第13話 それぞれの仮面

 店を出ると、陽はとっくに沈み夜の帳が落ちていた。


 ずいぶん長い間話していたのだと実感した。


 帰り道、僕はずっとユキのことを考えていた。


 彼女の言いたいことは分かったつもりではある。だが、魂がそれを受け入れることを拒んでいる。それは、彼女の声が、顔が、心が────悲痛を上げていることを知ったから。


「オレが裁くか・・・・」


 抵抗はある。あの人がどうしても泥だとは思えない。でも、薬や自殺した看護師の件も気にかかる。


「ビービー」


 スマホがなっている。電話だ。


 掛けてきたのは・・・・・ユキ。


 ではなく、椿原市民病院からだった。心臓が高鳴るのを感じた。


 内容もだが、原医師との接点を作れるかもしれないと考える。


「はい・・・・・天斗です。」


 電話の内容は黒田の家族がぜひ会いたい思っているという内容だった。


 会いたくはなかったが・・・原医師に立ち会ってもらうことを条件に承諾した。


 明日の朝11時に病院に行くことになった。


「オレが黒田を殺そうとしたって知ったらどんな表情をするんだろうな?」


 なんて、思ってみたりする。




「はじめまして。この度は妻の命を助けてくれて本当にありがとう。なんといっていいかもわからないが、とにかく本当にありがとう。」


 といい、深々と頭を下げる男性、夫の黒田健だ。体格は良く、声にも重みが感じられる。その落ち着きぶりは一瞬あの女の父親かと錯覚してしまうほど、年が離れているように見える。少なくとも33歳には見えない。


「驚いたかな、いきなり呼び出して申し訳ないと思う。本来菓子折りの一つでも、持ってこちらから出向くべきところなんだろうが、最近は個人情報がうるさくてね・・・」


 ちらっと、原医師の方に目を向ける。


「いえいえ、僕は当たり前のことをしただけですよ。本当は倒れる前に気づければよかったんでしょうが・・・・」


 目を伏せながらそう告げる。すこし、居心地が悪い。


「とんでもない、最近はそのまま放置する人だっているんだ、君の通報で妻は救われたんだ。本当にありがとう!これは少ないが受け取って欲しい。本当はこの程度では足りないとは思うんだが、私達もこれからその・・・物入りでね・・・」


 それはそうだろう、あの女の収入がなくなり、介護という足かせをつけながら、あの女と一緒に過ごすことになるんだから、そう思うとこの男性に憐れみを覚える。お金に関しては・・・躊躇っていると原医師がこちらを見てくる。その顔は受け取りなさいと言っているようだ。


「わかりました。ありがたく受け取らせていただきます。僕もその、生活が楽ではないですので・・・」


(あんたの妻の報酬が少ないせいでな・・・!封筒をちらっと覗くと帯が3枚。300万も!)


「ありがとう。それでこれから、少し二人きりで話せないだろうか?少し訊きたいこともある。」


(なんだろう?訊きたいことってと思いつつも、こんな大金もらったら断りにくい。)


「ここで、良いなら構いませんよ。午後からは人と会う予定がありますので、できれば、手短に・・・」


 本当は予定などなく、バイトも17時からだから問題ないのだが、あまり長引いても嫌だから、釘をさす。


「ああ、ありがとう。悪いね。じゃあ、早速。」


 というと原医師は部屋からでていった。予めそういう打ち合わせだったのだろう。


「まず、これはお願いなのだが、妻のことは絶対に他言しないようにして欲しい。」


 思いがけないことだった。とはいえ、僕も言いたくないことだったから


「ええ、当然です。個人情報ですし、ましてや、障害者のことを言いふらしたりなんか絶対しませんよ。」


「はは、ありがとう。君は本当にいい子なんだね。これは少しだが、口止め料だ受け取って欲しい。」


 そういって今度はカバンからまた、別の封筒を取り出す。今度は100万円だ。


「いや、さすがにこれは・・・」


 いくらなんでも、抵抗を覚える。拒否しようとすると、


「頼む。どうか受け取って欲しい。」


 先程の言葉とはどこか違う。先程を懇願とするなら今のは脅迫だ。


「わかりました。ありがたくいただきます。」


 ───ふう~と安心したかのような息をもらす。それほどまでに知られたくないのだろうか・・


「それじゃ、次にいくつか質問をさせて欲しい。まず、君と妻はどんなつながりでどんな話をしていたのかな?」


 不倫相手とでも思っているのか?いや、そんな相手に金を渡したりしないか。とはいえ、全てを正直に話すわけにはいかない。


「ええっと、そもそも黒田さんとは役所の試験を受ける時の受験者と試験官という関係で、あの日スーパーで出会って、僕のことを覚えていたのか、向こうから話しかけてくださいました。それで、バイト先のことを訊かれたので、あの喫茶店で話をすることに・・・」


 嘘は言っていない。ただ、見方が違うだけだ。


「なるほど。」


 とメモ帳に書き留める。そんなに詳細なことが知りたいのだろうか・・・・


「それで、バイト先のどんな話を?」


「バイト先、居酒屋の楽っていうですけど、そこで、先月9月13日にシフトが入っていたかを訊かれました。その日は入っていたので、入っていたと答えました。」


「どうして、か・・・いや、妻はそんなことを?」


 あの女との会話を思い出す。そういえば、微妙に会話が噛み合っていなかったことを思い出す。奴はあの夜僕が聴いた話をそっちと言っていた。つまり、僕に訊きたかったことは別にあるということだ。


「・・・・・・」


「どうかな?」


「すみません、ちょっと理由まではなんとも・・・推測ですけどあの日、13日は黒田さんも来店されてましたので、飲食費を経費で落とそうとかそんなことなんじゃないでしょうか?」


 絶対に違うと思いながら、告げる。


「そうか・・・・」


 天井を見上げ、つぶやく。その様子からでは何が訊きたかったのか、求める答えが何だったのかわからない。


「その会話の途中で倒れてしまわれたので・・・」


「そっか、分かったありがとう。くどいようだが、この話も他言してくれるかな?」


 そこまで、知られたくないのだろうか・・・・疑念を抱きつつも


「わかりました。」


 と告げておく。


 うんと頷き席を立つ。どうやら、尋問はこれで終わりらしい。


「今日は本当にありがとう。何度も言うが君のおかげで・・・妻は助かったんだ。改めて本当にありがとう。」


 深々と頭を下げて出口に向かう。僕はある疑念を抱きながら・・・訊いた


「あの、黒田さんに会うことはできるでしょうか?」


 間髪入れず返事が来る。


「すまないが、現在面会謝絶中でね。詳しい話は原先生から訊いてくれるかな?」


 といって部屋から出ていった。


 入れ替わるように、原医師が入ってくる。


「今日はわざわざ済まなかったね。黒田さんとの面会はまだ、もう少し掛かりそうなんだ。無事快復したら、連絡するよ。」


「はい、お願いします。」


 即答だった。でも、興味があるのはあの女じゃない。僕の興味はとっくに・・・


「あの、黒田健さんはなんの職業をされているんですか?」


「ああ、たしか公務員って言ってたかな。多分彼女と同じ、桜川市役所だと思うよ。良いよね職場結婚か、僕には縁のない話だよ。」


「でも、医者って儲かるんじゃないですか?」


「そうだけど、労働時間には見合ってないかな?」


「へえ~、ちなみに、今日は何時まで働くんですか?」


「うーん。今日は、当直でもないから、22時には帰りたいなあ~~」


 帰りたい・・・か


「それは・・・大変そうですね。」


「そうなんだよ。ああ~いつ結婚できるんだろ」


 などと、愚痴を言っている医師を無視して帰る。知りたいことは知った。


「ありがとうございます。今日はこれで、失礼します。」


 そう言って出口に向かう。


「先生最後にいいですか?」


「ん?何かな?職場結婚のコツなら知らないよ。知りたいなら、同じ専門の辻先生に・・・」


「先生は絶対に治らないと言われる病気の患者が担当になったらどうしますか?」


 瞬間、表情が変わるのが分かった。がすぐに元に戻って、


「そうだなあ~絶対に治らない・・か。うん、それでも僕はその最期まで手を尽くすよ。絶対に治らない病気であっても。」


「それは・・・自己満足ですか?」


「自己満足・・・か。そう言われると半分正解、半分間違いと言えるかもしれないね。最期まで手を尽くすといったけど、それは患者に治って欲しいという想いと治って欲しくないという想いがある。」


「・・・・・・」


「治って欲しいという想いは言わなくても分かると思うから、説明は省くね。治って欲しくないという想いは一重に医療、ひいては科学の発展のためだよ。医療の発展は失敗と挑戦の繰り返しだからね・・・今の患者が助からなくてもそれをきっかけに将来多くの患者が助かるなら・・・・とね。とはいえ、実際、目の前にそんな患者が現れても僕は・・・そんなことはできないかな?チキンだから僕。見たまんま。どう、答えになっているかな?」


 確信した。やはりこの人は・・・・


「はい。ありがとうございます。これからの人生の参考にさせてもらいます。」


 そう言ってオレは病院を後にした。


 途中、テレビの天気予報がこの地域の天気を告げるのが聞こえた。


 天気予報は雨だった。


 外は雲一つない快晴だった。

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