第28話 さよなら、ゴーティオン

「これは……」


わたしの『星紋アストリオン』が黒い火花を散らし、ぱりぱりと周囲の紙片を焦がす。ふるふると震える両手を胸の前に持ってくる。くるりと手のひらを自分に向けると、昏い菫色のもやがゆっくりと立ち上っていた。シグとバロックの心がざわめくのがわかる。


「ヴァイオラ……!? それは……『アクイ』か……!?」

「『アクイ』って、アストリッドが使ってたヤツか。でも、なんでオマエが……?」

「……」


目の前には、神父様、悪魔ゴーティオン、そして『太古の王』をも取り込んで、もはや原型を留めないほど、凶悪な姿になった、あの人。デルニエ・エンデがいる。緑色の鱗がびっしりとした体中についたたくさんの目がぎょろぎょろと動き、たくさんの口からは暗青色の舌が伸びて、あちこちから緑色の液体を滴らせている。液体が落ちた床面からは、おそらく『生命を再現する願い』の影響だろう、不定形の生き物や、10cmくらいの大きさの胎児が生まれ、すぐに溶けていった。


「ふたりとも、下がってて。わたしが……やる」


わたしの奥底に沸々と沸いてくる思い。神父様に『第7の願い』をさせたくなかったのは、きっと彼のようになるんじゃないか、と思ったから。暴走したジョゼのように。彼、デルニエ・エンデは、体中の牙が生えた口から、グハアァァと虹色の息を吐いて、わたしに襲いかかってくる。


「死ねェェェェェェェェェェェェェェ―――――――――――――ッ!」

「――この人から、全てが始まった」


ヒュッ。わたしの顔を狙ってきた爪の攻撃を、スッと半身をずらしてかわす。続けざまに両手で連撃を繰り出してくるエンデ。彼の『アストリオン』総量は、わたしの10倍以上あると思う。一撃でも喰らったら終わり。でも、不思議と、当たるイメージが沸かなかった。上半身を最小限に動かすだけで回避する。……いや、当たる前にかわすことが出来た。


「ガアアアアアア!」

「ウッソだろ……! あれは……神父のオッサンが使っていた……!?」

「――この人のせいで、ジョゼのお父さんが死んだ」


彼が咆哮しながら、床面を叩きつける。と、爆発するように、津波が起こるように、不定形の生き物たちが、わたし達へ向かって、生への憎悪を吐き出しながら、何十メートルもの高さになって、なだれ込んでくる。わたしは『仄暗い菫色の液体』が混じった『翠緑のアストリオン』でそれを防ぐ。黒い火花に触れた生き物たちは、蒸発するように消滅していった。


「――この人のせいで、アストリッドの友達が、ジョゼに殺された」


消滅したときに生じた煙の影から、彼が目にも留まらない速度で突っ込んできて、振りかぶった右の拳で殴りつけてくる。でも、その場所にわたしは既に、いなかった。


「――この人のせいで、ジョゼが暴走して、神父様が傷ついた」


全ての因果が収束して、一点に繋がっていく。


「――そして、ゴーティオンが消えてしまった」


かわした途端、背後に大きく開いた牙だらけの口が、わたしの後頭部を噛み砕こうと、緑色の涎を垂らして、生暖かい息が、首筋にかかる。そして、勢いよくその顎が閉じられようとした瞬間――


「――ジョゼが『宿主』にならなければ、……死ぬことはなかった……」


噛み砕こうとしたその場所にわたしの頭部は存在せず、その代わりに『星紋撃勁』が彼の鳩尾に突き刺さっていた。巨体がくの字に折れ曲がり、空間が広くて分かりにくいけど、数十メートルは吹き飛ばされていった。


「――あなたが、わたしを、傷つけたんだ」


バロックとシグが顔を見合わせて話し合ってる。


「すげぇ……。体格差も『アストリオン』の差も関係ねー……。『星紋交差』が『悪魔の設計図』に含まれる『暗青のアストリオン』の影響で進化して、カウンターを極めたんだ。最初に『暗青のアストリオン』が直撃したのが原因か……?」

「デルニエ・エンデは、配下の『悪魔使い』を使った悪行はもとより、殺人・強姦・強盗・恐喝・放火・麻薬の流通、ありとあらゆる犯罪を自らも犯している犯罪者だ。各国の権力者とも裏で繋がっており、法で裁くことも難しい」

「ケッ。オレ様たちがそんなクソ野郎を選ぶわきゃねーよな。『願い』は生命進化を促進させるのが目的だしな。オレ様は例外だけど……」


ドシン、ドシン、と、こっちに向かって歩いてくる。全部の元凶が。


「――絶対に許さない」

「けどよ、ヴァイオラ。実質HP無限みてーなもんだぜ、アイツ。ぶっ殺すのはいいんだけどさ、どうやって殺るんだ?」

「僕を『白銀装纏シルバーン・ドレスト』して、時間は掛かると思うが、『因果断裂』で全ての繋がりを断ち切るか……?」

「――ううん」


わたしは決めていた。


「あれは、わたし1人でやる。……バロックと、シグに、汚れてほしくないんだ」

「オマエ……」

「……わかった。君に任せるよ」


暗闇の中から、ぬっと、あれが姿を出す。もう、意識が混濁しているみたいで、わけのわからない呻き声を、全身に無数にある口から噴出して、吐血しているみたいに、緑色の液体を吐き出している。わたしは『翠緑のアストリオン』で目の前まで高速移動し、もう一度『星紋撃勁』で殴りつける。ドガシャア、と床材を破壊しながら、あれが転がっていく。


これ以上、いくら叩いても、同じ事の繰り返しになるだろう。といって、『黄金星紋装纏』して『星幽監獄葬』で超空間送りにするのも、いや。ジョゼの空間に、あれを送り込みたくない。ベルゼの『漆黒』で飲み込むなんて、もっての外。最悪、わたしの内部に入り込む可能性もあるし。考えただけで、ゾッとする。


「――だから、こうする」


『紅蓮の心臓』に呼びかける。ルシフェンの心が呼応する。それに従い、わたしの瞳が紅蓮の色に染まっていく。他者を踏みつけにする理不尽。一番それを味わってきたのが彼。――実は、とある出来事がヒントになって、バロックとシグが合体している状態だと使えない【一撃必殺技】を思いついていたんだ。わたしは、ゆっくりと、あれの転がっている近くまで、歩いていった。


「グガゲゴゴ……」


ぐぐぐ、と何本も飛び出た触手で体躯を持ち上げ、ぼたぼたと気持ちの悪い液体を流し、何度も何度も生き物を再現しては崩れている。つん、と強烈な刺激臭が鼻をつく。普通の人ならそれを吸っただけで消滅してしまうだろう。穢れた空気を手で思いっきり振り払う。ぶわっと風が起こり、臭気は吹き飛んでいった。わたしは、思いっきり息を吸い込んだ。


――眠っているあの人に話しかけるために!


『ゴーティオン!!!! 起きて!!!!』


声とともに、『紅蓮のアストリオン』を口から吐き出す。ドラゴンが火焔のブレスを放つみたいに、声の塊が音の爆弾となって、あれの巨躯を容赦なく切り刻んでいく。バロックとシグが合体しているときに使えないのは、私の内部から外側に向かって発生する技なので、わたしの外部を包む彼らのアーマーを破壊してしまうから。ヒギャアアアと、生々流転を繰り返す再生生物たちが、声に吹き飛ばされて、消えていく。


『ゴーティオン!!!! いま、あなたの愛する神父様が、汚されている!!!!』

「ガ、グガガ……!?」


いくら強大な力を纏おうとも、どんなに巨大な体になったとしても、それを成す根幹は、あくまでもゴーティオンから生じる『悪魔の願い』。だから、ゴーティオンを目覚めさせ、内部から切り離させることで、あれを無力化する。あんな、他者を利用することしか能のないクズに……、あの優しいゴーティオンを……、利用させるわけにはいかない……!


『汚らわしい悪意が神父様を喰らいつくそうとしている。それに……』

「オゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……」


それに、もうひとつ。神父様が『太古の王』を喚び出したときに、正直「あれ!?」と思ったことがあった。『太古の王』は『願いの悪魔』の融合体。つまり、二体目の悪魔と『融合』することを願おうとしていた。その結果、このザマだ。これは、単なる暴走じゃない。なぜこんな、合体失敗の状態になってしまったのか。


それは、『拒絶反応』。間違いない。


わたしも――仕方がなかったとはいえ、月面で死にかけ、『紅蓮の心臓』を使って生き返った。その結果どうなったか。様子の変わったわたしに対して、バロックがひどく狼狽し、一ヶ月以上、心の整理が必要になったってこと。人間なんかより――、よっぽど繊細なんだ。彼女らは。


わたしとバロックの隙間に、別の『宿主』が入り込んでしまった。それをわたしが意に介さなかったがために、バロックを強く傷つけてしまった。彼女が、わたしを深く好きでいてくれているぶんだけ、深く……。人間世界では、一言でその状態を言い表せる言葉がある。一発で目が覚めるほどの、強烈な言葉が……。


わたしは、こので、勝負が決まると確信し、それを放った。




『神父様、!! そんなトカゲなんかに、取られちゃダメだよ!!!』




数秒の沈黙。




ピシ……、ピシ……、ピシ……。異形と化した化け物の体躯の表面にヒビが入り、美しい青い光が溢れ出す。それを見て、バロックが感嘆の息を漏らした。


「おお……。コレは、アイツの……! まぶしっ!」

「光が強まっていく……!」


――――無音。化け物の体が爆ぜ、飛び散って、破片が青い光のなかで消滅していく。床面の紙片は四方へと吹き飛んでいき、暗闇に包まれていた『秘密の小部屋』は、本来の主が帰還するのを祝福するかのように、淡い光に包まれた。そして、『願いの悪魔』が降臨したときに聞こえてくる、鐘の音が……


あれのいた中心辺りに、懐かしいあの、金属で出来た山羊の頭蓋骨のような、メタルバンドのアルバムジャケットに描かれているような、1人の『願いの悪魔』が佇んでいた。

――彼女は黒く美しい肢体で、気を失った神父様を抱きかかえながら、昏い頭蓋骨の中に浮かぶ双眸の灯火が優しく揺らめいて、そっとわたしを見つめていた。


「――ひさしぶり、ゴーティオン」

「……ありがとう、ヴァイオラ。……私は、この男が救われる道は、私もろとも消滅することだと思っていた……。よもや、こんな結末があろうとは……」

「友達だから。当然だよ」


でも、談笑する前に、一つ、やることがある。



「デルニエ・エンデ」



わたしは、ゆっくりと振り返る。

飛び散った液体の一部に、分離させられた本体がまだ、生き残っていた。

でも、それでいい。


きちんと、終わらせないといけない。

これ以上、悲しい思いを、誰にもさせては、いけない。

わたしは、そう、自分に言い聞かせる。



「ま……、待て! 私を消したところで、君が得することは何もあるまい。ただただ、殺人者の烙印を押されるだけだ。こんななりでも、一応人間だからな。あのアストリッドでさえ、思いとどまったのだぞ。考え直すがいい。私を利用すれば、世界を支配することなど思うがまま。君が」



わたしは、その顔面に向かって、拳を振り下ろした。



仄暗い、菫色の『サツイ』が伝播して…、

それの汚らわしい体液が、全て蒸発していった。

わたしの両手に緑色の液体がこびりつき、滴る。


それも、しゅわっ、と、消え去っていった。

何も考えられない。

思わず胃から胃液が逆流し、ぶち撒けてしまった。


「ぅうっぐ、げぅ……、ごほっ……」

「大丈夫か、ヴァイオラ……」

「ハァ……、ハァ……。うん。平気……」


人を、殺した……。


全身が悪寒で震え、握った手が揺れる。

でも、バロックには、やらせたくなかった。

頭が真っ白でうまく考えられないけど。

ただ、それだけ、思っていた。


バロックが背中をさすってくれる。

ゴーティオンが、一言一言、静かに語り始めた。


「……この男……、モディウスは……、二度と、目覚めることは……、ないのかもしれぬ……。だが、お前の声で目覚め、奴を分離した時、確かに感じた。ヴァイオラ。お前に対する……、贖罪の気持ちをな……」

「そっか……」

「……私は、この『秘密の小部屋』で、この男と……、永遠を過ごそうと思う……。だが、その前に、これを受けとってくれ……」


そう言ってゴーティオンは、被っていた山羊の頭蓋骨を脱ぎ、わたしに手渡してくれた。え、……これって脱げるのか……。そんなことを考えながら顔を上げると。

わたしは息を飲んだ。


これまで見たことがない、筆舌に尽くしがたい、まさにこの世のものとも思えない程の、美しい人の顔がそこに在ったのだから。真っ白い透き通る髪、宝石の輝きを思わせる瞳、ターコイズブルーの唇に睫毛、星空のような肌……。これが、ゴーティオンの素顔だなんて……! そして漂う麝香の香り……。ゾワゾワっとして、思わず鳥肌が立っちゃった。多分、目もまん丸になってると思う。


「……この面には、私の力が篭められている。お前が呼びかけてくれれば、いつでも力を貸そう……。そう、他の『願いの悪魔』たち――、ウォルコーン、フライピッグ、ヘッジフォッグ、ライグリフ、そしてバロック……、奴らと同じようにな……」


お面は光りに包まれ、シュッと小さいサイズになって、わたしの片手に収まった。その形は六角形。『悪魔の設計図』にぴったりと収まる、あのサイズ感。つまり、『暗青のメダイユ』となった。金属光沢のあるその表面には、元のデザイン通り、山羊の頭蓋骨が描かれていた。


「わあ……! ありがとう! ゴーティオン!」


ふいに、ゴーティオンがわたしを正面から抱きしめ……


「ん……」


唇を重ねてきた。

ああ、とてもいい香りだ……。さっき吐いちゃったなあ……。

など、どうでもいいことばかりが色々、頭をよぎる。

頭がぼーっとしてきた。


「……さらばだ、ヴァイオラ」

「……」


ゴーティオンが、青い粒子になって、ふうっと消えていく。

同時に『秘密の小部屋』もだんだん薄れて、見えなくなっていった。




「……さよなら、ゴーティオン」



目に映る景色が、だんだんと白い壁、白い床のあるエントランスホールに変わっていき、そういえばそこが『フェルーゴ量子コンピュータ研究所』だったことを思い出す。神父様、ゴーティオンとの再会が、白日夢だったかのように。鼻腔に残る麝香の香りだけが、いつまでも消えずに漂っていた。


「オ……、オマエ……」


はっ。恐る恐る後ろを振り向く。……予想通り、もの凄い嫉妬に顔を歪ませたバロックが、歯をぎりぎり言わせながらぷるぷる震えている。バロックがわたしに向けているのは、人間でいうところの恋愛感情とは少し違う、とは思うんだけど、なんだろう。独占欲とも少し違うし、とても難しい気持ち……。


「で、でも、一緒にお風呂に入ったのは、バロックだけだから……、ね?」

「……うーむ……。それもそっか。じゃ、いーや。その代わり……」

「その代わり?」

「今度、オマエの姿で、一緒にお風呂入りたい」

「……えぇ……。うーん……考えとく……」


自分の姿とはいえ、指輪を渡された時、ドキッとしちゃったからなあ。そんな姿でお風呂に入ったりしたら、余計わけがわからない感情になってしまいそうだ。

ハァ、とため息をつくシグ。


「それより、周りを見てみなよ。神父とエンデを倒せたのはいいが、恐竜のせいで、死屍累々の状況だよ。これをなんとかしないと……。現場状況はデータで保存しといたから、死んだ人たちを生き返らせてあげてくれないか」

「うわっ!」


想像以上のひどい状態だったのですぐに目を瞑り、「ごめんなさいごめんなさい……」と心のなかで繰り返しながら、『翠緑のアストリオン』を展開して、殺害された人たちを、元通りの姿へと修復していく。目は開けられなかったけど、徐々に周りがざわざわとしてきて、恐る恐る目を開けてみた。


研究員さん達が周りをきょろきょろと見回したり、話し合ったり、わたし達に気がついて話しかけようとしてくれたり。はあ――――っ。良かった。

シュイン! と入り口が開き、三神さんとエリザベートさんが入館してきた。


「おお、元に戻してくれたか。さっすが、ヴァイオラ君!」

「異空間へのゲートが解除されたのを確認しました。わたし達が皆さんに説明して、外に避難誘導します」

「ところで、やはり、あの恐竜は、モディウス神父が……?」


三神さんは、慎重に言葉を選びながら、わたしに問いかける。外の恐竜が消え、『秘密の小部屋』が解除された以上、神父様が敗北したことになる。しかし、この場にいないということは、神父様が姿を消す事情が何かあった、と察してくれたのだ。それによって、私の心が傷ついていることも。


「……はい。それと、……デルニエ・エンデが、いました」

「!」

「でも、わたしが倒しました。そして、この手で――――――、殺しました」


三神さんが、一瞬の間を置いて、伏目がちに、小さく頷いた。


「……そうか。分かった」

「……」


エリザベートさんが、優しくハグしてくれる。でも、涙は……、流れなかった。

なにか、心の中で、スイッチが切り替わってしまったような。

そんな感じがした。


「最後の、一体……か」

「あー。このクソッタレな『王の試練』も、アイツで終わりだ……」

「それに、『全人類を滅ぼす願い』も……ね」



――今、会いに行くからね。ベアス。



to be continued...

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