10-2
*
テレビ局——楽屋階層。
拝見説法は前のめりの猫背気味に、真っ白な扉がいくつも続く廊下を歩いていた。背が高い故に、控室の扉に貼られてある名義が見えづらい。
「あのー……もしかして楽屋、探してますか?」
背後から声をかけられ、拝見は少し警戒して振り返る。若い女性がおずおずと拝見を見上げている。薄めの化粧に、動きやすいシンプルなパーカーとジーンズ。見た限り、芸能人ではなさそうだった。
拝見はパッと笑みを作る。ずいと上体を下げ、若いスタッフに視線を合わせた。
「いやァー、今日『どうミス』の生あるじゃァないッスか。俺、遊泳歪さんの大ファンで、挨拶したいンすけど」
「え、えっと……遊泳さん、楽屋……ご、ごめんなさい、私まだ新人で」
彼女は慌てて赤らんだ顔を伏せ、身を縮める。
「探しておきますから、お名前と、楽屋の場所、聞いてもいいですか?」
そう上目使いに尋ねられ、拝見は瞬いた。どうやら勘違いをされているようだ。
拝見は答えずに、笑みを深めて若いスタッフの背を押す。長い足が大股に開いたコンパスのように、廊下をずんずんと押し進んでいく。
「じゃ、一緒に探しましょうかァ。いやァ、俺もテレビって初めてで」
かわいそうに若いスタッフは、この強面の男に反論が出来なかった。それは、彼女が新人で彼の名前を知らない若輩者である負い目のせいであり、拝見の顔が良かく好みであったためというのは、ほんの少しの要因でしかない。
拝見は唇の内で、尖った歯を舌で撫でる。スタッフと行動する、というのはいい隠れ蓑であり、また賭けである。次に名前を尋ねられることがあったら、どう誤魔化すべきか——。顎のピアスを触り、ふっと息と押し出した。
*
楽屋階層——大部屋付近。
優と杭手は、拝見と反対方向の廊下で、遊泳を探していた。扉の張り紙には、複数人の名前が書かれている。若手の芸人やタレントの名前ばかりで、遊泳歪の名はまだ見つからない。扉の前でたびたび足を緩めて確認する姿は、目立っているのではないか、と不安だった。
「もしかして、楽屋がなかったりするのかな……」
「……マジ?」
杭手の呟きに、優は振り返る。
「いや、ほら、年末の『どうミス』って、外でロケをしていることがあるから。時間内にUFOが呼べるかって……」
「そういえば、そんなのもあったな……」
渋い顔をして、優は首を振った。その時間帯は神社でアルバイト中だ。
せめて、CMの内容からでも思い出せないだろうか。記憶を探るが、毎年似たような番宣だった、という印象しか浮かばなかった。自分の乏しい記憶領域が憎い。
悩んで立ち尽くしていると、角から、スタッフらしい男がすいと現れた。手には何か、本のように糊付けされた紙の束を持っている。
「あ!」杭手が咄嗟に声を張り上げ、男を指さした。「台本……!」
「あ、これ、君の?」
男は少し訝しみながら二人に近づいた。優は彼がペラペラと振る紙をみると、表紙には『世界どうなってんだミステリー』の文字があった。
「あ、えっと」
杭手は返事に窮していた。わかりやすく目を泳がせてしまう。そうだった。優は強ばった。杭手はコミュニケーションは強いが、嘘をつくのは苦手なのだ。
「ん? じゃ、君のか?」
「え……どう、です、かね。見ていいですか」
手汗の浮く手で、優は台本を受け取る。ペラペラとめくると、番組の進行内容が書かれていた。
「これ——」
杭手と目を合わせる。彼は、こくこくと頷いた。
誰のものとは知れないが、必要なものだ。優は何も言わずに頭を下げた。
「トイレに置いてあったよ。気をつけなよ、全く」
反応に納得したのか、呆れながら男はそう言って立ち去りかけ、不意に振り向いた。
「……てか、新人? 社員証は、どうしたの」
「あ、え、ええ、と……もちろん」
「えっ……」
優から横目で投げかけられた杭手は、目だけを動かして苦笑いのまま固まった。もちろん、持っていない。
「なっ、もちろん」
優は縦にうなずきながら、杭手に視線を向けて、口だけを動かしことを伝えた。杭手は首を傾げるスタッフの男に向き直り、にこりと笑ってうなずく。
スタッフはまだ訝しんでいるようだったが、笑みを返して、去っていった。
山頂で荷物を下ろしたような疲労が全身を襲い、優と杭手は息を吐いた。清廉な笑みを讃えてはいるが、首の後ろは汗が滲んでいる。実際杭手の脳内はパニックで真っ白になっていた。
「さすが杭手の愛想は信頼されるな……」
「よかったのかな〜……」
良くはない。それは優もわかってはいる。だが、今は自分よりも善悪の観念が強い人間がそばにいることで、逆に「いいか」と思った。自分よりもパニックに陥っている人間がいると、逆に落ち着く理論だ。
表紙が手汗でよれた台本を、改めて確認する。番組の流れを見る限り、遊泳歪はずっとスタジオにいるようだ。
ポケットのスマートフォンが震える。
「優くん、拝見先輩からだよ」
グループできていたようで、杭手が画面を見てそう言った。
「なんて?」
「遊泳さんの楽屋! あったって」
「マジか」
優は台本を閉じ、杭手の画面を覗きこむ。楽屋は、真反対の方向にあった。
「も、もう入っちゃったかな?」
「拝見先輩ならありえるなあ……」
そう言うなり優は走り始め、杭手は返信の文面を打つも途中に、慌ててその後に続いた。
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