W Ⅰ-Ep1−Feather 8 ଓ 平穏 〜precious days〜

 それから、時が流れ、エリンシェはすっかり元気を取り戻していた。数日間ガイセルの研究室で過ごしていたが、今は研究室を出て、寮室に戻っていた。

 アリィーシュによると、大賢者であるグレイムが学舎に結界を張っているため、そう簡単には手出しできないだろうという見解だった。けれど、【敵】も黙ってはいないはずなので、警戒は常にしておくよう、アリィーシュに助言をされた。けれど、エリンシェはジェイトからもらったペンダントのおかげで、不安をあまり感じずに日々を過ごすことができた。

 飛行学の一件以来、エリンシェは、ミリアはもちろん、ジェイトやカルドとも、よく一緒に過ごすようになっていた。時々、お互いの部屋を行き来したり、授業が休みの時もよく集まって他愛もない話をしたり、時には一緒に出掛けたりもしていた。

 そのため、エリンシェが一人になる時間はほとんどなかった。以前と同じように、時々、ガイセルの研究室を訪れることもあったが、そんな時はアリィーシュが宿って一緒にいることが大半だった。

 ――【敵】に狙われる隙はほとんどなかったのだ。

 そういう理由で、エリンシェはしばらく、何事もなく平和な日々を過ごしていたのだった。


    ଓ


 ――そんなある日のこと。

『おめでとう!!』

 エリンシェは誕生日を迎えていた。その日の授業が終わった後、彼女の誕生日を祝うささやかな会が、ジェイト、ミリア、カルドの三人により寮室で開かれていた。

「ありがとう」

 一息つく暇もなく、ミリアがどこからともなく、包装された箱を取り出し、エリンシェに差し出した。誕生日プレゼントのようだ。

 エリンシェは微笑んで、ミリアからプレゼントを受け取っていると、続けてカルドも小さな箱を差し出した。彼からのプレゼントも受け取りながら、エリンシェは「ありがとう」とはにかみながら礼を口にした。

「……僕はもう渡しちゃったからね。 代わりに、これを持って来たんだ」

 ジェイトだけはそう前置いて、皆で取り囲んでいる机の中心に大きな箱を載せた。そして、箱のふたを開けると、なぜか恥ずかしそうにうつむき、黙り込んだ。

 箱の中身は、砂糖菓子で可愛らしく飾り付けがされている、クリームたっぷりのケーキだった。

「これ、どうしたの?」

 まじまじとケーキを見つめ、エリンシェがそう尋ねると、ジェイトは顔を赤らめていた。不思議に思っていると、カルドがいたずらっぽく笑いながら、ジェイトの代わりに口を開き、答える。

「実はこれ、ジェイトの手作りなんだ。 ジェイトの両親は不在にすることが多くて、料理をする機会が多かったんだ。 中でも、趣味と言って良いくらい、ジェイトはお菓子を作るのが好きなんだ。 エリンのために張り切って作ってみたいだから、食べてやってくれ。 味は保証する」

 カルドの軽口に言い返すこともなく、ジェイトはまだ恥ずかしそうにしながら、ケーキを人数分切り分けると全員に配った。

 ジェイトから皿を受け取ると、エリンシェは「いただきます」と前置いて、早速ケーキを口にする。見た目よりも甘さは控えめで、生地もふわふわにできていた。

「……おいしい。 ジェイト、これ、おいしいよ」

 エリンシェの感想を聞いて、ジェイトは嬉しそうに微笑んだ。ミリアも舌鼓を打っていて、一方のカルドは慣れた様子でケーキを平らげ、何度もうなずいている。

「良かった。 じゃあ、来年も作るからね」

 そう言って、やっとジェイトは顔を上げ、エリンシェに微笑み掛けた。

 エリンシェはうなずきながら、ふと、「あること」に気が付いて顔を赤らめる。来年も作る――それは、つまり、来年も誕生日を祝うと約束したようなもので……。エリンシェの反応を見て、ジェイトも同じように「そのこと」に気付いて、また恥ずかしそうにうつむいた。

「うん、そうだね! 来年も誕生日会開こうね、エリン! じゃあ、ジェイト、期待してるから」

 ニヤニヤと笑いながら、ミリアが冷やかすようにそう話す。エリンシェは「もう、ミリアは黙ってて!」と声を少し荒らげて、ミリアをとがめた。

 そんなエリンシェとミリアのやり取りに、誰からともなく、笑いがこぼれる。それをきっかけに、集まった四人は時折笑いながら、他愛もない話を交わし始めた。

「――あ、そう言えば」

 そして、しばらく経ってから、すっかりいつもの調子に戻ったジェイトがそう切り出した。

「この前、飛行学の授業でちょっと自由に飛んだ時に見掛けて、少し気になった場所があるんだ。 ちょっとそこに行ってみない?」

 ミリアとカルドのふたりがすぐさまうなずく。エリンシェもうなずいたが、「でも、ちょっとだけ待って」と声を上げた。

「せんせいにも呼ばれたんだけど、まだ行けてないの。 だから、今から行ってくるから、ちょっとだけ待ってて」

 それを聞いて、ジェイトか一瞬、険しい表情を見せた。彼のそんな様子を見て、エリンシェは後ろ髪を引かれるような気がした。

「すぐ戻るから」

 エリンシェが慌ててそう言うと、ジェイトは「じゃあ待ってる」とうなずいた。

 その後、すぐに仕度をして、エリンシェは三人を残して、寮室を後にしたのだった。


    ଓ


「こんにちは」

 研究室に着くと、すぐにガイセルがエリンシェを迎え入れた。エリンシェは彼が包みを手にしていることに気が付いて、一瞬どきりとしながら、お茶を用意しようとしているガイセルに声を掛ける。

「あ、せんせい、今日はいいの。 これから友達と予定あるから」

 ガイセルは「……そうか」と相づちを打ち、手を止める。そして、エリンシェの方に向き直ると、包みを両手で持ち直し、彼女に差し出した。

「今日が誕生日だって聞いたからね。 これを渡そうと思って、用意したんだ。 僕が研究の中でもよく使ってる世界学の本だよ」

 ……飛行学の一件以来、エリンシェは、なぜ世界学に懐かしさを感じるのか、少しはその〝答え〟に近付いたような気がしていた。けれど、完全には「それ」が何なのか、その真実にはたどり着けていないとも考えていた。――だからこうして、今でもガイセルを訪れていたのだ。そして、ガイセルはエリンシェがそう思っていることを理解しているのだ。

「ありがとう、せんせい。 大切にするね」

 そんなガイセルの気遣いを嬉しく思い、エリンシェは思わず笑みをこぼした。そして、彼から包みを受け取り、そっと優しく胸に抱くと、そのままきびすを返した。

「じゃあ、また来るね。 ――行ってきます」

 優しく微笑むガイセルに見送られながら、エリンシェは彼の研究室を後にし、急いで寮室へ向かうのだった。


    ଓ


「おまたせ」

 寮室に帰るなり、ガイセルからもらったプレゼントを片付けると、エリンシェはすぐに出掛けられるよう、準備をした。

「じゃあ、行こうか」

 出掛ける準備を終えたのを見計らって、そう声を掛けたジェイトが誘導するように、寮室を出る。エリンシェ、ミリア、カルドの三人は彼の後に続いたのだった。


 ジェイトは学舎の裏手にある小さな森へと進んだ。森はそれほど深くはなく、すぐに抜けることができた。森を少し進むと、開けた場所に出た。

「――ここだよ」

 そこは小さな丘だった。正直には海が見渡せ、振り返れば学舎を一望することができた。見上げれば、空を近くに感じた。

「景色がきれい。 夜は星もよく見えそう」

 エリンシェがそんな感想をこぼすと、他の三人も同意して、うなずいた。

「ねぇ、時々ここに来ない? それで、あたしたちの秘密の場所にするの」

 そんなミリアの提案に、全員がうなずく。早速、ミリアがカルドとふたりで、丘での計画を話し始める。

 黙ったまま、エリンシェは心の中でそっと、アリィーシュに語り掛ける。

(アリィ、ここ、大丈夫そう?)

〝大丈夫よ。 私が見張ってるから〟

 すぐに返って来たアリィーシュの答えに胸をなで下ろすと、エリンシェは景色を眺めているジェイトの側に近付いた。

「ジェイト、今日はありがとう。 ペンダントももらったのに、他にもたくさんもらっちゃったね。 ……こんな誕生日初めてだよ、本当にありがとう」

 エリンシェがそう話し掛けると、ジェイトは照れくさそうな表情で、首を横に振った。彼のそんな様子に思わず笑みをこぼしながら、エリンシェは彼と並んで、静かにしばらく景色を眺めた。

「おーい! ふたりもこっちで話さない?」

 ふと、ミリアが大きく手を振って、エリンシェとジェイトに呼び掛ける。やはり恥ずかしかったのか、ジェイトが「今行く!」と先に、ミリアとカルドの元に向かった。

 ジェイトがふたりの元に駆け寄ると、何やら少し話し始めた。そして、少しして、三人で楽しそうに笑い始めた。――そんな光景を目で追いながら、エリンシェも思わず、笑みをこぼしていた。

 ふと、ミリアが振り返り、エリンシェに手を振る。

「エリンも早く!」

「うん、すぐ行く!」

 返事をして、まだ笑い合っている三人の元へ駆け寄りながら、エリンシェは胸があたたかくなるのを感じていた。そして――――。


 ――エリンシェは、この平和な日々がずっと続きますようにと、願わずにはいられなかった。そして、どうしようもなく、この幸福しあわせな日々を守りたいと感じていたのだった。

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