第22話 ふたつのクリスタル

ベアスによって発動された『人類を絶滅させる願い』が叶うまで、あと


わたしがEINアインの研究員さんたちを見ると、手の甲に7という痣が浮かび上がっている。世界中の人びとは新年をお祝いしつつも、世界を蝕む新型ウイルスについての話や、徐々に迫る『数字』のカウントダウンのせいで、暗い影を落としていた。ベアスの行方はようとして知れず、わたし達はじれったく手をこまねいていた。というのも、ベアスがネット上に存在する領域は、短い時間ですぐに場所を移動してしまうから。蜘蛛の糸を手繰るような手がかりしか持たないわたし達は、それを追いきれないでいた。


Bonne annéeボナネ! ヴァイオラ君」

「あけましておめでとうございます、三神さん」

「……バロック君は?」

「相変わらず一人で『修行』してます」

「そっか……」


月面のシドニア・フェイスでの戦いのあと。あの日からバロックは、悪魔4体分の力を保有したわたしに、本能的に怯えるようになってしまって、ずっと震えていた。いくらハグしても、撫でくりまわしてもダメ。お風呂でくすぐったり、抱き枕にして一晩中かじりついてみたりしたけれど、むしろ逆効果で、朝起きたら部屋の隅っこで雨にずぶ濡れた捨て犬のようにプルプルしていた。そんな調子が数日続いて――。


あくる日。わたし達が、戦いで消耗したアストリッドのお見舞いに行った時。そんな状態のわたし達を見兼ねて、彼女が一言、こう呟いたんだ。


『――バロック、お前がヴァイオラより強くなればいいんじゃねーの?』


バロックがハッとしてわたしを見やり、「そうだ。オレ様、強くならなきゃ……! オマエを守れるくらい……!」とだけ言い残して、パッと消えてしまった。


――それから一ヶ月と少し。バロックからの連絡は途絶えっぱなし。EINアインベースに居候したまま、なんとなくクリスマスが過ぎ……、2021年が終わり、こうして三神さんと新年のご挨拶をかわしている、というわけ。状況は好転しないし、バロックもいない。母さんにも会いにいけてないし。アストリッドはまだ療養中。シグも、どっか行っちゃった。ひとりぼっち。


「……寂しいなぁ」


わたしが思わず心の内を漏らしたその時、エリザベートさんが慌てた様子でバタバタと中央司令室に駆け込んできた。


「た、大変です! 三神さん。ベ、ベアス本人からメールが届きました!」

「……なんだって? ふーむ……」

「【 V.EEE.AAA.S 】……? ベアス??」


メールの内容が中央司令室の巨大モニターに映し出される。そこにはたった一つの、文字の羅列が並んでいた。三神さんはこれを一瞬見て、すぐに解答を割り出した。


「IPアドレスだ。Vは21、Eは5、Aは1、Sは19」


それに反応し、研究員さんたちがばたばたと動き始める。悪魔ヘッジフォッグの創った特別な端末に情報を入力すると、これまで苦労していたのがまるで嘘のように、たちまちベアスの居場所が割り出された。研究員さんが訝しげな表情でそれを眺める。


「ベアスの領域が特定できました。動く様子もありません。罠でしょうか」


わたしは、ずっと疑問に感じていたことを、そのまま口にした。


「――ベアスには何か、考えがあるんだと思います。前に直接『数字』の中を覗いた時、確かに『宿主』の殺意を感じ取ることができました。でもそれなら『数字』を表示する意味なんてなくて、静かに『願い』が叶うまで待てばいいはず――」


すると三神さんが追随する。


「僕の考えはこうだ。ベアスの『宿主』は、。が、。なので、こんな回りくどいことをしている。ベアスは焦っているんだろう。に行かずに、ね」

「……!」


三神さんの簡潔にまとめられた言葉で、ようやくわたしは、ベアスの目的が何なのか理解した。


「そうか、他の『宿主』に、自分の『宿主』をが目的なんだ……!」

「恐らくね。人類が絶滅すると判れば、例えばヴァイオラ君のように、親類等を守るために動く『宿主』が出てくる可能性は高い。自分たちへの刺客へと仕立て上げるために、わざわざ『数字』のカウントダウンを表示させたんだ。ベアスは違う領域に存在する悪魔だから、直接的に他の『宿主』を攻撃して『王の儀式』を棄権することも出来なかった。このメールの内容も『情報を隠す願い』を回避するために、最低限のレベルで暗号化したんだろうね。じゃ、エリザベート君。早速だけどシグを呼び戻してくれ」


すらすらと推理を纏めると三神さんは流れるように支持を出す。まるで、予め決められた台本を読んでいるかのようだ。たぶん、三神さんは最初からある程度は真相について予想していて、メールが届いたことでほぼ確信に至ったんだと思う。


「はい、既にこちらへ向かっています」

「さっすが! 仕事が速い。……さて、そうなると問題はバロック君だ。彼女がいないとヴァイオラ君が『白銀装纏シルバーン・ドレスト』できないよね……?」


その質問は来ると思って、とある技を一人の時間にこっそり練習していた。


「大丈夫です! 任せてください」


わたしは両拳をギュッと構え、あのイメージを思い浮かべる。『アストリオン』を鎧化し、身に纏っていたジョゼの姿を……。


「『星紋装纏アストラ・ドレスト』ッ!」


ブワッ、とつむじ風のように『翠緑のアストリオン』が渦を巻き、わたしを中心に光の粒子となって集まっていった。粒子は黒い皮膜状になり、ぴっちりとしたボディースーツとなって、細いわたしの手足を、そして頭部を包み込んだ。『悪魔纏装デヴィル・ドレスト』ではそこから更にアーマー化したバロックが装着されるのだけど、そうではなく、防具兼装飾用の、輝く翠玉の結晶が鎧状にセットアップされた。


「綺麗……」

「あ、ありがとうございます」


エリザベートさんがお祈りをするときのように手を合わせながら褒めてくれ、むず痒いような気持ちになる。そこに丁度シグが入室してきて、わたしに声をかけた。


「成程。それなら大丈夫そうだね。どうだい、ヘッジフォッグ?」

「――強度とパワーは『悪魔装纏デヴィル・ドレスト』にかなり劣るが、『翠緑のアストリオン』そのものを着ているため、スピードと回復に優れるようだ」


なるほど。客観的な意見は大事だよね。ものすごく大切なことを聞いたような気がする。覚えておかなくっちゃ。もしバロックがいたら、「フラグ立ったな!」って言いそう。――とかなんとか考えているうちに、シグが『白銀のアストリオン』を右手の周囲に纏わせている。銀色の光が彼を包み、仄かな光の粒子があたりに漂う。


「よし、それじゃあ始めようか。『第4の願い』を再発動!」


バシバシバシ! と、まるで土中の石英に根を這わせる自然銀みたいに、『白銀のアストリオン』が、中央司令室に据えられた量子コンピューターの端末を覆い、樹枝となって広がっていく。シグの、電子空間で活動できる『第4の願い』を使って、インターネットに潜む悪魔ベアスの領域へとアクセスする。


「さあ、いこう。パーティの会場へ、ね」

「『第3の願い』を再発動。『悪魔の設計図デモンズ・プラン』……!」


シグが『第4の願い』を発動したまま、『白銀のメダイユ』へと変化していく。わたしはそれを手に取り、『悪魔の設計図デモンズ・プラン』へと嵌め込んで、『白銀装纏シルバーン・ドレスト(星紋バージョン)』を行う。シグの『白銀の樹枝』がわたしを覆いつくし、翠玉で飾られた黒いアンダースーツに白銀の鎧が組み合わされ、新たな強化形態へと変わっていく。わたしはバシン! と自分の顔を両手で叩いた。


「よし。覚悟はいいかい」


月面のシドニア・フェイスでの戦いで傷ついたアストリッドとバッドロックの二人が、中央司令室から見える自室の窓から、手を振っている(『悪魔融合デヴィル・フュージョン』で消耗した力は、『アストリオン』では回復できない特殊なダメージだった)。わたしは頷きながら右手をサムズアップ。


「行くよ……『量子潜航クォンタム・ダイヴ』!」


ザザザ……


『白銀の樹枝』から接続された量子コンピュータ端末に『白銀のアストリオン』が集中。ぎゅわわわわ! と、周りの景色が端末に向かって吸い込まれていくような錯覚に陥って、ドプン、と情報の深海に引きずり込まれていく。


ゴポゴポゴポ……


果てしなく落下していくわたしの身体は、可視化されたインターネット空間の中を流離さすらう。まだ水面にほど近いきらきらと光る水流のなか、ひときわ煌めく大きな流れを通過する。


「うわぁ、きれい!」

「極彩色に輝くあの流れは、リアルタイムで人々が構築し続けているデータの流れ、メイン・ストリームだ」


でも、光り輝いているのは、水面に近い場所のたったそれだけ。沈めば沈むほど、あとは永遠に続くような、昏い昏い海が横たわっていた。わたし達は、ジョゼとベルゼの『メダイユ』から発信されるを辿って、ベアスが示した地点へと、深海へ、海溝へと深く、深く潜っていく。


「この海……。死んだデータの海なんだ……。どこまでもどこまでも続いてる……」

「無限に続く墓場、といったところか。一瞬だけ愛でられ誰からも忘れられた絵の少女、丁寧に作られたのに一年も経たず廃棄されたワールド、誰にも聴かれなかった美しい音楽、404というステッカーが貼られた廃墟、理解者が現れなかった物語……」

「なんだか、悲しい」

「僕は好きだよ。こういう場所が。静かで落ち着く」

「そう言われてみれば、シグって深海魚みたいだね。トゲトゲしてて、光ってるし」

「……」


……―――ゴォン―――、―――ゴォン―――……


遠くから鐘の音が響いてくる。ジョゼやベルゼ、ライグリフと対峙した際にも発生した現象。それは、『願いの悪魔』が近いのだ、ということを教えてくれた。続いて、何十年も前に録音された、抑揚のないノイズばしった合成音声のような、低音の、女性らしい機械的な音声がゴゴゴ……と、伝わってくる。


「――かつて……」


周辺にうっすら漂っていた廃棄データ達が、何処かへと逃げていく。そして昏い深海にはわたし達だけが(正確には『白銀装纏シルバーン・ドレスト』したわたし一人が)取り残された。謎の音声は続ける。


「……かつてここは、永遠に存在しつづける、と多くの人達が幻想を抱いていた。実際のところ、ケーブル同士で接続されたコンピューターの内部で情報がやり取りされていただけなのに、人類はまるで新しい宇宙が拓かれたかと錯覚し、新たな文明を築き上げ、そしてサービスの終焉と共に朽ちていった。やり取りされていたデータの藻屑はロボットに攫われ、貝塚に捨てられた貝殻のごとく、無意味に蓄積されていくのみ。だがそれも、れっきとした人類の記憶の欠片なのだ――」

「……誰?」

「我が名は、『願いの悪魔』ベアス……」


悪魔ベアス。悪魔数4。『宿主』は不明。『情報を隠蔽する願い』、『人類を絶滅させる願い』が既に発動していることが判っていて、彼らを倒さない限り、あとたったの7日で人類が絶滅してしまう。どんなに目を凝らしても、ベアスの身体は視認することが出来なかった。たぶん、この領域そのものがベアス、ということなんだろう。


「はじめまして、悪魔ベアス。わたしはヴァイオラ」

「――ごきげんよう。悪魔数3の悪魔バロックの『宿主』。4体の悪魔――ウォルコーン、フライピッグ、ヘッジフォッグ、ライグリフと、その『宿主』を支配下に置いている者よ……」


静かな水底で彼女の声が厳かに響き渡る。その声には威圧感や恐ろしさはなく、優しさや憂いを帯び、安らぎすら感じるほどだった。ライグリフのカリスマ、ウォルコーンの魔眼、バロックの手触り、ヘッジフォッグのラグジュアリー感、フライピッグの美味しいお肉、ゴーティオンの麝香、そしてベアスは『声』、というわけか。


「そっか、全部お見通しってわけね。じゃあ、わたしの望みもわかるよね?」

「――我が囚えている、お前の二体の悪魔……、ウォルコーン、フライピッグ、更にその『宿主』ジョゼとベルゼ、この四名を返して欲しい、か――? だが――」


わたしの目の前に、すうっと音もなく、二つのクリスタルが現れた。黄金のクリスタルと、漆黒のクリスタル。その中に閉じ込められているのは――!


「ああっ! ジョゼ……っ! ベルゼも……!」


いた。遂に逢えた……! 膝ががくがくと震え、へたり込んでしまう。二人の閉じ込められている結晶体を見上げる。二人共瞼を閉じて、おとぎ話の眠り姫のように、身動き一つせず、そこに在った……。


「ああ……、う、うう、……ッ」

「ベアス、これはお前がやったのか……?」

「――ウォルコーンの『宿主』が、哀れな少女からフライピッグを引き剥がしたその後――。この者らは自ら生み出した超空間に飲み込まれ、我の棲まう量子宇宙の領域とほど近い次元宇宙の狭間に弾き飛ばされた――。其処は純然たる悪魔でも自我の維持が困難な場所、原型を留めぬほどに砕けておった――。我は哀れに思い、この者らをそうっと掬い上げ、この領域にて修復しておったのじゃ――」

「ということは……! お前が彼女らを救った、という事か」

「ヒック……あり…がとう……、ベアス……!」


まさか悪魔に慈悲をかけられるなんて……、思ってもいなくて、胸が熱くなり、とめどなく涙が流れた。嗚咽がこみ上げて、それ以上言葉にならない。嬉しい。本当に嬉しい。本当はもう、諦めていた。二度と逢えないんじゃないかと――。


「――だが、完全に元に戻すことは不可能じゃ。これより先、この者らを目覚めさせるは、お前が成すと良い。元いた世界に戻り、悪魔を再構築する『第3の願い』を使い、お前の『星紋アストリオン』を触媒とすれば、一時的に黄泉帰らせることはできよう――」

「う、うぐ、ぐすっ……。わかった……」

「よし、戻り次第試してみよう。情報をEINアインベースに共有し、準備しておく」

「……ありがとう、シグ」

「お安い御用さ、ヴァイオラ。あとは、ベアス。お前の居場所についてだが……、お前の望みは『宿主を止めること』……そうだな?」

「……」


シグの問いかけに、ベアスは沈黙している。『宿主』が『情報を隠す願い』を掛けているため、解答が出来ない状態なんだと思う。


「我々が協力する。悪いようにはしない。教えてくれないか?」

「――『宿主』の『願い』により、我は『宿主』の居場所を明かすことは出来ぬ。――が、ここで手厚く修復したせいで、ようじゃ。さて、どうしたものか。異な事、異な事……」


そう言い残して、現れたときと同じ様に、すうっとベアスの領域は深海に霧散していった。後に残されたのは二つの結晶体。ジョゼとベルゼが眠る、『黄金のクリスタル』と『漆黒のクリスタル』のみ。


「いなくなっちゃった」

「クリスタルを持ち帰り、ジョゼとベルゼを復活させればわかる、という事だな」

「そうだね」


そっと触れてみる。固くひんやりとした感触が伝わってくる。もちろん、ここはデジタルの空間だから、わたしがそうイメージしているだけ、なんだけど。けれど、どうやって持ち帰ればいいのか――、そう思った途端、クリスタルがサラサラサラ……とデータの塊に変換されていき、わたしの身体に吸い込まれていった。


「ジョゼ……」

「ベルゼの方も頼む」

「うん、わかった」


同じ様にして、ジョゼのクリスタルを回収する。わたしの胸にぽっかりと空いた穴が埋まっていく……。握りしめた両手を胸の前に当て、その温もりを確かめる。


「あったかい……」

「君が幸せそうで何よりだよ、ヴァイオラ。――さて、あとはだけか……」

「バロックかぁ。一体どんな修行をしてるんだろ……?」

「僕が思うに、君とバロックは『願い』が強まった結果、ほとんど同一の存在になっている。だから、君たちは同等の存在であって、バロックが君を恐れる必要、無いはずなんだ。つまり、単純に気持ちの問題なんだよな……」

「えぇ……そうなの……」

「本能的にヴァイオラの事を怖がっている――のではなく、力が集まってくることで、君が変わってしまうんじゃないか、ということを恐れているんだと思う」

「……!」


そっか、そういえばいつからか、バロックがわたしの心を覗いてこなくなったんだ。その時、バロックがわたしの本心を知るのが怖くなったんじゃないかな、って思ったんだった……。でも、ジョゼが居なくなった辛さを誤魔化すために、バトルに没頭していたのは確か。『願い』や『アストリオン』を解放したときの高揚感は、嫌な気持ちを一瞬だけ、吹き飛ばしてくれるから……。自分のことが精一杯で、バロックの事まで考えてなかったんだ。


「……ごめん、バロック」

「あと、瞳が真っ赤なのが普通に怖い」

「……シグまで! ……もう!」


実は結構気に入ってたんだけどなあ……。瞳の色は元に戻そっと。



to be continued...

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