第30話 再誕、そして……
あのとき。バロックがわたしに抱いていた感情が何だったのか。
この姿になってようやく理解した。バロックは――。
「――ああ――ッ……ルーゴ……! 私のルーゴが……」
粉々に砕け散っていく、巨大な試験管のチューブ。飛び散る液体。そして――
中に入っていた赤ん坊……、ベアスの『宿主』、ルーゴ。
この子は、チューブから出た瞬間、死んでしまうんだろう。
それは分かっていた。宙に舞うルーゴを抱きとめるベアス。
「――あああぁぁぁああぁあ…………あぁ……――」
ベアスが慟哭している。無理もない……、人類を滅ぼしてまで、救おうとした生命。彼女は、母親になろうとしていたのだ。この、誰にも愛されなかった赤ん坊の……
「――許さぬ……、許さぬぞ……」
「……ベアス」
『
――これが、今の本当の姿なんだ。
「……さっきの一撃は、ルーゴを殺すために打ったんじゃない。こういうことが、前にもあったんだ。わたしの『アストリオン』は、生命を司る力を持っている。だから、ね」
ルーゴの身体が『翠緑』の輝きに包まれる。種から美しい花が咲くように、卵から生き物が孵るように。ルーゴの身体が生命力に満ち、心臓が脈打って、すぅ、すぅ、と呼吸が始まった。今、ルーゴは、正しく、生まれたんだ……。
「――……これ……は……――」
「わたしは最初から、こうしようと思っていたの。ベアスの作ろうとしていた世界は、結局、ルーゴがひとりぼっちになってしまう。だから……」
けれど、同時に、もう一つ。避けられない事があった。
「……ごめん、ベアス」
彼女がこの世界に顕現できたのは、ルーゴの脳を使った、この有機量子コンピュ―タが存在していたから。だから、ルーゴを救うことと引き換えに、ベアスをこの世界から突き放すことになってしまう。――ただ、いずれにしても、そうしなければ、人類の滅亡は止められなった。
「――……そうか、もはや現世には留まれぬ、ということか……――」
わたしは静かに、頷いた。ベアスの身体が、領域が、急速に薄れていく。
けれど。彼女の表情は穏やかだった。彼女はわたしに、ルーゴを優しく手渡す。
「――その子を、頼む――」
「……うん。……いつか、ベアスをまた呼び出せるような世界にするから……」
「――ふ、期待せずに、待っておるわ……。その子の、大人の姿が見たい――」
それだけ言い遺して、ベアスは消えていった。
わたしの頬には、もう、涙は流れなかった。
「……」
わたしのすっかり変わり果ててしまった両腕のなかで、静かにルーゴは寝息を立てていた。可愛い寝顔。ベアスが守ろうとしたのも、わかるよ。
……バタバタバタ……
背後から、わたしの仲間たちが近づいてくる。わたしは、バロックの顔を見ることができなくて、ため息をついた。
「あぁ……、そんな……。そんな……」
「ヴァイオラ、その姿は……」
わたしは少しだけ笑うと、振り向いて言った。
「わたし、……悪魔になっちゃったみたい」
「……!」
バロックが力なく床に座り込んで、ぼろぼろと涙をこぼしている。
バロックが抱いていた感情、それは――。
(わたしを人間のまま、留めておきたかったんだね……)
「オレ……、オレ……」
「バロックは……気づいてたんだよね。あのとき……、『紅蓮の心臓』を得て、生き返ったとき。もう、ほとんど、人間じゃなくなってたことに……」
シグも、ライグリフも、言葉を発さない。
みんな、分かっていたんだと思う。
「……あぁ……、ううう……」
「でも、決定的だったのは、デルニエ・エンデを殺したときだった。そのとき……。人間である最後の境界線が、壊れた感じがした。でも、止めないでくれて、良かったと思う。もっともっと大事なものを、失わなくて済んだから」
……。バロックの深い悲しみが伝わってくる。
絶望……、後悔……。わたしは、バロックを抱きしめ、頭をさすってやった。
「う……っ、う…………っ」
「……帰ろっか。バロック」
「……そうだな。これからのことは、帰ってから考えよう」
「お主は、人間だろうが悪魔だろうが、ヴァイオラだ。それでよかろう」
「……!」
ライグリフの言葉に、バロックがハッとした。さすが、何万年も生きている悪魔は、イイ事言うね。そうだよ、バロック。わたしは、わたし。人間だとか、悪魔だとか、どうでもいいんだ。大事なのは、心。
「――わたしの人間の心は、バロックの中にいるから。ずっと……」
「……う、うえぇ……、うえぇぇ……」
わたしの代わりに泣いてくれるバロック。バロックの心は、もう人間なんだと思う。わたし達の心は、この旅を通じて、すっかり入れ替わってしまった。子供のように泣きじゃくるバロックを連れて、わたし達は研究所を後にした。
三神さんたちに、今のわたしの本当の姿を、一度見てもらった。三神さん達も驚いていたけど、でも半分は納得したような表情をしていて、全てが終わったことについては改めて安堵していた。ルーゴは、エリザベートさんが
そのあと、人間の姿に戻ることにした。悪魔ヴァイオラの姿ではさすがに、行き交うヒトたちがびっくりして、ショック死しちゃうもんね。おちおち、コーヒーショップにも行けないし。母さんは「ええ!? すごい! かっこいいじゃん!!」とか言ってくれそうだけど。
「……みんな、先に帰っててもらって、いいかな」
「ああ、それは構わないが――、どうするんだい?」
「ちょっと、寄りたい所があるの。ね、一緒にいこ、バロック!」
「え、ああ。いーけどよ……。どこに行くってんだ?」
わたしはこそこそと耳打ちする。
「(バロックのお部屋、行っていい?)」
「……マージか。片付けときゃよかったな……」
他の皆は、ヘッジフォッグの車輌に乗り込んだ。三神さんがぬっと顔を出す。
「それじゃ、10日以内くらいに、EINに来てもらえると助かるよ。ええと、できれば、その……、ちょっと検査もさせてもらえると……。嬉しいな~、なんて……」
「所長! ヴァイオラさんは世界の恩人ですよ! し、失礼すぎます!」
「あははっ! そんなに怖がらなくても大丈夫ですって、三神さん。いいですよ。好きなだけ、ぜーんぶ、検査しちゃってください。じゃあ、近々伺いますので!」
ブロロロ……と、ヘッジフォッグこだわりの排気音を奏でながら、みんなは
「……じゃ、わたしたちも……」
「ま、折角だから、案内するぜ。悪魔の棲み家をよ……。へっ。ビビんなよ!」
「……楽しみ」
わたしはバロックを抱きしめて、キスをした。
to be continued...
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