お尻→僕


「あっ、やっと降りてきた! ご飯出来てるから、さっさと食べちゃって!」


 朝の日課であるランニングを終え、シャワーを浴び、学生服に着替えて自宅1階のリビングに降りてきた蒼は、そこにあるテーブルの上にトーストをはじめとした朝食を置きながら自分に笑みを向ける、エプロン姿のやよいを目にしてびくりと動きを止めた。


 ぱたぱたとせわしなく動き回りながら自分の分も含めた朝食の用意を終えたやよいは、身に付けているエプロンを外すと、蒼に手招きをしてから彼の真向かいにある椅子へとその大きなお尻を置く。

 トーストとベーコンエッグに簡単なサラダ、そして温かいコーヒー……と、ランニングを終えた空きっ腹に丁度いい量の食事を見回して満足気に頷いた彼女は、両手を合わせて大声で食事前の挨拶を口にしてから、それを食べ始めた。


「それじゃ、いっただっきまーす! あ、卵とベーコン使っちゃったから、学校終わったら買って返すね!」


「別に、そんなことしなくていいって。そもそも朝食を作ってもらう必要だって――」


「おばさん、昨日からまた入院してるんでしょ? 放っておくと面倒臭がって朝食を抜くに決まってるんだから、誰かが作ってあげないとだめじゃん」


「そりゃ、そうかもしれないけど……でも、そこまで君にしてもらうのは悪い――」


「大丈夫! おばば様から蒼くんと宗正おじいさんに晩ご飯を作ってあげなさいって言われてるし、そのためのお金も貰ってるしさ。その買い物のついでだから、気にしないでよ!」


「気にするなって言われたって、そんなの無理に決まってるじゃないか……」


 食パンにバターを塗ったり、コーヒーを啜ったり、サラダを頬張ったりと出来立ての朝食を美味しくいただきながら、蒼の対応を続けるやよい。

 既に慣れているというか、さも当然といわんばかりの様子で母親不在の宗方家の料理当番を引き受ける彼女に申し訳なさを抱く蒼であったが、こちらを見やるやよいの視線から早く食べないと冷めて美味しくなくなるぞという彼女の忠告を感じ取ると、大慌てで用意してもらった朝食に手を出し始めた。


 彼女が用意してくれたベーコンエッグは蒼が好きな黄身が半熟の焼き加減で、塩味もほどよい塩梅に仕上がっているそれを頬張った彼は、やよいに対して改めて感謝の気持ちを抱く。

 病弱な母に代わってこうして自分や祖父の食事を用意してくれている彼女には、本当に頭が上がらないな……と思う蒼であったが、やよいの献身はまだまだこんな物ではないようだ。


「あと、はい。今のうちに渡しておくね」


「え? な、なに、これ……?」


「お弁当。どうせおじさんからお金を受け取ってるから、昼ご飯はコンビニか購買で買ったパンにしようとか考えてたんでしょ? あたしの目が黒いうちはそんなの許さないから、こっちを食べとけ~!」


「い、いや、でも――!!」


「もう作っちゃったから返されても困るよ。あたし、2つもお弁当食べられないもん。それとも捨てる? 可愛い可愛い幼馴染が、朝早くに起きて蒼くんのために作ってあげた愛情たっぷりのお弁当を? ぐすん、蒼くんがそんな心無い人だなんて、思ってもみなかったよ……!!」


「う、うぐぅ……!?」


 これが嘘泣きだということはわかっているし、こうして自分の逃げ道を塞ぐのはやよいの常套手段だということも理解しているが、確かにこの状況で彼女に弁当を突き返すのも酷な話だ。

 おどけた言い方をしているが、やよいが自分のために弁当を作ってくれたことは確かだし、それを無下に扱うなんて出来っこない。


 赤色の風呂敷に包まれたそれを見つめ、なんともいえない表情を浮かべていた蒼であったが、観念したように溜息を吐くと素直な感謝の気持ちをやよいへと告げた。


「……ありがとう。毎回、本当に助かってるよ」


「にししっ! そうでしょう、そうでしょう! 可愛くて料理も出来ておまけにおっぱいとお尻が大きい幼馴染を用意してもらえたことを、神様に感謝し給え!!」


「いや、そこはやよいちゃんに感謝するって。色々と僕に世話を焼いてくれるのは、神様じゃなくて君なんだから」


 ぼそりとそうやよいに告げながら、彼女が用意してくれた朝食を頬張った蒼が、その味をじっくりと堪能してから喉を鳴らす。

 ふぅ、とどこか感慨深く息を吐いた彼は、しみじみとした口調で1人呟いた。


「……君みたいな幼馴染がいてくれて、僕は幸せだよ。つくづくそう実感してる」


「……ふ~ん、そっか。そう思うのなら、感謝の気持ちをもっと表してくれると嬉しいんだけどにゃ~!」


「購買で売ってるプリンでいいかい? 大きめのやつ」


「OK! いや~、話が早くて助かりますな~!」


 一瞬、蒼の言葉に気恥ずかしさを覚えたやよいが頬を赤らめるも、すぐに彼女は普段通りのおどけた雰囲気に戻って彼と言葉を交わし始めた。

 こういう天然というか、意図せず自分への好意を口にする蒼の言動にペースを崩されることを悔しがる彼女は、その感情を表に出さないようにしつつ彼へと言う。


「さ、早く食べちゃって。洗い物もしなくちゃいけないし、のんびり食べてると遅刻しちゃうよ?」


「わかってるって! っていうか、洗い物は僕がするから、食後は君が休憩してなって!」


「にししっ! じゃあ、そうさせてもらっちゃおうかにゃ~! ……ねえ、こういう役割分担みたいなことしてるとさ、あたしたち夫婦みたいだなって思わない!?」


「ば、馬鹿なこと言ってないで、早く食べてって! 君の言う通り、遅刻しちゃうから!!」


「は~い! ふふふふふふ、反撃成功……!!」


 夫婦みたい、という自身の言葉に顔を真っ赤にした蒼を見ながら、彼に聞こえないような声量で呟いたやよいがトーストを齧る。

 バクバクと大慌てで彼女が用意してくれた朝食を貪り、台所で自身の使った食器を洗い始めた蒼は、ちらりとやよいの姿を見やってから複雑な表情を浮かべた。


(いや、幸せなんだよ? 朝、起こしてもらって、一緒にランニングして、朝食とお弁当まで作ってもらった上に、登下校どころか晩ご飯まで一緒だなんてさ。でも、その……もう少し、やり返せるだけの隙みたいなものがないと、男としての不甲斐なさを感じてしまうというか、なんというか……)


 可愛くて料理が出来る上におっぱいとお尻が大きい幼馴染がいるという恵まれ過ぎている現状に文句はない。

 ただ、1つだけ言わせてもらうとすれば、彼女の尻に敷かれ続ける毎日は男としてちょっと情けないのではないかと思ってしまう。


 亭主関白とはいわないが、もう少し自分も威厳を見せて男らしい姿をやよいに見せたいと思う蒼であったが……そういった思いも空しく、彼の想い人は今日も彼を翻弄し続けるのだ。


「ほ~ら~! 急がないとバス来ちゃうよ~! 早く、早く~!」


「わかってるから急かさないでよ!」


 2人揃っての朝食を終え、洗い物も終えて、予定時刻ギリギリで家を出ようとした蒼は、一足先に準備を終えたやよいに煽られながら大慌てで靴を履いていた。

 玄関に座り、下を向いて急いで靴を履いた彼は、立ち上がって歩き出そうとしたのだが――


「ぶっっ……!?」


 その顔に、馴染みのある柔らかく大きい何かが押し付けられる。

 そこそこの勢いを以て彼の顔を自身のお尻で弾き飛ばしたやよいは、玄関で仰向けに寝転がる羽目になった彼へといたずらっぽい笑みを浮かべながら、からかいの言葉を口にした。


「お尻、ど~ん! 油断大敵だよ、蒼くん! にゃははははははっ!」


「ああ、もう、この……っ!!」


 彼女からの煽りの言葉を耳にした蒼は、仰向けで倒れ込んだまま腕で顔の目の辺りを覆った。

 この小悪魔のような、自分をからかってばかりの幼馴染の尻に物理的にも精神的にも敷かれている毎日を苦々しく、そして不甲斐なく思っていることは確かなのだが……それと同時に、どこか心地良いと思ってしまっている自分もいることも確かだ。


 いつかは力関係を逆転させたい気持ちもあるが、このままずっと彼女のお尻に敷かれ続ける人生もそれはそれで幸せそうだな……と、ちょっとどころかかなり情けない考えを思い浮かべてしまった蒼は、必死に首を振ってその思いを頭の中から弾き飛ばす。

 そして、勢いよく立ち上がると共に、自分をからかういたずらっ子への抗議と怒りの叫びを上げた。


「コラーッ! またそうやって慎みのない真似をして……! いい加減怒ったぞ! 覚悟しろ!!」


「うわ~い! 蒼くんが怒った~! でも全然怖くないのが悲しいところですな~!」


「今日という今日は本当に怒った! 絶対に後悔させてやる!!」


「にししっ! やれるもんならやってごらん! ほら、お尻ぺんぺんっ!!」


「ぶふっ!?」


 わざわざスカートを捲り上げ、フリルの付いた可愛らしい下着を見せつけながらお尻を叩くやよいの姿を目にした蒼は、それだけで怒りの炎を鎮火させられてしまった。

 そんな彼の反応に満足気に笑ったやよいは、ぺろりと舌を出した可愛らしい表情を浮かべ、言う。


「この程度で気勢を削がれるだなんてまだまだ精進が足りないね! そんなんじゃ、あたしに勝つまで100年はかかっちゃうよ~!」


「ぬ、ぐぅ……!!」


 悔しいが、何も言い返せない蒼が短い唸りを上げながらやよいを睨む。

 恨みが込められた彼の視線もものともせずにふわりと微笑んだ彼女は、堂々とした態度で高らかに宣言した。


「これからもお尻に敷き続けてあげるから楽しみにしててよね、蒼くん!」


「楽しみになんてするわけないでしょ! 本当にもう、勘弁してよ……!!」


「え~っ!? とかなんとか言っちゃって、ホントのところはそんな毎日も悪くないとか思ってるんでしょ?」


「思ってない! 全然! まったく! これっぽっちも! 僕はそんなこと思ってない!!」


「ムキになって否定するところが怪しいな~! ま、蒼くんの本心を引き出すのもお楽しみの1つとしてとっておこうかな!」


 そう言って楽しそうに笑うやよいの姿を見ながら、彼女に考えを見透かされていることを恐ろしく思いながら……蒼は、改めて思った。

 やはり自分は、彼女には敵いそうもない。 これからも暫くは、彼女の尻に敷かれ続ける毎日が続くのだろうな……と。


 宗方蒼と西園寺やよい。2人は同じ高校に通う17歳の幼馴染である彼らの関係は、一目で理解出来る。

 物理的にも、精神的にも……今日も彼は、彼女のお尻に敷かれて幸せな毎日を送るのであった。

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