第3話 悪魔祓いの神父さま
ちゅんちゅん、ぴちち。窓の外から、オレ様の眠りを妨げる雑音が、オレ様の美しい曲線を描く頭蓋に響いてくる。雀とかいう、矮小な翼で小生意気にも空を飛ぶ、ちっこい下等生物の一種だ。そいつらは灰色の円柱同士を繋いでいる、何本かの黒い線の上に止まっている。それが電柱と電線と通信ケーブルの類だってことは知ってるぜ。ちょっとレガシーな趣を出したかっただけだ。
「ふぬッ」
オレ様が悪魔的眼力で雀どもを睨めつけると、やつらは驚いて退散していった。ぱたぱたぱた……。ざまあみやがれ。そしたら、横になっているオレ様の頭上で、寝ぼけた声がした。
「ううん……」
ヴァイオラは、ベッドの上でオレ様をがっつりとホールドしたままアホ面で爆睡していやがる。オレ様の頭部は涎まみれだが、もう諦めた。オレ様はコイツのぺったんこ胸の間隙から脱獄すべく、「ふんぎぎぎ!」と両手両足に力を込め、十秒間ほど身体をうねらせた結果、はたしてそれを成し遂げたのであった。しかし、コイツは全然起きる気配がない。
「zzz……」
「ったく、気持ちよさそうに……オレ様は寝不足だっつーの」
上の世界のオレ様のねぐらでは、オレ様の眠りを邪魔する不貞な輩などいないからな。勿論、一晩中ハグしながら寝るヤツなんて……。
「友達、か……」
身体にほんのりと残るヴァイオラの体温を感じつつ、オレ様はガラリと窓を開け、二階建ての一軒家であるところの、ヴァイオラんちの屋根へと歩いて登った。たぶん古い住宅であろう白い外壁にはツタがつたい、赤い屋根にはコケみてーなのが生えていた。オレ様はあんまり気にせず、ごろりとそこへ寝転がった。そういや友達といえば、もう一人腐れ縁のヤツがいたなあ。ゆるふわの……
<――もしもしバロック、聞こえるか――>
と、そのとき、テレパシー的なやつで、上の世界から件の
「ちょうどオメーのこと考えてたわ」
<そうなのか? ……それは兎も角、首尾はどうだ? うまく下界の生物を【宿主】にできたのか?>
「もう楽勝よ、楽勝。とっくに【第一の願い】も叶えてやったぜ」
<オマエにしては真面目にやってるじゃないか。何を願ったんだ?>
「『友達になって』だとさ。あのヤロー、オレ様のうるわしボディを一晩中抱き枕代わりにしやがって……」
そこまで言いかけたとき、
<ちょっと待て。オマエ、人間に身体を許したのか>
「は!? いや、別に寝ただけだぞ。向こうが勝手に興奮して、身体中締め付けられたり、多少頭を齧られたりしたが……。アイツもメスだし、こ、交尾なんかしてねーからな! っつか、人間と交配出来んの?」
<……>
<……あのな、我々悪魔は、思念体が具現化したものだ。その無防備な最中……。つまり、眠りについているときに生物と密着した場合、その時間が長いほど、互いの存在に影響を及ぼしてしまうのだ>
「……えっ」
<生物においては身体的性質が、我々悪魔は他の何かが変化してしまうらしい。とりあえず、これ以上の直接的な接触は避けるんだな。何が起こるか分からんぞ。じゃあ、頑張れよ――>
そこで、
「えぇ……マジか……。オレ様、なんか変わっちゃったのか……? とりあえず部屋に戻ってアイツ起こすか……」
オレ様はバッと起き上がると、開けっ放しの窓からするりと部屋の中に舞い戻り、五点着地をすると、スッ……とかっこいいポーズで立ち上がった。この瞬間、仮に、「この
「オイ、起きろ。そろそろ学校とやらの時間じゃねーのか。オイ、ヴァイオ……」
「あ……おはようバロック……? どうしたの?」
そう眠そうに呟くヴァイオラの灰色っぽい瞳が、仄かな翠緑色の光をぼんやりと発しているのを認め、(完全にやらかした)とオレ様は思った。どうやら、
「オ、オイ、オマエ……体大丈夫か? どっか痛いところとかねーか?」
「あはは! 急にどうしたの? 熱でもあるの?」
「わっバカ、触るな……!」
抵抗むなしく額に手を当てられてしまう。が、ヴァイオラが狂うことはなかった。なんてこった。オレ様が人間如きを心配、……心配しているだと。変な汗が出てくる。悪魔なのに汗!?
「どうしたの?」
「……! な、なんでもねーよ!」
「分かった、よしよし」
そういってヴァイオラはオレ様をそっとハグすると、額を擦り付けてきた。この状態が表す事はただひとつ。オレ様への耐性が付いたというか、免疫のようなものが出来ていて、正気を保つことが出来ているって事だ。そして、あろうことか……。オレ様はコイツに雁字搦めにされるのが、嫌いではなくなってきている……。
「って、こんな時間!? 遅刻する!! 」
「ハッ。いかんいかん。オレ様は何をボケーッとしているのだ。せっかくこんな辺鄙なトコまで来てるんだから、下界観光せねば勿体ない。オラ、さっさと準備して、学校ってのに行くぞ!」
「あれ、わたしの歯ってこんなに尖ってたっけ……?」
「あー、そそ、それは、オレ様と友達になった証みてーなモンだ」
「そうなんだ! 了解!」
「(なんで納得するんだよ……)」
ママさんは仕事に行ったようで既に1階は
「
そう呟いたヴァイオラは、なんか知らんけどちょっと寂しい様な、遠い目をしていたようだった。オレ様はモヤモヤしつつもヴァイオラの鞄にすいっと潜り込み、自分の身体を半分くらいの小さいサイズ感に変えて、隙間から顔を出した。通常のオレ様がMサイズぬいぐるみだとすると、今はSサイズってとこだ。
で、鞄からヴァイオラを見上げると、小さい声で「よーし」と聞こえた。オレ様に嫌な予感が走る。途端、このアホは口にパンを咥えたまま、こげ茶色のローファーをカツカツ言わせながら走り出した。
「遅刻遅刻ーッ!!!」
「オ、オイ! 気をつけろ! こんなテンプレみてーに、口にパン咥えて曲がり角に向かって猛ダッシュしながらコーナリングなんかしたら……」
ドン!! と誰かにソッコーぶつかった。オレ様は眩暈がしてきた。なんでこんなヤツに憑いてしまったのか……。リセマラできるならもう少し聡明なヤツを引きなおしたい。……ただ、この鞄の居心地は悪くないので、しばらく我慢してやるとするが。
ちなみに、暴走特急ヴァイオラ号に衝突されてひっくり返ったのは、恋に落ちそうなちょろいイケメンではなく、眼鏡をかけた煙草くせー白髪のおっさんだったので一安心である。黒っぽい紺色のキャソックをその身に纏っている。
「痛たた……」
「す、すみません! 急いでいたもので……。お怪我はありませんか……?」
「ああ、大丈夫だ。仕事柄、鍛えているのでね。君こそ大丈夫かね」
「はい、不死身ですので!」
「…」
おっさんはきょとんとしている。まあそりゃな、いきなり突っ込んできたパン咥えたJKが、妙ちくりんな事言い出すもんだからな。頭おかしいなコイツって思われるのがオチだろうに。けど、このおっさんは全く動じる素振りをみせず――。
「はっはっは、不死身か。それはいい。人類の永遠の課題をクリアしたというわけか。おっと……」
と、小娘の非礼を笑い飛ばした……が、なにやら地面に落ちた荷物が破損しているのを認識したらしく、一瞬だけ少し困ったような顔をした。その荷物、ちらっとだけ見えたのだが、オレ様には少し見覚えのある品々だった。どこで見たものだったか……。かなり昔、気まぐれに下界に降りた時、見たような……。
「ああっ、本当に申し訳ありません。学校帰りに改めてお詫びにお伺いしたいのですが、よろしいでしょうか。この辺りにお住まいですか?」
「歩くと少し離れているのだが、あの丘の上にある教会にいるよ。私一人だ。別段、謝る必要もないが、来訪者はいつでも歓迎するよ」
「神父様だったんですね。分かりました、それでは後ほどお伺いします」
「……ああ」
温和そうに会話をしていたおっさんが、落とした荷物を拾いつつ、ヴァイオラの顔を覗き込みながら、皺のある顔の皺を1.5倍くらい深くして、ちょっと怪訝そうな雰囲気で訊いた。
「君。少し、目を見せてくれないか」
「え……? はい。どうぞ」
「……成程。この出逢い、偶然ではないということか…」
「?」
「いや、なんでもない。それでは、放課後楽しみにしているよ」
「はあ」
そう言い残して、おっさんは去っていった。その背中を見ながら、オレ様の脳裏にはある光景がうすらぼんやりと甦って来た。
「……そうか、あのおっさんが落とした物、どっかで見覚えがあると思った」
「え? 神父様だったら、十字架とか、お祈りに使うものなんじゃないの?」
「違う。あれは――」
オレ様が、ヨーロッパのどこぞの貴族の寝床を奪い取り、寝転がって葡萄をついばんでいる時のことだ。妙な格好をしたヤツらがオレ様を追い出そうと、一生懸命振り回していた玩具。
「いわゆる、悪魔祓いの道具だな」
「え!? 嘘……」
「まあ、オレ様レベルの最強クラスの悪魔には、ぜーんぜん通用しないけどな」
「なんだ、一瞬心配して損した。でもそれが本当なら、バロックがあの人に見つかったら面倒なことになりそうだね」
オレ様は肩をすくめた。
「バカだな、とうに見付かってるぜ。コッチがソレに勘付いたことも知ってる。……けどノーリアクションで帰ったイコール、『待ってるから来い』っつーこったな。殺る気は感じられなかったから、待ち伏せてどーのこーの、っつーことはないだろ」
「……偶然ではないって、どういうこと?」
「行ってみりゃ分かるんじゃね。……それより時間、ヤベーんじゃねーの」
「!!!」
さて、人外魔境まっしぐらの暴走特急ヴァイオラ号は運行が再開され、乗り心地最悪の鞄の中でごろりと寝転がり足を組むと、ふわーぁとオレ様はあくびをした。そういえば一つ何か、とても大事なことを説明し忘れているような……。
「(まいっか、なるようになるだろ……)」
to be continued..
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