彼女の1番
彼女はまたすぐに彼氏を作った。どこから情報が漏れるのかは分からないが、別れるとすぐに他の男性にアタックされるらしい。美人はやっぱりすごいなぁと思う。わたしには必要のない存在だと思う。雪乃以外の人間では何の意味もないからだ。
彼女にとって今回の彼氏は「特に何とも思ってなかった人」なのだそうだ。それなのに、男というだけで急に彼氏に格上げだ。自分が親友だからこそ今の立場に居続けることができているとわかりつつも、羨ましくなる。
彼女がどのぐらい彼氏を大切にしているかは、大体食卓でわかる。今回は彼氏についての会話が少ないので本当は別に好きでもないのだろう。ちょっと前に珍しく意中の人と付き合えた時はもう惚気話ばかりで心苦しかった。
彼女に彼氏が出来てから3週間くらい経った。徐々に彼氏の話が増えた。本人曰く「初めは何とも思ってなかったけれど、すごく好いてくれて、大事にしてくれる」らしい。結局のところ、男性が愛してくれればそれでいいのだろう。きっとそれは私からの愛では得られない何かなのだと思う。
少しずつ、彼女の中での私と彼氏との優先順位が揺れているのがわかる。彼氏の家にお泊まりすることも増えた。それは彼女が本当に心を許したということだ。ただ消費されるだけのものにされないという相手への信頼が出来たということである。かなり前にそれで悩んだことがあったから、一応そこはしっかり線を引いている…らしい。私からすればかなり緩めの判定だと言わざるを得ないが。
きっとちょっとずつ、彼女の私物を彼氏の部屋に増やしていって、またこの間みたいに同棲でもするのだろう。今回は溺愛されているようだから、浮気はされないかもしれない。
ついこの間、旅行に行かないかと持ちかけたら、「ごめーん、彼氏が毎週土日は泊まりに来いって言うからさ〜」と言われた。
私は負けるのだ。ぽっと出の男に。器が小さく、嫉妬の塊のような男に。まぁこれは自分も同じだとは思うが。
いっそのこと彼氏を脅すか、もしくはどうにか彼女に助言して別れるように仕向けられないか。
でも、もしそれがうまくいったら、それは彼女から幸せを奪うことにならないだろうか。どうしたって彼氏が彼女に与えている気持ちは、私では与えられない、感じさせることができない気持ちなのだ。
じゃあもう、とっとと同棲して出ていってくれ。どこか遠いところで幸せに暮らしてくれ。そう思わずにはいられない。
しばらく彼女は半同棲のような生活をしていた。しかし遂に彼女は彼氏の家で生活することを決めてしまった。
私は捨てられた。私が独りでは生きていけないことを知っている癖に、私を置いていったのだ。彼女にとって私はもう1番ではない。「やっぱあなたが1番だわ。」そう言ってくれたのは嘘だったのか。嘘になるぐらいならそんな言葉言ってくれなければよかった。言わなければ私は1番なんて不確かなものを頼りにはしなかったのに。
彼女が彼氏の家で暮らすようになって、大学の違う私達は最大の接点を失った。顔を合わせることもなければ連絡もない。それは彼女が幸せに暮らしているという証だと思うことにした。
私は徐々に弱っていった。大学やバイトなどの社会的な場面では今まで通りに振る舞った。しかし家ではもう何もできなかった。どんどん悪い事しか考えられなくなった。いつもは彼女がそばにいて私を救ってくれていたが、もうそんな彼女もいない。どんどん暗くてジメジメしたところに沈んでいる感覚があった。体が重くて起き上がれなくなり、1日のほとんどをベッドの上で過ごしていた。今まで通りに振る舞う事も出来なくなりつつあったが、それでもなんとか週に一度はバイトに行き、ほぼ居眠りをしていたが大学にも行っていた。
何となく、限界みたいなものを感じていた。別に今死んでも後悔はない、という変に潔い《いさぎよ》意欲だけが湧き出ていた。
そんなある夜インターホンが鳴った。一瞬、彼女かと思ったけど、それはないと打ち消した。時間が経てばいなくなるだろうと思ったがあまりにしつこいのでのそのそとベッドから起き上がって確認した。母だった。入居した頃に来たきりだった母が、「連絡したのに何で返信くれないのよ〜」と言った。あぁそういえば通知切ってたなと、思った。彼女から連絡が来ても気づかなくていいように切ったのだ。
「何かあったんじゃないかって心配してたのよ?」
「ごめん。」
「生きてるならよかったわ。ところで
「ちょっと前に引っ越したよ。」
「あら、ケンカでもしたの?」
「いや、彼氏と同棲してる。」
「そうなの。」何も知らない母を見て、胸がチクチクと痛む。もし話せたら少しは楽になれるのかな。でもそんな選択肢、私を選ぶ勇気がない。
「晩ご飯まだでしょう。」
「うん。」
「そうだと思って作ってきたよ~」そう言って母は保冷バッグからタッパーをいくつか取り出した。
「ありがとう。」電子レンジが小気味のいい音をたてる。
「はい、どうぞ。」目の前に出されたのは水を吸い切った卵雑炊だった。
「いただきます。」卵雑炊は体調を崩したときに母が作ってくれた料理だった。もしかしたら何もかも見透かされているのかもしれないと思った。
「はい、めしあがれ。」
それでも卵雑炊の優しい味と温かさがじんわりと
しばらくして、母は私の向いに座った。
「寧々ちゃん、明日お母さんとお出かけしない?」いやに重みのある声色だった。
「でも明日は大学だし…。」
「大学なんて1日ぐらい休んでも大丈夫よ。」
「……うん。わかった。」
「じゃあ、お母さん帰るね。また連絡するから携帯見てね。」
「うん。わかった。」
次の日、母から連絡が来ていた。10時ごろに迎えにくるそうだ。一体どこへ行くのだろう。とりあえず黒のTシャツワンピースを着て単色のブラウンアイシャドウを取り、目尻側から指でなぞる。涙袋の下に影、アイライン、ビューラー、マスカラ、保湿リップ。ここまでやればまあいいだろう。どこへ連れていかれても平静を保っていられる。
母が迎えに来た。助手席に乗った。車はゆっくりと動き出した。
「どこに行くの?」
「着いたらわかるよ。」そりゃそうでしょ、と心の中で思った。
見覚えのない道だった。途中で寝てしまったのでどのぐらいかかったのかわからなかった。
「はい、ついたよ。」そう言われて外を見るとそこは病院だった。
私の頭の中には疑問符が浮かんだ。
「よし、行こっか。」
「え…、」私の声には気付かなかったのか母はずんずん進んで行ってしまった。
ぼーっと立っていると母が歩いてきて、こっちよ、と私の手を引いた。親に手を引かれるなんていつぶりだろうかとふわふわ考えた。待合室に座らされた。母はしきりにモニターに書かれた番号を見ていた。
30分ぐらい経った。
母が「次ね」と言った。
診察室に入ると少しふくよかな男の人がいた。
「えーと、蒔田寧々さんかな?」
「あ、はい。」
「あ、お母さんは隣の椅子にどうぞ。」
「ありがとうございます。」
「心療内科は初めてかな?」私が疑問符を頭に浮かべていると、横から母が話した。
「はい、初めてです。」
「そうですか、本日はどうされましたか?」
これまた私にはわからない話だ。私のことなのに。
「なんだか、様子がおかしくて…。ただちょっと落ち込んでる感じには見えないんですよ。それに全体的にやつれてしまったような…。」
「そうですか。寧々さん、あなたは今、前とは違う感じがしていますか?」
「…いえ、あ、えーと前より少し動きにくいなとは思います。」
「そうですか、それはどのくらい前からですか?
「多分、1ヶ月ぐらい前からだと思います…。」
「そうですか、一日中動きにくいなって感じですか?」
「えーと、最近は大学とかバイトとかない日は一日中ベッドにいますけど、大学とかバイトとかはちゃんと行けてます。」
「ちゃんと行けてるんですね。何か今の状態になってしまった原因などに心当たりはありますか?」
「えーと、………ないです。」母が隣にいるのに言えるはずがない。
「そうですか。わかりました。とりあえず依存性の低いお薬出しておくので、飲んでみて、経過を見ましょう。」
処方箋をもらって、変な名前の薬をもらった。助手席でうとうとしていると、海鳴りが聞こえてきた。少し砂浜を歩いてみた。母に一度家に戻ってきなさいと言われた。疲れたので車に戻って寝た。次に起こされた時には、彼女と生活していた部屋に着いていた。母と荷物をまとめ、車に積んだ。話す事が見つからなくて気まずくなった。だから寝たふりをしていた。家に着くと、独特な油の匂いがした。父が私の好物であるコロッケを作ってくれていた。
私の居場所は、彼女の隣ではなくて、ここにあったのだろう。
彼女と私の共依存暮らし 時任 花歩 @mayonaka0230
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