、何しろ立ち退きを拒否する路上生活者も多いし、しばしばデモが行われる地域ですから。我々も行政と相談して、地道に解決を目指していますが。昔は、フェンスや駅の柱に、自分を縛りつけて立ち退きに抗議する、政治活動家たちもいましたし。あるいは、いくばくか路上生活者に金を払ってね、抗議をさせる住民もいたんです。土地の買い取り交渉で、値をつり上げるためや、逆に値を下げさせるためにね。あまり大きな声では話せませんが。なんであれ、支援団体にこの人物を知る者がいるかもしれません」

 竹中がちらっと光弘を見た。

 おかげで光弘は、『路上生活者』と『支援団体』という言葉をメモせねばならなかった。これで調査範囲が一気に拡大したわけで、短期間で調査を完了させることができるかどうか一気に心もとなくなってきた。

「このつながれている人物は、路上生活者であると思いますか?」

 竹中が質問を返した。菅原は首をひねって、断定は避けた。

「わかりませんが、一見してそうかなと思わされる姿ですね。どうやって入ってきたか、松永さんが解放したあと、どこへ消えたか、こちらでも警備に調べさせます。まず間違いなくどこかの監視カメラに映ってるでしょうから、該当する映像のコピーを用意させましょう。また、このところの人手不足を理由に、下請けが勝手に人を集めてきているのも事実でしてね。現場に出入りする作業員の身元を洗い直します」

「はい」

 竹中が深くうなずいた。そのような煩雑な仕事を、現場が率先してやってくれるのはありがたい限りだという気持ちが態度にあらわれていた。

「最後にこの、ボヤですが、放火でしょうね。こんな所に勝手に火がつくはずがない」

 菅原が淡々と言った。あまりに平静と言おうか、肝が据わった物言いのせいで、かえって竹中と光弘はそろってぎくりとさせられてしまっていた。

「消防と警察の仕事ですから、こちらは上と法務部に相談して対応し、工期が遅れないよう各所と調整をはかります。警備を増やし、出入りを厳重にチェックするほか、さっき言った作業員の身元の早急な洗い直しが必要ですね。まあ、作業員はこういう犯罪には敏感ですから、不審な人間がいればすぐにわかると思いますよ」

 まったく動じることなく、すらすらと防止策を述べてくれる菅原にまたもや感心させられながら、光弘は急いでそれらの言葉をメモした。

「公表は?」

 菅原に尋ねられ、竹中が、うーんと間を置くために唸った。

「現時点では公表すべき材料が乏しいので……私どもも上と法務部に相談します」

「上は渋るかもしれませんね」

 菅原がそれだけ言って椅子から腰を上げた。

「詳しいことがわかったら、こっちからそちらへ伝えさせます。そちらも何かわかりましたら教えて下さい」

 竹中と光弘も立ち上がり、二人していんぎんに礼を述べながら退室する菅原を見送った。

 それから竹中がテーブルに腰掛け、タブレットにサムネイル画像の一覧を表示させた。

「ひとまずこの画像だけでも、緊急調査の成果として十分使える。ご苦労だったな。といっても所長の話を聞いた限り、もうひと苦労してもらわないといけなそうだが」

「はい。所長が仰っていた玉井工務店と、路上生活者支援施設を当たってみます。地下にいた人物が何者かわかれば、全体像が見えてくると思いますし」

「今日はひとまず会計資料だけでも集めて、アポを取ってくれればいい。体調は?」

「もうだいぶよくなりました」

 なるべく普通の声で返そうとしたが、頑張って菅原相手に口頭で説明したせいで、かすかすの声がこぼれだし、竹中を神妙な顔にさせてしまった。

「今日は病院で診てもらえ。この業界で上司にそう言ってもらえる幸運を無下にするんじゃないぞ。それにこの調子だと、かなり働いてもらうことになりそうだ」

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