2−2


「貴様、寝てないだろう。睡眠を取らないとパフォーマンスが下がるぞ」

 ダラマはウェーブをかかった前髪を撫で、深紅の瞳でフランを見下ろす。オフィスチェアに腰を下ろしたフランは、辟易した様子で返答をせずに視線を逸らす。

「また寝てないの、フラン博士。ウワ顔色グロッ」

 マシカが顔を覗きこみ目を見開いた。大袈裟で甲高さの残る声色は耳につく。フランは眉をひそめる。

「フン、睡眠程度でパフォーマンスが上がるならとっくにルーティンに加えている。私の才能が睡眠を必要としない、、、、、、、、、、、、、、ことなどとっくに実証済みだ」

「どゆことお〜?」

「寝ても寝なくてもいつもと変わらなかったんでしょうね……多分」

 マシカは思考を放棄し、ヨヴはやや理解をしようと首を傾げた。

「相変わらず言い回しが随分と傲慢だなこの人間は」

「いや貴方には言われたくないと思いますよ」

 ダラマの棚に置いた物言いに、ヨヴは首を振った。それにしても、人間は節目のイベントに拘るものだと思っていたが——フランはいつも通りだ。

「博士は大晦日、とか、正月……とか、しないんですか」

「するしないではない。歴史の中で作成され名付けられた区切りがあるだけだ」

「価値観が僕ら寄りだあ」

 親近感というか、呆れというか。マシカ目を瞬かせた。前々から感じてはいたものの、この法賢という男は図体も脳味噌も並外れている。さすがは「怪物」と噂が立つほどの人間であるということだ。

「それで、吾輩の望みは叶うのか、博士ドクター?」

 腕を組み、ダラマは視線を流す。フランは小さく息をついて、エンターキーを押す。

「……要求は満たした。実験をしてみてからだ」

「そうだ。僕ら、何をしたらいいんですか?」

「呼ばれただけですけど」

 マシカとヨヴは首を傾げる。フランは手袋をしてデスクの引き出しを開く。

「今からやる。とりあえずこれを持て」

「え? 何?」

 ぽいと無造作に、二人の手に投げられたそれは小さくてふわふわとしていて、手のひらの中で動いている。

「ねずみ……ですね」

 パチクリと目を瞬かせて、ねずみと目を合わせる。

「行くぞ」

「え? どこに」

 答えはない。フランは片手でキーボードを打ちこみ、エンターキーを押した——瞬間を見たマシカとヨヴは宇宙にあった。無限の星々の瞬き、地球は丸く青かっ——夢から覚めたように、フランとダラマの顔が視界に戻る。二人がいる場所は間違いなく研究室だった。

「…………何????? え、い、息が出来なかったんだけど、何があったの今」

「一瞬めちゃくちゃ宇宙だったんですけど……」

「ふむ、一秒程度ならヴァンパイアは無事か」

 狼狽する二人を無視し、フランはキーボードを打つ。置き去りにされたマシカとヨヴは、文句を言おうとした瞬間に手元の違和感に気がついた。

 ……ヴァンパイア「は」? 手元に視線を向けると、かつてねずみだったものの生暖かい体液が手のひらに滴っていた。

「うわあ!!!!! ね、ねずみがー!!?」

「ウワーーーッグロ!!!!! 爆発したの!??」

 阿鼻叫喚である。いくらヴァンパイアとはいえ目の前の命がいつの間にか散っていたらビビる。特に人間と暮らし始めていた二人にとってみれば、久方のスプラッタだった。

「処理していいぞ」

「まあ食べ……じゃないよ!! 何!!!」

「概ね予想通りか。人間ならば少々内臓が破裂する程度で済むだろうな」

「どうなったんだ? ドクター」

 モニターとフランの顔を見比べ、ダラマは尋ねた。

「試運転は成功ということだ」

「本当に何の実験なんですかこれ!? 処刑器具とかですか!?!?」

「『年越しの瞬間地球にいない』を実現させる装置だ」

「何(ですか)それ!!?」

 マシカとヨヴは同時に叫び、フランの体を揺さぶった。彼は唇を閉じたままだったが、代わりにダラマが得意げに声を張り答える。

「いやあ、少し前に社長が個人的に宇宙に行ったニュースがあっただろう。吾輩、それが羨ましくてな。永い時を生きてはいるが、未だ宇宙までに手を伸ばしたことがないのだ」

「じゃあ普通に行ってくださいよ! ロケットくらい買えるでしょ!?」

 マシカは憤った。

 ダラマは「支配人」と名乗ってはいるものの、実際は取締役も名誉会長も持っている。ヴァンパイア故に、人間単位で考えれば年齢がおかしいことになる。いくらか業務を分散し掛け持ちをし、それぞれ名義を「ジュニア」とか「ジュニアジュニア」とかで、無理を通しているらしい。法律がザルというよりか、ヴァンパイアを裁く術が今のところないのだ。

 いやいや、とダラマは長い指を振る。

「買ったところで、意味はないのだ」

「意味がない?」

「吾輩、メディアに出られないだろう! それに二番煎じになると思うと腹の底から屈辱が湧き上がるッ」

「見栄で行きたいんですか!?」ヨヴがドン引きした声を上げた。

「見栄で行かずして何で行くのか!!!」ダラマの声が全てを封じた。

「ナンバーワン大好きだもんな〜ダラマさん」マシカはそこで思考を放棄することにした。処世術とは流されることだ。

 ダラマはマシカとヨヴの手からねずみだったものをつまみ上げ、大きくあけた口に放りこむ。べろりと長い舌で唇についた血を舐め取り、一息ついて話し出す。

「そこで、だ。ドクターに依頼したのだ。『誰もが考えたことがあり、まだ誰もが成し遂げていない宇宙への行き方』をな」

「それで……「年越しの瞬間に地球にいなかった」ですか?」

「その通り」

 ダラマはにウインクをして、きょとんとするヨヴの額を突いた。

「ていうか、どこでそんなに仲良くなったのさ」

 むすりと手についた血を舐め、マシカはフランに視線を向けた。

「別に仲良くはない。私が発明品を売りこんだのだ」

「スポンサーになったってことですか……」

「抜け目ないな博士! コミュ障の癖に!!」

「研究は元手が必要だからな」

 フランは悪びれもせずにキーボードの操作を続けている。

 ふふん、とダラマは笑い、フランの肩に手を置き体重を預けた。

「能力のために手段を選ばない奴は好きだぞ。それにドクター・フランはクレバーでクレイジーだな。こんな与太話に乗ってくるのだから。イカれている」

「スポンサー直々の依頼だからな。人間の稼働時間を軽んじているところを見るとお互い様だ」

「……で、どうしてその依頼の実験でねずみが爆発することになったんですか」

 ヨヴは血だらけの手のひらを擦りあわせ、こっそりと指先を舐めた。

 オフィスチェアを揺らし、フランは端的に答える。

「君たちの座標を一秒間だけ、真上にズラした」

「は?」

「なんて?」

「ほう。一秒しか無理なのか?」ダラマは興味深げに笑う。

「無理ということはない。ただ生身で宇宙に滞在するとなると、ヴァンパイアとはいえどこまで体が保てるか未知数だ」

「いやいやいや話進めないでよ」

「全然わかってないんですけど」

 首を横に振る二人を信じられないという目で見つめ、面倒臭い、というように口を開けてフランはため息を吐いた。


「……依頼が来た時点で最低限の費用と日数で可能な簡易装置になることは分かっていた。『年越しの瞬間地球にいなかった』を実現するための最善な要件として、大気圏外に指定物体を排出するということだけを決めた。だがこれだけでは開けた場所でしか稼働できない。そこでトンネル効果を人間に起きうる現象に引き上げた。座標移動を一定方向に固定し、障害物を無視することで実現するつまりX軸は固定したままY軸のみ移行する瞬間移動装置だ」


「何一つわかりません」

「聞いた僕らがバカだったよ」

「つまり貴様らは垂直に飛び上がり、一秒間地球にいなかったということだな」

「なんで分かってるんですか?」

「事前に噛み砕いて説明を受けていたからな」

 ダラマは大きくのけぞって、快活に笑った。

 フランは手袋を外し、少し白衣の袖口を引き上げた。深く隈の刻まれた目で、疑問を浮かべるヴァンパイアたちを一瞥する。

「スポンサー・ダラマの依頼決行は本日12月31日23:59から1月1日0:00。それまでに装置の精度を高めるため、同種である君らにテスターとなってもらう。頼むぞヴァンパイアモルモット

「ひ、人の心がない!」

「僕らクマムシじゃないんですから!!!」

 ヴァンパイアたちはひしっと抱きあい、戦慄した。目的のための手段を選ばない非道。やっぱり「怪物」と称して相違ないマッドサイエンティストだ。当の本人はその名に相応しい不敵な笑みを浮かべるでもなく、パスタがないからそうめんで代用しよう、とでもいうような態度だった。

「死なんだろう、ヴァンパイアだし。似たようなものだ」

「全然違いますよー!」

 キャンキャンと喚き激しく首を横に振るヴァンパイア二人の肩を抱き、言い聞かせるような落ち着いた声でダラマは言い放つ。

「夢の糧になってくれ、我が同胞よ」

「ダラマさんーーーーッ」

「人でなしーーーーッ」

「人じゃないもん、吾輩」ダラマはツンと唇を尖らせた。

「もんじゃない!!!!!」

「第二投、行くぞ」

 非道。フランはキーボードを叩いた。

「助けてーーーーッッ!!!誰かーッ!!お兄さん〜〜ッ……」

 ヴァンパイアたちの泣き声は、再び宇宙の闇に一秒間だけ吸いこまれた。

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