第21話 赤い宝石

「この私が敗北するとは……」


ルシフェンの願いが解け、ライグリフは刀から元の姿へと戻った。鷲の嘴、獅子の鬣を持つ、ローブを纏った老人へと。力なくわたしの眼下にうずくまり、悔しさに肩を震わせている。一万年もかけた下準備が台無しになった気分というのは、一体どれほどのものなのだろう。わたしなら――。うーん、考えたくない……。


「ライグリフよ、オレ様たちの勝ちだ。ルシフェンを解放してもらうぜ」

「? ……どういうことだ?」

「どういうこと、って、あなたがルシフェンを操っていたんでしょう?」


ライグリフは頭を垂れたまま、小さく左右に首を振る。


「それは違う。世界を破壊することは、ルシフェンの真の望みであったのだ。私は、それに応えただけに過ぎん。どんな手を使ってでも――。それが真実だ」


その言葉を聞いて、わたしは捕縛したルシフェンの『心臓』をゆっくりと見返す。心臓は静かに鼓動しており、敗北が決定的となった今も『紅蓮のアストリオン』を纏ったまま。――そうか。力で制するだけでは、ダメなんだ。彼の心を知るには、やはり――。


「……対話しかない、ってことか」

「ルシフェンと? 一体どうやって……」

「こうするの。『第2の願い』を解除」

「オ、オイ! 『白銀装纏シルバーン・ドレスト』を解いたら、アイツが復活するぞ!?」

「……いいの。お願い、バロック」


バシュッ、と、わたしを覆っていたバロックのアーマーが粒子に戻って宙に舞い、二頭身の白いおまんじゅう頭に戻った。同時にシグも『白銀のメダイユ』から元どおりトゲトゲ騎士ナイトの姿に。二人共心配そうな顔をこちらに向けている。『黄金の蔦』と『漆黒の触手』で編んだ籠もほどけて、囚えていたルシフェンの『心臓』が顕になる。と、再び『紅蓮のアストリオン』が噴出し、神経・骨・筋肉・皮膚、そして服へと、ルシフェンの身体が元通りに復活した。


「言わんこっちゃねー! 早く離れろ!」

「ヴァイオラ! 危険だ! 互いに消耗しているとはいえ、この状況ではまだ、君が勝ったとは言えない! 『翠緑のアストリオン』が枯渇したら、例え君でも――」


わたしは手で二人の言葉を静止した。


「――ルシフェン、『悪魔の願い』は無し。どちらの『望み』が正しいか――」


『アストリオン』は『第0の願い』。本当に望んでいる事が現れたもの。わたしの本当に望んでいること――。それは、心の穴を埋めること。それは、孤独という穴。わたしはずっと、孤独だった。


「わたしにぶつけてきて」


記憶にすらない幼少期に亡くなったという、父。わたしを育てるため、一生懸命に仕事をして頑張ってくれた、母。その境遇を気遣ってくれる、友達。恵まれているんだと思う。本当は。助けてくれて、有り難いと思う。もっと、大変な境遇にいる人はいっぱいいるんだと思う。――でも。頭では理解っていても、わたしの心には、どうしようもない穴が空いていた。


「グアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」


ルシフェンが雄叫びを上げながら紅の奔流を、感情の濁流が洪水となり、真っ赤な『アストリオン』がわたしを飲み込む。それとともに流れ込んでくる、彼の記憶。


……痛い……痛い……苦しい……辛い……


虐待。疎外。隣国との戦争で殺される兄弟。才能を徹底的に否定され、力だけが強い者に虐げられる人生。ライグリフと出会い敵国を破壊するも逆に囚えられ、酷い拷問に掛けられ――、不死のため死ぬことも出来ず、そのまま敵国が滅びて、繋がれたまま忘れ去られ、千年後再びライグリフの手で地上に出るが、次世代の『宿主』に半死半生にされ、逃げ延びるも『アストリオン傷』で千年間苦しみ、癒えたと思いきや今度は大国に目を付けられて捕縛され、人体実験を無数に受け、今度は――


「……~~~~ッ」

「……!」


バロック達が何か言っているが、何も聞こえない。目の前が真っ赤だ。わたしは『翡緑のアストリオン』を全開にし、少しずつその奔流に逆らって、ルシフェンへと歩み寄っていった。彼に比べたら、なんというちっぽけな自分の人生。でも、だからといって、この孤独だけは嘘じゃない。真綿に包まれながら成長した、巨大な巨大な深い穴。心の底からは何も楽しめない、空虚な毎日。何も――、そんな時、バロックに出逢った。ゴーティオンに出逢った。ジョゼに出逢った。ベルゼに、シグに、ヘッジフォッグに、あと一応……神父様にも。気付いたら、わたしの穴は、結構埋まっていた。みんながいるから、わたしは何度だって立ち上がれる。


「ルシフェン! あなたの痛みを受け止められるのは、わたしだけ。だから――」


目の前で、『紅蓮のアストリオン』を放出し続けるルシフェン。わたしは迷わず、彼を抱きしめた。凄まじい勢いで溢れ出る赤い激流を、『翠緑のアストリオン』で中和していく。戦って分かったこと。それは、『アストリオン』に圧倒的な差がある筈のルシフェンと、策を弄したとはいえ五分に渡り合えたこと。これはわたしの希望的観測ではあるのだけれど――。


「本当は、助けてほしかった、だよね……?」

「あ……、ああ…………」


フッ。


『紅蓮のアストリオン』が、消えた。――いけない。このままでは、彼が『救い』のないまま、消滅してしまう――。朦朧とする意識の中で、わたしは消えゆく彼の『心臓』を両手で掴んだ。もうほとんど感覚がないけれど、両手が焼けるような衝撃が伝わる。せめて、わたしの一部となって、共に生きて行けたなら――。


(――同じ苦しみを分かち合うとして――)



***



『紅蓮のアストリオン』の直撃を受け続け、ズタボロになったあのバカが膝から崩れ落ちると、オレ様とシグはソッコーで駆け寄った。シグがすぐさま『白銀のアストリオン』を分け与えた事で間一髪、ヴァイオラが消滅することだけは免れた。けど、その影響からか……。ブルネットの髪や睫毛はすべて真っ白になり、燃え尽きた灰のようになっちまった。オレ様はその姿を見た途端、何も言えなくなり、身体が震え、涙がこぼれおち、いつまでも止まらなかった。少しだけ意識を取り戻したヴァイオラが、一言だけ漏らす。


「泣かないで……バロック……。ありがとう、シグ……」

「ヴァイオラ、喋るな。君まで本当に消滅するぞ!」


ヴァイオラはオレ様の頭をしばらく撫でていたが、急にするりと力が抜けて、だらりと腕が垂れ下がった。再び意識を失ったのだ。死―― オレ様の身体ががくがくと強く震え……同時に心の奥底に燃えたぎる炎のようなものを感じた。人間的に言うなら、怒り、憎しみ――


「……クソ! クッソ―! ライグリフ……。 ヴァイオラが、し、死んだら……! テメーのせいだからな……! 絶対に……、許さない……!」

「……」


オレ様が恨みを篭めて睨みつけると、ライグリフは無言で、赤い宝石が嵌った『指輪』の姿へと変化した。金のリングには梨地螺鈿の獅子が彫り込まれている。そいつがそのまま右手の親指へ。――すると。ヴァイオラの髪がすうっと元の美しい黒髪へ戻り、風前の灯だった『アストリオン』はまるで再点火されたかのように、容態が安定した。ドクン! と力強い鼓動が伝わってくる。ドクン! ヴァイオラの胸の辺りが仄かに光る。薄っすらとだが、赤い光。


「ヴァイオラ、オマエ――!」

「大丈夫か!? ヴァイオラ!?」


――ゆっくりと瞼が開く。


「――感じる。――ルシフェンの『心臓』が、ここに――」


その瞳は、黒ではなく……。真っ赤な炎に包まれたような、『紅蓮』の輝きを放っていた。そうだ、言うまでもない。ライグリフが、ヴァイオラに吸収されたルシフェンの『心臓』を使って、黄泉帰らせたのだ。これでまた一歩、ヴァイオラは人外に近付いてしまったらしい。――ただ、ヴァイオラを包む『アストリオン』は、『翠緑』のままだった。オレ様はちょっとだけ安心して、思わず抱きついてしまった。


「ヴァ゛イ゛オ゛ラ゛―――! 良がっだ―――!」


ヴァイオラは無言でオレ様の頭を撫でる。その右手には赤い指輪が、天から届く翠緑の光を反射して、きらりと輝いていた。ヴァイオラは頭上に浮かんだ、月の六倍の質量を持つその天体を眺めながら、ぽつりと一言だけ呟いた。


「――――帰ろっか」


シグがそれを聞いて、頷きながら回答する。


「了解。僕とヘッジフォッグはアストリッドとゼルテを回収してくる」

「オマエ達はポータルの位置で待機していてくれ」

「ああ、それなら……」


ヴァイオラが目線を送った先に、地球へのポータルが開いた。オレ様たちはその光景を目の当たりにし、文字通りぽかーんと口を開けてしまった。


「え、え、アレって、まさか……」

「うん。ルシフェンの『願い』が使えるみたい。わたし。ほら」


フッ、と。ヴァイオラの姿が消えた。ルシフェンの『消える願い』……だと!?


「いやいやいや。流石にそれは、その。なあ。やり過ぎというか。……っていうか、『第1の願い』がナントカカントカ! すら言ってなくねーか。ライグリフがくっついてるから大丈夫ってこと? わけわかんねー」

「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくれ。まさか、巨大化も……?」

「もちろん!」


背後で巨大な声が響いてくる。恐る恐るオレ様たちが振り返ると……。


「ぎゃあああああああああああああああああああ!!!」

「うわああああああああああああ―――――――――ッ!!!」

「ちょっと! 流石に悲鳴は失礼じゃない?」


50mくらいある超巨大な寝仏みてーな体勢のヴァイオラが、低周波をビンビンに響かせながら文句を垂れてきた。直立不動だったらパン2丸見えだったところだ。惜し……いや、あぶねーあぶねー。そんなどーでもいい事を考えてたら、シュッ、と元のサイズに戻ったヴァイオラが、元の位置にテレポートしてきた。


「ま、巨大化は使わないと思う」

「地上でやったら大惨事だしな……」

「さすがの僕もそろそろ疲れてきた」


――というわけで、オレ様たちはイビキをかいて寝てやがったアストリッドと、ゼルテとかいう女を回収して、ヴァイオラが開けたポータルを通じて、元の場所、つまり地球のスウェーデンのゴットランド島のヴィスビーの教会の廃墟んところまで戻った。ちなみに『悪魔使いディアボリスタ』どもはヘッジフォッグが全員拿捕して連れてきた。もうずっとメチャクチャな死闘を繰り返していて、体感的には何週間も経ったような気がするんだが、帰りはマジで一瞬だった。それどころか、ポータルは別に月面行き専用っつーわけじゃないらしく、ヴァイオラは一瞥しただけでドイツのEINアインベースへのポータルを出現させやがった。


「ただいまー」


突然現れたオレ様たちを見て、中央司令室に居た三神のおっちゃんは、いつぞやのオレ様みてーにブッ! とコーヒーを吹いた。


「は!?」

「えっ!? ヴァイオラ!? シグも!? 」

「只今戻りました。作戦完遂。色々有りましたが、全員無事です」

「そ……それは良かった。お疲れ様です。しかし、これは……。ライグリフの『宿主』の『願い』と考えられていた現象ですよね……? 何故ヴァイオラさんがこれを……?」


エリザベートちゃんはヴァイオラの開けたポータルの近くでじっと観察している。空間と空間の境目がギャリギャリいって火花が飛び散ってる。3Vの電池で動くジャガイモが飛び出てきそうな勢いだ。ヴァイオラがテヘペロ! みたいな顔で三神のおっちゃんに報告。


「なんだかんだあって、『宿主』ルシフェンと一体化しちゃいました!」


その瞬間、ヒッと息を飲む音が一斉に聞こえ、場が凍りつき、どいつもこいつも唖然とした表情で絶句してた。うん、気持ちは解る……。ヴァイオラはなんか知らんけど上機嫌で、鼻歌を歌いながらゲストルームに引っ込んでいった。


「な、なんだかんだ……?」

「悪魔ライグリフとその『宿主』、及び『悪魔使いディアボリスタ』達のデータは共有したので、後で確認お願いします。僕はゼルテを救護室へ」

「よ、よろしくお願いします、シグ……」


なんだろう、この――。ボタンが掛け違ったようなを感じたオレ様は、微妙にイヤ~な予感がしつつも、ヴァイオラの居るゲストルームに向かった。


「ふんふふーん……」


ヴァイオラは鼻歌を歌いながらシャワーを浴びていた。オレ様も――、と思ったが……。なんだろう。少し、手が震える。オレ様は何故手が震えるのか分からないまま、ヴァイオラがシャワールームから出るのを待った。ヴァイオラはすっきりした顔をして、タオルで頭を拭きながら部屋内に戻ってきた。


「……あれ? バロック? なんだー、一緒に入れば良かったのに」

「あ、ああ……」

(クソッ、震えが止まらない。寒気までしやがる。ど、どうなってんだ……?)


――ふわっ。


着替え終わったヴァイオラが、オレ様の背後から包み込むようにハグをしてくる。その温もり、オレ様への愛情を感じ、心の底から安心感を覚え、ようやく震えは収まった。後頭部に、少し濡れた頭髪がこすりつけられる感覚がして、頭がぼおっとしてくる。オレ様は、コイツが好き。だけど、どうしてさっきは……――?


<ヴァイオラさん、報告したいことがあるので、休憩が終わりましたらブリーフィングルームまで起こし下さい>


「はい、わかりました。じゃ、行こっか。バロック」


ヴァイオラはオレ様を抱っこしたまま、軽快な足取りで部屋を出て、三神のおっちゃん達が待つであろうブリーフィングルームへと向かった。


「………!」

「……!」


通りすがる研究員達がメチャクチャ強張った、かつ青ざめたような表情でオレ様たちを見る。オレ様たちというか……、ヴァイオラを。あの女性研究員は明らかに膝が震えてる。……オレ様は、その理由について、あまり考えないようにした……。後頭部にヴァイオラの柔らかい感触がある。うむむむむ。それだけに集中していく。ドクン、ドクン、と『心臓』の鼓動が伝わってくる――。『心臓』――。『心臓』か……


「……ッ!」

「バロック寒いの? 震えてる……」

「な、何でもね―! 大丈夫大丈夫!」


ガチャリ。


ドアのノブを掴んだヴァイオラにより、ブリーフィングルームのドアが開けられる。そこに研究員達の姿はなく、三神のおっちゃん、エリザベートちゃんの2名だけだった。2人には一切、動じる様子が無かったので、過去によっぽどな経験をしてきたんだろうな……、とオレ様は思った。


「すみません! シャワー浴びてましたー!」

「いえいえ! データを拝見しましたが、あの悪魔ライグリフを倒し、かつ支配下に置くとは……! これによって世界各地の悪魔テロが沈静化し、『悪魔使い』による犯罪組織も壊滅状態になりました。本当にありがとうございます」


深々と一礼する2人。


「それで本題に入るけど、実は、調べていた『黄金』と『漆黒』のメダイユについて、解析結果が出たんだ」

「!」


ヴァイオラが赤い瞳をまん丸にして驚く。遂にこの時がきた。待ちに待った情報だ。そう、ジョゼとベルゼを救出に行くフラグが立ったのだ。みるみるうちにヴァイオラの表情が満面の笑みに変わる。その顔を見て、オレ様、ちょっと泣きそう。


「結果から言うと、ジョゼとベルゼの2人は、悪魔ベアスが展開している領域――、つまり、インターネット上における、特定のサーバに囚われている可能性が高い」

「『メダイユ』を悪魔ヘッジフォッグの作製した機器で電子的にネット接続し、信号を辿ってみたところ、インターネット上に未知の言語で構築されたVR空間が存在していることが解りました。これは悪魔ベアスの領域であると思われます」


それを聞いて、オレ様とヴァイオラの表情が真顔になる。


「VR空間かぁ……」

「わたし、そっち方面は疎くて……」


いつものオレ様たちっぽい空気が流れる。その様子が場を和ませたのか、三神のおっちゃんはフッと笑みをこぼしながら対応策を話してくれた。


「なに、ウチには機械の専門家がいるじゃないか。シグの『第4の願い』を使えば、インターネット内に潜入することができる。さらに『白銀装纏シルバーン・ドレスト』状態なら、ヴァイオラ君を主軸にして行動できるハズさ!」

「あっ! そっか! ……う、うぅ! 待っててね、ジョゼ……!」


うるうると目を潤ませるヴァイオラ。うん……、いつも通りの感じに戻ってきた気がする。オレ様もちょっとだけ、持論を展開してみる。


「ま、ジョゼが『願い』で繋げた超空間と、量子空間のハザマに網張ってたんだろーな。そんで自分のフィールドに引っ張り込んだってトコか……」

「一つだけ疑問なのが、ジョゼ、ベルゼ両名がなぜ、抹消されないのか――、というところです。普通に考えるならば、『宿主』を王にするための障害でしかないので、VR空間に引っ張り込んだ時点で対処するはず。ですが、未だに信号が途切れない。つまり、生きている、という事になります」

「うーん、、っていうことかな――」


ヴァイオラのよく当たる勘が飛び出た。ま、とりあえずで行ってみる方向か。ハッキングとかファイアウォールなんかは、正直よく判らんのでシグに任せるしかない。そもそも未知の言語なので事前対策もできねーし。とはいえ、ヴァイオラの今の『アストリオン』量なら、いくらアウェーだろうと、一方的に氷漬けさせられるっつーのは不可能だ。なんせ、ルシフェン分が上乗せされちまったからな……。そう、あの無茶苦茶な量の『アストリオン』が――。あの……。


「あれ、また震えてる……」

「む、武者震いだよ!」

「大丈夫大丈夫、怖くない怖くない……」


ああ、クソ……。考えないようにしてたのに。

オレ様は、怖いんだ。


ヴァイオラが……。




to be continued...

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