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 テレビ局のスタジオは普段目にすることがないため、物珍しかった。カメラやマイクなどの機材、大掛かりな舞台のセット、そして画面には映らない観客たちや、大勢のスタッフたち。人の多さに反し、空気はどこか張り詰めている。

「はい、じゃあリハーサルはじめまーす」

 広さに負けない、若いスタッフの呼びかけが奥行きのあるスタジオに響く。優たちはスタジオのセット外から、遊泳の姿を見つめていた。遊泳は優と目があうと、にこりと笑いかける。


「なァ、優。このままスタジオにいていいのかよ」

 拝見はひそりと優に囁いた。

「証拠ッて言われたが、何かアドバイスだけでももらえりゃァいいんじゃァねーの?」

「……次に、、ここで見たことを証拠にします。それがダメだったら……」


 そうは言いながらも、優はダメならば折れてしまうと感じていた。何度も繰り返した時間の中で、ようやく見つかった兆しが潰えてしまったら、もう一度同じような状況に巡り会えるとは限らない。

 スマートフォンが鳴る。優は画面を見て、耳に当てる。本当はこういう時、通話などするものではないだろうが——。


 スタジオの説明は進んでいく。

「カウントから入りますんで、僕が手をこうしたら、拍手でお願いしまーす」

 スタッフはわかりやすいよう大袈裟な動作で、手のひらを客席に向けてみせる。

「じゃあ行きまーす、ごー、よーん、さーん、にー、いーち……」

「……どうぞ」

 カウントに重なるように、優は告げた。


 無音。

 指示された拍手は起こることなく、スタジオの中は静まり返っていた。誰一人声を上げずに、呆然と固まり一点を見つめている。その視線の先には——スタジオの中心に突如現れた、ゆうに二メートルを超えた体躯の、白衣の男がいた。

 フランはぎょろりと目を動かし、灰色の髪の男に止めた。


「……ワオ、ワオ、ワオ」


 遊泳歪は瞬きを繰り返して、口元でぶつぶつと言葉を繰り返している。興奮に煌めく瞳を見るなり、フランは顔をしかめて舌打ちをした。

 優は視線だけで、ヴァンパイアたちを探す。客席の手すりに、ダラマが立つ姿を見た。まるで蝶が止まったかのように、体重を感じさせない様子だった。黒いマントの下に、派手なラメスーツが覗いている。


「アンタこんなに目立っていいのか……?」

「いいとも! 目立ちに目立ってやろうではないか」

「どうせ忘れてもらうので……」

 と、舞台セットの壁の上に腰をかけたヨヴが言った。

「しんどいよー、この人数に催眠術は」


 撮影用のカメラに乗り、マシカは状態を折り曲げレンズを覗きこむ。

 催眠術——ヴァンパイアたちの能力の一つだ。普段は吸血のために、人間から抵抗力を奪うために使うことが多いらしいが、目の前で見るのは初めてだった。


「殆信用はできんが、本当に誰の記憶にも残らないというのだな、ヴァンパイアども」

「こんだけ悪用しておいてそんなこと言う!? 大丈夫だって〜」

 マシカが少しだけ唇を尖らせる。なんでもありな博士は答えなかった。


 フランは人前に出ることを極端に嫌っているそぶりがある。彼が非科学的な存在であるヴァンパイアを利用するまでに至ったのは、それだけ認めざるを得ない実験結果が出ているのだろう。


「遊泳歪。タイムループを脱出する協力を要請する。まずこの現象について私の結論を聞いてもらおうか。私及び知我優はこの世界においてノイズである。そもそも、この2021年12月31日自体もノイズだ」

 フランは遊泳を見下ろす。

「バタフライ現象が多世界解釈の中発生し、極端な書き換えが行われている。通常観測するものではないが、私に才能があったばかりに歪みが発生し、そこの被験体もろとも繰り返しに引き摺りこまれたようでな」

「今被験体って言いました?」

「遊泳歪。助力が必要な理由は単に一つ。君は頭がいいが、ずいぶん奇天烈な発想をする特異な思考回路があるからだ」

「流すな——ていうか、アンタが言うのかソレ!」

「拒否するようならばこちらも説得を続けさせてもらう」


 白衣の内ポケットに手を差しこんだかと思えば、黒い万年筆を取り出した。フタを外し、ペン先をじっとペンを目で追う遊泳に向ける。フランが万年筆についた、ボタンらしきものを押すと——ペン先は飛び、遊泳に突き刺さり、青い電流がバチバチと鋭い音と共に遊泳を包んだ。


「のあああああああああああっ!!?」


「ええええええええええええ!?」


 全員二度見した。目測では何ボルトだとかはわからないが、アニメのように青白い光がビカビカと力強く放たれている。フランがボタンを離すと、電流は収まる。よく見ると、飛んだペン先と万年筆(おそらく違う)本体は線で繋がっている。映画で見る銃型のスタンガン——テーザー銃のそれのようだった。


 遊泳はがっくりとうなだれる。指先がぴくぴくと動くだけで、反応を示さない。

「協力してくれ」

「お願いじゃなくてそれ拷問って言うんですよ」

 いやもう、そういう話ではない。優が引っ掛かりを覚えながらも、なんとか告げた。


「あっ……あああああ——!!!」


 突然弾かれたように遊泳は立ち上がり、身を乗り出した。

「そうか、君、ヴィクター博士の息子だな!?」

 指を突きつける。フランは唇を歪め、大きく舌打ちをした。

「思い出したよ、そうか、ケンくんね……! ずいぶん大きくなったなあ。そりゃあもう。そうだ、ボクは君とあったことがある!」

「だから嫌だったんだ……」

「ええ、懐かしいなあ……君ほどの才能忘れるはずがないのにね! どうやらその日アブダクションされてしまってね! すっかり記憶が奪われていたようだよ」

「え? どういう……」

 優は捲し立てる遊泳と、いつもより倍増した不機嫌さを見せるフランを交互に見た。


「幼少期に一度あったことがあった。当時の私の自由研究をいたく気に入ったらしく付き纏われたのがありにも粘着的で恐怖を覚えたものだ。だが彼の頭脳には興味があったので、電気ショックを与えた上に拘束していくつか論文の解説をさせたな。アブダクションは知らん」


「え!? な、なぜ!??」流石に杭手も声を上げた。


「しつこかったから」


 フランが眉を寄せ子供の言い訳のようにあどけない一言を告げる。

 この男のことなので、拘束だけで済むわけがない。優の脳内には拘束先が電気椅子の想像が浮かんでいた。それは記憶喪失にもなるわ。PTSDじゃねーか。


「いやアブダクションってまさか……」

「どう考えてもフランのせいだろォよ」

 拝見は呆れるように——というか、流石に引いている笑いだった。

 しかし——思った以上に説得材料になりそうだ。


「……と、とにかく、こういうことが出来ちゃう人なんで……信じてもらえますか」

「なるほどねえ、ケンくんなら納得だよ。けどね、君はどうしたいんだ。「今日を終わらせたい」ってだけじゃあ、ボクもアドバイスしようがないよ」

「どうって……」


 視線を彷徨わせ、優は一度口を閉じ、視線を上げる。

「お、俺は……もう戻るのも、忘れられるのも……嫌です。何もなかったことにはしたくない。今の自分が、明日を、見たい、で、す、……みんなで」


 正直なことを口にすると、顔が熱くなる。これまでの「今日」を思い出す。自分だけが自覚して、誰もが日の出を迎える前に、全てがなかったことになる。進むことのない時間の中で、置いていかれる感覚。変わらないことは、巻き戻ることではない。今日が昨日になり、明日が今日になる。時間が進む限り、変わらないことはない。


 明日が欲しかった。変わり映えのない一年が始まるとしても、そこには多分、今日と同じ日はひとつもない。一度起きたことは、本当は変わるべきじゃあなかった。


 優はもちろん原因である人間への恨みは、忘れていない。

「そして法先輩に反省して欲しい」

「何故?」

 フランは本当に理解していない声で問い返した。

「何故? じゃねえわ!! 急に馬鹿になるな」

「ば……だとしたら君の知能に合わせていた結果だ」

「あはは、なるほど。黒髪くんって、案外面白いのかも。ケンくんのお友達なら助けなくちゃあいけないね!」

 遊泳が笑い出す。不意に見える顔つきは、どこと当てはめて良いのだろうか、けれど「年相応」と見える。箔がある、というべきなのか。

「友達じゃない」

「違うんですか?」

 仏頂面のフランに、杭手が純真な瞳で問いかける。

「……定義が不十分だ」

「はは、「ドクとマーティ」でいいではないか」

 ダラマが目を細めて愉快そうに笑う。それをフランは一瞥し、ただ眉間に深々と皺を刻んだ。

「そんなことはどうでもいい。遊泳歪。我々はどうすればいい」

「うーん、じゃあ、もっと詳細な——ケンくんの瞬間移動装置が稼働した時の状況や、結果を教えて欲しいなあ」


 フランは承諾の意を見せるように、ペン先を遊泳から外した。それから、周りの誰も口を挟めない話が二人の間で交わされ始めた。未知の言語のようで、それこそ二人が宇宙人に見える。今までフランがどれだけ噛み砕いて話していたか、と言うことが伺える。詳細に——というと、どれほど時間はかかるのだろう。


 優が時計を見ていると、拝見が優の肩をノックする。

「な……優、カシラに今日のことってどう伝えてンだ?」

「——あ」

 幾度も繰り返す中、これまでとは全く違う行動を取っていた。優は「今日」という意識はあったのに、すっかりアルバイトのことが抜けてしまっていた。

「だよなァ……俺、カシラにだけァ不義理はしたくねェンだ」

「でも、時間はまだお昼ですよ」

 杭手も腕時計を確認する。

「あの二人の様子だと、情報共有でどんだけかかるかわかんねェぞ。まァ——今回ばかりは、しゃァねェ。カシラはわかってくれるンだろうがな」

「すみません……」

「あ、でも……法先輩のさっきの瞬間移動を使えば、間に合うかも……? なんて」


 杭手が目を向ける。話に耳をそばだてていたのか、ヨヴもつられて、フランを見る。

「あ、あれ、博士? まさかとは思いますけど。手ぶらじゃないですか?」

「僕ら、研究室から来たもんね」

 と、マシカ。

「デスクトップだったな」

 ダラマが続く。

「……フラン先輩、朝持ってたノートPCは?」

 優が尋ねると、フランは振り返りもせず長い沈黙ののちに答えた。

「…………持ち歩きは好まん」

「持ってねェんだなァ」

 拝見は見えないのを良いことにニヤーッと口の端を吊りあげた。

「ええ〜! ケンくんってば、おっちょこちょああああああ!」

 遊泳に電流が再び流された。

「じゃ、結局一回帰らなきゃいけないってことか……」

 優は少し、頭を抱えた。


「そそそそそそそう言うことなら、移動しながら話を聞ここここう! ちょっととととテレビ局の車、拝借していこうか!」


 痺れが残るのか、遊泳は小刻みに震えながらウィンクを飛ばす。下瞼が痙攣していた。

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