W Ⅰ-Ep1−Feather 2 ―The second part ―


    ଓ


 掴まれた手は唐突に、教室に着く直前で離された。突然現れた彼は何も言わず、背中しか見せてくれない。教室の中に入っても振り向かずに、彼は自分の席へと着いた。その後ろ姿はどこか恥ずかしげにも見えた。

 少し呆然としながら、エリンシェはミリアの隣に座る。まじまじと掴まれた手を見つめながら、エリンシェは思った。……どうして彼は私を助けてくれたのだろう。考えても理由は分からなかったが、エリンシェはとにかく嬉しかった。彼が――ジェイトが来てくれて、なぜかとても安心できた。

「エリン、もう始まるよ」

 何も聞かなかったミリアが、エリンシェに呼び掛ける。もう一度手を見つめた後、準備をしながら、エリンシェは礼を言い損ねたことに気が付いて、今度必ずお礼を言おうと心の内で決心した。

 少し遅れて、メガネを掛け、栗色の髪を一つにまとめた若い男性が壇上に上がった。その瞬間、その場にいる全員が、『こんにちは、先生』と挨拶をする。学び舎に通う者達は、賢者達のことを「先生」もしくは「」と呼んでいる。 

 その男性は少しの間、全員を見つめる。ふと、エリンシェは彼と目が合った気がした。その瞳は蒼く、まるで海のようだと彼女は思った。

「皆さん、初めまして。 僕はガイセル・コンディー、世界学を担当する賢者です。 ……さて。 今日は初めてということで、簡単に世界学のことを知ってもらおうと思います。 じゃあ、ちょっと教科書を開いてみて」

 指示された通り、エリンシェは教科書を開く。その瞬間、彼女の心は大きく揺さぶられた。文章や挿絵の一つ一つに、ひき込まれるようだ。その上、なぜかは分からないが、とても懐かしい気がした。

「世界学というのは、この世界・テレスファイラのことを理解するものなんだ。 どうやってテレスが創られたか、歴史を知る。 他の世界と繋がりがあるのか、関係を知る。 そして、時には神々やその世界のことを知る。 あまり馴染みがないから、難しく感じるかもしれない。 けれど、少しでも理解ができるよう、世界学を学んでもらおうと思います」

 皆が教科書を開いていると、ふと、賢者・ガイセルがそう語り出した。顔を上げ、話を聞いていたエリンシェは、そんな彼の目がどこか優しいように思えた。

「じゃあ、少し教科書を読んで行こうか」

 そう言って、ガイセルが教科書の導入部分を解説しながら、教科書を読み始める。その場にいる全員が、初日の疲れもあってか、眠そうに彼の授業を聞いていた。

 けれど、エリンシェだけは違っていた。やはり、教科書やガイセルの授業の内容に、心が魅了された。一つ残さず聞き漏らすまいと、熱心に授業に臨んでいた。

「……やっぱり難しいね、今日はこの辺にしようか。 次までに少しで良いから、教科書を読んで来て下さい」

 皆の反応を見て、ガイセルが苦笑を浮かべた。彼の言葉を聞いて、ほとんど全員がその場を後にする。エリンシェだけは変わらず、彼をじっと見つめ続けた。そうしていると、今度ははっきりと、ガイセルと目が合った。その瞬間、彼が優しく微笑み掛けてみせたので、思わずエリンシェは顔を赤くする。

 もう少し、話を聞いてみたい。エリンシェはそう思わずにはいられなかった。初日の授業はそれで終わりだったので、ガイセルと話してみようと決心する。

「エリン、後で迎えに来るから、行っておいでよ」

 先程の件があったので、一人になるのは避けたいと少し迷っていると、エリンシェの気持ちを察したミリアがそう言って、彼女の背中を押した。

「ありがとう。 ……って何笑ってるの。 ただ興味あるだけだよ、からかわないで」

 見ると、冷やかすようにミリアがニヤニヤと笑いを浮かべていた。エリンシェが少し怒ってみせると、ミリアが「はいはい」と生返事をして、その場を後にする。エリンシェも席を立って、真っ直ぐにガイセルの元へ向かう。

 会釈をして、エリンシェはガイセルの前に立った。もう一度、ガイセルが彼女に向かって優しく微笑み掛ける。彼を見つめていると、エリンシェはまた胸が高鳴り始めた。それを止めようと深呼吸をして、エリンシェはやっとの思いで口を開く。

「あ、あの、コンディー先生。 先生のお話、すごく興味深かったです。 だから、その、もう少し聞いてみたいなって……」

「珍しいね。 どこが気になった?」

 ガイセルにそう聞かれて、エリンシェは少し考え込む。一番心ひかれたところ、それは――――。

「――神々の部分です」

 答えた瞬間、なぜかガイセルが一瞬、複雑そうな表情を見せた。エリンシェは不思議に思って、見つめていると、ふっとその表情を消して、彼がまた微笑んでみせた。

「実はそこが僕の一番得意分野なんだ。 今知られるべきなのはそこなのに、中々理解してもらえない。 それは特に……とても奥深い知識。 君も知りたいかい?」

 真剣な眼差しで語ったガイセルの問いに、エリンシェはすぐに大きくうなずいてみせる。

「名前は?」「エリンシェ・ルイングです」

 何かを考えるかのように、ガイセルは黙り込む。少し経ってから、一人で納得するかのようにうなずくと、エリンシェに「おいで」と呼び掛ける。

「僕の研究室へ案内しよう」

 ガイセルに言われるがまま、エリンシェは手招きする彼に続き、その場を後にしたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る