第44話 『白銀』という名の大型個体





 天幕から外に駆け出し、適当な足場から思い切りジャンプした。高さは10メートルくらいだけど、それで十分だった。視認できたあれはヤバい。絶対勝てない。


 遠目に見えたのは巨大な甲殻狼だった。体高は5メートルはあるだろう。なら体長は10メートルにはなるはずだ。体形はなるほど普通の狼に見えるけど、白銀に輝く甲殻、ぶっとい脚、巨大な顎。それになにより、この距離からでも圧倒されるソゥドの波。


 繰り返す、絶対勝てない。


 これならまだ、死闘を繰り返して、氾濫を相手にしていた方が勝算があったかもしれないくらいだ。


 そんな大型個体が、似たような色をした中小個体を引き連れて、むしろ悠々と迫ってきている。頂点捕食者の風格すら覚えてしまうくらいの迫力だ。



 ◇◇◇



「逃げましょう!!」


「退避だあ!!」


 わたしと大公様の声が同時に響く。


「かなう限りの最速で撤退せよ! 後方の砦に籠る!」


 大公様の大喝が轟く。


「獣どもには目もくれるな、どうせ壊乱する! 装備も最低限でいい。むしろこれを奇貨とする」


「どういうことです?」


 聞いてみながら、甲殻獣の生態を思い出した。


「我々の敵だった獣たちはアレの餌だ。敵同士を共食いさせて、態勢を立て直す。その時間があるかはわからんがな。ヴァート!」


「全部隊に通達を出します! 後衛については砦に先行させ、受け入れ準備をさせましょう」


「よしっ! 伝令内容は任せる。なりふりを構うな」


 そうして、わたしたちはトルヴァ渓谷入口にある、通称トルヴァ砦まで撤退することになった。



 ◇◇◇



「問題は山積みだ。あの大型個体、とりあえずは『白銀』と呼ぶとするか、あれがこの後どう動くか分からん。今はどうなのだ?」


 ここは、トルヴァ砦の仮設会議室だ。今回の氾濫対応を担った主だった面々が揃っている。


「『白銀』率いる群れと、我々が対峙していた獣どもと、絶賛闘争中ですね。もっとも獣どもは恐慌して逃げようとしているようですが、砦と渓谷のお陰で袋のなんとやらです。まともであれば、とっくに砦が落ちていますよ」


 軍務卿が答える。へえ、こんな人なんだ。意外と軽いのかな。


「錯乱した獣が3万と、『白銀』率いる3000、さてどちらが勝つのかな?」


「『白銀』です」


 断言したのはメリッタさんだった。


 そして、会議室に集まった全員も同意する。


「中型小型の3000は幾らか削られるでしょう。ですが、『白銀』は確実に残ります」


「そうだろうな……。では、その後はどうなるか」


 ため息をつくように大公様が言う。


「分かりません。気が済んで引き上げてくれるのが最上ですが、そのまま居座るか、もしくは新しい餌とみて、砦に襲い掛かってくるか」


 ヴァートさんが投げやり気味に発言した。この人って、なんかこう苦労性だなあ。


「当然、最悪に備えるべきだな。では最後だ。アレに勝てるか?」


 場に、沈黙が流れる。



「フィヨルティアとして申し上げます。仮にわたくしが死力を尽くしたとして、倒すことは出来ないと判断します」


 メリッタさんが言った言葉は重い。少なくともこの国最強の存在をもってして、単独では倒せないという事だ。じゃあ、複数なら?


「たとえ、精鋭複数をもってしても、そもそも打撃が通らないでしょう」


「つまりは、時間稼ぎが精いっぱい、ということか……」


「残念ながら」



 さて、どうしたものか。



「ひとつ、可能性があります」


「ん?」


「聖女様に回復していただきながら、わたくしが全力で戦い続けます」


 会議室が一気に鎮まる。


「メリトラータ、それは、ダメだ」


「可能性の話です。聖女様にも命を危機に晒すことになります。その上での可能性です」


「薄いのだろうな」


「はい。わたくしの命はフィヨルトに捧げています。ですが……」



 やるしかないなら、仕方ないのかなあ。ちらっとフォルナを見ると、何か思い悩んでいる。アレか。



「わたしとしては、それしかないならやってもいいですよ」


「聖女殿……」


 苦虫を嚙み潰したように大公様が唸る。


 だけど、わたしはこの案が通るとは思っていない。だってさ、フォルナがいるんだから。


「でも、この手以外に、別の方法があるとしたら、どうします?」


「なにっ!? どういうことだ!」



 ◇◇◇



「さあ、それはフォルナが説明してくれるんじゃないでしょうか」


 わたしはフォルナに向けて手を差し伸べる。


「わたくしから提案がございます!!」


 ちらりとわたしを見て、はにかむ様に笑みを浮かべてから、フォルナは決然と立ち上がった。



 そうだ。やったれ、フォルナ。



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