Refrain La Pensees ―― 随想再び

 僕はときどき、自分が自分以外の何かによって動かされていると感じる。その認識が正しいのか誤りなのか、そのことを考えるのは不毛だとわかっていながら、それでも疑問から逃れられない。従ってこの問題から逃避することは不可能であるために、考慮することを止める以外に手段はない。恒にこの問題は僕と正面から対峙していて、僕が問題から目を背けることでしか態度を表明できないのだ。


 ――そう、嘯いていた。


 だがどうやら、僕に立ちはだかる問題は、正面より対峙しなければならない問題に変質を遂げている。


 誰のためだとか、自分のためだとか、そういう利益を供与してくれるような問題ではないのだけれど、この問題は明確に僕によって解決されたがっている。旧図書館で〝博覧強姫〟野宮和子と出逢い、議論を交わし、その上で手にした具体性の証拠を握ったのは、ただの偶然で済ませてはいけない剥き身の未解決問題として、僕の眼前に対して、恒に横たわり続けているのだから。


 野宮は一週間ほどで件の本を読み込み、咀嚼した上で僕に和訳したデータを提供してくれた。


「もっとオカルト的なことでも書いてあるのかと思うておったが、拍子抜けしたわい。じゃが、連中はどうやってこれを実践したのか、考えるのはちと骨があろうのう」


 まだ筋肉痛が治らない僕に比べると、野宮はついぞ一週間前に有ったあの〝禁忌書庫〟への冒険などまるで存在しなかったかのように、普通に立ち歩いている。それに比べて僕と来たらね。


「ぬしも、興味はなかろうが少しは身体を鍛えたほうが良いのう。この先に控えておるのは、到底凡庸な理屈に適う相手ではないのじゃ。少しは身体も使えるようになっておれ、霜田葉月に笑われるぞえ」


 どうやら気に入ったらしい、僕が嘗て差し入れたミルクティーのペットボトルを抱えて、彼女は敢えて霜田葉月の名を出すことに依って僕を奮い立たせようとでもしたのだろう。ああ、そうするよ、と気のない返事をした僕に対して、野宮は幾らか不快の様だった。


「こりゃあやばいね。十分オカルトの要件は満たしているじゃないか。僕らの『記憶』は、別の仮想デバイス上に『記録』されていて、大脳が記憶を『思い出す』と言う作用を阻害するための防壁とは、そのアクセス権限を停止することだなんて。そもそもその仮想デバイスってなんなんだよ、これじゃまるで――」

「――アカシック・レコード。そう言いたいのじゃろう?」


 野宮は僕の機先を制した。アカシック・レコード、神智学上に於いて森羅万象の事象が記録されているとする仮想デバイス。だが、科学的にそんなものは存在し得ない。そのことは、野宮も当然理解している筈だ。


「その仮想デバイスがアカシック・レコードだ、と明言しておるのであれば、確かにオカルトじゃ。余はそう言った気宇壮大な出鱈目も嫌いではないが、ぬしの想定とは大凡懸け離れておる。不思議なことに、確かに件の本の中では、その仮想デバイスが具体的に何で実装されるものであるか、と言うことを規定しておらん。つまり、規定せずともそのデバイスは実在する、とでも言いたげじゃな」


 なるほど、確かにそうだが実態として存在し得るものなんだろうか。


「まだ時間は有る、モラトリアムは充分なほどに与えられておる。気が急くのも無理からぬ話じゃが、急いては事を仕損ずる。取り敢えず具体性側の答えは得た、ならば抽象性側から理論を組み付け、道具立てをし、全体として構成すれば良いことじゃ。やはり世界にはまだ、謎は多いのう」


 既に百年以上の時を、一人で旧図書館で刻み続けてきた〝博覧強姫〟にとって見れば、確かにここ一ヶ月ほどの騒動などほんの一瞬の出来事なのかも知れないけれど、それ以上に彼女は悠長過ぎる。だが、それが僕の昂奮を和らげ、冷静に問題に対峙する力を与えてくれているのだとすれば、野宮和子もまた、僕にとっての「恩寵」なのかも知れない。


 そう思うと、無邪気にペットボトルのミルクティーを飲み、またぞろ何処かから掘り当ててきた奇書の類を嬉々として読み耽る彼女を見ていられるこの時間は、何も得られていないとしても有益なのだと思う。


「――と言うか、ぬしよ。先月紀要出してなかったが、理事会からは何も言われなかったのかえ?」

「あ、そうだね……そのことは、ちょっといろいろ。だから、暫く顔は出せないけれど、調査のほうは引き続き御願いするよ」

「ふん。調子の良いことを言いおって。さっさとノルマ分の提出くらい終わらせい」


 なぜ〝博覧強記〟野宮和子は、暫く顔が出せないと言ったときに、取り分け不機嫌な表情を見せたのだろう。そんなに僕は遊び相手として適任だ、と言うことか。慌てて渡仏期間の報告書にノルマの紀要論文を二本認したため、まとめて理事会に送り付けた頃には、学園は既に深い秋から初冬の様相を呈していた。どうにも僕は、仕事が遅い。もう少し仕事が早かったら〝時計塔〟破壊計画は未然に防げていたであろうか。まぁ、詮無い仮定だが。


 それと、なぜ新図書室から見て旧図書館は、地下九階などと言う深いところに存在したのか。その答えを、野宮は明確に持っていたことを付け加えたい。


 戦後になって新キャンパスを作る際、単に〝空中回廊〟ごと埋めたのだそうだ。

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