休憩→挑戦
「はい、スポーツドリンク。この後また走るんだから、一気飲みは止めておきなよ?」
「わかってるって! でも悪いね~! 追い付かれちゃったのに、飲み物奢ってもらっちゃってさ!」
カキッと音を立て、蓋を開けたペットボトルの中身をゆっくりと飲み始めるやよい。
公園の街頭に背を預けた蒼もまた、彼女と同じように買ったばかりのスポーツドリンクで喉を潤す。
途中のペースアップも含めて、今日のランニングもいい運動が出来た。
折り返しの道はクールダウンも含めて少し落ち着き気味にいこうと思いながら、もう1口飲み物を口に含んだ蒼がやよいへと視線を向けてみると――
「んっ……あっつぅ……」
「ぶっ……!?」
丁度、そのタイミングでジャージのジッパーを降ろし、その下に着ていたTシャツの首元大きく膨らんだ胸の谷間を露出している様が目に映った。
肌に浮かぶ玉のような汗と、解放された胸元から湧き上がっているように見える湯気を目にしてしまった蒼は、口に含んでいたスポーツドリンクを噴き出すようにして咳き込んでしまう。
その音でやよいも彼の視線に気が付いたのか、絶好のからかいポイントを見つけたとばかりに小悪魔めいた笑みを浮かべながら、普段のように面白おかしく蒼のことを弄り始めた。
「や~らし~! 乙女の柔肌をちらちら見ちゃってさ~! やっぱり蒼くんも男の子なんだね~!!」
「ち、ちがっ! 僕はそんなつもりで君を見たわけじゃ――!!」
「そんなこそこそしてないで、男ならがっつりガン見する勢いで見なよ! お前のおっぱいを見てるぞ、悪いか! くらいの精神でさ~!」
「だからそんなつもりじゃなくって、本当にタイミングが悪かっただけなんだってば!」
「ふふ~ん? タイミングが良かった、の間違いじゃない?」
「~~~っ!?」
あながち間違っていないやよいの指摘に言葉を失った蒼は、羞恥と憤りに彼女から顔を背けて口を噤んだ。
そのまま、熱くなった顔を冷ますようにペットボトルを傾けてスポーツドリンクを飲み干せば、それを見ていたやよいがからからと笑いながら更にからかいの言葉を口にする。
「一気飲みするなって言ったのは誰だったかにゃ~? 駄目な子だなぁ、蒼くんは~!」
「うるさいな、誰のせいでこんなことしてると思ってるのさ?」
「むっつりすけべな蒼くん自身のせいだと思う。それともなに? 蒼くんは、どれだけあたしが熱さを感じても、ジャージを脱ぐなって言いたいわけ?」
「ぐっ、ぬぅ……っ!!」
これまた間違ってもいないし、なんだったらこれまでのからかいよりも正当性がある行動を取ったやよいから正論をぶつけられた蒼が再び口を閉ざす。
パタパタとTシャツを摘まんで襟元をはためかせて顔に風を送りながら、胸の谷間を露出させてそこから熱気を放出しながら……くすくすと笑うやよいは、色んな意味で顔を紅くしている幼馴染へと、軽い口調でこういってみせた。
「別に気にする必要なんてないじゃん。一緒にお風呂だって入った仲なんだしさ」
「それは幼稚園とか、小学生の頃の話でしょ!? 僕たちはもう高校生で、あの頃とは色々と状況が変わったわけなんだからさ……!」
「確かにね~! あの頃に比べて蒼くんは背が高くなったし、あたしもおっぱいとお尻がこ~んなに大きくなったもんね~! そりゃあ、蒼くんも目のやり場に困るわけですにゃ~!」
「わかってるならもう少し自重してよ。万が一にも間違いがあったら、どうするつもりで――」
「ん~? ……間違いっていうのは、蒼くんがあたしに手を出すってこと? そんなこと、あり得るの?」
「ぐっ……!?」
つんつんと指で腹筋を突きながら、蠱惑的な笑みを浮かべて問いかけてきたやよいの言葉に、蒼が言葉を詰まらせる。
だがしかし、ここで右往左往してしまうから彼女に好き勝手振り回されるのだと考え直した彼は、珍しく反撃の意思を固めると精一杯の抵抗をしてみせた。
「あ、あり得ない話じゃあないでしょ? 僕だって健全な青少年なわけだし、君のからかいのせいで理性が飛んだりしたら、手を出す可能性だって0ではないと思うけど、なぁ……」
「……ふ~ん、そっか。確かにそうかもしれないね」
実に弱々しく、力強さの欠片も感じさせない抗議であったが、やよいは蒼の言葉に一応の同意をしてみせた。
自分の精一杯の抵抗はしっかりと実を結んだぞと、多少なりとも彼女に言い返すことが出来た喜びに拳を握り締める蒼であったが、続くやよいの言葉にその歓喜が一瞬にして打ち砕かれてしまった。
「じゃあさ、やってみせてよ。今、ここで。あたしの小生意気な口、塞いでみせて?」
「……はい?」
「もっとはっきり言わないとわからない? ……キスしてみせてよ、ここで」
「は? え? は、はぁっ!?」
唐突な申し出に狼狽し、顔を真っ赤にして動揺する蒼。
対してやよいは、普段彼をからかう時に浮かべている笑い顔ではなく、真剣な表情で彼へとこう続けて言葉を向ける。
「さっきから蒼くん、あたしに何か言われる度にうぐっ、とかぐっ、とか言って黙ってるじゃん。いいようにやられて悔しいだろうから、挽回のチャンスをあげるよ。ついでに、あたしのいじりから解放されるチャンスもあげる」
「え、えっ?」
「合計10秒、かな? 蒼くんがあたしに黙らされた時間。それと同じ時間あたしとキス出来たら、もう蒼くんのことをからかわない。毎朝お尻どーんしにも行かないし、蒼くんが迷惑だと思うこともしないって約束するよ。どう? この条件?」
「ど、どうと言われましても……?」
言っていることは普段のからかいと大差ないように思えるが、表情は真剣そのものなやよいのギャップに調子を狂わされた蒼は、完全に彼女に話のペースを握られている。
その状況で、大きく腕を広げて彼を受け入れる体勢を取ったやよいは、小さく微笑むと最後の誘い文句を口にした。
「ほら、おいで。今なら周りに誰もいないし、恥ずかしい思いをすることもないよ? 男らしさを証明出来る上に、今後一生の迷惑行為も止められる。何より、こんなに可愛い女の子とキス出来る絶好の機会じゃない。これを逃したら、蒼くんは正真正銘のヘタレだよ? それでいいの?」
挑発であり、促しであり、自分を試すような言葉を投げかけてきたやよいの姿に、その表情に、蒼の心臓がどくんと跳ね上がる。
彼女の言う通り、これは絶好のチャンスで、たった10秒の頑張りだけでこれから毎日朝の寝起きを襲われる心配から解放されるというのだから、これを逃す理由なんてないはずだ。
しかも、自分に課せられた使命は試練というよりかはご褒美に近しいもので、蒼にとってもメリットしかないものとくれば拒む必要性なんてどこにも存在していないではないか。
自分を上目遣いで見上げる少女の、花弁のような可愛らしい唇を見つめた蒼は、ごくりと緊張感に息を飲んだ。
キスならば、何度もしたことがある。なんだったらファーストキスの相手もやよいだったし、考えるまでもなく母親よりも彼女と交わした口付けの回数の方が多いはずだ。
……まあ、それも小学校低学年くらいまでの話ではあるのだが。
ここで逃げてはやよいの言った通り、自分は正真正銘のヘタレとなってしまう。そんな不名誉な称号を与えられることだけは嫌だ。
見せてやるのだ、自分の漢気というやつを。それをやよいに証明し、不用意に手を出すと恐ろしい目に遭うかもしれないということを思い知らせて、金輪際過激な接触を禁止するという約束を取り付ける。
これから先の平穏な毎日を手に入れるために、自身の男らしさを証明するために、やよいと真正面からしっかりと向き合った蒼は、自分自身の心を鼓舞すると、大きく息を吸い、吐き出し、そして――!
「すいません許してください。僕には無理です」
――実に情けない言葉を口にしながら、彼女の目の前で土下座してみせた。
これが絶好の機会で、最高のチャンスで、拒む理由なんてないことはわかっている。この申し出から逃げる自分が臆病者であり、正真正銘のヘタレであることも理解している。
だがしかし……出来るはずがないではないか。なんの心構えもなく、大切な幼馴染と、野外で長い接吻など、初心な自分にはハードルが高過ぎる行為だ。
まず間違いなく、そういった自分の性格を理解した上でこんな条件を出したであろうやよいに完全降伏の意を示す土下座で許しを請うてみせれば、彼女はにししと普段通りの小悪魔の笑いを浮かべた後、蒼の背中へと自身の大きなお尻を乗せながら愉快気にこんなことを言ってきた。
「うん、知ってる! 蒼くんがこんなこと出来るわけないじゃん! やっぱ女の子に関わることでは正真正銘ヘタレですな~!」
「な、何も言い返せません……」
「同年代の男の子ならさ、あたしからこんなこと言われたら、一にも二にもなくキスしてると思うよ? こんな絶好の機会をみすみす逃すような奥手っぷりじゃあ、一生結婚出来ないどころか恋人すら作れないって!」
「仰る通りです……」
完全敗北し、物理的にも精神的にもやよいの尻に敷かれる蒼が半泣きの状態で彼女の言葉に同意する。
むにむにと彼の背に自慢のお尻を押し付けながら、楽しいことこの上ないと言わんばかりの雰囲気で彼をからかっていたやよいは、べこべこにプライドの凹まされた蒼の頭を撫でると、これまでとは違う優しい声色でこんなことを口にしてみせた。
「ま、あたしはそういう蒼くんが好きだからちょっかいかけちゃうんだけどね。あとはもう少し男らしくなってくれれば、完璧なんだけどにゃ~」
「うぐぅ……」
「ベンチになってあたしに座ってもらいたいっていうんだったら止めないけどさ、そろそろ土下座するのやめたら? 誰かに見られたら、それこそ大恥だよ?」
「はい、そうします……」
やよいが腰を上げたことで軽くなった体を起こした蒼は、その場に立ち上がると共に大きな溜息を吐く。
これまでも何度か同じようなやり取りを繰り返しているのに懲りないし慣れないなと彼の反応に苦笑を浮かべたやよいは、ゆっくりとスポーツドリンクを飲み干すとそれをごみ箱に放り投げ、気持ちを切り替えさせるようにして蒼に声をかけた。
「さ、そろそろランニングに戻ろっか! これ以上は体が冷えちゃうだろうし、早く家に帰ってシャワー浴びたいしね!」
「そうだね……遅刻しないように、早く戻ろうか……」
「もう! いつまで凹んでるのさ? うじうじしてないで、足上げて! 腕振って! 走った、走った!!」
ここまで自分を凹ませた張本人が何を言うかと思いながらも、どちらかというと問題は自分にあるのだからやよいを恨むのは筋違いだと思い直した蒼が彼女に言われるがままにランニングを再開する。
今度はそんな彼と並走しながら、ペースやら何やらを全て管理するやよいは、やはり楽しそうに笑みを浮かべて家までの道を蒼と走っていった。
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