Deuxième ―― 抑圧と重力のシモーヌ・ヴェイユ

La Pensees ―― 随想

 僕はときどき、自分が自分以外の何かによって動かされていると感じる。その認識が正しいのか誤りなのか、そのことを考えるのは不毛だとわかっていながら、それでも疑問から逃れられない。従ってこの問題から逃避することは不可能であるために、考慮することを止める以外に手段はない。恒にこの問題は僕と正面から対峙していて、僕が問題から目を背けることでしか態度を表明できないのだ。


 そのことを強く感じたのが、あの〝時計塔〟に纏わる一連の事柄であり、夏季休業前の或る日突然出会った、霜田葉月と言う一人の少女との関係性だった。


 予め機械手続きとしてプログラムされた自己増殖機能によって、文字通り「成長する」機械式計算機〝時計塔〟を作り出した〝計算に愛された女〟、それが霜田葉月だった。彼女はかのチャールズ・バベッジが果たせなかった解析機関を上回る理論により、自己増殖する超並列型の機械式汎用コンピュータを作り上げようとした。しかし〝時計塔〟は計画途上で完成を見る前に崩壊したのである。


 原因は物理的な限界を迎えたものと推測されるが、それを回避するための前提条件と目的関数を求めることを要請されたのである。だがその道具立てと計算は思うに任せず、漸く彼女が事前に与えた条件の誤りの修正とその証明、それに伴って求まる目的関数が算出された時には、既に〝時計塔〟は崩壊した後だったのだ。またそれと同時に霜田葉月から〝計算に愛された女〟としての人格や才覚は失われ、そこにはただの、ごくありふれた少女としての霜田葉月のみが残されたのである。


 霜田葉月が――否、彼女に影響を及ぼしていたと言う「エイダ・ラブレス」が――あの奇怪なobjectとしか形容のしようのない〝時計塔〟を産み出すことによって、最終的に目指していたものとは何なのか、その真実に辿たどり着くことはもうできなくなっていたのだが、逆に僕がそのことをはっきりさせたいと思うようになったのも、〝計算に愛された女〟が失われたことに起因する。何となれば、霜田葉月は人として失われてはおらず、ただその特殊な才覚を持った人格だけが失われたからだ。では才覚は人格に依拠するものなのか? その理論も成立しそうには感じられないが、仮説としては用意しておくのは悪くないだろう。


 学校が夏季休業を迎えて予定通りに僕が渡仏し、二ヶ月ほど過ごしていたappartementで彼女のことを考えていたときに、不意に訪れた思考上の空白が、冒頭の疑問を想起させた。それは複雑な問題であった。僕はなぜ彼女に協力したのか、一般的に考えればその行為そのものが不合理であったように思えるのだが、そう思えなくなった理由は、彼女に協力を要請されたことを断ることができなかったことにある。


 結果として彼女の努力も僕の協力も実を結ぶことはなかったのだけれども、だとすればなぜ理事会は〝時計塔〟の存在を放置し、彼女の不可思議を予め遷延せしめずにおいたのか。特殊な才能が人格に直接影響することは考えにくいが、その特殊さ故に後天的に特異な人格を形成する可能性はあるだろう。だとすれば、霜田葉月は生育歴のどの時点より〝計算に愛された女〟であったのか。また同時に〝計算に愛された女〟ではない人格は、どのような仕組みによって保全されていたのか。何かの気の迷いとも言える現象ではあったが、僕はなぜ〝計算に愛された女〟に心を惹かれる想いをしたのか。


 人の「意識」と言うものが、単に神経細胞を伝う電流によって形成されている現象の一つだと論じるのは、科学的には正しくとも感情的にはそれを否定したいのが生物の本能だ。言うなれば意識の永遠性が生物的な恒常性によって明確に否定されることを拒絶したいが為に、人は霊性や神性と言ったメタフィジカルな存在を要請したとも言える。だがいくら感情的に否定したところで、拾い上げられるべきevidence足り得ることとは反する存在である。


 だから生命科学的に「意識」を論じるのではなく、純粋素朴に精神的な心理学を論じるのでもなく、僕は数学の手に拠って「意識」を論じる必要性があると考えていて、そのことは「意識空間」と言う交錯した【流れ】を対象とした抽象模型であるために要するであろう【意識】圏とその忘却関手ぼうきゃくかんしゅによって組み付かれることが要請される。


 だが、この間を補う代数的構造は、まだ発見できていない。現在判明している事象から演繹的に導かれるであろうと言う期待は、非常に純粋でありながら一方で嘴の黄色い様を誇るかのような愚直さでもあるのだ。

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