第30話 再誕、そして……

あのとき。バロックがわたしに抱いていた感情が何だったのか。

この姿になってようやく理解した。バロックは――。


「――ああ――ッ……ルーゴ……! 私のルーゴが……」


粉々に砕け散っていく、巨大な試験管のチューブ。飛び散る液体。そして――

中に入っていた赤ん坊……、ベアスの『宿主』、ルーゴ。

この子は、チューブから出た瞬間、死んでしまうんだろう。

それは分かっていた。宙に舞うルーゴを抱きとめるベアス。


「――あああぁぁぁああぁあ…………あぁ……――」


ベアスが慟哭している。無理もない……、人類を滅ぼしてまで、救おうとした生命。彼女は、母親になろうとしていたのだ。この、誰にも愛されなかった赤ん坊の……


「――許さぬ……、許さぬぞ……」

「……ベアス」


星紋装纏アストラ・ドレスト』を解いたわたしの姿は、さっき見た姿――。『アストリオン』の塊が人の形をした、わたしになっていた。バロックみたいに、黒い眼球に白い瞳が浮かび、翠緑色の身体には紅蓮色の血管が走り、暗青色の左手が付いて、一応服を着ているから見えないけど、胸にはクリスタルが埋まっている。


――これが、今の本当の姿なんだ。


「……さっきの一撃は、ルーゴを殺すために打ったんじゃない。こういうことが、前にもあったんだ。わたしの『アストリオン』は、生命を司る力を持っている。だから、ね」


ルーゴの身体が『翠緑』の輝きに包まれる。種から美しい花が咲くように、卵から生き物が孵るように。ルーゴの身体が生命力に満ち、心臓が脈打って、すぅ、すぅ、と呼吸が始まった。今、ルーゴは、正しく、生まれたんだ……。


「――……これ……は……――」

「わたしは最初から、こうしようと思っていたの。ベアスの作ろうとしていた世界は、結局、ルーゴがひとりぼっちになってしまう。だから……」


けれど、同時に、もう一つ。避けられない事があった。


「……ごめん、ベアス」


彼女がこの世界に顕現できたのは、ルーゴの脳を使った、この有機量子コンピュ―タが存在していたから。だから、ルーゴを救うことと引き換えに、ベアスをこの世界から突き放すことになってしまう。――ただ、いずれにしても、そうしなければ、人類の滅亡は止められなった。


「――……そうか、もはや現世には留まれぬ、ということか……――」


わたしは静かに、頷いた。ベアスの身体が、領域が、急速に薄れていく。

けれど。彼女の表情は穏やかだった。彼女はわたしに、ルーゴを優しく手渡す。


「――その子を、頼む――」

「……うん。……いつか、ベアスをまた呼び出せるような世界にするから……」

「――ふ、期待せずに、待っておるわ……。その子の、大人の姿が見たい――」


それだけ言い遺して、ベアスは消えていった。

わたしの頬には、もう、涙は流れなかった。






「……」


わたしのすっかり変わり果ててしまった両腕のなかで、静かにルーゴは寝息を立てていた。可愛い寝顔。ベアスが守ろうとしたのも、わかるよ。



……バタバタバタ……



背後から、わたしの仲間たちが近づいてくる。わたしは、バロックの顔を見ることができなくて、ため息をついた。


「あぁ……、そんな……。そんな……」

「ヴァイオラ、その姿は……」


わたしは少しだけ笑うと、振り向いて言った。


「わたし、……悪魔になっちゃったみたい」

「……!」


バロックが力なく床に座り込んで、ぼろぼろと涙をこぼしている。

バロックが抱いていた感情、それは――。



(わたしを人間のまま、留めておきたかったんだね……)



「オレ……、オレ……」

「バロックは……気づいてたんだよね。あのとき……、『紅蓮の心臓』を得て、生き返ったとき。もう、ほとんど、人間じゃなくなってたことに……」


シグも、ライグリフも、言葉を発さない。

みんな、分かっていたんだと思う。


「……あぁ……、ううう……」

「でも、決定的だったのは、デルニエ・エンデを殺したときだった。そのとき……。人間である最後の境界線が、壊れた感じがした。でも、止めないでくれて、良かったと思う。もっともっと大事なものを、失わなくて済んだから」


……。バロックの深い悲しみが伝わってくる。

絶望……、後悔……。わたしは、バロックを抱きしめ、頭をさすってやった。


「う……っ、う…………っ」

「……帰ろっか。バロック」

「……そうだな。これからのことは、帰ってから考えよう」

「お主は、。それでよかろう」

「……!」


ライグリフの言葉に、バロックがハッとした。さすが、何万年も生きている悪魔は、イイ事言うね。そうだよ、バロック。わたしは、わたし。人間だとか、悪魔だとか、どうでもいいんだ。大事なのは、心。


「――わたしの人間の心は、バロックの中にいるから。ずっと……」

「……う、うえぇ……、うえぇぇ……」


わたしの代わりに泣いてくれるバロック。バロックの心は、もう人間なんだと思う。わたし達の心は、この旅を通じて、すっかり入れ替わってしまった。子供のように泣きじゃくるバロックを連れて、わたし達は研究所を後にした。


三神さんたちに、今のわたしの本当の姿を、一度見てもらった。三神さん達も驚いていたけど、でも半分は納得したような表情をしていて、全てが終わったことについては改めて安堵していた。ルーゴは、エリザベートさんがEINアインの施設で育ててくれることになった。


そのあと、人間の姿に戻ることにした。の姿ではさすがに、行き交うヒトたちがびっくりして、ショック死しちゃうもんね。おちおち、コーヒーショップにも行けないし。母さんは「ええ!? すごい! かっこいいじゃん!!」とか言ってくれそうだけど。


「……みんな、先に帰っててもらって、いいかな」

「ああ、それは構わないが――、どうするんだい?」

「ちょっと、寄りたい所があるの。ね、一緒にいこ、バロック!」

「え、ああ。いーけどよ……。どこに行くってんだ?」


わたしはこそこそと耳打ちする。


「(バロックのお部屋、行っていい?)」

「……マージか。片付けときゃよかったな……」


他の皆は、ヘッジフォッグの車輌に乗り込んだ。三神さんがぬっと顔を出す。


「それじゃ、10日以内くらいに、EINに来てもらえると助かるよ。ええと、できれば、その……、ちょっと検査もさせてもらえると……。嬉しいな~、なんて……」

「所長! ヴァイオラさんは世界の恩人ですよ! し、失礼すぎます!」

「あははっ! そんなに怖がらなくても大丈夫ですって、三神さん。いいですよ。好きなだけ、ぜーんぶ、検査しちゃってください。じゃあ、近々伺いますので!」


ブロロロ……と、ヘッジフォッグこだわりの排気音を奏でながら、みんなはEINアインベースへと帰還していった。三神さん、見えなくなるまで手を振っていた。このあと、山道を戻って、高いソテツの樹が立ち並ぶハイウェイをかっとばして、来た時と同じ様にジェット機に乗り換えて、15時間掛けて帰るんだろうな。


「……じゃ、わたしたちも……」

「ま、折角だから、案内するぜ。悪魔の棲み家をよ……。へっ。ビビんなよ!」

「……楽しみ」


わたしはバロックを抱きしめて、キスをした。




to be continued...

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る