第2話

 光と初めて会ったのは、ぴかぴかの小学一年生だったとき。日直の作業に手こずってしまって、やっと帰れる……とため息をつきながら学校を出て数分、通学路の桜並木に人が倒れているのを発見した。

 「だいじょうぶ?」

 大きな木の陰にぐったりと身を横たえていたのは、その頃の僕と同じくらいの年齢の少年で、倒れた時にできたのか脚と腕に擦り傷があり、青い顔をしていた。私立の小学校の制服や、髪や頬には散った桜の花びらが無数にくっついていた。

 少年はうっすら目を開けると、僕を見て「きみやさしいね」と言って呑気に笑った。

 「家、近く?」

 彼はふるふると首を振った。僕の家も結構遠かった。どうしようかと思って周りを見渡すと、学校の保健室の窓が開けっぱなしになっているのが見えた。ランドセルを手に持って、少年を背負って走った。

 「すみません」

 網戸ごしに保健室に声をかけたけど返事がなかったので、靴を脱いで部屋に入った。先生はやっぱりいなくて、不用心だなと思いながらベッドに少年を降ろす。靴を脱がせて窓の前に揃えているところで、先生が戻ってきた。

 「あら」

 「ぐあいわるいんです」

 「そうなの。何年何組、名前は?」

 「一年一組の寺田綾彦です」

 「寝ている子は?」

 「二組の桜田光です」

 咄嗟に思いついた名前を言った。他校のこどもだとわかったら、追い出されそうな気がしたのだ。

 「それじゃあこの紙に、どこがどんな風に具合が悪いのか、書いてあげてね」

 先生は僕に簡単なカルテのようなものを渡し、少年に体温計を渡したり、簡単な問診をしていた。家の電話番号をきかれていたが、知らない、と言っていた。

 僕は彼の目が覚めるまで一緒にいてあげるつもりで、ベッドの横の椅子に腰かけて図書室から借りた本を読んでいた。途中でうとうとしてしまって、はっと目を覚ました時、ベッドはもぬけの殻だった。

 少年の電話番号を調べに行っていた保健室の先生が職員室から戻ってきて、この学校に桜田光なんて男の子はいないと言った。僕は驚いたふりをして、先生はキツネに抓まれたみたいな顔をしていた。


 後日、彼は再び僕の前に現れた。やはり制服を着ていたので、一目でわかった。放課後、校門の前で待っていて、僕に気づくと大きく手を振った。

「この前はありがとう」

 僕が目の前まで来ると、彼はぺこりと頭を下げた。

「君、いきなりいなくなっちゃうから、心配したよ」

「もう大丈夫。元気になったよ」

 その日は一緒に下校した。僕が本当の名前はなんていうのかと聞いても、「僕は桜田光だよ」と僕が勝手につけた名前を言ってはぐらかした。同じ方向に歩いて、僕の家に着くと、彼は手を振って、さらに遠くを目指して歩いて行った。毎日の登下校が大変な距離だと思った。

 それからたびたび、彼は校門の前で僕を待っていた。僕が友達と連れ立って歩いているときでも、物おじせずに会話に参加し、すぐ輪に溶け込んだ。

 中学校に上がってからも、一か月に一度くらい、彼は僕に会いに来た。そんなわけで、初めて会った時からもう7年も経っている。僕は未だに彼の本当の名前を知らない。彼は遊びに誘っても首を振るばかりで、下校して家に帰るまでの30分くらいしか話をすることができなかった。登下校の距離を考えるとそれも仕方ないかと思ったが、そもそも彼がどこに住んでいるのかもわからなかった。別れたあとにこっそり尾行しても、必ず巻かれてしまうのだ。

 彼だって成長しているはずなのだが、初めて見たときの幼い印象が抜けない。僕も同級生も、正直でいるのは格好悪いとわざと乱暴な言葉遣いをしてみたり、斜めに構えたりしているのに、光の話す言葉はいつも綺麗で、当たり前のようにまっすぐ僕の目を見てしゃべる。 

 中学校に入ってからどこか居心地が悪く、いじめられているわけでもないのにまともに登校できず、部活を辞め、罪悪感からだんだん同級生たちともうまく話せなくなってきた僕には、そんな光が、眩しい。

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