第20話 救世主の生まれる日Ⅱ

 はじめて違和感に気がついたの母さんのカルテや治療内容などの報告書を読んだ時だった。


「なに・・・・これ?」


 母さんはある日を堺に体調が悪くなっていた。それも急激に。おかしいと思うのは普通だと思う。仮にも医学部に通っているのだから。


 一度生まれた疑惑は納まることを知らない。どんどん、どんどんコップの水が溢れるほどに、積み重なっていった。自分でも驚くほどに・・・・


 だから、決めたの。母さんの死。その真相を明らかにしたいって


 それから、毎日、毎日調べた。病院に通って話を聴きに行った。けど、忙しそうで話を聴ける状態ではなかったからほとんど無駄だった。そんな時に母さんの担当看護師であった浅田から薬の投与を減らすようにという指示を受けたという告白を聴いたの。




「あの娘今日もまた、来てたわね」


「母親のことでね」


「無理もないわよね。あんな異常な治療されたら」


 雷に撃たれたというのはまさにこういうことなのだと知った。私は咄嗟に隠れたわ。見つからないようにね。


 それでも、黙って話を聞くしかなかった・・・・


「薬の量を減らせなんて、指示するなんて・・・」


「原先生もおかしくなったのかしら?」


 原?原とは誰だ?まさか、


「そうそう、それに突然の主治医交代でしょ。何か勘ぐるものがあるわよね」


 やはり主治医のことだったそれに交代?


 現実が思考を超越している。完全にオーバーだ。


 それから、何か喋っていたようだが、何も聞こえなかった。


 帰り道、暗い道だ。街灯はすべて、故障している。ただ、真っ暗な闇が道を覆っていた。




 はじめて知った。それに薬の量を・・・確かに母さんは安定していたが、薬を減らして安心できるような状態では・・・なかったのに。


 それが、原真人先生の仕業だって。どうしようもない錯覚に陥った。その医者はすごく優秀だと聴いていたから。まさかそんなことが当たり前のように行われていたなんて。


 この時でしょうね、力が欲しいと願ったのは。




 部屋に着き、ベッドに顔を埋める。どうしようもない感情がこみ上げてくる。それの名前は絶望。そして、私にはどうしようもないことを理解した。だから、現状に対する怒りというべきかもしれない。


 スマホが奇怪な音を鳴らした。


 悪魔が呼んだような、気味が悪い、でも、抗いがたい耳障りの良い音。


 スマホを開く。画面にはインストール完了の文字。


 この日、この瞬間を以て私はSaving Worldを手に入れたの。






 この力を知ったわ。はじめて読んだときは冗談だと思った。


 質の悪いイタズラだって、でも、どこか心の端の端。無意識とも違うそんな部分でこの力は本気だと思っている自分がいた。


 喉が渇いた。その渇きを潤すために冷蔵庫を見る。


「何もないじゃない」


 自分でも、驚きだった。最近、家のことを何もしていなかったことを実感させられる。


 その証拠に洗濯物、ゴミは溜まっている。


 ハアーとため息しか出てこない。


 ここまで、雑になるなんて。仕方がないから、少し遠いがコンビニで買おう。


 外に出ると、相変わらず暗いままの道だ。星も出ていない。かろうじて、月明かりだけが私の道を照らしてくれている。


 歩くこと20分。目的地にようやくついた。車を使おうとも思ったが、今夜だけはそんな気分にはなれなかった。


 コンビニに入る。


 入店の音と同時にいらっしゃいませ~の機械的、儀礼的な声が店内を駆け巡る。


 私はいつものように、コーヒーと2Lのお水。そして、パンやおにぎりなどを買えるだけ買い込む。


 ありがとうございました~先ほどと同じ抑揚の声。レシートを見ると11時を少し過ぎていた。


 我ながら、無鉄砲なことをしたものだと自嘲する。今までならこんなことはしなかっただろう。夜空を見上げながら、歩いていく。星は見えるが何座なのかはわからない。ただ、キレイだと思うだけ。


 ふと、前を見ると酔っぱらいのように身体をフラフラさせている若い男性の姿があった。


 フラフラ、フラフラ、


 完全に酔っ払っている。私は無視しようかと思ったが


「そう・・・・なん・・ですよ~~~~。ヒック、酷くありま・・か?そんな・・・こと・・で解雇・・・て。もう、こうな・・たら・・・死ぬしか・・・・ない・・じゃ・・か」


 その声は涙でよくわからない声だった。なにを、誰に言ってるかもわからない。


「ぶちょ~はの~こ~そく?で、しん・・・・たし、・・は・・・い・・・ししゃった・・・、こーーむいん・・・としてやりがい・・・を・・・・たのに。ひっく、ひっく」


 どうやら、クビになったらしい、公務員なのに。一体どんなことをやらかしたのか?


 そんなことを考えていた。


「おーーーい、おじょーーさん、ひとり~~~」


 突っかかってきた。


「ね~~~え~~ちょっとイイこと、しな~~い?」


「いいえ、結構です。」


 即答だった。その反応が気に食わなかったのかガシっと腕を無理やり掴まれた。


 ペースを掴まれ、そのままの勢いで地面に倒される。持っていた紙袋は弾かれ、3m先に転がっている。


「っく、なにす」


 口をふさがれる。男はそのまま、馬乗りになり私の身体を這いずる虫のように触りだす。


「ハアハアハハアハアアア」


 酒臭い吐息が思考を停止させ抵抗の力を奪っていく。両手はついているはずなのに、感覚がないどれくらいたったのか・・・抵抗しなくなった私を視て諦めたと思ったのか、男はにんまりと表情を浮かべる。


「このまま、野外でっていうのもアリだな。キャハハハハハ」


 男の笑い声が響き渡る。ちょうど、電柱と小道の間で死角になっている。男が上着を脱ぐ。そこには下卑た顔が。手で口を押さえられ、息が止まりそうになる。呼吸することすら厳しくなる。そのことに気がついたのか男は口から手を離す。


 その瞬間に助けを呼ぼうと口を開けた瞬間、


「ゴボッ」と男が私の口に左手4本を突っ込んできた。


「ウウッ、ゲフッウウウ、ゲホ」


 あまりの苦しさに目からは涙が、口からは唾が出てくる。そのまま、左手で口の中をクリームを混ぜるかのように動かす。ぐるぐる、ぐるぐる、ぐるぐる・・・・・


 もう唾がよだれとなって口から溢れ出す。まるで、赤ん坊のように。その様子が男の嗜虐性をさらに高めていった。男は馬乗りの姿勢をやめ、右膝を私のお腹を圧迫するかのように乗せてくる。すると、胃の中のものが逆流してくる。それを何度も何度も男は繰り返す。


 私は言葉にならない声をだそうとすれば、するほど苦しさのあまり、声がでない。気が付かない間に5本の指全てが私の口中を犯している。涙や鼻水、よだれがダムの放水のように流れ出す。男はその様子がたまらないのか、私の喉に手を掛け、圧迫と開放を繰り返す。


 私の意識が希薄になっていく、死んだ方がマシとすら思える苦しさ。そして、それをこのまま受け入れようとしている愚かな私がいた。


 男はかき混ぜながら


「どうだ、・・・・キモチイイだろ、キモチイイだろ。キャハハハ、ハアハア、ああ、もう最高だ。こんな女をムチャクチャにできて、もう──────最高、たまんないよ。ハアアアッ、オレさ、クビになるの。役所を、なんでだと思う?」


「ガハッ、ガハッつ」答えない、答えられない。


「ああ、こんなんじゃ声だせないよね。まあ、出させないけど。」


 そうして、より手の回転を早くする。ぐるぐる、ぐるぐる。


「オレ、人事課っていう部署なんだけど、内定者に説明会あったのね。面倒だけど、そこで、トンデモナイゴミみたいな奴がいて、気に食わなかったのよ、なんかオレのこと小馬鹿にしてるっていうかそんなやつがいたのよ。」


 男は怒りを思い出したのか、少し手を動かすスピードが遅くなっていった。


「そんなやつが、これから先一緒に働くと思うと虫唾が走ったのよ。明らかにそいつ、ゴミを見る目でオレを視てたのよ。だから、気に食わないから、そいつに難癖つけて、内定取り消してやったのよ。書類を改ざんしてチョチョイっとね。」


「んで、それを帰りに伝えてやったら、どんな顔したと思う?」


「今のきみのような顔してた。苦痛に歪んで、我を忘れて、今にも泣き出してしまいそうな顔を」


「その顔がすっっっっっっごくたまらなかった。ああ、あの人が言ってたことってこういうことだったんだって、あの人に見せてあげたかったなあ。」


 どこか懐かしむような、愉しみの声をあげる。


「そしたら、新しく来た部長が駆けつけて、事情聴取されたの。そんで、結果的に懲戒免職食らったってわけ。ふざけてるよね、あんなゴミ、蛆虫未満のやつを採用するなんて、おかしい、オレはこの町を守るために駆除しようとしたのに、だーーーーれも理解しない、馬鹿ばっか。」


「グボッ」


 今度は手をより奥に突き出された。


「ああ、あの素晴らしい人達がいたらなあ~~~」


 男は落ち着いたのか手のピストン運動をし始めた。


「だから、ごめんね、オレのストレス発散に突き合わせて、」


 一切の謝罪の意図が感じられない言葉を吐き出す。


 手の動きがますます、激しくなっていく。そして、ついに・・・・


「ゲボッ、グバビャ」


 私はあまりの苦しさにとうとう、胃の中にあったものを含む全てを吐き出した。心臓が破裂しそうなほど、高鳴っていた。男の汚れた左手から私だったものが垂れてくる。


 ビチョ、ベチョ、ビチョ、ネチョ


 汚れきった私と自らの手についた汚物で私を汚していることに男は興奮仕切っていた。


 その顔は般若のような色に変わっていた。


「ハア・・・・ハア・・・・・ハア」


 男が呼吸を整えているのが聴こえる。それはまるで、次の行為の合図を知らせているかのようだった。


 だが、男に次はなかった。


「─────よね。だから、─────」


 女の声が聞こえる。徐々に大きくなっている。


「─れは、───ちが──」


「─────だ。─しょうこ──か?─」


 男女の言い合いだろうか何か言っているのだけは分かる。


 これは、チャンス。ここで、大声をだせば、


 瞬間、男は先程とはうって変わって青ざめた顔をしている。


「ハアハア、なん・・・・であの人・・・・っが?こんなところにいるんだ?」


「っう、これじゃ─────」


 男は上着を急いで持ち、何も言わずに暗闇から姿を消した。


 バンっと大きな音を立ててものが落ちたことにも気が付かぬまま。


 ────脅威が去ったことに安心し、その場で仰向けのまま、呼吸を整える。


 先程、見上げた空とは別のような多くのキラキラ輝く星々に囲まれた夜空に見えた。


 フー、フー、フー、ファーーー


 息を吐いて起き上がる。さきほどの男女の声はいつの間にか聞こえなくなっていた。


「助かったわね。あのままだったらどうなっていたかしら─────」


 自分でも、思う。もし続けていたら、処女ではいられなかった。そういう奴だった。


 コンビニ袋を手に持つ。ふと、見ると財布が落ちている。きっとあの男のものだろう。


 中身を見る。当然だ、これで、金でも手に入れなければ帳尻が合わない。


 が、入っていたのは1000札4枚と小銭が少々。


 はあ~とため息をつく。何も数十万を期待したわけではない。そもそも、現金を持ち歩く人が少なくなっている世の中なのだ。


 っと財布のカードを入れを見ると、そこには名刺が入っていた。


 河田章というらしい。市役所の人事部と書いてあるからまず、間違いないだろう。


「警察に訴えようかしら──────


 いいえ、そういえば面白いおもちゃがあったわね。」


 アプリSaving Worldを開き、奴の名前を入力する─────


 粛清完了の文字がすぐ表示される。


 心臓の鼓動がうるさすぎるほど鳴り響く。それは先程の比ではない。


 男が向かった方面に足を進める。この道は一本道、大通りに出るまえに見つけたい。足取りは獲物を追いかける追跡者のそれだ。


 大通りに出た。夜中であるため、人を見つけるのは容易い。しかし───獲物の姿は見えない。


「うそ、もしかして、もう大通りを抜けたの?それとも、タクシーにでも乗った?」


 暫く道沿いを歩くが獲物は煙のように消えてしまったとしかいえないほど何もいない。広い宇宙で私だけが存在しているかのような奇怪な感覚に陥ってしまう。


 ──── そこに一筋に光が道路を照らし出す。一瞬だった。光が道路に蠢く何かを照らし出す。


 それは、人形をした黒い物体。気がついた時既にそれは光を放つ車によって夜空に浮かんでいた。その顔にすでに色はない。──────否、色はあった。ただ、その色はあの男の血液だったというだけ。今まで裏側だったものが表に出てきただけのこと。


 男だったものを引いたトラックは動物でも引いたのかと、止まったもののすぐさま何事もなかったかのように、日常に戻っていった。


 そしていま、人だったものは私の前でその無様な顔を晒している。さっきの私と同じくらい無様で見応えのある格好だと思う。私との違いをいうならば、息をしていないこと。そして、苦しみを味わうことがなかったことだ。


「ふっっっっっっざけないで。アンタ!、何幸せそうな面して死んでんの?」


 声を掛けても反応はない。苦しみも愉悦も私は得られない。感じられない。


「─────────────────── 」


「───────────────────────────────────────── 」


「────────────────────────────────────────────────」


「─────────────────────────────────────────────────────────」


 私の声とは思えない声。何を言っているのか、そもそも自分の中から出たものとは思えなかった。


「─────もうこんなの私じゃないよ。」


 そのことに気がついた時、私の中のナニカが音を出して崩れ落ちていった─────


 きっとそれは、人が人でいられるための──── 必要条件だったもの─────────

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