複写蘇生 五/夜
少女は、私がかつて通った、件の高校の制服を着ていた。腰まで伸びた、深黒の髪。首筋は真っ白な骨のよう。うつろな瞳と、小さな肩が、小刻みな痙攣を起こしている。
――感情が、読めない。
その痙攣が、怒りか、嘆きか、はたまた喜びによるものか、まるで見当がつかなかった。何もかもがごちゃ混ぜになり、限りなく平穏に近づいた、限りなく混沌とした精神の発露。
「そうか。――お前、とうの昔に、壊れていたのか」
私は、そう、呟いた。
きっと、目の前のこの「少女」に、「感情」と呼べるものは残っていない。
いうなれば――ソレは「衝動」。
何かに焦がれ、求め、彷徨う。自らの死さえ顧みない、鮮烈な欲望だけだった。
少女の痙攣が激しくなる。カタカタ、カタカタ、カタカタ、カタカタ……。輪郭がグニャグニャと曖昧になって、ふわり、と風に煽られ、揺れた。真っ白い、百合の花――。少女の姿は、窓辺からひょい、と投げ捨てられる、萎れたそれによく似ている。
やがて、少女は分裂した。
しおれた百合が、二つ、三つ、四つ、五つ……と、次々複製されていく。
何から何まで、そっくり同じ格好で――そっくり同じ表情で――そっくり同じ目つきをして――私のことを、虚ろに見た。
「ソレが、お前の答えなのか。……そうか、そう来なくっちゃあな!」
前髪にそっと、手を添える。それから、一本に指を絡ませ、一息に、ぷつり、と引き抜いた。微かな痛みに、僅かな抵抗。
――指先に絡みついた髪の毛が、やがて、その形を変化する。
「私の髪は特別製でさ。お前みたいなのとやり合うときは、ちょうど良い得物になるんだよ」
髪は二メートルほどの仗に変わる。真っ黒い、丈夫なことだけが取り柄の、棒。
――瞬間。
無数の少女が、つい、と滑るように疾駆した。
※
いくらか離れた、自販機の前で、僕はガードレールに寄りかかる。百円で買ったコーヒーは、「ホット」というにはあまりにぬるい。風が微かに頬を撫で、雪の匂いを運んできた。
人気のない暗い通りに、甲高い衝突音が、鋭く響く。昼間なら、日常の一場面が描かれるはずのこの場所は、今や、タダの戦場だった。
白いシャツに、黒いスカート。お決まりの外出着を纏った京子が、宙をひらひらと舞っている。いつ見ても、その姿は幻想的だ。だが――現実離れしている点では、その相手の方が上だろう。うちの高校の制服を着て、カクカクと絶えず痙攣しながら、滑るように突進する。二つ、三つ、四つ、五つ……と、似たような姿で、似たような動き。
だが、どんなに数があろうと、所詮敵では、なかったのだ。
彼女の手にした黒い仗が、宙をなめらかに切り裂いていく。アスファルトを引っ掻くたびに、白い火花が視界にちらつく。あるものは腹を割かれて、あるものは頭を砕かれて、痙攣を続けながら、横たわった。
横顔は、喜びに醜く歪んでいる。
――それは、僕のよく知らない、殺人者としての、彼女の姿だ。
周囲には、鉄の臭いが漂い始めた。仗に打たれた無数の遺体が、水道のように液体をこぼす。朱く、暗く、そして激しい。
「おうい、京子――車が来るよ!」
僕は声を張り上げた。彼方から、微かなエンジン音が近づいてくる。響きからして、この辺りでは珍しい、フランス製の高級車だろう。
京子は、こちらに視線を送り、こくり、と小さく頷いてみせる。
通りに並ぶ家々を、ヘッドライトが順に舐めた。
――と。
そのときである。
地面に転がった遺骸の一つが、不意に、彼女の、足を掴んだ。
頭をどこかに飛ばされて、くねくねと不規則にうごめいていたソレが……突然、何かに取り憑かれでもしたかのように。
転倒。
ブレーキ。
猛烈な速度は、みじんも緩む気配はなく、転がった死体も、呆然とした京子の身体も――何もかもを、蹂躙する。
ガラスの破片が、飛び散った。
電信柱が傾いて、絡んだ線から、火花が散る。
ゴムの溶ける、嫌な臭い。
――しまった。
と、唇を噛んだ。
――せめて、そばにいるべきだった。
自動車の両輪からは、微かな煙が立ち上る。
僕はコーヒーを飲み干すと、空き缶をその場に置いたまま、事故現場へと、駆けだした。
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