第39話 純白のヴェール
バロック(の半分)が誘拐されてから憂鬱な日が何日か経過した。一週間の勉学が終わり、帰りの時間となる。クラスメイトたちがばたばたと帰宅していくなか、はぁ……、とため息をつきながら下駄箱を覗く。と、一通の手紙。
「ヴァイオラさん、も、もしかして……、ラ、ラブレター……」
「うわっ!」
背後にいつの間にか委員長が立っていた。先日の一件以来すっかり正常に戻った彼女は、わたしへの好意を隠さなくなっていた。そして、手元にある手紙の表に書きなぐってある文字を読む。
「果たし状……(あいつか……)」
「なーんだ、果たし状……って、え、え、ちょ、ちょっと!? 大丈夫ですか!?」
「うーん、わたしは大丈夫……」
「いや、相手の方です! 勢い余って殺しちゃったりしないでください!」
「はは……、まあ、適当にあしらってくるよ」
「頑張ってください!」
両手でグッとガッツポーズする委員長。何を頑張ればいいんだろう、と思いつつ、中を見る。「明晩23時、神社で待つ!」――か。
「とりあえず、部室に行こうかな。委員長も行く?」
「行きます!」
灯里先生に顧問になってもらい設立した「超常現象研究会」の部室は、校庭のグラウンドを挟んで反対側の別棟にある。建物自体ほとんど使用されておらず、いわゆる「学校の七不思議」的な、よくあるホラーな噂話の舞台になりがちで、あまり人が近寄らないから、わたしたちが使用するには都合が良いのであった。その別棟の三階に、わたしたちの部室は存在した。
「お、ヴァイオラー。お疲れー」
ナッツだ。足を組みながら椅子に座って、スマホを片手で弄りながら、棒付きのキャンディを咥えて、組んだ足を机の上に乗っけている。めちゃくちゃお行儀が悪いけれど、なんだか様になっている。
「何か依頼あった? 野良悪魔が悪さしてるとか……」
「来てないなー。ま、何かあったら、あたしが行くよ。ヴァイオラは例のヤツとバトルんだろ? バロック、大丈夫かな……」
「2号が言うには、ドゥラコーンの城に幽閉されてるだけで、特に何もされてないみたい。ヒマしてるって」
「ふーん」
「多分、バロックを攻撃すると、亜堂雷鳴レクの『王の試練』参加権利が剥奪される可能性があるんだと思う。彼の『願い』は、あくまでわたしと戦うことだし」
「……」
ナッツが口の中で飴をコロコロ転がして、わたしをチラッと見た。
「……一手、お願いしてもいい?」
「いいよ。何する? 『装纏』? 『アストリオン』?」
「『アストリオン』で!」
「わかった。委員長は観戦する?」
「はい!」
わたしがパチッ、と指を鳴らすと、足元から波紋が広がっていくかのごとく、教室の風景が荒野へと切り替わった。『
「さ、いつでもどうぞ。人間態で、『アストリオン』しか使わないから」
スー、フゥ……と一回深呼吸して、ナッツが『藍青のアストリオン』を練りつつ、構えを取る。脱力しつつ軽い握り手を臍の高さに上げる、古武術の構えだ。ナッツの実家が道場らしく、子供の頃から叩き込まれたのだとか。
「ハッ!」
ナッツが気合を入れると、ブン、と空気が振動し、3人、4人、5人……と、ナッツの幻影が生み出された。
「分身したっ!? 猿方さんって、忍者さんなんですか!?」
「ふーむ。ナッツの『アストリオン』は、論理的な現象を生むことに長けるんだ。だから結果的に、マンガの忍術みたいな技になるのかな――」
「いっけ――ッ!」
無駄話をしているあいだに、間を詰めてきた複数の分身体が、一斉に襲いかかってきた。眼前の一人目が貫手をしてくるのを躱す。続いてその影から二人目が『アストリオン』の懐剣を飛ばしてくる、のを屈んで避けて、いつの間にか放たれた三人目の中段内廻しを、後頭部に当たる寸前でノールック回避する。その先にナッツ本体が両手を上げた奇妙な構えで待ち構えていて――、これは蹴り足を電撃的に跳ね上げるキック技――古武術のレアな必殺技、『三考砕』の構えだ。その鋭く顎先を狙った踵を、皮一枚で避ける。と、ここまでの間、大体5秒くらい。そのやりとりに、委員長は目をぱちくり。
「全然見えない!」
「いまのは分身だけど、すべてナッツの『アストリオン』が通っているから、芯に喰らったら普通にダメージを受けるんだ。だから躱さないといけない。人間態だと、こないだの委員長の攻撃みたいに、鼻血くらいは出ちゃうかも」
「あははは……」
連続技を避けられたナッツはバックステップして、一旦距離を取った。
「すっげ」
「『アストリオン』の気配を感じ取って、流れを読むんだよ。中国拳法の『聴勁』みたいなものかな」
「……ッ!」
――と、説明しながら、わたしはナッツの眼前に拳を寸止めしていた。
「これは『
「マジか……」
「でも、ナッツ向きじゃないかもね。わたしの場合、感情を爆発させて動く性格が、そのまま技になってる感じだから」
そう言いながら、わたしは手を降ろした。
「――さっきの『三考砕』、かなりいい線行ってたから、アレをナッツ独自の必殺技に
「必殺技か……。――けどヴァイオラ、よくさっきの技のこと知ってるね。ネットで検索しても、一切引っかからないのに」
「わたしの師匠が貸してくれた、昔の本に書いてあったんだ。昭和50年くらいに書かれた、柳生心眼流の教本にね。構えが特徴的だから、すぐ判ったよ。知らなかったら、ガードはさせられてたかも」
「えぇ……。それでも防がれちゃうのかよ……。ははっ」
ナッツは腕組みをして、左手の人差し指を軽く咥える仕草をしながら、ぶつぶつと考えていた。
「『
委員長はうんうん、と頷いている。
「本は大事ですね!」
「そ。ネット上のデータっていつかは消えるけど、本とかレコードとか、物理的なメディアっていうのは、劣化はしても、手元に残るからね」
「ヴァイオラさ、必殺技の上、超必殺技もあんの?」
「あるよ。やってみせようか?」
「ぜひ!」
「じゃ、軽めに――」
わたしはパチン、と指を鳴らすと、荒野のど真ん中に、高さ25mくらいの巨岩を発生させた。ズドォン! と轟音を響かせて、それは設置された。
「……へ?」
「じゃ、いくよー。こう、どっしりと重心を落とした構えから、『アストリオン』を全身と後ろ足、左拳に溜めて、精神を集中させる。『アストリオン』は『願いのエネルギー』だから、とにかく堅く、とにかく速く、とにかく強く、って『願い』を、全身と、足と、手に、それぞれ籠めるんだ。体の質量は変わらないから、『速さ=破壊力』ってこと。そして狙いを定めて――」
ナッツと委員長がごくりとつばを飲み込む。
「『
マッハ3ほどの速度で、わたしは巨岩に向けて突っ込む。加速された意識と肉体によって、砕け散る岩石の破片がゆっくりと空を舞うように見える。この初弾までは『
「ハッ!」
砕け散りゆく大小の破片に向け、両手での数百発のラッシュ。からの『
「……という三連続コンボが、わたしの超必殺技。ラッシュ時点で終わると、『願いの悪魔』と融合した状態の『宿主』レベルには通用しないから、最後の一撃が重要なんだ。この程度の威力で、ぎりぎり殺さないくらいだと思う」
「えぇ……」
「相手の『アストリオン』がどういうタイプにかもよるけどね」
そーなんだよなー。結局、彼――、亜堂雷鳴レクを殺さないように、しかも彼が満足するように手加減して戦わないといけない、っていうのが一番難しい。
「すっごぉい! 菫咲さん! もっと強い技もあるんですか!?」
「委員長、楽しそうだね……。あるにはあるけど、とりあえず、今日はここまでね。悪魔融合体が無限湧きでもしない限りは、必要ないから」
「え゛……。そんな修羅場くぐったの……」
「まぁ、ちょっと、ね」
わたしがパチン、と指を鳴らすと、今度は荒野の風景が消え、元いた別棟の教室に戻った。本日の授業はおしまい。
「あっ、もうこんな時間か。帰らないと」
「そっか、ナッツは弟さんに夕ご飯作るんだっけ」
「そうなんだよなー。……じゃ、また明日! ヴァイオラ、ありがとね!」
「はーい。またね!」
「さようなら、猿方さん」
ガラッと古びた引き戸は音を立てて外界へと繋がり、短いスカートを履いたイケメンの足音はあっという間に遠ざかっていった。
「あ、あの……」
委員長がなにやらもじもじしながら、わたしを見ている。
「どうしたの?」
「わ、私も……『アストリオン』、使えないでしょうか……」
あぁ……、そっか。委員長は一応『悪魔使い』だけど、ハム之助を操る以外の力は持ってないんだ。仲間はずれ感というか、疎外感があるのかな……
「一応、使えるはず。『宿主』ほどの強さは出ないと思うけど」
「そうなんですか!? どうすれば……」
「『願いの悪魔』の一部を、身体に取り込む。食べるってこと」
「……」
委員長の動きが止まり、視線がどこかに行ってしまった。思考が停止しているようだ。数秒間の沈黙があって、だんだんと委員長の目に光が戻ってきた。
「そ、それって、つまり……、菫咲さんの……」
「そういうこと」
「そ、そんな……こと……」
彼女は俯いて、下唇を噛んでいる。……そっか、委員長は羨ましいのか。ナッツや、輝空、鈴のことが。
「わかった。いいよ」
「! で、でも……」
「こうすればいい」
わたしはナイフを『アストリオン』で作ると、それで自分の人差し指の指先に、小さいキズを付けた。人間態なので、赤い血が滴る。――ホンモノじゃなく、見た目だけの血、……だけどね。
「これを舐めれば、委員長も『アストリオン』使いになれるよ」
「……っ!」
彼女の大きく見開いた瞳孔はわたしの指先を見つめ、固く握りしめたこぶしは、小刻みに震えている。……? どうしたんだろう。これを、その口に含めば……
「ダ、ダメです……っ! そんなこと……!」
「え。あっ。き、汚いかな……。雑菌とかはないと思うんだけど……」
「い、いえ! そういうことじゃなく! わ、わたしなんかが……、貴方に酷いことをしたのに……!」
わたしは全然気にしてないんだけどなあ。そんなに気にしてたんだ……。綺麗な顔を曇らせて、ぎゅっと震えている。悩みって、難しい。その本人にしか伺いしれない。
「委員長、操られてたんだし、大丈夫だって。気にしないで!」
「……許してくれるんですか……、私を……」
上品な仕立ての眼鏡の奥に、熱っぽい眼差しでわたしを見る委員長は。そっとわたしの指を咥えて、こく、と血を飲み込んだ。上気した様子の委員長は、うっとりとして、ぼおっとした視線のまま、両手で口のあたりを覆っている。
「あ……っ」
すると、薄っすらと桃色の輝きを持った『純白のアストリオン』が、委員長を薄く覆った。……まるで花嫁衣装のヴェールみたいに。
「これが……私の……」
「委員長の『アストリオン』……綺麗だね……」
目を細め、美しい霧の景色を眺めるわたし。委員長はハッとして、わたしじっとを見つめる。……あ。これって、もしかしてわたし、……やらかしてしまったかも……。委員長は膝立ちのままゆっくりと近寄ってくると、わたしをそっと抱きしめてきた。
「……っ」
ぎゅっと目をつぶって、頬を染めたまま、わたしの胸元に頭を擦り付けてくる。そのたびに、かちゃりかちゃり、と眼鏡のフレームが音をたてる。ど、どうしよう……。と、とりあえず、わたしもハグしてあげて、頭をナデナデしてあげた。そう、これはまるで……。
(……犬になつかれた時っぽい!!)
とか思っていると、ハッ! と正気に戻った委員長がバッ! と離れて、あたふたし始めた。
「す、すみませんっ! つい、気持ちが溢れてしまって……! そのあの!」
「あはは……、ハグくらいならいつでもするし……」
「本当ですか!?」
と言うや否や再び、わたしの胸に飛び込んでくる委員長。なんだろう。心の奥底にふつふつと悦びのような感情が沸いてきて、顔がにやけてしまう。今バロックが隣にいたら、「オメー、悪魔みてーな顔してるぞ……」って呆れ顔しそうな気がした。ああ、でもなんか、癒やされるなぁ。まっ、こーゆーノリも、悪くはないか……。その時。むらむらと悪戯心が沸き上がってきた。
「委員長」
「?」
軽く、本当に軽くだけど。唇にキスした。
「!????!!!??」
みるみるうちに顔が真っ赤に染まっていく委員長。そしてそのまま、気を失ってしまった。ちょっと刺激が強すぎたか。わたしに抱っこされた状態のまま、なかなか意識が戻らない。
「……委員長……。おーい。……」
「……は!? はれ!? す、菫咲さん!? わ、私は一体何を……」
はっ、と唇に手をあてて、そそくさと立ち上がる委員長。
「あ、あの! そ、そろそろ帰ります……! ありがとうございました……!」
「うん、またね。おうちで『アストリオン』、練習してみてね」
さっきナッツが帰った扉のところで深々とお辞儀をし、片手で口元を抑えながらぱたぱたと去っていく委員長。
「オイ」
ぎっくぅ!
……と思わずマンガみたいなリアクションをしてしまった。急に背後からバロック2号の声が聞こえたから。空中にふよふよと浮かんだ白い頭のぬいぐるみ……、もとい、バロック2号は、ジト目でわたしを見下ろしている。
「い、いつから見てたの……」
「オマエがアイツにチューした辺りからだが」
「ええと、あのその……。なんか、可愛くなっちゃってさ……」
「いや、別に構わねーけどよ。ま、それはともかく、ヤツと戦うのは明日の23時だろ。はぁ~あ。オレ様としたことが、不覚を取ったばっかりに……。頼んだぜ。せいぜいアイツを、殺さない程度に痛めつけてやってくれ」
「そーだね、りょーかい」
とはいえ、あのウォルコーンのお兄さんともあろうひとが、何の考えもなく自分の『宿主』をわたしと戦わせるだろうか? ――という疑問はある。それに……
「――バロックには悪いけど、ちょっとだけ楽しみ」
「ケッ。腐っても、ウォルコーンの兄ちゃんだもんなー。気持ちは判るぜ」
「そうなんだ。わたしの中に残っているウォルコーンが、戦いたがってる」
「身内同士で殴り合いたいとか、バトルジャンキーの一族は理解し難いね……」
「おっと、もうこんな時間だ。じゃ、わたしたちも帰ろっか。わたしたちの家に」
「……そだな」
to be continued...
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