W Ⅰ-Ep1−Feather 15 ଓ 乙女 〜awakening heroine〜

 その後、エリンシェは涙を流したまま、寮室に戻った。ミリアがいると分かってはいたが、そこまで気を回す余裕はなかったのだ。

 エリンシェの顔を見た瞬間、案の定ミリアが息を呑んだが、何も聞かずに様子をうかがった。そんなミリアの優しさに甘え、エリンシェはベッドに潜り込み、涙が枯れるまでひたすら泣いた。その途中、ミリアが何も言わずにそっと、少しの間エリンシェの頭を撫で続けた。その手の温かさに一層、エリンシェは涙が止まらなくなったのだった。


 それからしばらく、エリンシェは苦悩する日々を送ることになった。

 どうしても気持ちの整理がつきそうになく、エリンシェはジェイトと少し距離を取ることになってしまった。数日の間は顔を見ることすら難しかった。……きっと、なぜ避けられているのか、彼にはその理由も分からないはずだ。そうは思っても、話せないまま一日が終わることもあった。その後ろめたさに、エリンシェはまた苦しむことになった。

 その上、夜もあまり眠れなくなってしまった。時折あの「感情」が思い出され、その度、色々なことを悶々と考えてしまい、気が付くと朝になってしまうこともあった。……時々、泣いてしまうこともあった。

 ――本当に、一体どうすれば良いのだろう? いくら悩み苦しんでも、答えは見つかりそうになかった。エリンシェの限界は近付きつつあった。



 そんなある日の夜のこと。

「――エリン」

 あの「感情」に襲われて寝付けないでいると、横になっていたミリアに、エリンシェは小声で呼び掛けられた。

「ジェイトと何かあったんでしょ」

 それまでずっと、エリンシェの様子をうかがっているばかりで、何も聞かずにいたミリアだったが、その日だけは違っていた。――エリンシェの限界を知ってか知らずか、はっきりと真相を追及するつもりのようだった。

 エリンシェが答えられずにいると、ミリアが少し考えた後、続けて問い掛ける。

「その前にも……コンディー先生とも何かあったでしょ?」

 どうしてわかってしまうのだろうか。ミリアに言い当てられて、エリンシェは涙がこみ上げてくるのを感じた。何とか泣きそうになるのを堪えながら、ゆっくりうなずいた。

「エリンシェ、だから言ってるじゃない。 ――エリンシェの力になりたいんだって。 あの時『気を付ける』って言ってたのに、なんでそんなに辛そうになるまで黙ってるかな!? それに、いくら隠したって無駄なんだから! ――小さい頃から一緒だったあたしには全部お見通しなんだからね!」

 そうまくし立てながら、ミリアが怒りをあらわにする。エリンシェは何度もうなずいて、それを甘んじて受け入れた。

「……それで、何があったの?」

 エリンシェを叱りつけ終わると、すぐさま、ミリアが打って変わって優しい口調でそう尋ねた。エリンシェは彼女に悩みを打ち明けることを決め、涙を流しながら語り始めた。

 まず、エリンシェはガイセルのことを話した。――話し合いでのガイセルの発言に、胸が締め付けられそうになったこと。そして、話し合いの後、その発言について、ガイセルに問い詰めたところ、それとなく突き放されてしまったこと。その時に胸が締め付けられそうなほど苦しい「感情」を覚えたこと。ガイセルにその「感情」を伝えようとしたら、否定されてしまったこと。……けれど、今は気持ちの整理がついて、ガイセルとは「信頼」という関係に変わっていることも、エリンシェは話をした。

「――ていうか、先生、気持ちをいう前に否定するとかひどくない?」

 ガイセルの話を聞くなり、ミリアが眉間にしわを寄せ、真っ先にそんな怒りをこぼした。エリンシェは思わずうなずきそうになったが、首を横に振って「それはもういいの」と話した。

「今となっては、ガイセルの言うことも何となく分かったような気がするし」

 エリンシェがガイセルのことを呼び捨てにしているのを、聞き逃がさなかったミリアが、一瞬怪訝そうな表情をした。だが、それについては追及することをやめたらしかった。まだ納得がいかない様子で、不満を漏らした。

「だけど、きっと先生には、エリンの気持ちを受け止められないくらい、好きな〝ひと〟がいるってことなんだろうね。 だからって、うーん……」

 ――「好き」、エリンシェはなぜかその言葉が引っ掛かって、思わず息を呑んだ。……けれど、その時はまだ、エリンシェにはその理由は分からずじまいだった。

 唸りながら、ミリアが物思いに耽り始める。そして、少し経つと「大体分かった」とひとり納得して、エリンシェに話の続きを促す。

「それで、ジェイトとは? 何があったの?」

 言われるがまま、エリンシェは次にジェイトのことを話し始めた。――ゼルグとの戦いの前に、ヴィルドと対峙した時、ジェイトがエリンシェのことを、「大切な〝ひと〟」だとヴィルドに話していたこと。しばらく経ってから、ジェイトにその意味を尋ねたこと。「友達として」というのが彼の答えで、それを聞いた途端、目の前が真っ暗になったこと。彼に「何か・・」を期待してしまっていること。それ以来、胸が締め付けそうなくらい、苦しい「感情」が渦巻いていること。

 ――そして、エリンシェ自身もその「感情」が一体何なのか分からず、どうすれば良いのか分からなくなってること。

 エリンシェの話を聞いて、ミリアがまた眉間にしわを寄せ、「……今度ジェイトあいつぶっ飛ばしてやろう」とつぶやいた気がした。聞き返そうとエリンシェが見つめていると、ミリアが「な、なんでもない」と誤魔化すように言った。

「ねぇ、エリン。 ……そういうの、何ていうか知ってる? ――『恋』、っていうんじゃないかな」

 ……「恋」――これが? こんなに苦しい「感情」なのに、これが「恋」だというのだろうか? ――これが「好き」という感情なのだろうか? 今まで抱いたことのないその「感情」に、エリンシェは戸惑った。……だが、やはりその時にはまだ・・、エリンシェは納得することができなかった。

「あー……いい、いい。 今分かんないなら、それはそれでいいから。 きっと、エリンシェはゆっくり知っていけばいいんだと思うよ。 ちょっと納得いかないけど、そこは先生の言う通りだと思うから」

 エリンシェが戸惑っていることに気付いて、ミリアがそんなことを言った。それでもまだ納得できずに、エリンシェは首を傾げた。

「でも、そっかぁ。 エリンも恋するようになったんだね。 男の子なんて全然興味なかったのにね。 まさか、初恋が先生とは予想がつかなかったな。 だけど、先生のおかげで今に至る訳だもんね」

 納得できていないエリンシェをよそに、ミリアがひとり納得した様子で、しみじみとそうこぼした。置いてけぼりを食らったエリンシェは、対抗するかのように口を開いた。

「そう言うミリアはどうなの?」

「――いるよ、好きなひと」

 いたずらっぽく微笑みながら、ミリアがすぐさまはっきりと答えた。顔も赤らめず、堂々と言い切る彼女の姿に、エリンシェはそれだけで気後れする。

「エリン、自分のことは分からないかもしれないけど、あたしのことなら分かるんじゃない? あたしがそうだったんだもん。 ――ね、誰か分かるでしょ」

 そう話すミリアをじっと見つめると、エリンシェは彼女が誰のことを想っているのか、ピンと来た。――カルドだ。エリンシェは思わず赤くなりながら、「うん!」と答える。

「ねぇ、それで……ミリアはどうするの?」

「えー、どうもしないよー。 エリンたち・・がそんな様子じゃ、しばらく何もできそうにないもん。 ――自分のことは後回しにするから大丈夫」

 野暮ったそうに手のひらをひらひらとさせながら、ミリアがそう話した。少し残念に思いながら、エリンシェはおずおずとミリアに尋ねる。

「その……『好き』ってどんな感じなの?」

 少しの間、ミリアが唸りながら、考え込む。どうやら、エリンシェにも分かるように、言葉を選んでいるようだった。

「そう、だなぁ……。 人それぞれだとは思うんだけど、あたしは『ずっと一緒にいたい』ってそう思ってる」

 ようやく返って来たミリアの答えを聞いて、エリンシェは物思いに耽る。……「ずっと一緒にいたい」、か。ミリアが感じている思いとは少し違うが、〝彼〟が側にいるとすごく安心できた。また、いくら不安や恐怖をいだいていても、勇気が湧いた。――それらも、「好き」という気持ちの一種なのだろうか?

 やはり、いくら考えても、エリンシェにはまだ・・理解することができそうになかった。けれど、ミリアに相談したことで――「恋」や「好き」という言葉を聞いただけで、少しだけ、霧が晴れる思いがした。

「……大分楽そうになったね。 とりあえず、今は分からないなら分からないでいいから、ジェイトといつも通りにしてみたら? 一緒にいる方が、きっとそのうち分かるようになると思うから」

 ミリアの提案に、エリンシェはうなずいた。どんな顔で〝彼〟に会えば良いのか分からず、少し不安になったが、それと同時に、どうしようもなく会いたいという気持ちも芽生えた気がした。

「――よし。 それじゃあ、今日はそろそろ寝ようか。 明日はジェイトに会いに行かないといけないし、ね? いつでも相談していいんだからね」

「ミリア、ありがとう。 おやすみ」

 そう言って、エリンシェは床に就く。……まだ色々と考えなければいけないことはたくさんあるが、エリンシェは少しずつ、その「感情」と向き合っていくことにした。

 横になっているうちに眠りに落ちていたエリンシェは、その日、久しぶりに深い眠りについたのだった。

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