第2話 ヴァイオラは転校生

日本に引っ越してから、登校初日。少し田舎っぽい都市の郊外にある高校の帰り道。新しいクラスメイト二人が話しかけてきた。黒髪におさげが似合うまっすぐな感じの子と、前髪ぱっつんでポニテの優しそうな子だ。白い襟付きの紺色のブレザーには真っ赤なリボンとプリーツスカートが揺れている。わたしの服装もそれに同じ。お互い探り探りといった感じで、他愛ない雑談を交わした。


「――」

「前に住んでいたところ? 塩田の近くの小さい町。有名な画家の住んでいた所」

「にしても、ヴァイオラって日本語すっごい話せるんだね。髪サラサラだけどウェーブがかってていいな。こういう色、ブルネットっていうの?」

「うん。多分そう、かな」

「フランスから転校してきたのって、パパの仕事の都合とか?」

「あー、父さんはいないんだ。小さい頃死んじゃったらしくて」

「あぁー……、ごめん……」

「ううん、気にしないで。それより明日、学校を案内してよね」

「もちろん! じゃ私たちここで! また明日、バイバーイ!」


出来たばかりの級友たちに軽く手を振り別れを告げる。父親のことを話すとどうしても場が暗くなりがち。けど隠しても仕方ないし、いつものことだ。母さんはもともと日本人で、仕事の都合で実家のあるこの町へ帰ってきた。


「寄り道してみようかな」


気分転換がてらと、ひとりごちる。この辺りは子供のある家庭が多いためか治安が良く、犯罪率はかなり低いと聞いている。

そんなことを考えながら、コンビニや自販機がちらほらある住宅街を一人歩いていると、おもむろに整備された雑木林が現れた。とはいえ、よく見ると雑草も茂っていて、整備されてから何年も経過しているのだろうな、と感じられた。漢字で「遊歩道」と書いてあり、向こう側がどこにつながっているのかは分からない。

さらさらと葉のこすれる音が気持ちよかったので、ここに入ってみることにした。


――それから20メートルほど歩いた頃だろうか。何かが草むらに横たわっているのを見つけた。


(ぬいぐるみ? に……、で全身真っ黒の服。寝てるみたいな顔。誰かが忘れていったんだろうか……)


わたしはその奇妙なぬいぐるみをしげしげと眺めてみたが、今までに一度ひとたびも見たことのないキャラクターだった。漫画やアニメもそれなりに嗜んではいるが、記憶には無かった。新しい作品だろうか? シンプルな造形なので、似たものはあるだろうけれど。


などと、とりとめなく逡巡した、そのとき。目の前のぬいぐるみが――をうった。


「う、うぅーん……」

「わひゃっ!」


思わず驚いてしまい、変な声が出る。その声に反応して、眼前の白い頭部から、大きな双瞼そうぼうがゆっくりと開いた。ぼんやりと焦点の合っていない様子の、真っ黒い水晶玉みたいな目玉には、白い靄のように瞳がゆらめいていた。


「……………………」

「……」


わたしはごくりと唾を飲み込む。これは明らかにぬいぐるみではない、……ように見える。といって、生物なのかも定かではない。などと思いきや、ゆっくりと瞼は閉じ、果たして再びは眠りについた。これは一体なんなのだろうか……。


わたしは白魚のような透き通る白い肌の貼り付いた指先で、つんつんと突っついてみた。白い頬っぺたがぷにぷにと沈みこむ……。触れたことのない、異次元の感触。絹のような磨きぬかれた大理石のような、赤ちゃんの肌ざわりのような、永遠に沈みこんでいくような錯覚を覚える、悪魔的触り心地。指先の感覚が融けてなくなって、頭が痺れていくような……。だんだん変な気分になってくる。頬が紅潮し、息が荒くなって……。



「……ぃ」



「…?」



「おい!」

「ハァ…… ハァ…… えっ?」


ハッと我に返ると、その白い頭頂部を両手で抱え込んだわたしは全力で頬ずりをし、半開きの口角からは涎まで垂らしていた。頭がくらくら、目がちかちかする。心臓が凄まじい速さで血流を全身の隅々に送り出し、肺は50m走を全力で走ったときのように二酸化炭素を排出。おしりがなんだか冷たいと思ったら、地べたにぺたんと座り込んでいた。


「ちょ、オマ、離れろ!」

「ええっ!? きゃあ! ちょっと、何これ!?」

「――チッ、うっかり寝ちまったせいで……オレ様の圧倒的かつ破壊的魅力が、オマエを虜にしちまったみてーだな。下等生物には勿体無いことだ。ありがたく思えよ」

「……はあ!?」


堰をきったようにぺらぺらとが喋り出すと、耳を疑うような事を言い出した。


「オレ様の名前はバロック。オマエの

「悪魔……」


悪魔。悪魔……。脳がさっきの衝撃でびりびりしてうまく回らないし、考えがまとまらない。ただ恐怖感はぜんぜん無かった。いわゆる悪魔的なイメージは一欠けらもなく、白いお饅頭のような顔の、二頭身のが勝手に喋っているだけのようにしか見えなかったせい。


「ほんとに悪魔? 頬っぺたぷにぷにだけど。……も、もっかい触らせて」

「や、やめろ! 触んな! ヤバい目で見るな!」

「けち」


ふと、自分の左手首に目を落とし、ピンク色のバンドで留められた、銀色の小さな腕時計を見る。数年前、地元のお店で母さんに買ってもらったものだ。スマホも持っているけど、腕時計で時間を確認する癖がついている。


「あっ、もうこんな時間! 家に帰らないと! えーと、一回帰っていい?」

「なんてマイペースなヤツだ……。では、話の続きはオマエの家でするとしよう」


そう呟くと、バロックはわたしの通学鞄にするりと潜り込んだ。……身長30cmくらいあるのに、こんな狭い――1cmくらいの――隙間にどうやって入り込むのだろうか……。深いことを考えても仕方ないのか。悪魔だから。


、か……」


自販機で水を購入すると、一口だけ飲んで手に持ち、ぷらぷらと家路に着いた。夏も終わりかけで快適な気温、湿度だった。


「ただいま」

「おかえりー! 学校どうだった!? 友達できた!?」

「んーふつう。母さんは仕事どう?」

「特に問題なし! 宿題とかは? 日本語難しかったら教えるよ!」

「大丈夫ー。っていうか今日は宿題なかった」

「そっか。よし、ご飯にしよっか!」


まぁ、料理するのはわたしなんだけど……。晩御飯はイタリアン。フィノッキオのサラダ、鶏肉と大蒜にんにくのトマト煮、小さいマルゲリータ。ネットでレシピを検索すれば、どこの国の料理でもそれなりに作れるものだ。マルゲリータのみ冷食だけどご容赦いただきたい。


母さんは酒豪なので、料理をあてにワインを水のように飲んでいた。わたしはいつも通りお茶にしたが、この分では、将来はありとあらゆるアルコールを摂取する人生になる可能性もあるのかもしれない。


食事を終えると、ごちそうさまーと言って母さんはソファで横になってテレビの番組を見始めた。格闘技のファンで何かのタイトルマッチをやっているようだ。ヘッドフォンを付けて本気の観戦モードに入った。わたしはトイレを済ませ、階段を上がると、片付いたばかりの二階の自室へと入った。


「ふう」

「よっこらせ、と。ほー、コレがオマエの部屋か。まあまあ小奇麗じゃん」


と、バロックは鞄から出てきた。食事のときは大人しくしていたので、一応空気を読むことは出来るらしい。バロックは部屋の中をふよふよと漂いながら棚を物色した。飛べるんだ……。どういう原理で浮かんでいるのだろうか……。


「……なんだコレ? なんかの原石、きったねーコイン、錆びたナイフ……、よくわかんねーフィギュア、ぼろい本……、下手くそな絵。ガラクタ集めが趣味なのか?」

「まあそんなところ。前に住んでいたところで子供の頃に拾ったものが多いかな。小さいときって、そういうのが宝物じゃない。今もだけれどね」

「変なヤツだな」

「うるさいなー」


突然の来客に、やにわに賑やかとなったわたしの殺風景な部屋。こころなしか、胸の奥が暖かくなったような気がした。よく見ると可愛い気がしてくる。


「ふふっ」

「何ニヤニヤしてんだ、気色ワリーな」

「そういえばさっき、とかなんとか言ってなかったっけ。悪魔さん」

「そうだ忘れてた、それが本題だ。……って、誰がだと!? コラ!」


そう、悪魔といえば、いわゆるというやつだ。願いを叶えることと引き換えに死後、人間の魂を奪い去るという……。わたしは正直あまり宗教観を持ち合わせていないので、死後どうなるかなんて興味はないんだけど、実際に悪魔がいてそういう話を持ちかけてくるのであれば、きっとリスクの高い行為なのだろうな、と想像はできる。


「まあいい。オレ様の一族である超絶悪魔ドグネク族は、下等生物が望む【三つの願い】を叶えてやることができる。ただし、ルールがある」

「魂をよこせっていうやつ?」


それを聞いて、バロックはギャハハ!と嗤った。


「魂を奪うなんざ三下のやることだ。オレらのような超上級の悪魔は、純粋に願いを叶えてやることが目的なのさ。見返りなんていらねーよ」

「へえ、そうなんだ」

「それだけじゃない。オマエはオレ様に選ばれた時点ですでにになっている。大体のヤツがどーせそれを願うから、事前サービスってやつだ」

「……」


不老不死。


「しちめんどくせー契約なんてのもねーぞ。がなければ放棄してくれりゃあ、それで終わりだ。オレ様は帰れる。そしたら帰って寝る」

「ちょ、ちょっと待って。不老不死って」


そう言うや否や。バロックの手には年代もののナイフが浮かんでいた。象牙で飾られたハンドルに、木目のような模様が踊るブレードは、よく研がれていて、人間の心臓など一突きで貫通することは造作も無いだろうことが見て取れた。さっきまで可愛く見えていたバロックが、得体の知れない何かに見えて……。


どっ、と鈍い衝撃が胸を貫く。

下を見ると、わたしの胸に、白刃が突き刺さり――。呼吸ができなくなる。苦しさと共に咽喉の奥からごぼごぼと厭な音がせり上がって来て、口や鼻から何かが垂れた。床が朱に染まっていく。……が。一向に意識は途切れない。


(……あれ?)

「な、マジだろ」


痛みや苦しみはあるが。死なないという事を実感したわたしは、自分でナイフを掴むと、思いっきり引き抜いてみた。冷たい金属がずるずると臓腑を啜り、骨を擦る感覚が伝わる。すうっと傷口が塞がっていき、飛び出た血は粒子となり、わたしの体内へと戻っていった。まるでどこかのミュータントの超回復能力みたいに。


「ゴホッ。ほんとだ」

「ふうん。全然驚かねーんだな。フツーはみっともなく喚き散らかすもんだがな。ま、素直に受け入れて貰った方が楽っつーもんだが。……サービスで服も直しておいたぜ」

「……それで、って?」

「あ、ああ……。じゃあ、良く聞いとけよ」


バロックは、あまりにも動じないわたしに少し狼狽しながらも、願いのルールを教えてくれた。今回教えてくれたルールは3つ。



◆<ルール1>【は叶うまでに時間がかかる】


ならすぐに叶うってことね」

「そういうこった。最短なら瞬間的に、長ければ数十年、数百年とかかる。ただし、下等生物の想像できる願いの規模なんざ大したことねーから、そんなスケールになることはまずない」


◆<ルール2>【叶っていない願いはキャンセルできる】


は叶うまでに時間がかかるから……」

「やっぱやーめた、ってのができる。クソめんどくせー願いのせいでオレ様が何百年も下界に出張するハメになったらたまったもんじゃねーし、場合によっては止めっかんな」


◆<ルール3>【願いは口頭や筆記などで宣言すること】


「『【第1の願い】なんとかかんとか!』って言えばいい?」

「そーゆーこと。ぶっちゃけオレ様に伝われば、どういう方法でもいーぜ」



――と言った感じで。ざっくりとしたルールが伝えられた。


「おおまかにはこの3つだけど、願いがバグらないように細々としたルールもあることにはある。あんま関係ねーと思うけど、必要とあらばその都度伝えるぜ」

「意外にちゃんと仕事してるのね」

「超上級悪魔だからなー」


えっへん、と短い手で腕組みをする白饅頭のゆるキャラ。そう、。もしかすると、願う必要はなかったのかもしれない。けれど、どこか心の奥で、願いという形にすることで、安心したかったのだろう。非常に簡単な願いのはずだから、一瞬で叶うだろう。


「じゃあ、【第1の願い】」

「……え!? もう!? ちょ、心の準備が……」


あたふたするバロックを尻目に、わたしは願いをあっさりと告げた。



 『



その瞬間、バロックの小さな体が青白く発光し、光の粒子が宙を舞ってなにかを形作ると、それは何かの紋様となってわたしの右腕、前腕部の辺りに集い、定着した。その形は――


「何これ、バロックの顔?」

「オマ、と、とと、友達だと!? オレ様と人間が!?」

「そう! よろしくね!」

「バッカふざけんなよ! なんでオレ様が……おい、その目つきはやめろ」

「ふふふ……これでもう離れられない……」


そう言って、わたしはバロックにじりじりと近寄った。そして、がしっと胸に抱え込むように抱きしめると、そのままベッドにごろんと転がったのだった。


「アッ! ちょ、オマ……。あーーーッ!!」


ああ、この肌触り……。悪魔には人間を魅了する力があるというけれど、まさにそれ。わたしは全力でハグしたり、存分に頬を擦りつけたり、バロックの顔を引っ張ってみたりした。友達とスキンシップするにしては少し過剰かなとは思うけれど、さっきナイフを刺された報復はしないといけない。


「はぁ……はぁ……」

「……やべぇヤツに捕まってしまった……」


こうして、最初の夜は更けていった。

 


to be continued...

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