10-3


 遊泳歪の楽屋は、廊下の一番端にあった。扉は半開きになっていて、優は思わずドアノブを掴み、勢いよく楽屋へ飛びこむ。

 中へ入ると、二人の視線が優と杭手に向いた。一人は、扉脇に立っていた拝見。もう一人は椅子に腰を下ろした、全身黒のセットアップをした男が、サングラスをずり下げて上目で睨めつけている。

「悪ィな、ちょっと事情あって先いたわ」

 拝見は肩を竦める。スタッフの目があっては、優たちが来るまで待ち続けるのも不自然だったのだ。

 優の肩に、トンとぶつかる感覚があった。個性的な形をしているが、紙飛行機だ。キャッチしてよく観察をすると、翼にはずいぶん崩れているが、『遊泳歪』と書かれている。

「今日はお客が多いなあ。君らもファンってことでいいかい?」

 笑みを浮かべるこの男こそ、探していた遊泳歪だ。テレビで見るよりも、若くも、老けても見える。

「あの……」

 優は口を開いたが——言葉が出ない。

 何から説明をすればいいのだろうか。自分は同じ時間を繰り返しているからなんとかして欲しい。いや、オカルト好きなのだから話くらいは聞いてくれるかも——

「それとも、君か、君のどっちかが今日をタイムループしているって子かな?」

「えっ……」

 遊泳は口元に微笑みを浮かべながらも、サングラスで本意の表情は読めなかった。

「とても興味深い話だと思うよ! 是非とも詳しく聞きたいところだけれど——もうすぐリハ始まるみたいでさ、収録後に来てくれるかなあ」

「……アンタァ、俺の話聞ーてました?」

 拝見は顔をしかめる。意に介さないように、灰色の重い前髪の下で、遊泳はけろりと笑っている。

「うん、聞いたよ。でもちゃんと、本人から聞きたいじゃない。金髪くん自体はループを認識しているわけじゃあないんでしょー」

「……俺らが嘘ついてるッていいてェンすか?」

 確かに、と優は見開いたままの目を泳がせた。そう思っていなければ、年明けとなる収録後に来いとは言わないだろう。

「誤解しないで、嘘とは思わないよ!」遊泳は両手を広げて首を振った。「興味深いって言ったろう。もちろん信じるとも。だからこそ、証拠が欲しいんだ。明日が来ないのなら、今日のボクたちはどうなるかってことも含めて。確かめたいじゃあないか。それとも今、何か証明できるものはあるかい?」

「証明……」

「なんでもいいよ。そこから考えて検証するのが仕事だから」

 沈黙が楽屋の中に満ちた。そっと杭手が、優の顔を窺う。微かに眉間に苦悶が浮かんでいた。

「優くん……」

「…………今はない、ここには初めて来た、、、、、、、、、から」

「そっちの黒髪の子がそうか。へえ、ふうん、なんだか物言いに質感があるね。役者だったら大した演技力だよ! いや、疑いたくないなあ。信じているさ。でもテレビってさ、ドッキリが多いんだよね。嘘の方が面白いんだ。ボクは本当の方が面白いと思うんだけどね。そういうのもよくされちゃうからさあ」

 遊泳は足を組み替えて、壁にかけられた時計に視線をやった。

「な、何かその、タイムループ……を終わらせる手段みたいなのはないんですか?」

「どうだろうねえ……そもそも、人間の瞬間移動や世界の時間を巻き戻すなんて、今はまだ人間のできることじゃない。それこそ神の御業オカルトだとも」

 軽い調子だった声が、妙にぞくりとする重みを含んだ。遊泳はぬらりと立ち上がり、長い腕が振りかぶる。優の両肩に手を置くなり、頽れた。

「だからこそ証拠が欲しい! 体感したい! あると、声高に言わせてくれ!! ああ、もどかしい、その詳しいデータはないのかい。君らはずいぶん、根拠があるようなんだ。どうか教えてくれよ! ボクも仲間に入れて〜!!! 入れて入れて〜!!!」

「う、うわー!?」

 急に泣き始めたと思うと、遊泳はウナギのように優に纏わりついた。

「なんかずっとこんな情緒なンだよこの人。信じろッつッてンのに」

 拝見はすっかり呆れた表情をしていた。

「いや、本当、信じてる! もちのろんタイムリープという現象、瞬間移動も信じているよ!!! ボクはバックトゥザフューチャー大好きだからね! ドクが大好きだからね!! だけれどね、どうにも納得ができないんだ! 人間が体現できるというのもいいんだ! 悪いことなんてないよ! でもさあ、そういうのをやってのけちゃったら本当にその頭脳は、禁忌の領域だよ!? だから知りたい! 見たいんだ! ボクの体験は神秘だったのか否か、、、、、、、、、、、、、、、! だから、集めているのさ、オカルトを!」

 遊泳はブリッジをする勢いで体を反らして吠えた。

「なんでだろう、既視感が……」

 杭手は誰とは言わなかった。けれど、方向性は違えど好奇心の向くままになりふり構わずデータを集めようとする姿勢は確かに知っている気がする。研究者は皆こうなのか?

「遊泳、さんって……本当は科学者なんですか?」

「あれ、君もしかして、本当にボクのファン? よく知ってるね」

 優が尋ねると、縋りついたまま遊泳は目を瞬かせた。

「あ、あなたなら、助けられるかもって、法先輩が」

「そうだよ、フラン……金髪くんも言っていたけどさ、どこかで聞いたな……そんな才能の持ち主だったら、忘れることはないはずなのに……ううーん、なんだっけな。とにかくそのフランがボクのファンってことだね。光栄だなあ」

 遊泳は手を打ってうっとりと笑った。

「ごめん、そろそろリハーサルが始まっちゃうみたいなんだよね。ボクが招待したことにするから、見ていけばいいよ!」

 立ち尽くす三人の脇をすり抜けて、遊泳は猫背を大きく揺らして楽屋を出て行った。

「……ダメそう」

 優は肩を落とした。曲がった優の背中を叩きながら、拝見は少しだけイラつきを抑えるように鼻から長い息を吐き出し廊下を睨みつける。

「あのヤロー、喋るだけ喋ッて行きやがって……」

「でも、あの人、法先輩なら、興味ありそうだよね……こっちに来るの?」

「まあ、多分……とりあえず連絡はしてみる」

 杭手の言葉にうなずき、優は今の状況をフランへメッセージで送る。そして、気になったことを口に出した。

「……そういや、あの人、「ボクの体験」って言っていたけど」

「ア〜、それな。一応会う前にササっと検索したんだけど……なんでもアブダクションの経験があるらしいンだってよ。それからUFOに興味を持って研究を始めたそうだぜ」

「へえ……」

 自分の見たものを解明したい。その気持ちはわかる。今まさに、優はそうだ。

 優はフランへメッセージを付け加える。すぐに既読の文字が表示され、「嫌だ」とだけ帰ってきた。

 額を抑えながらもすかさず返信を打つ。

「お願いします。もしくは、逆でも」

「その方法は百歩譲っても」

「いいぞ」

「今のはスポンサーが勝手に打った。嫌だ」

「法先輩の才能を証明しないと、彼は納得して協力してくれません」

 一分ほど間があり、返答があった。

「善処しよう」

 メッセージアプリを閉じて、優は二人に振り返る。

「……俺たちも、スタジオに行きましょう」



 研究室では、赤い瞳たちが、ほとほと疲れ果てたフランを取り囲んでいた。

「で、どうすんのさ、博士」

「吾輩の計画を反故にしてまでのこと、さぞ楽しいことをするんだろうな? ドクター」

「……全然飲みこめませんけど、お兄さんのためなら頑張ります!」

 発信音の鳴るスマートフォンを耳に当ながら、フランはキーボードを叩く。

「——知我か。今どこにいる。……そうか。まあ、仕方がない。「招いた」ということだけは明示しろ。ヴァンパイアが壁に埋まる可能性があるぞ」

 目をあげ、その好奇心に満ちた視線に返す。

「……行くぞ、ヴァンパイアども」

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